第二十一話

「急患だっ!」
烈潮の町は、かなり近くにあった。天希達はすぐにそこへ駆け込んだのだ。天希は頭から血を流していたが、背負っているカレンの方が気がかりだった。一番体力が残っていたのは奥華とメルトクロスで、奥華はふらついている可朗を何とか歩かせ、メルトクロスはアビスを背負っていた。案の定、そこの病院はほとんど空いていた。評判の悪い場所だと言うことはメルトクロスが知っていたが、それは言わなかった。
「えー、では、こちらへ」
細身の気の弱そうな女性は、慌てて案内した。

天希、奥華、可朗、メルトクロスは、手術室の前の長いすに座っていた。可朗は気絶に近い状態で眠っていた。この四人の中で一番ダメージが残っているのは天希だったが、何とか気を保っていた。アビスを倒したというのに、気持ちが落ち着かないのだ。運ばれていった二人の命の安全が保証されるまでは、安心することができなかった。患者があのアビス・フォレストであることを知ったときのドクターたちの顔も気にくわなかった。
(雷霊雲先生だったら、こんなこと苦ではないはず・・・)
間もなく部屋から、これまた気の弱そうな男が出てきた。少し顔色が悪かった。こっちの部屋には、カレンが運ばれていた。
「あの・・・その・・・患者さんの、容態なんですが・・・」男と表現するには弱々しすぎるが、とにかくその男は戸惑いながら言った。
「どうなんだよ?」天希は顔を前に出した。

「」

その言葉に反応したように、可朗は目を覚ました。
「さっきなんて言ってた!?」
奥華は答えなかった。彼女の顔は凍り付いていた。代わりに一つ、可朗に伝えた。
「天希君、雷霊雲先生のとこ行った・・・」

あの戦いの中で、下の階にいた奥華は、一番初めにいやな予感を感じ取ったのだ。メルトクロスとともに上にあがったときは、すでに建物が崩れ始めていたが、すると天希がすぐに起きあがり、叫んだのだ。
「みんな、逃げるぞ!」
そう言うと、すぐに倒れているカレンの方へ駆け寄った。メルトクロスも同じ方へ行ったが、天希に止められた。
「お前は、あっちだろ」
天希は、目でアビスの方を見た。メルトクロスは了解した。可朗にはわずかに意識が残っていたので、奥華は彼を立たせた。
「早くしなさい!ここから逃げるんだよ!」
可朗はふらふらと立ち上がった。
建物は完全に崩れたが、その時にはすでに、天希たちは外にいた。そのまま烈潮の病院まで向かったのだ。

その病院から、今度はどんどん離れていく。天希は前だけを見て走っていた。アビスの本拠地跡を目にしたが、すぐに、雷霊雲邸に続く道を駆け抜けていった。
「とにかく早くたどり着くんだ!仲間を見捨ててたまるか!」

「やはり・・・危険な状態なのか・・・」アビスの様子をうかがってきたメルトクロスは、下を向いて座っている奥華と可朗の前で言った。
「ネロっち、死んじゃうのかな・・・」
「なんで・・・どうしてカレンちゃんは、こんなことになったんだ・・・あの時僕が倒れてる間に、一体何があったんだ・・・一瞬、最後に見たのは、あの白い光だけ・・・」
二人がその絶望に満ちた顔を向かい合わせることもなく対話しているのを見て、メルトクロスが言った。
「『爆発」だろうな・・・」
「・・・え?」二人は重たそうに首を持ち上げ、メルトクロスの顔を見た。
「バルレン族がデラスターになってのみ、使える技がある。なぜバルレン族だけしか使えないのかはいまいち分かっていないが、周りにいる、自分が敵と認識した者と障害物のみに、強烈なダメージを与える、基本能力の一つだ。しかし、その発動には通常の技でダメージを与えるよりも確実で、同時に自分への負荷が大きい。場合によっては、相手に与えるダメージよりも、自分への反動のほうが大きい事もある。いずれにせよ、あれは凄まじい力を持っている。お嬢・・・カレンは、おそらく最後まで使わなかったんだ。それまでのダメージと、最後に襲いかかる自分への反動・・・致命傷に値し兼ねないな・・・」
「でも・・・それを使って死んだ人は・・・」
メルトクロスは、今の可朗の質問が幻聴だと願った。しかし、彼は答えた。
「無論、いる」
二人の顔からはさらに血の気が引いた。奥華の目には、冷たい涙がたまっていた。
「ネロっち、死んじゃやだよお・・・・・」

天希の体には、かなりの疲れがたまっていた。さっき倒れたとはいえ、緊張は未だほぐれずにいた。デラストの力を移動に利用していたが、それも乏しかった。しかし、心だけは前向きを保っていた。
「へっ、こんな距離・・・毎日、学校に行く前に、ちゃんと走ってたんだ・・・こんな距離・・・」
天希は木の根につまずいた。痛みを感じることが久しいような気がしたが、間違いなくそれは今の天希の道を妨げた。
(ちくしょう、なんでこうなったんだよ・・・いや、べつにいい、先のことだけ考えるんだ。俺一人で先生の所まで行くんだ!)
天希は再び走り始めた。

「うう・・・」
アビスに至っては、肺や体へのダメージはデラストのおかげで自然回復しつつあり、今は気絶しているというよりは、病室のベッドの上で寝ているようなものだった。しかし、何かにうなされるように、ときどき妙な寝言を発するのだった。皆、それを気味悪がって、聞こうとしなかった。
「アルマ・・・・・エルデラ・・・」
アビスは眠ったまま、顔をしかめていた。
「・・・カレン・・・」

「あと少しだ・・・待ってろよ・・・」
天希は道を這っていった。が、おそらく目的地であろう家が見えると、立ち上がって駆けだした。その勢いで、玄関のドアにぶつかりそうになったほどだ。しかし、その目の前で彼を止めたのは、物質的なものではなく、そこに書かれていた文字だった。
「・・・え・・・?ウソ、だろ・・・・・」

_本日休業_

天希はドアを強く叩き始めた。
「開けろ!開けてくれ!」
返事はなかった。しかし、彼は五分ぐらい叩き続けていた。そのうちに、だんだん拳の音は、弱くなっていった。
「ち・・・く・・・しょおっ・・・」
天希は首をだらんとさせ、唇を食いちぎらんばかりにかみしめていた。力はなかったが、ドアは叩き続けていた。
「なんでだよ・・・よりによって、何でこんな時に・・・」
天希の拳は開き、体は力なく前へ倒れそうになった。その時だった。
「だれだ、うちの前で立ち往生してるのは?・・・泥棒ならせめて、お前の父親ぐらい派手にやってくれよ、天希」後ろから声が聞こえた。

天希が病院を出てから、かなり時間が経っていた。奥華は緊張と睡魔と自分という、三つ巴の戦いに入っていた。可朗にはその三つに、さらに思考が加わっていた。
(アビスは平気なんだろう?だったら、何でカレンちゃんは今、三途の川を渡らんとする状態にいるんだ?もし本当に死んだら、それは無駄死になのか・・・カレンちゃん自身は、それを知らないわけではないはず・・・それでも、命を賭けてでも、カレンちゃんがしたことは、一体何だったんだ・・・?)
メルトクロスはすでに睡魔に負けていた。

カレンの寝ている周りにいる者たちは、彼女がまだ生きていることを不思議に思っていた。
「なんでこうなったんだ・・・原因がさっぱり分からない・・・」
その白衣を着た男は困惑していた。別の男が言った。
「そうだ、これだからデラスターという輩は、いつあっても訳が分からんのだ。ほら見ろ」
その男はカレンの方を指さした。彼女の右手は、いつの間にか左手の上に移動していた。

(・・・・・)
(・・・)
(・・・・・ねえ)
(・・・)
(君は・・・誰・・・?)
(・・・え・・・?)
(君は一体誰?)
(私は、ネロ・カレン・バルレン・・・)
(ふーん、覚えにくそうな名前だなあ・・・)
(・・・あなたは・・・?)
(僕?名前を?)
(・・・うん)
(名前かァ・・・えーっと・・・うーん、思い出せないや、ずっと眠ったままだったし・・・)
(眠った・・・まま?)
(それにしても、君ってかわいいね・・・多分僕より年上なんだろうけど・・・)
(・・・私は、あなたの姿は見えませんけど・・・)
(え、そうなの?何でだろう・・・長いこと眠ってて、自分の姿を忘れちゃったからかも・・・)
(あなたは、霊ではないんですか?)
(僕は幽霊なんかじゃないよ。ちゃんと生きてるよ、眠ってるけど・・・)
(私は、眠っているの・・・?じゃあこれは、夢・・・?)
(うーん、ちょっと違う。それは『寝てる」時でしょ。『眠ってる」とは、僕は区別して言ってる)
(どう違うんですか?)
(寝てるってのは、体力回復だよね。夢を見たり、一時的なものだよね。でも、眠ってるって言うのは、もう二度と起きない可能性があるやつさ。はっきりと生きてるとは言えないけど、死んでるとも言えない状態)
(私は、これから死ぬんですか・・・?)
(わからない。僕も目覚めるときがくるのか、それともこのまま死んでしまうのか、よく分からない)
(・・・・・)
(泣いてるの・・・?)
(・・・・・)
(・・・何で・・・泣いているの?)
(・・・もう二度と・・・目覚められない・・・可能性って、あるんですよね・・・?)
(うん)
(そうなったときが怖くて・・・私の父さん、母さん、兄さん・・・それに、友達と二度と会えなくなるって思ったら・・・)
(・・・それが寂しいってことなんだ・・・いいなあ、家族とか、友達がいたんだ・・・ちょっとまって、僕も何となく思い出してきた、お母さんが突然いなくなってて、そのあとはあの人に育てられて・・・確かに、自分のことを世話してくれる人がいなくなったときって一番さみしいね・・・)
(そうです・・・でも、それだけじゃない・・・お互いにいろいろな情報や、心を交換しあってきた人たち・・・どんなにそれが些細なものだったとしても、死んだらそれに関係なく、誰とも会えなくなる・・・)
(・・・そうだね・・・どんなに関係が浅くても・・・そうだね、現に僕と君はここで初めて会話した。でも、今まさに・・・・・そ・・・の・・・・・)
声は次第に聞こえなくなっていった。というより、自分の意識の方がさらに薄れていったのだ。カレンは『眠った」状態から、『死んだ」状態になった。

一人の医師が、心拍計を見ながらつぶやいた。
「心、停・・・」
その声と、心電図の長い音は、ガラスの割れる音にかき消された。窓から突っ込んできたのは、巨大なバイクだった。
「ガラスの修理代は二倍払う。そのかわり全員部屋から出ろ」
バイクに乗っていた雷霊雲が言った。後ろに乗っていた天希はバイクから降りた。医師たちは、おびえてはいたが、素直に行動した。
「さて、患者は、そこか」
心電図を見たとき、天希は頭から血の気が引けた。しかし、それよりも彼を動かしたのは、カレンの体からゆっくりと浮き上がってくる、太陽のように光る玉だった。天希は、自分の家にアビスが現れた日を思い出し、それがデラストの本体であることを悟った。
(一度デラストが人間にとりつくと、外部からの力で離れることは滅多にない。にもかかわらず、デラストは何世紀もの間、命に限りを持つ人間たちの間で伝承され続けている。その人間が命を失ったとき、デラストはその体を離れ、新たな継承者のもとへと飛んでいく。つまり逆に言えば、その人間の体から、デラストが離れるということは・・・)
天希はすごい形相をして、カレンの体から出てこようとするデラストの本体を必死で押し戻そうとした。
「おい、天希・・・」
バイクの姿をしていたデーマも、もとの姿に戻り、その様子を見ていた。天希は、そのデラストに向かって叫んだ。
「おい!お前、何で自分の主人から離れようとするんだよ!お前が自分で、主人を選んだんだろ!そうしてからずっと、カレンと一緒にいたんだろ!?じゃあなんで、そっから離れようとするんだよ!どうして自分の居場所だった人間が死ぬって事を、あっさり認めようとするんだよ!?」
「天希、それ以上やると手が溶けるぞ・・・」
雷霊雲は言ったが、天希の耳には届かなかった。
「だが、やり方は一応あっている。デーマ、手伝ってやれ」
デーマはフードのマント部分をひるがえし、前へ出て、天希の隣で同じ事をやった。その鋼鉄の腕は、ダメージを受けることもなく、デラストをカレンの体へゆっくりと押し戻していった。
「よし、次からだ天希、お前の出番は」
「え?」カレンの心臓の動きがだんだん戻ってくるのにあわせるように、天希の心も少しずつ落ち着いていった。
「確かにここまでは我々でやってきた。しかし天希、ここにお前がいるのは幸いだ。まず、カレンの腕を握ってくれ」
天希は言われたとおりに、カレンの右手を少し持ち上げた。まだ少し冷たかった。
「体温を戻すためだ。私はデラストを持っていないから、どうやるのかは分からない。だが、デラストの力によって、死にかけた人を助ける場面は多い。天希、お前は未来に生きる必要のある人のために、命の炎を再び灯す係りだ」
天希はその言葉を了承すると、目を閉じた。天希にも何をどうやればいいかは全く分からなかった。ただ、自分がこれだろうと思ったことを実行してみた。それがデラストの持つ力を引き立たせるのだ。カレンの頬に、次第に赤みが戻ってきた。
「よし、もういいぞ。あとは我々に任せろ」
雷霊雲は、天希が部屋から出るように言った。

病院を飛び出す前と同じ位置に、天希は座った。喜びとも、悲しみとも言えない表情をしていた。それは、同じ椅子に座っている可朗と奥華も同じだった。が、奥華は間違いなく寝ていた。

メルトクロスは、ずっとアビスの寝ている部屋にいた。アビスのうなり声を聞いていると、彼も顔をしかめていた。
「安心しろアビス、お前の知っている例の先生、来たみたいだぞ」
メルトクロスはアビスにささやいた。すると、うなり声はだんだん落ち着いてきた。しかし、眠っているにも関わらず、アビスは険しい顔をしていた。
メルトクロスは、それから一時間ほどその部屋の中をうろうろしていた。そのとき、アビスが一瞬、何か言ったのに気がついた。
「何だい?」
結局、何を言ったのかは分からなかったが、アビスの顔をのぞき込むと、表情に現れていた緊張が、少しずつほどけていくのが分かった。それにあわせて、メルトクロスも少しずつ笑顔になっていった。
「・・・・・そうか、よかったな」

奥華の目覚めは決してはっきりとしてはいなかった。だんだん目を開いていったが、寝ている状態とほとんど変わらないように見えた。ドアを開けた雷霊雲には、三人とも居眠りしているようにしか見えなかった。雷霊雲がドアを開けたことには気づいていたが、それがつまり、何を意味するのか、三人とも理解しようとしなかった。
「おい」
「・・・」
「入れ」
最初に立ち上がったのは天希だった。その時は下を向いたままで、ゆっくりと立ち上がったが、三人とも同時に、何かに気づいたように顔を上げると、残りの二人も即座に立ち上がった。しかし、先に手術室の中に入ってきたのは、さっき追い出されたドクターたちだった。
「あんたが雷霊雲仙斬か、こんな乱暴な医者は見たことがない!」みな口々にそう言ったが、雷霊雲は冷静に返した。
「この病院の評判の悪さと、どっちのほうがひどいか知ってるか?」
そういうと、皆自信なさげに黙ってしまった。
「しかし、いや、絶対あんたの方が上・・・」一人が言ったが、すでに雷霊雲はその場にいなかった。
「ネロっち!!」奥華は、起きあがっているカレンの所へ飛び込んだ。すでにぬくもりの戻った手を取り、泣きながら言った。
「よかった・・・よかったよ・・・」
「本当に、よかったね・・・」可朗も突っ立ったまま泣いていた。
「・・・まあ、国立病院でも、これが直るかどうかは分からなかったがな」雷霊雲は意味の理解しがたいため息を途中に何度もつきながら、言った。
天希は尊敬と感謝の目で、雷霊雲の顔を見上げていた。すると、それに気づいたように、雷霊雲は天希の顔を見ていった。
「まあ、別に私のことをどう思うかは自由だ。だが天希、お前も『感謝される」側の人間だからな」
天希はカレンの方を見た。そして目が合うと、また雷霊雲の方を向いた。顔を少し赤らめて、頭を掻き、照れくさそうにしていた。奥華と可朗も、雷霊雲に礼を言おうとしたが、彼はすぐに言った。
「あー、これから我々は大事な手術が他にもあるんだ。ではこれで失敬。おいデーマ、行くぞ」
デーマは一瞬何のことかと思ったが、それを理解する前に、素早く部屋の外へ出て行く雷霊雲のあとを追った。
(・・・なんだかんだ言って、先生も照れくさいんじゃないか?セリフ棒読みだったし、今日は休業のはず・・・)天希は少しニヤッとしながら、雷霊雲の出て行った方向を見ていた。が、後ろで奥華と可朗の騒いでいる声を聞いて、その方向へ向いた。カレンの表情は疲れが少し見えたが、この上なく安心した笑顔を、三人に見せていた。しかし、自分にはもう一つ、やることがある。雷霊雲との『約束」を果たさなければならない。

奥華と可朗は、寄ってきた天希の顔を見た。その時だった。
「・・・み・・・・ん・・・な・・・・・」
三人の耳に、聞き慣れない声が走った。それにも関わらず、その声は三人に、さらなる歓喜の心を与えた。なぜそうなのかはすぐに分かることだった。
「あ・・・り・・・が、とう・・・」
間違いなくそれは、カレン自身の声だった。三人は驚いた。また、久しぶりに聞く自分の声に、彼女自身も驚き、そしてうれしさに泣いた。奥華も、さっきより激しく泣いていた。
「しゃべった!?しゃべったよね!?すごいよ、ネロっちが、自分でしゃべったよお~!!」

__外にいた雷霊雲は、二階から聞こえてくる声を聞いてつぶやいた。
「そうそう、『オマケ」で手術したこと、言うの忘れとったな・・・」
彼は、隣で同じコーヒー缶を飲んでいるデーマに言った。
「ずいぶんとまずいヤツを買ってきたじゃないか。まあいいだろう。・・・よし、おそらく彼らも疲れていることだ、少し経ったら、またここに様子を見に来よう。さっきみたいに、うまい言い訳をして、な」
空は曇っていた。彼には、曇った日にハッピーエンドが迎えられるのには違和感があった。それだったら、高い山にでも登って、雲の上にある太陽を見に行こう。あまりの明るさに、きっと失明するぞ・・・そう彼は自分に言い聞かせていた。

第一章 アビス編 終わり

第二十話

この日は、この辺一帯はほとんど無風だった。それにも関わらず、草木は突風でも吹いたように、突然ざわめき、そしてやんだ。
雷霊雲仙斬とデーマの耳に届いたのは、その草木の音と、地面を伝って届いた衝撃音だった。
「・・・始まったか」雷霊雲は、コーヒーの入ったカップを、口の前で止めてつぶやいた。

しかし、現場にいた天希達にとっては、ものすごい轟音だった。建物を壊すときに使うハンマーを遙かにしのぐ衝撃音だった。
「げえっ、耳が壊れる!」
しかし、カレンはそんなことも気にせずに、アビスに向かって攻撃を仕掛けた。目の前まで一気に距離を縮め、アビスの次の攻撃が来る前に、一撃を喰らわせようとしたが、それは隙どころか、アビスがその攻撃に対応する時間は、彼にとっては十分にあった。
(!?)
アビスの動きは、カレンの予想をしのいで遙かに素早かったのだ。実際は逆の結果になり、カレンの攻撃がでる前に、アビスが彼女を壁まで吹き飛ばしたのだ。
「カレンちゃん!」
心配する間もなく、アビスはあとの二人の行る場所へ突っ込んできた。天希は素早くその場から離れたが、可朗が続いて移動しようとしたときには、アビスはもうその場にいた。
「ふん!」
アビスは肘を振り下ろした。可朗はギリギリの所で防御態勢になったが、そのまま地面にめり込み、下の階まで落とされた。
「可朗!」

奥華はメルトクロスの傍らに座っていた。メルトクロスは気絶からさめたばかりだった。
「うーん、僕にとってはだいぶ苦しい作用だったな・・・タバコとかと違って、生涯にわたって負うような作用がない分マシだけど」
奥華は別のことを考えていて、答えなかった。
(さっきものすごい音がしたけど、天希君達、大丈夫かな・・・それにしても、この人、落ち着いて顔見るとカッコイイ・・・やっぱ、本当に天希君のお兄さんなんだろうなあ・・・そしたら、この二人のお母さんって、どんだけ美人なんだろう・・・)
メルトクロスは独り言を連ね続けていたが、奥華の耳には全く入らず、奥華自身も想像にふけっていた。しかし、その時だった。
(!?・・・っ・・・)
突然の頭痛が、奥華を襲った。
(消セ!ソイツヲ消セ!)
(え・・・?まさか、こんな時に・・・!)
奥華は頭を押さえて苦しみ始めた。
「・・・?どうしたんだ!?」メルトクロスが言った。
(やめて!こんな時に出てこないで!)奥華は心の中で叫んだ。
(ソイツヲ・・・消ス!)
(お願い!もう、誰も・・・苦しめ・・・たく・・・・・)
突然、奥華は止まり、腕は下に垂れた。
「・・・どうしたんだい・・・?」後ろからメルトクロスが訊ねた。
「・・・消すの・・・」
「消す・・・?」
「クククッ!!」振り向いたときの奥華の目は、彼女自身の目ではなかった。メルトクロスは、その目に見覚えがあったが、それすら気にする暇もなかった。奥華はすぐさまメルトクロスに襲いかかろうとした。
「うわあっ、何だ!?」
しかし、ちょうどその時、天井が崩れ、上から奥華の頭めがけて落ちてきたものがあった。
「ぐえっ」
奥華は床に倒れた。可朗も背中を床に打ち付け、気絶した。

「ちくしょう、あんなの直に喰らったら、ひとたまりもねえぞ!」
その時点で、天希はアビスとの距離を十分にとっていた。天希はアビスに向かって火の玉を投げたが、あまりダメージを受けている様子はなかった。
「どうやら、遠距離戦を好むようだな・・・俺もその意見に賛成だ」
アビスはそう言うと、右の手の平を天希のいる方向へ向かって押しだした。天希は、これもまた遠距離技だと思って、その場から離れようとしたが、その衝撃は、アビスの動きとほぼ同時にきた。
「何!?」
天希はそのまま壁の方へ突き飛ばされ、厚い壁を突き破って外に放り出された。が、天希はまるで何かをひっかけるように、壊れた壁の端っこに向かって手を伸ばした。すると、天希はそれに吸い付けられるように、戻ってきた。
「へっ、これが基本能力か、少しは便利だな」
「ふん、いい気になるなよ、ガキどもが!」
ちょうど可朗も階段を上って戻ってきていた。天希と可朗はアビスの方へ向かっていった。アビスは回し蹴りで双方ともなぎ倒そうとした。だが、確かにその攻撃は当たったのだが、そこにあったのは天希と可朗本人ではなかった。
「ぬっ!?人形か」
本物はすぐ後ろにいた。本人達も驚いていたので、すぐに攻撃に移るというわけには行かなかったが、どのみち、それがカレンによるサポートであることには間違いなかった。アビスは彼女をにらんだ。カレンも父親の目をじっと見た。
「おっと、よそ見は禁物だよ」可朗は蔓を投げた。アビスはその蔓に捕らえられた。しかし、難なくその蔓をちぎってふりほどいた。
「俺にそんな小細工が効くとでも思っているのか!」アビスは可朗の腕をつかんで、へし折ろうとしたが、可朗はその腕を蔓に変えて抜け出した。
「チッ、身体系のデラストが・・・しかし、他の奴等はそうはいかねえ!」
アビスは今度は天希をつかもうとした。天希は炎を身にまとったが、その攻撃に対する防御としてはほとんど効果がなかった。それでも、つかまれた後もその炎はアビスにダメージを与えていた。
「チッ、仕方ねえ」アビスはつかんでいた手を広げた。と、そこから圧力の波が飛び、天希はまた壁まで飛ばされた。しかし、さっきほど強い力ではなかった。天希はすぐに床に足をしっかりとつき、体勢を立て直した。アビスは体ごとまっすぐ天希の方に向いていた。カレンは天希の方へ行って助けようとしたが、この状況では、追いつくことができなかった。
(だめだ・・・)
アビスは走っている途中で、地面をつま先で軽くつつくと、そこから大きくジャンプし、天希の目の前に立った。
「大網の息子だからと言って、俺が手加減すると思うなよ!」アビスは天希の頭を握りつぶそうとした。しかし同時に、『それ」は来た。
「ぐっ!?」
天希はペチャンコにされるのを覚悟で目をつぶっていたが、その凄まじいはずの圧力を感じる前に、アビスの手が震えながら自分の顔から離れていくのが分かった。
「畜生、こんな時に切れやがって!」
アビスは慌てて自分の懐を探り始めた。天希と可朗は、一瞬その行動の意味が理解できなかったが、カレンはいずれにせよこれがチャンスだと思い、すぐにアビスの方へ向かっていった。
「あった!」
アビスの手には、お約束のごとく、一本のビンが握られていた。しかし、その存在が誰の目にも明らかになったときには、カレンがその目の前まで、手をのばしていた。
「クソが!」
しかし、ビンを奪うために前方に向かってジャンプしたカレンを、上からはたき落とすくらいの力はまだアビスには残っていた。カレンには指先にガラスの質感を感じたが、それと同時に、背中に一撃をたたき込まれたのが分かった。それは先ほどまでのアビスに比べれば威力は衰えていたものの、体勢が体勢で、そこからすぐに起きあがって、再びビンの奪回に転じることは不可能だった。ビンのふたが開けられ、その中身がアビスの口の中に流し込まれ、吸収されるまでの時間を、カレンはその場から離れるのに使った。
「ククククク・・・これでまた戦いを再開できるぜ」
カレンは天希と可朗の間に立っていた。
「そらァ!!」
アビスは三人のいる方向へ飛びかかってきた。可朗は左へ、カレンはそれを見て右へ跳んだが、天希はアビスの目をにらんだまま、その場に残っていた。
「あ、天希!」
(なぜ・・・?)
アビスはそのまま空中から、天希の頭めがけて右腕を振り下ろそうとした。しかし、一瞬よろめいたものの、天希はそれを逆手に、迫ってくるアビスの顔に向かって、炎を噴射した。
「ぶ」
アビスにとってこの攻撃は予想外だったが、右腕は目的地点に振り下ろされた。その時の右腕は、可朗とカレンも見ていたとおり、天希の頭とは15センチほど離れていたはずだった。明らかにその攻撃が命中する軌道ではなかった。しかし、天希の頭は、まるでアビスの腕が作り出した小さな風に吸い込まれるように、腕の真下まで引っ張られ、命中した。
「がッ・・・」
アビスはその右腕を、反動ですぐに引き戻した。それで右半身が後ろになったが、それを利用して、今度は右足による蹴りを繰り出した。それほどの勢いではなかったが、天希の体は斜め上へ飛ばされた。アビスの攻撃によって空中に放り出されたものとしては、少しゆっくりな気がした。
「ぐあっ・・・」
天希はのどを一瞬ならしたが、すぐに歯を食いしばり、空中にいる間に、自分が今倒れていた床の方向に向かって、炎を噴射した。
「どうした?的がはずれてるぞ!」
アビスはそう言ったが、実際、天希がアビスをねらったというのは少し間違いがあるかもしれない。今まで天希が攻撃に使ってきた炎とは少し違った。放たれた紅蓮の花は、そのまま回りに広がっていった。
(なんだ、この炎は!?)
もっとも早く、その違いに気づいたのは可朗だった。その理由が彼には分からなかったが、当人が地面に体を打ちつけた音がすると、すぐさまその方向に振り向いた。
「よそ見すんなって言ったのは、どこのどいつだったっけなあ!?」
可朗はすぐにその声の主の方を向いた。同時に横からなぎ倒されるような衝撃とともに、床に倒れた。可朗はそのまま意識を失った。天希も床にぶつかった後は動かなかった。

激闘の波がわずかながらとどいているにも関わらず、雷霊雲は普段通りに食事を作っていた。
「さてと・・・デーマ、そこの塩をとってくれ」
そう言いながら、彼は思った。
(まず、実力でかなうというのは遠い話だ。戦いをベースとし、その中に、思考と感情という調味料を加えなければ、新しい世界を目指す戦いに、勝利は見えない。うまい料理を食うには、平和な世界が必要だな。料理中に、音楽を聴くのはいいが、戦いの音は耳障りだ。もし、あの男が新たなる世界を作るとしても、私のつくるまずい料理のように、人に気に入られない世界をつくらないよう願うか・・・新しい世界が、必ずしも平和とは限らないからな・・・そう、私の体験からしても、それは間違いない)
デーマは塩を用意し、テーブルの上に食器を配置していた。
「・・・うーむ、やっぱり胡椒を入れすぎたかな」雷霊雲は味見をしながら言った。

部屋の中は炎が充満していた。アビスは少し咳をしていた。
「ゲホッ・・・さてと、残るはお前だけだ、ネロ・カレン・バルレン」
カレンの方は、アビスのようにはなっていなかった。彼女は炎の中から姿を現した。
「なるほど、『意志の力」のおかげで、お前は大丈夫なわけだ」
彼女は聞き慣れない単語を耳にした。それでも、表情はかたいままだった。
「ずいぶんと仲間に大切にされてるじゃねえか」
まるで他人事のようなことをアビスは口走ったが、カレンにとってその言葉のとらえ方は、もっと主観的だった。
「ずいぶんと派手にやったが、これが最後のチャンスだ。おとなしく俺に従えば、今までのことは帳消しだ。だが、それを断れば、逆にこれから先、お前は闇の中で生きることになる。いや、悪ければ、生きるという部分だけ否定される可能性も、無くはない」
カレンは動かなかった。
「お前は俺が本当に、自分の父親なのか、疑っているところがあるようだな。確かにこの姿なら無理もない。今お前の目の前に立っているのは一体誰なのか・・・それはおまえ自身が決めることだ。もし、俺が父親でなかったら、お前は負けるのを承知で俺に向かってくるだろう。そしてもし俺がお前の父親だったら、お前は俺に剣先を向けるようなことはしないはずだ。だが、俺が果たしてどちらなのか分からないのに、実行されるのはおかしいだろう?」
カレンは相槌を打たなかった。
「だが、逆にすれば単純明快だ。つまり、俺の仲間になることを選んだお前は俺の娘であり、戦うことを選んだお前は赤の他人、と言うわけだ。つまり、選択の余地はお前にある。まあ、真実はあるが、ここで再び、俺が誰なのかをお前が決めるのだ」
さっきまでのアビスの言葉は、カレンの頭の中で無限に渦を巻いていた。その中心に、悲しみと、怒りが流れ込む。しかし、今の彼女はどちらの感情も表してはいなかった。
「さあ、どうする・・・?」
アビスが吐いた息には、少しすすが混じっていた。アビスの方も、知らずの間に、炎からダメージを受けていたのだ。カレンは右足をゆっくりと前に出した。
「おっ・・・」
その右足のかかとが再び持ち上がったかと思うと、カレンは疾風のように走り、アビスの背後へ回った。しかし、アビスはそれについていけていた。
「遅い!」
アビスは彼女の足下に手の平を向けた。カレンはすぐその場から飛び退いたが、床には穴が空いた。
「どうやら、俺様が父親ではないと・・・そっちを選んだようだな!ならば俺も、容赦はしない!お前が『家族ではない」と言ったのと同じ事だからな!」
その言葉を、カレンはその瞬間は深く飲み込まなかった。アビスも、自分の発した言葉に、一瞬耳を貸したが、そんなことはどうでも良かった。
「喰らええ!」
アビスの手から、光の玉が放たれた。天希が喰らったものとは違い、その性質ははっきりしていた。スピードはあったが、わずかにカレンの頬をかすめただけで、そのまま壁に当たって崩れた。カレンは今の攻撃を最後まで観察すると、なぜか小さくうなずいた。アビスにはそれは見えず、すぐに突進してきた。
「うおおうお!」
アビスの手が頭の上50センチくらいに現れた。そこからかわすのでは、さっきの天希のように巻き込まれてしまうと思ったカレンは、右手に人形を出し、地面に向かって、アビスと同じ技を繰り出させた。
「何!?」
本物ほどの威力はなくても、効果はあった。カレンの体は少しアビスの方へ倒れそうになっただけだった。すぐさま次の攻撃へ転じたが、それはアビスも同じだった。お互いの右手が、一瞬光ったかと思うと、交差した点を通り抜けて、光の玉はそれぞれ相手の方へ飛んでいった。カレンは大きく突き飛ばされた。アビスの方も耐えることはできず、バランスを崩してその場に倒れた。
「くっ・・・ゲホ、ゲホゲホッ」
そのとき、アビスは緊張の糸が一端とぎれた。周りの空気からの苦しみに襲われた。
(チッ、デラストのバリアが作用しているにしろ、この炎は攻撃目的には変わりねえ、少しずつダメージを受けてきてるな・・・それにしても熱い・・・)

カレンは倒れたままだった。開いた両手を握ろうとしたが、それにすら力が入らない。彼女のほうも、この合間に緊張の糸が切れていた。彼女は息を荒くしながら、いろいろなことを考ええていた。
(・・・・・家族・・・じゃ・・・ない・・・・・のかな・・・・・)
彼女の口元が少し笑った。あきらめたような笑いだった。
(・・・私は・・・仲間に、大切に、されてるみたい・・・・・もし、父さん・・・じゃないかもしれない・・・・・あの男が、言ったときに、その場で深く考えて、もし、この軍団に入る道を選んでたら、私、仲間を裏切ることになってたかもしれない・・・私の事を大切に思ってくれている仲間・・・)
カレンの頭の中には、奥華が自分の事を呼んでいる光景が、ちょっとだけ浮かんだ。
(でも、もしあの人が、本当に父さんだったら、私は、家族を裏切ったことになる・・・?兄さんは?母さんは?それに、今は間違いなく敵だけど、私のことを育ててくれた悪堂さんも、裏切ったことになってる・・・)
カレンは涙を流していた。ゆっくりと迫ってくるアビスには気がつかなかった。
(なんで、みんな仲良くなれないんだろう・・・何がいけなかったんだろう・・・もし、私がもとからこの世にいなかったら、何か変わってたかな・・・でも・・・何も変わらないような気がする・・・でもやっぱり、こうしてみんなを巻き込むような戦いはしなかったかもしれない・・・そうだ、私が強いからだ。弱かったら、こんな戦いに巻き込まれることも、あるいは自分から引き起こす原因になることもなかったかもしれない・・・でも、今は弱い・・・もうこの戦いで、負けは決まってる・・・・・・・・なんで、何で私は、家族よりも、つきあいの短い仲間の方を選んだんだろう・・・父さんの方が、すごく尊敬してるし、私のことを育ててくれた・・
・でも、あの三人とは、ちょっとしか一緒にいられなかった・・・でも、楽しい。楽しかったんだ。とくに奥華ちゃんなんかは、一番一緒にいた時間が短いのに、私を友達だと思ってくれた・・・私を信用してくれたんだ。なのに、その友達を裏切る・・・そんなことできるわけ無い!・・・でも、家族だって裏切ることはできない・・・どうしたらいいんだろう・・・でも、いまここにいる男は、私の父さんじゃない可能性もある・・・そうすれば、私は家族を裏切ったことにはならない・・・けど、今ここで負けたら、みんなの期待を『裏切った」ことになるのかな・・・でも、ここでもし勝ってその相手が父さんだったら・・・)
カレンは意識があったが、もう動こうとしなかった。自分の体が、アビスに持ち上げられようとしているのが分かったが、もはや関係なかった。アビスは逆に、意識がほとんどないにも関わらず、体は勝負に決着を付ける方向に動いていた。
(・・・どうなるんだろう・・・裏切ったら・・・あの選択の時点で、私はここの軍団を裏切ったことになるのかな・・・メルさんみたいに・・・・・ああ、相手が父さんかどうか分かっていたら・・・)
その時、カレンはあることに気がついた。
(・・・メルさん・・・?そうだ・・・そうだった!)
カレンは目を開いた。
(メルさんが言ってくれた、明らかにしてくれた!今目の前にいるのは、間違いなく、父さんなんだ!)
彼女の目の色が変わった。少なくとも、アビスに向けている間の目は豹変していた。
(私一人で考えてた・・・でもさっき、メルさんがちゃんと言ってくれたんだ!ここにいるのは、父さんで間違いないんだ!でも、なぜ・・・?そうだ、なぜだか分からなくて、苦しんでいるのは父さん自身なんだ!元に戻すには、目を覚まさせて、もとの優しい父さんに戻すしかない!そうすればきっと、みんなが争うこともなくなるんだ!でも、どうやって・・・?)
カレンをつかんでいるアビスの手が震えだした。カレンは我に返った。アビスの方はまたヴェノムドリンクが切れたのだろうが、肺もかなりやられていて、腕に力を込めているのはやっとの事だった。
(いずれにせよ、私も限界が来てる・・・ならば、どうしても、倒すしかない・・・目の前にいる、この男を!)
カレンには再び戦いを続行する体力は残ってはいなかった。アビスも同様だった。しかし、カレンは最後の力を振り絞り、『禁じ手」を使うことにした。勇気はかなり必要だった。それでも彼女はその手を選んだことを変えようとはしなかった。最初に彼女の体が光り始めたとき、アビスはそのせいで正気に戻った。それは、カレンがもっとも希望している意味も少なからず含まれていた。が、すでに遅かった。
「・・・まさか・・・カレ・・・」

すべてはその光に包まれた。

第十九話

「レベルアップ・・・しやがった・・・」
天希はまっすぐメルトクロスを見ていた。傷口は塞がりかけていた。
「い・・・いつもの天希に増して、気迫がある・・・今までとは格段に違うぞ・・・」当たり前のことだとは思いつつも、可朗はつぶやいた。
「はっ!レベルアップしたからなんだって!?今やっとレベル2だろ?こっちのレベルはもうとっくに3だぞ!3!それに、こっちはほとんど攻撃してないし、体力もさほど消耗したわけではない。挽回などはさせられないね!」
「やってみなきゃわかんねえよ」天希が言った。
「ほう、じゃあいよいよ、本気でぶつかり合えるって事か!?」
彼らの視界から、天希は突然消えた。メルトクロスには、その位置はぼんやりとだが分かっていた。
「姿が消えても、気配は消せまい!」接近しつつ攻撃しようとしていた天希は、メルトクロスの70センチほど手前で止まり、姿を現した。メルトクロスはまっすぐ立ったままで、天希にその爪を向けていた。その腕が間合いを埋めていた。
「はあっ!!」メルトクロスは右足のかかとをあげた。同時に姿も変わった。天希は爪をかわし、メルトクロスを軸にするようにまわり、背中をとった。メルトクロスは腕を振り上げながあら振り向いたが、その時も天希は攻撃範囲の外にいた。さらに今度は、天希が左足のつま先を地面に強く押しつけ、一瞬で二人の間合いを狭めた。
「何!?」
メルトクロスは反対の腕で天希を上から切り裂こうとしたが、先に飛んできたのは、天希のパンチだった。腹に打撃を受け、メルトクロスはかがみ込んだ。しかし、天希はすぐに後ろへ下がったのだが、同時にかがんでいたメルトクロスの角も伸びた。その体勢では、角はまっすぐ天希の方向を向いていた。
「喰らえ!」
メルトクロスはそのまま天希に向かって突進した。天希は突き飛ばされた。その隙にメルトクロスは再び向かってきたが、直接攻撃をしてもいいような間合いになったところで、天希は至近距離で腕から火の玉を飛ばした。
「ぐっ!」
炎は一瞬広がったが、メルトクロスは今度はひるんでいないつもりだった。しかし、彼が向き直ったときには、天希はすでに距離をとっていた。
「ほう、遠距離戦かい?」
天希はメルトクロスに向かって火の玉を連発した。
「さ、さっきより多い!」可朗は叫んだ。
実際、レベルアップしたおかげで、火の玉どうしの距離は縮み、短い間隔で玉を飛ばしていた。しかし、メルトクロスはその隙間をぬっていった。
「どうやら僕が接近戦しかできないと考えたみたいだな?ま、僕の弟だから、そのくらいは予想できるか・・・でも、残念ながらそれは間違いだ」
メルトクロスは移動しなくなった。左手の爪を無駄なく振り、火の玉を防いでいた。同時に、右手を地面にべったりとつけていた。似た技を使う可朗には、どういう攻撃が来るかはすぐに分かった。
「天希!避けろ!」
地面から現れたのは、巨大な角だった。天希は驚いてすぐかわしたが、体制が崩れた。メルトクロスが体勢を変え、突進してくる時間さえ作ってしまった。
「カアッ!」
メルトクロスは牙の生えた口を大きく開け、天希の左腕にかみついた。
「ぐあああっ!」
メルトクロスはそのままダメージを与え続けるつもりだったが、天希が体表の温度を上げたので、すぐに後ろに退いた。
「確かに、能力はさっきまでとは桁違いなようだ。だが!」
メルトクロスは一本のビンを取り出した。
「あ、あれは!」
「実を言うと、僕がこれを使うのは、今日が始めてでねえ・・・」メルトクロスは、ビンの中身を一気に飲み干した。と同時に、彼の周りにはオーラが渦巻き、髪の毛は再び逆立った。
「グハハ、ヴァアハハハ!いいじゃないか!力がこみ上げてくる!ここで一番最初に使えるとはね!」徐々に光が消えていく彼の目には、天希の顔が映ったままだった。
可朗はヴェノムドリンクの副作用のことを思い出した。「天希!何とかして10分間耐えるんだ!そうすれば・・・」
「10分!?10分もこの戦いが続くと思っているのか!?この状態なら、一撃で倒すことも、できなくはないものを!」
メルトクロスの思考はだんだん遅くなっていた。しかし、行動は自分の勝利を、前より早く近づけようとしていた。彼は天希の顔に向かって爪を突き刺そうとした。奥華は思わず目をつぶったが、天希はすでにその後ろにまわっていた。彼は拳をメルトクロスの背中に突き立てたが、打撃ではなく、そのまま背中に向かって熱を送り込んでいた。
「ぐおおおっ!」
メルトクロスは驚いて振り向いたが、天希の二段攻撃を喰らう羽目になった。天希が握っていた拳をその場で素早くほどくと、その中で小さな爆発が起こり、爆風がメルトクロスの顔に降り注いだ。
「ヴァアアア!」
天希は相手の反応を見ていたが、まもなくメルトクロスのパンチに飛ばされた。しかも、メルトクロスの方もまけじと、飛ばされた天希とほぼ同じスピードでついてきて、追い打ちを喰らわせた。3発目は避けた。しかし、メルトクロスの方を向く前に、次の攻撃が飛んでくるので、天希はうまく攻撃できなかった。
「やっぱり、かわし続けるしかないのか・・・」その技々をかわすのは、天希にとっては少し苦だった。

「くそっ、あれじゃあレベルアップした意味がない!」可朗は悔しそうに言った。
「でも、もしレベルアップしてなかったら、天希君はあの攻撃すらかわせなかったかもしれない・・・」奥華は可朗の方を見ずにつぶやいた。
「・・・そうか」

メルトクロスの攻撃は単純な方だったが、天希は攻撃をかわすしかなかった。おそらく攻撃にまわろうと決心した瞬間にはもう、天井まで投げ飛ばされているだろう。しかし、メルトクロスの方も、同じ動きばかり繰り返していたわけではなかった。彼は一瞬攻撃を止めた。その時、天希はすぐに下がれば良かったのだが、不思議がって動かなかったのだ。次の瞬間、メルトクロスは左足で天希を思いっきり蹴り上げた。結局、天希は天井に叩きつけられる羽目になったが、意識は保っていたので、落下時に待ちかまえていたメルトクロスの攻撃によるダメージは何とか軽減できた。が、しかし、着地時にバランスを取り損なった。メルトクロスはすぐに爪を向けて
襲いかかった。
「待てえっ!」天希はおもわず叫んだ。
奥華はまた顔を伏せた。今度こそ天希の負けかと思われた。
すると、どういうことか、その爪は天希の顔の30センチほど前で止まっていた。天希は不思議で仕方ないような顔をしていた。メルトクロスの方は、さっきまでの迫力が消え、変身状態のままだが、素直な顔になっていた。
「・・・・・?」
メルトクロスは、何を言おうとしているようにも見えなかった。ギャラリーも唖然として見ていたが、メルトクロスの顔を見て可朗は突然叫んだ。
「そうか!雷霊雲先生が言っていたはず、ヴェノムドリンクの症状の一つとして、飲んだ直後に見て人間の言いなりになる!天希、そいつは、お前の言うことを聞くぞ!」
天希は信じられないような顔をしていたが、メルトクロスが再び接近してくると、もう一度叫んでみた。
「下がれっ!」
すると、メルトクロスはいきなり後ろに跳び、天希と距離をとった。その後は天希の顔をじっと見たまま立っているだけだった。
「グ・・・クッ・・・」メルトクロスの体に、もう一つの副作用が現れ始めた。ゆっくりと体は痩せ、足は次第に不安定になっていった。ここまでくれば、もうその効果に頼る必要もないと、天希は思った。今度は天希の方が、メルトクロスに向かっていった。突っ立っている彼の顔に向かって、火の玉を投げた。
「ギエウッ!」
メルトクロスは目の色を変えて、天希に向かってもう一度キックを喰らわせようとしたが、足が不安定で、片足ではとても立っていられなくなり、不発に終わった。副作用が早く回ってきていた。気がつくと、天希は彼の腕をつかんでいた。
「握炎弾!」メルトクロスの腕と天希の手のひらの間に、爆発が起こった。天希はその勢いで傍観している三人のそばまで飛んできた。
「グアアアアア!」メルトクロスは爆発を喰らった部分を押さえながら悲鳴を上げ、よろよろと倒れた。
「今のは!?」可朗が言った。
「握炎弾。千釜先輩が『握爪」って呼んでる技を、俺用に改良してみたんだ」
「握爪・・・そういえば僕も見たことがあるかもしれない。たしか、通常の状態で敵をつかみ、そこで爪を出現させて、確実に相手本体にダメージを与える技だったよね」
二人はそういいながら、倒れているメルトクロスのそばに歩み寄った。
「・・・あ・・・天、希・・・」メルトクロスは、閉じていた目を、ゆっくり開けながら言った。「アビスを・・・アビスを、助けて・・・やってくれ・・・」
「・・・助ける・・・?」
「・・・・・」
メルトクロスは一度そこで気絶したが、すぐにまた目を開けた。
「悪いやつじゃないんだ、あいつは・・・・・カレン、君の父親を呼び捨てにしていることは許してくれ・・・それを許せるくらい、あいつは良い人間なんだ・・・君なら知っているはず」
メルトクロスはカレンの方を向いた。カレンはうなずいた。
「はは・・・そういえば、戦いの中で話した、過去の出来事・・・少なくともあれは事実だが、それに対する僕の怒りと嫉妬は、それは昔はあったけど、つい最近まで、完全に忘れてたんだ。それは、アビスが忘れさせてくれた。あの広い心に、僕は吸い込まれて、何もかも忘れて過ごしていた。しかし・・・」
メルトクロスは残っている力を、悔しさに拳を握るのに使った。
「いつからだったろう、あいつがあんな風になったのは・・・あいつがああなってから、僕の怒りと嫉妬も再発した。そして今日まで、そのままだった」
彼は拳をほどいて、ため息をついた。それから、天希の顔を見ると、少しほほえんだ。
「今日、自分で過去のことを話していて気づいたよ。本当なら、この怒りと嫉妬はアビスが忘れさせてくれたはずだったんだ。話していておかしいと思ったね。ははは・・・そのことが話から抜けていたんだ。それが話から抜けていれば今のアビスがどうであろうと関係ない。今のアビスの振る舞いとは矛盾しない。だがしかし、うそをついたとわかると少し動揺したよ。この期に及んで嘘を話の中に織り込むのは、情けない人間だ、ははは・・・でも、もしその話をすれば、僕の立場が矛盾する。アビス軍団は周りから悪の軍団としてみられているだろうね。全くその通りだと思ってる。でも、僕の悪の心は、ずっと昔に消えたのに、アビスと一緒に、この悪の軍団に入っている。おかしい、なにかがおかしい・・・」
「嫉妬が再発したのは・・・?」可朗が小声で言った。
「・・・そうだ、やっぱりアビスがおかしくなってからだ。でも・・・でも、僕が悪人になる理由がそこにあったか?結局は自分のせいだ、今日戦って分かった。僕は弱かったんだ。アビスのもとから離れることができなかったんだ。彼の方向性が変わっても、疑問を感じるよりも先に、付いていこうと自分を切り替えていた。自分で自分が変えられない、ほんとに情けない人間だよ、ハハハハハ」
「・・・・・兄・・・貴、いや・・・」天希は言いたいことを押さえていた。
「べつにいいよ、そう呼ばなくても」メルトクロスは笑いながら言った。「君たちは、僕とは全然違う。カレン、君の出現で、アビスはいまかなり動揺しているはずだ。僕と同じように、過去の自分との矛盾に苦しんでいる」
「・・・けど・・・」天希が言った。「なんかがあったから、その、善人から悪人になったんだろ?」
「確かにそうだ・・・だが僕らが苦しんでいるのは、悪人になる理由が自分たちの記憶の中から見いだせなかったんだ。僕はアビスに付いていったためにこうなった。しかしアビス自身に、悪人になる理由なんて無いはずなんだ。今彼を苦しめているのは矛盾、そしてその矛盾を解くには、彼を善人に戻すしかない。それができるのは、前に善人だったとき、ヤツのもっとも近くにいた人間だ。僕にはそれはできない。が、カレン、やつの娘である君なら、きっと目を覚めさせられる。絶対にできるはずだ。頼む!アビスを苦しみから解放してやってくれ!」
カレンはもう一度、大きくうなずいた。それから、少しの間、沈黙が続いた。
「あーっ、難しい言葉ばっかりで何言ってるかよくわかんねー・・・同じ事ばっか言ってるようにしか聞こえなかったぞ・・・」
「フッ、じゃあこの天才可朗様が話の内容をかるーくまとめてやろうか?」
「いや、遠慮しておく・・・」
メルトクロスは笑っていた。
「・・・さて」天希は、上へと続く階段へ目を向けた。「いよいよ、最後の戦いだぜ!」
「最後にしてはずいぶん早かったような気がするけどね。でも、気を抜いちゃダメだな、みんな今までの戦いでダメージは受けてるし」
「・・・奥華」天希が言った。奥華はどきっとした。
「お前はここにいた方がいい。なんかあったとき、そいつと一緒に対応してくれれば・・・」
「・・・うん」奥華は少し顔を赤くして、小さく返事をした。
「たしかに、お前じゃまだレベル1だし、僕ら三人から比べりゃ、アビス相手に戦力になるとは思えないからね」可朗が口を挟んだ。
「・・・生きて返さない」
「ゴメンナサイ・・・」
メルトクロスはまた笑っていた。

「待たせたな、アビス!」天希は、その男の顔を見るなり、そういった。
「ふふふ、案の定、待ちくたびれていたところだ、ちょうどいい」
アビスは座っていた席から立ち上がり、机の上で手を横に押しだした。すると、その机と椅子が、まるで爆弾でも落ちたような勢いで崩れ、飛ばされ、ボロボロになった。反対側にあったものも、同じ衝撃を受け、同じような様になっていた。
「さあ、この俺に勝つつもりでここにきたんだろう?だったら・・・」アビスは手を鳴らしながら近づいてきた。天希達は身構えた。
「キサマ等が全力と呼んでいるものを、俺にぶつけてみやがれ!」

すこし遠くから見ても分かった。アジトの最上階の壁の半分が、一瞬にして粉々になったのは。

第十八話

その部屋は、マンションにしては広かった。戦うには申し分ない広さだった。メルトクロス、レベル3、薬師寺悪堂、レベル2、峠口天希、レベル1、三井可朗、レベル2、安土奥華、レベル1、ネロ・カレン・バルレン、レベル2。
(こいつらのレベルは、見なくてもだいたい見当がつく。そもそも、自分のレベルを一番知っているのは自分のはずだ。はっきりいって、レベル1のデラストがレベル3に勝てるわけがない。それなのに天希、『負けてたまるか」とは、お前のその向こう見ず、果たして父親譲りか、それとも母親譲りか・・・)
天希は攻撃を繰り出していたが、メルトクロスはこう考えられるほどの余裕で、攻撃をかわしていた。
「どうした天希、それじゃあアビスなんて倒せないぞ!」
「くそ・・・っ」
メルトクロスは上に跳んだ。着地したところに、天希は横からキックを入れたが、メルトクロスは片手で止めた。
「無謀だね天希、キックで上半身をねらうのは」メルトクロスは反撃もせずに、天希の足を放した。
「・・・なんで、俺とお前が兄弟じゃなきゃいけねえんだよ!」天希は言った。
メルトクロスは少し沈黙したが、すぐに口を開いた。
「・・・知りたいか?」メルトクロスは薄笑いを浮かべた。

薬師寺悪堂は、ほとんど軽快な移動で相手を威嚇しているだけだったが、可朗と奥華はそれに気がつかなかった。
「攻撃するつもりが無いようですね・・・ならば、こちらから攻撃しましょうか?」
そう言ったのだが、先に攻撃をしたのは可朗だった。動き回っている悪堂を、根による足払いで止めたのだ。体制が崩れた悪堂に、可朗は追撃を仕掛けようとしたが、彼はすぐにそれをやめて飛び退いた。
「ホホホ、これが基本能力と言うものですよ」
悪堂の体は、転びそうな体勢のまま、宙に浮いているのだ。といっても、地面との感覚は30センチほどだった。彼はゆっくりと真っ直ぐな体勢に戻った。同時に、地面に足をついた。
「基本能力の使い方も知らずに、我々と戦うつもりだったんですか?まったく・・・」悪堂はつま先ですこし跳ねると、再び素早く横に移動し始めた。
「・・・そうか、さっきも少し浮いていたのか・・・」可朗は言いながら、思った。(・・・どういうことだ?千釜先輩のいっていた基本能力とは違う・・・?先輩のは、なにかを手を触れずに持ち上げるものだったはず、しかしこっちは、地面に触れずに・・・そうか!原理は同じなのか!だったら・・・)
悪堂が一番近くなったところで、可朗は拳を突き出した。本来なら届かない距離のはずだが、悪堂は圧力を感じた。
「くっ・・・」
悪堂が一瞬減速したところに、可朗は蔓を放った。
「よし!捕らえたっ」蔓は悪堂の体に絡まった。しかし、悪堂は全く動揺していなかった。
「ほう、身体系デラストですか、私のデラストにとっては、いささか都合がいいですね」
悪堂は腕を出すと、手袋に覆われた指先を、蔓の表面にちょんとつけた。そると、その部分から、蔓は見る見る枯れていった。
「なっ!?」
「ヴェノムドリンクの制作者である私のデラストは『薬剤」。どんな能力かは、見当がつくでしょう?」
可朗は後ろをチラッと見た。奥華は半分以上戦意を失っていたが、可朗は「奥華さえ先頭に加わってくれれば」と考えていた。
「ホホホホホ、攻撃する術がない・・・と?やはりこの場に必要な強さというのが、足りなかったようですね!ホホホホホ!では・・・」
可朗は身構えた。悪堂は可朗に向かって突っ込んでいった・・・と思いきや、彼の第一の標的は可朗ではなかった。悪堂は可朗の横を通り過ぎた。
「奥華・・・・・」可朗が振り向いたときには、奥華は宙を舞っていた。攻撃した悪堂は先に地面に着地した。
「ホ・・・」
しかし、奥華は床に叩きつけられることはなかった。彼女には、なにか布団のようなものが自分を包み込んだように感じた。
「人形・・・?」
隣には、カレンが立っていた。
「ネロ・・・っち・・・」
「おや?参戦するんですか?私どもにかまわず、『お父様」の元へいってもいいんですよ?」
奥華はまた、カレンが行ってしまうのではないか心配だった。しかし、カレンは悪堂の方から、奥華の顔へ目を向けた。
「・・・ネロっち・・・」
カレンに全くその気がないのを見て、悪堂は驚いた。
(そうだよね、あのとき私のことを助けてくれたのはネロっちだったし、今も守ってくれた・・・やっぱり、ネロっちはネロっちだ・・・!)

天希は攻撃を続けていた。といっても、デラスト・エナジーはすぐに減ってしまっていた。
「どうした?まともな攻撃が来ないぞ!?だったらこっちから行ってやるよ!」
天希の目に、その姿は焼き付いた。だが、メルトクロスがその姿になったのは一瞬だけで、天希はその場に倒れた。

その音は、可朗、カレン、奥華の耳にも聞こえた。
「天希君!!」奥華は叫んだ。
一撃で倒された天希の姿は無惨だった。胸は十字に引き裂かれ、血が流れていた。メルトクロスは、その傷を見下ろしていた。
奥華の顔は青ざめた。
「ホッホッホ、情けない情けない。メルさんの弟と聞いてはいましたが、思ったほど激戦にはなっていないようですねえ・・・兄弟喧嘩よろしく、もっと激しい戦いになると思ったら・・・ホホホ、ホホホホホ!」
奥華の怒りは頂点に達した。
「もう、笑うなっ!」
案の定、悪堂は笑いをやめた。それどころか、彼は冷や汗をかいていた。
「ま・・・さか・・・?」
悪堂の目には、もうその状況は映っていなかった。彼がどうなったのかは、誰も想像がつかなかった。
「いったい・・・何が・・・?とにかく、今が攻撃のチャンスだ!」

「お前・・・は・・・」
悪堂は立ちすくんでいた。
「薬師寺悪堂・・・いや、村雨道男、私に向かってお前とは、相変わらず面白い男だ」
「あ・・・う・・・」
悪堂はその言葉に首を絞められているような感じがした。
「たとえ自由兵でも、階級の見極めのようなものは、あるのではないか・・・?」
悪堂だけに聞こえているその声は、低く、重苦しい女性の声だった。悪堂にとって、この声は一番恐ろしいものだった。
「お・・・お許しくださいませ~・・・」
そう言うと、悪堂は気絶した。

天希はかろうじて、立ち上がっていた。頬に出来た十字の傷を、大きくしたような、その胸の傷をおさえながら、彼は言った。
「・・・・・俺・・・たちは・・・本当に・・・兄弟、なのか・・・?」
「ああ、間違いない。父親は違うがね」
「・・・?」
その時、天希の懐から、一冊の本が落ちた。
「ん?何だろうね?その本は・・・」メルトクロスは3歩前に出た。「はあ、なるほど、この本ねえ。読んだのか?」
天希は息だけで「いや」と言った。
「ならちょうどいい。この本に載っていることと、君が知りたいこと、真実を、説明してあげよう・・・

・・・僕の父は、具蘭田陽児(ぐらんだ ようじ)という男だった。母は、君も知っているとおり、川園真悠美だった。父からは、峠口大網という男__父の高校時代、無口で生意気だった男__の事を少しは聞いていたが、どうせ自分には関係ないことだろうと思っていた。
しかし、ある日のことだった。僕は家で留守番をしていたのだが、父が傷だらけで帰ってきた時には驚いた。一緒に出かけていたはずの母もいなかった。その時は父はそのことを話さなかったが、ちょうど僕が10になったころ、あのとき母は、かの峠口大網とともに行ってしまったと話した。そしてその数日後に、父は何もいわずに、家からいなくなっていた。
僕は旅に出、途中偶然会ったのが大網本人だった。僕は復讐の心を持ってヤツに飛びかかったが、勝てるわけがなかった。こちらの攻撃はとことん防がれ、むこうはといえば、たった一撃で勝負を決めた。全くの完敗だった。
そして15になったとき、その時にアビスと出会ったんだ。僕自身もそのころのデラストは上達していたが、大網に再び挑戦する自信がなかった。
そこに入ってきたのが、ゼウクロス大王の復活という大規模なニュースだった。世界で最初にデラストを発見し、その森羅万象の力でたちまち世界を我が物としてしまったゼウクロスは、言い伝えでは、80年生きると占い師に言われたところを、65で眠りについてしまった。そう、永眠ではない。死んだといえども、それは一時的なものにすぎなかったのだ。
予言能力のあるデラストを持つバズライルという男は、大王が残りの十五年の命を全うするために、2500年の月日を経て、再びこの世に姿を現すというのだ。しかしそれには、最後までゼウクロスの手元に残っていた四つのデラストを手に入れなければならないという・・・

・・・僕はクロス一族の末裔であるから、その力を操ることが出来ると思いこみ、元デラスト・マスター、峠口琉治の家にあるというその四つのデラストを、アビスに取ってくるように頼んだ。僕はその力を利用して、大網への復讐を果たそうと思っていた。しかしアビスは失敗してしまった。そこへ君がやってきた。聞けばその四つのデラストのうちの、ひとつの持ち主であり、峠口大網の息子だと言うじゃないか。つまり、父親は違えども、間違いなく僕の弟、峠口天希だ!君さえ倒せば、僕の復讐は成就する。今までの戦いから見て、特別強いデラストでもないらしいな。だったらここで、君はこのメルトクロスに倒させてもらう!」
それまで穏やかだったメルトクロスの顔は、豹変した。というより、デラストによって、姿そのものが変化したのだ。額からは二本の長い角が生え、爪は肘に届くまで伸び、髪の毛は逆立ち、肌は真っ赤になった。さっき天希が見た姿そのものだった。
「なんだアレ!?」可朗が思わず叫んだ。
「これこそが、『魔物」のデラスト!ゼウクロスのデラストに選ばれなかったのは残念だが、こいつも結構使い心地が・・・」
「待てよ・・・!」天希は彼の言葉を遮った。「まだ・・・俺の質問に答えてねえぞ!」
「そうだ、クロスという姓は、話しに出てきた三人の親の誰にもないはず・・・」可朗が話に加わった。
「なるほど。確かにね。だが僕は紛れもなく、クロス一族の人間だ。髪の色を見れば分かるだろう?つまり、誰かが名前を偽っていたんだ。それが誰かって話だが・・・分かるかい?クロス一族のもう一人の末裔、峠口天希さんよ」
「・・・と、いうことは・・・」
「まあ、末裔と言っても、僕らの他にもたくさんいるがね・・・そう、僕ら兄弟の母・川園真悠美の本名はエスタ・クロス。隠す理由までは聞かなかったが、この名を知っているのは、ごくわずかだ。髪の色もずっと染めて隠していたはずだ。要するにだな、天希、お前は今まで自分がそうであるとは知らずに、この本にある、偉大なるゼウクロス大王の血を継ぎながら生きていたんだ」
「で・・・でも・・・」
「わかっている。天希、お前は外から見れば、とてもクロス一族の人間とは思えないだろう。実際、その血が力を発揮する機会は無いに等しい。ただ、たまたま種族階位遺伝の法則に、逆転が起きて生まれた人間だったんだよ、お前は」
可朗はヒヤッとした。
「種族階位遺伝の法則に反した子供、つまり『逆転児」が生まれるのはごくまれのことだ。そのためか、それがこの世に生を受けるたび、災いが起きるとか、革命が起きるとか、いろいろな事が言われてきた。一部では、クロス族よりも上の種族が過去にあり、ゼウクロスはそれに対する逆転児だったという説もある。とはいえ、お前がゼウクロス復活を引き起こしたとは思えんがな」
「・・・」
「さて、これで説明は終わっ・・・」
メルトクロスが話すと同時に、天希は彼に向かって再び突っ込んでいった。左腕に拳を作り、メルトクロスに殴りかかったが、二本の長い爪に挟まれ、あっけなく止められた。
「く・・・そっ・・・」
「そうだね、やっぱりエネルギー系のデラストは、消費が早い分、デラスト・エナジーの回復もまた早い。だが、本体のダメージまでは回復しないだろう」
メルトクロスは、天希が地面につく前に、反対腕の爪で彼の前面を再び切り裂こうとしたが、同時に天希が、拳を開いて彼の顔に火炎放射をお見舞いした。自分の顔を急いで覆うメルトクロスの、その手から伸びる爪は、先のほんの1、2センチしか天希には届かなかったが、胸の十字傷に再びダメージを与えるには、掠りで十分だった。
「うぐ・・・っ・・・!」
「天希!!」
天希の体勢はまた不安定になった。傷は、絶えず彼にダメージを与えていたのだ。
「最後のあがきだったか、ご苦労さん」それを言ったときのメルトクロスは、元の姿に戻っていた。
奥華、可朗は、二人とも天希の戦いを見て立ちすくみ、顔を青くしていた。目の前にいる天希の息が聞こえた。深い傷のせいで、だいぶ荒くなっているのが分かった。可朗は小さい声で、無意識につぶやいた。
「・・・ダメだ・・・」
その時だった。二人の間を、風が吹き抜けるように後ろから通り過ぎていったものがいた。それは、メルトクロスに向かって一直線に突っ込んでいった。
「はっ!?」
刃物同士がぶつかり合う音がした。メルトクロスの前に立っていたのは、カレンだった。
「・・・・・カレン・・・」
彼女が使っているのは、千釜慶のデラストの一部だった。メルトクロスの爪に対し、彼女も慶からコピーした長い爪の技を、人形を通じて攻撃として使ったのだ。両手でその人形を握っている姿は、刀を持っているようにしか見えなかった。
メルトクロスは、片手を出し、爪と爪をあわせてカレンの攻撃を止めていた。腕は少し震えていたが、顔はむしろ全く冷静で、さっきまで笑っていたメルトクロスの顔でもなかった。その声もまた、落ち着き払っていた。
「カレン、いや、アビスを敬ってでは『お嬢様」と呼ぶのが妥当か否か・・・この戦いは、僕と天希の戦いだ、お願いだから手を出さないでくれ・・・」
メルトクロスは、カレンを止めていた腕を振り払った。カレンは大きく飛び退いた。再びメルトクロスが手を大きく横に一振りすると、ギャラリーとなるべき3人と、戦闘中の人間をそれぞれ分ける境界線が、床に走った。すると、その線から角のようなものが連続で飛び出し、床に細長い穴を開けた。
「これで、傍観者は傍観者だ」
メルトクロスは、天希の方へ向き直った。天希はすでに床に倒れ込んでいた。
「さあ、これで僕の復讐が成就する」
メルトクロスは再び姿を変えた。
「さあ!」彼はとどめとして、右腕を大きく振り上げ、鋭い爪の先を、倒れている天希に向けて振り下ろさんとした。
奥華は目をつぶることもできなかった。可朗はむしろ、これが天希の最後なら、見ないわけにはいかなかった。カレンは再び止めに行こうと走ったが、間に合うはずがなかった。爪の先と天希との間が、五十センチを切った。その時だった。
「何っ!?」
メルトクロスはその光の眩しさに驚いて、素早く手を引いた。
「な・・・何だ?」奥華と可朗の顔にも光がさした。カレンはその勢いのまま、二人の間で止まり、その光景を一緒に見ていた。
「そんなバカな!このタイミングで・・・」メルトクロスは叫んでいた。
光がおさまっていくと同時に、その中から、真っ直ぐ立ち上がっている天希の姿が現れた。
「・・・レベルアップ・・・・・しやがった・・・」

第十七話

薬師寺悪堂はカレンよりも早く、その場所に着いた。
「アビス様、『やつら』がもうじき到着しますよ」
「早いなオイ、わざわざ倒されに来たか?それとも・・・」
「まあいいじゃないか。この先どうなるか見ていようよ。これほど面白いことはないと思うしね」
「メル、おまえはいつも楽天家だな」
「楽天家ね・・・弟に恨みを持つ楽天家かい?」
「大網の息子だ、何をするか分からない。だが、奴に関してはお前に任せてある。始末・・・するのか?」
「メルさん?」
「・・・さあ、ね・・・」

アビスが拠点としているその建物は、古びたマンションだった。建てた場所が悪くて、ほとんど使われなかったらしい。昔は町から道が通じていたが、今はほとんど林になっていた。建物自体も、植物の蔓が絡んだり、所々崩れたりしていた。
建物の周りでは、デラストを持たない戦闘員たちが見張っていた。天希と可朗と奥華は、茂みの中に、可朗の力でうまく隠れていた。
「・・・突破できないことはないね。しかしカレンちゃん、どこ行ったんだろう・・・」
「ネロっちがもう建物の中に入ってて、それだからあたしたちのことを警戒してるんじゃないかな」
「カレンしか通さないってか。たしかに話し合いは・・・できるけど・・・」
「天希、やっぱ戦おうとして・・・」
「当たり前だろ!目的はアビスの活動をやめさせることなんだし、その、なんだろ、話し合いしたって、絶対暴力に持ち込んでくるって!可朗も分かるだろ!昔の宗仁と同じだよ!」
「ウン、それは分かる。ただ天希、ちょっと声がでかすぎたんじゃないかな」
天希は顔を上げた。敵の顔面は目の前にあった。
「うわっと!」
天希は首を引っ込めた。戦闘員もすぐに茂みの中に潜り込んだが、そこには天希たちはおらず、代わりに茂みが待ちかまえていたように絡みついた。
「なっ、なんだこりゃあ!?」
三人はすでに建物に向かって走っていた。
「強行突破、でいいんだよな?」可朗は走りながら天希の顔を見た。
「ここはまかせてよ!」奥華は右手を、次々と目の前に迫り出てくる戦闘員たちの方へ向けながら走った。戦闘員たちは三人をくい止めようとしたが、攻撃しようとした瞬間、体が水に包まれ、行動を止められてしまうのだ。
「なるほど、水の力を持つデラストも悪くはないかもね。けど・・・」扉への突破口が見えたとき、天希は二人より一歩前に出た。可朗は自分の走りよりも速いスピードで、丸太を地面に滑らせた。天希はそれに飛び乗り、後ろに向かって炎を噴射させながら、スピードを上げていった。
「いくぞおおー!」
扉に追突する寸前、天希は後ろ側に体重をかけて、丸太を飛ばした。天希は余った勢いでそのまま少し滑ったが、丸太は宙に放り出される前に、扉を打ち破った。
「へ、どうだ・・・グエッ」天希が止まって二人の方を振り向こうとしたとき、帰ってきた丸太がそのまま天希の顔面に直撃した。天希はぶっ倒れた。
「ひひひひひ、すごひのは君だけでやないんでよ・・・ゲホッ」後ろにいた可朗も、天希の火炎放射を直に食らい、真っ黒になって、よろよろと倒れた。

上階の窓から様子をのぞいていたメルトクロスはいった。「アビス、やっぱ君は正しかったよ。彼ら、コントでもやりに来たみたいでね」
「いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃないんだが・・・」
「ああ、戦闘員たちも、あほらしくて戦う気を失ってるみたいですね」

「中に入ったとたん、襲ってこなくなったな、あいつら」
「きっと外の護衛なんだろう、まあ、破ったけどね」
「しっかし、中に入っても薄気味悪い廊下だな。非常口しか(電灯が)点いてねえぞ」
「しかも、多分使ってないんだろうね」
奥華が話に加わろうとしたとき、突然、足下の方から寒気を感じた。
「ひっ、な、何!?」
「どうした、奥華!?」
そいつが地面から姿を現すとき、奥華はちょうど良いタイミングでその場を退いた。
「ちくしょう、せっかく裏口で待ち伏せしてたのに、そんなに簡単に正面のバリケードを破るなっ!!」
「・・・お前は・・・!」
「確か・・・・・誰だっけ・・・?」
「忘れるなコラ!陰山飛影だっ!クソ・・・まあいい、ここならオイラ一人でもお前等四人には・・・あれ・・・?ひい、ふう、みい・・・あら?カレン『様』は・・・?」
「あれ?僕らはてっきり、カレンちゃんが先に攻め込んだのかと・・・」
「くっ、でもいい、お前たちだけで来てくれれば、まとめて倒せるってもんだ!この暗がりは、オイラのデラストにとっては好都合なんだよ!」
飛影は暗闇の中を泳ぎ始めた。天希は前のように照らし出そうとしたが、相手方は前回に比べて格段にスピードが上がっていた。
「くそっ、追いつかない・・・」
そう言った瞬間、可朗が壁に向かって投げつけられる音がした。天希がその方向を向いたときには、飛影は地面から、倒れそうな可朗の頭めがけて突きを放った。
「へぶっ!」
可朗は地面に転がった。飛影はいったん標的を変えて、奥華の方へ向かっていった。非常口の電灯の光でおかげで、うごく影が奥華にはかすかに見えた。
「えいっ!」それに反応した彼女は、平手で地面を叩いた。すると、廊下に一気に水がたまった。
「何!?」
飛影は驚いて地面から浮き出たが、同時に水の上まで浮かび上がってしまった。水面から地面までは2メートルほどあった。
「どう?」水の中で地面に立ったままの奥華は、自慢げに言った。
「・・・どうでもいいけど、お前、仲間はいいのか・・・?」
「え?」
奥華は振り向いて、水面の方を見上げた。
「あっ!」
天希はまだよかったが、問題は可朗だった。カナヅチなせいで、半分沈みかけていた。
「そうだった!可朗、泳げないんだったーーー!」
奥華は慌てて水を戻した。可朗は気絶したままだった。
「ククク、つくづく間抜けな奴等だ」
「う~っ、でも、まだ技残ってるんだから!」今度は、天希が炎を敵に向かって噴射するのと同じように、飛影の方へまっすぐ手を向けた。飛影は身構えた。

・・・・・・・・・・・・・

しかし なにも おこらなかった
「アレ!?何で!?どうして水が出てこないの!?」
奥華は動揺していた。飛影は笑いながら言った。
「ぷっ、まさかお前、今の洪水でデラスト・エナジー使い切ったんじゃないだろうなあ!?まさか!ヒャハハハハ!」
さすがに奥華のしゃくに障ったが、起こっている暇はなかった。
「お前等、頭悪すぎー!」飛影は奥華に向かって突っ込んでいった。その時、一瞬だけ可朗がぴくっと動いたが、誰も気づかなかった。
「速い!」天希の目に映った飛影は、すでに奥華と1メートルほどの間しかなかった。しかし、その1メートルの間に入り込んだ何かがいた。飛影の攻撃は防がれた。
「何だ!?」
飛影と同じように、影から姿を現したのは、カレンだった。
「ネロっち!」
「げっ、カレン様!いつの間にオイラのデラストを・・・」
飛影は後ろに跳び退いた。
「やっぱり、先に来てたのか!」
天希はそういうと、また飛影の方を見た。しかしその飛影は、さっきまでの戦意が抜けたように見えた。天希はその隙に飛影を攻撃しようとしたが、カレンが止めた。
「カ、カレン様、貴方をどうなさるかは、アビス様が決めなさる事ですから、我々が戦うなど、とんでもありません。ど、ど、どうぞ先へ、お進みください」
奥華は心配そうにカレンのことを見ていたが、やがてカレンは、ゆっくり歩き出した。
「ネロ・・・っち?」
カレンは飛影を通り過ぎた。そのとき、天希が叫んだ。
「おい、待てよ!」
カレンは、体の向きを変えずにこっちを見た。その目が天希には、最初に彼女と会ったときの、あの冷酷な目に戻っているように見えたが、天希は迷わず続けた。
「お前一人で、俺たちをおいて、アビスのところまで行くつもりかよ!」
「そうしろって言ってるんだよ!お前たちの出る幕はない!」飛影が口を挟んだが、天希の耳には全く入っていなかった。
「だったら、何で今まで俺たちと一緒に行動したんだ!?ここを見つけるだけだったんなら、最初から一人でやればよかっただろ!ここまで来て、自分だけでアビスを倒す、なんて事は言われねえぞ!」
(・・・あー・・・天希君、結局戦うつもりだ・・・)奥華はそう思いながらも、カレンの様子を見ていた。
(ネロっち、いつもとちょっと違うような・・・やっぱり緊張してるのかな・・・・・って、あたしがぜんぜん緊迫感持ってないって事じゃん!天希君や、可朗もそうだけど・・・・・違う、ネロっちだけは、あたしが今ままで見てきたのと全然違う!緊張とかじゃない、いつもよりも、なんか顔が怖くなってるし、もし今が初対面だったら、永遠に話しかけられそうにないような・・・って、また余計なこと考えてるし)
奥華は自分の頭を一発軽く殴って、再びカレンの顔を見た。
「ネロっち、戻ってきてよ!」奥華も強く言った。
「だから、お前たちの出る幕はないって言ってるだろう!カレン様は上で交渉する、お前等はオイラが始末する、それだけだ!まだ分からないか、バカども!」飛影が再び口を挟んだ。
天希は歯ぎしりをしながら、飛影をにらんでいた。その時だった。
「・・・・・ふ~~~~ん、そう・・・」その声は、案外近くから聞こえた。
「・・・可朗?」天希は、可朗の倒れている方を見た。
「そうですか、頭悪いですか、バカですか」可朗は立ち上がりながら、開き直るような調子で言った。
「君はねえ、自分では気づいてないと思うけどねえ、二回・・・二回も、僕のことを侮辱したんだよねえ・・・」
天希は顔をそらした。(ヤバい!可朗が怒ってるのを見るのは、久しぶりだ・・・!)
「さて・・・本当に頭が悪いのが誰だか、分かってるくせに、この僕の、この天才頭脳を侮辱した、本当のバカは・・・」
「グダグダうるせえんだよ!天才とか、自慢してるし!」飛影は再び影の中に潜り込んだ。
「・・・そうだねえ、誰が天才で、誰がバカだか、証明して見せようか」
飛影が床を高速で移動する様を、可朗は見落としてはいなかった。が、彼は依然として、その場に突っ立ったままだった。
「どうしたんだよ、可朗!ヤツが来るぞ!」天希が叫んだ。
飛影は可朗の目の前に飛び出してきた。しかし同時に、地面から二本、彼の意図しなかった物、何か細い物が飛び出してきた。
「何だ!?」飛影はすぐに可朗から離れた。すぐ影には潜ろうとしなかったが、それより、その飛び出してきたものが気になった。
「よく見な。植物の蔓さ。僕が倒れている間に、この床の下に、根を張り巡らしておいたのさ。その方が、何もないところからいきなり植物をすぐに生えさせるよりは、ずっと早いからね。それと、こっちのスピードだけじゃない。お前のスピードも、頭に入れておいたんだ。あの一撃を食らったとき、分かったのが、影になって移動しているときよりも、空中に出た時の方が、はるかにスピードが遅い。というより、差が大きい。そのせいで、たぶん自分でも慣れてないから、その時に一瞬スキが出来るんだ。そこで、さっき言ったように、早く使えるようになった蔓をつかった。計算通りだったね」
「く・・・だが、どうする気だ?この状態からだって、オイラは影に潜り込めるんだぜ?」
可朗は、飛影の顔が微妙に細くなってきているのを確認しながら、言った。
「別に、影に潜り込んだところで、お前の体に入った『あれ」を取り除くことは出来ないけどね」
「・・・あれ・・・って、何のことだ?」
「いやー、実はさあ、蔓を三本出したと思ったら、一本が偶然、ちょうど君が地面から現れたところと全く同じ所に出てきちゃったんだよねえ」
「え・・・っていうことは・・・」飛影はすっかり細くなった顔を青くしていった。
「そう、その一本は、君の体の中にあるのさ。気づかないかもしれないけど、ちょうど君が影から実体化するときに出てきたもんだからねえ。そうそう、デラストを持った人間は、デラストの力によるバリアで、体を守られている・・・そのおかげで、通常の人間よりも、外部からの衝撃などに強く、体を張って戦うことが出来る、という話を千釜先輩から聞いたんだが、さて、内部からの攻撃に対する、抵抗って言うのは、果たして存在するのか?」
「や・・・やめろ・・・・」
「ちょうどいい、実験してみようじゃないか。僕がこれから蔓に命令を出す。もし、抵抗が存在したのなら、何も起きないはずだけど、もしそうでなかったら、蔓は、君の体を突き破って、出てくることになる!」可朗は指でカウントを始めた。
「ちくしょ、てめえ!」飛影は可朗の方へ走り出そうとした。
「3」
「ぐ・・・ぐぐ・・・」しかし、残り二本の蔓が、彼の腕を絡み取っていた。
「2」
「この野郎!」飛影は蔓を振り払った。
「1」
可朗は、その人差し指を、目の前まで向かってきた飛影の額に突き立て、それをゆっくりと折った。
「これで、0、だ!」可朗は最後だけ強く言った。
「うわああああっ!」
飛影はその場に倒れた。天希と奥華は、その場に立ちすくんでいたが、可朗の視線が次第にこっちに向くと、二人は唾を飲んだ。
「・・・・・ぷっ、冗談に決まってるじゃないか~!」可朗は笑いながら言った。
二人はぽかんと口を開けた。
「はっはっは、完全にダマされてたね!その真剣な顔がどうのって!ははははは!」
「さ・・・さすが可朗・・・・・」奥華はあきれて、それ以上言葉が出なかった。
「フッ、まあね、僕がちょっっっと本気を出せば、このくらいチョロいもんだよ。僕が少しキレるだけで、周りの雰囲気が一瞬でシリアスになる。まあこれ、僕のこの美貌のおかげなんだよねえ。その上、もっともらしい架空のアクシデント、僕のこの絶大な説得力にかかれば、どんな嘘も現実だと思ってしまう、まさにこの、天才的な頭脳と、どんなにすばらしい楽器でもかなうことのない、この美しい声のタッグ!これを一体世界中でどこのだれが出来ようか!?誠に幸運なことに君たちはなんと、その名を知っているわけだ。その名前は?大声で言ってみよう!さん、はい!」

・・・・・・・・・・

「ネロっち、まってよ~」三人はすでに先へ進んでいた。
「え・・・えっと、この小説をよんでいるよい子のみんなは、ちゃあんと、『三井可朗』って、叫んでくれたよね?ね!」そう言うと、可朗は三人のあとに遅れてついて行った。

「メルさん、私たちの、出番ですかね?」悪堂はメルトクロスに言った。
「そうだねえ・・・まあ、いいでしょ、どうせ飛影が自分から戦いたいって言っただけな訳で、別に僕らが戦うと言うことは元から変わらなかったわけだし」
「しかしバカな連中ですよ、デラストを持ってから、一ヶ月も立つか立たないかの人間が、我々に挑んでくるんですから」
「実際、大輔や唯次の方が実力は上だと思っていたが、現実彼らは負けている。思ってるほど楽に倒せる相手じゃないね」
「勿論ですとも、それに、すぐに倒すつもりはありませんからね」
アビスがいるのは三階で、二階と三階をつなぐ階段は崩れていて、代わりに、二人が待ち伏せしている部屋に、新しい階段が設けてあるのだった。

「そりゃあ確かにさ、相手がヴェノムドリンクの副作用の影響を受けてるってのもあったよ。だけどさ、僕はそれを計算に入れて戦ってたわけで・・・置いていくって言うのはさ・・・」何の説得にもなっていない可朗だった。天希は全く耳に入れずに、二階への階段を上っていた。
先頭を歩いているのはカレンだった。
「ねえネロっち、待ってったら!」奥華は彼女を止めようとしていた。さっき天希が言ったように、彼女が本当にここまで来て自分たちを仲間だなんて思ってない、なんて事は言わせたくなかったのだ。
(・・・やっぱり、そうなのかもしれない・・・友達になれたと思ったけど、一緒にいる感じがしたのはショッピングの時だけだったし、第一、こういう、戦いの場に、友達がどうこうなんて関係ないよね・・・)
奥華は立ち止まった。
それに気づいたカレンも、二階の床の一歩手前で立ち止まった。
「ごめん、ネロっち・・・私、すごい勘違いしてた・・・」
カレンは奥華の言いたいことが鮮明なくらいに分かっていた。二人は立ちすくんでしまった。
「奥華~、前詰まってるぞ・・・」可朗が奥華の後ろから小声で言ったが、彼女は反応しなかった。かわりに、カレンがゆっくりと一歩を踏み出した。それにつられて、後ろの三人も動き出した。
カレンはものすごいショックを受けていた。本当は奥華に、「それは違う」と言いたかったのだが、それが出来ない自分が悔しかったのだ。この戦いが終われば、この三人ともちゃんとした友達になれるし、そう、本当は友達でありたいのに、たった一つの誤解を正すことが出来ないために、その友達を失ってしまうかもしれないのだ。
今、ここは敵のアジト。いつ攻撃が飛んでくるか分からない。しかし、その攻撃にそなえ身構えているだけの自分が、他人に一体どう見えている・・・?
カレンは、振り向かずに歩いていた。彼女は、泣いていた。

『めると の へあ』
天希と可朗は、あるドアに描いてあるこの落書きに、吹き出しそうになった。が、女子二人の作った重苦しい空気は、それを超えていた。
「残る部屋はここだけだな」天希は改まって言った。
「この建物は三階まであるようだからね。階段があるとすれば、この部屋だけ・・・アビスは三階にいるようだし」そう言いながらも、ドアの前に向き直った可朗は、再び笑いに引っ張られた。可朗は必死のこらえながら、天希がドアを開けるのを見ていた。
「おかえりなさ~い、ご飯出来てますよ~」
突然の妙な声に、天希は驚いてドアノブから手を離した。カレンも、彼女にとって聞き覚えのある声がしたのは驚いたが、もっと彼女を驚かせたのは、奥華が顔を少しずつ持ち上げながら、小声で言った、その言葉だった。
「・・・村・・・・・雨・・・?」
天希は改めて、ドアを勢いよく開けた。部屋の中に立っていたのは、薬師寺悪堂とメルトクロスだった。
「フッフッフッ・・・」
「お、お前は・・・!」天希は一歩前に踏み出た。
「・・・・・天希」メルトクロスは返事をしようとしたが、
「オドちゃん!」
「そっちかよ!」あいにく、天希の視界に入っていたのは、彼ではなかった。
「ホホホホホ、懐かしぶりですねえ、芸人時代の名前で呼ばれるのは」
「アレ?本当だ、オドちゃんだ」可朗も言った。
「ホホホ、しかし、その名ももう古い、今は、薬師寺悪堂!」
悪堂はカレンの方をにらんだ。カレンも彼の方をすでににらみ返していた。
「そう。僕ら二人は、アビスの両腕として、この場にいる。たとえ今まで、芸能界にいたとしてもね」メルトクロスが前に出てきた。「それにしても、ドアにワザとあんな風に書いたのに、ずいぶん探すのに手間がかかってたな。インパクトあったと思ったのに・・・」
「お、お前、やっぱりいたか!」
「そりゃあいるに決まってるだろ」
天希は自然とメルトクロスのことが気にくわなかった。この二人もにらみ合っていた。
「おい薬師寺、お前はそこのメガネとチビを頼むぞ」
「はいはい」
奥華はチビと言われたのがものすごく気にくわなかったが、勿論そんなことを気にしている暇はなかった。悪堂は一瞬でドアの前に移動した。
「速っ!」可朗はその場から飛び退いた。悪堂は奥華と可朗の方に手を向けた。
「・・・ほう、レベル1とレベル2ですか・・・申し分ない、といったところですね」悪堂はニヤリとした。

「うれしいよ天希、君の実力が見られるなんてね」メルトクロスは天希と間合いを保ち続けていた。
「へっ、負けてたまるかっ!」
「さあ、こい天希!」

第十六話

「ハッハッハ、どうだ、これが力だ!みなぎってくるだろう!こみ上げてくるだろう!気持ちいいだろう!さあ、その力を存分に発揮させるためにも、俺に従っ__・・・」

天希は目を覚ました。彼の目に映っていたのは、真っ白な天井だった。
(どこだここは?)
彼は勢いをつけて起きあがろうとした。しかし、不思議なことに、思った通りに起きあがることができなかった。
(!?)
まるで背中が磔られたように、動くことができなかった。彼は何とか起きようとして、頭を振り回していた。その時、ドアの開く音がした。
”あっ、天希さん、起きてらっしゃったんですね、おはようございます”
カレンは部屋に入ってきた。そのとき初めて、天希は自分が寝かせられている部屋の狭さに気がついた。
「なあ、一体ここはどこなんだ?」
”えっと、ここは、雷霊雲先生の・・・えっと、家というか・・・・・”ガロはカレンが持ってきた盆の上で話していた。カレンは天希を見て、妙にびくびくしていた。
「・・・先生?」
”えっと、それより、昨日の傷とかは大丈夫でしたか?いろいろあったみたいですけど・・・”
「ああ、傷とか痛いところはないけど、起きあがれねーんだよ、チクショー」
その時、開きっぱなしのドアから、恐ろしいほど背が高く、かつ細身で、妙な面をかぶった男が、ぬっと姿を現した。
”あ、先生、天希さんが起きました”
「そうかい、もう少し寝ていてもいいのに」
その男はスタスタと天希の前へ歩いてきた。彼はその男をよく見た。黒いシャツに緑色の上着を着、青いジーパンをはいていた。両手には白い手袋をし、またその面は、素顔を見せんとするもののように見えた。髪の毛は老化したような白で、元からそういう色だったり、染めているなどという風には見えなかったが、首の部分や袖からかすかに見える肌は、逆に若々しく見えた。
”でも、起きあがろうとしても起きあがれないそうです”
「ああ、その症状ね、わかった」そういうと、その細い腕で天希の両手をつかんだと思うと、彼はベッドからものすごい力で引っ張り出された。地面に着地すると、その時まで張っていた腰が急に重力に従って曲がり、天希は床に倒れた。
「どうだ、楽になっただろう」男は笑いながら言った。その声も、二十代ぐらいのものに聞こえた。
「さて、他の奴等もどげんかせんといかん。カレン、手伝ってくれ」
そう言われると、彼女は持っていた盆を天希の隣の机において、その上にいたガロを手にはめ、起きあがる途中の天希の方を見た。
”一応、薬と飲み物はここにおいておきますので、もし大丈夫でしたら、真ん中の部屋に来てくださいね”
カレンたちが部屋から出ると、天希は立ち上がって、机においてある薬と飲み物とを一緒に飲んだ。そして、窓の外を見ながら、考えていた。
(俺は昨日、一体何をしていたんだ・・・?それに、今のあいつは何者なんだ?カレンの知り合いかなにかか・・・)

天希、可朗、カレン、奥華の四人は、ソファに一列に座っていた。向かいに座っているのは、雷霊雲仙斬だった。
「私の名は、雷霊雲仙斬だ。改めてよろしく」
四人は何も言わずにおじぎをした。
「さて天希、おまえはなぜ、何の目的でここにいるんだ?」唐突に雷霊雲は聞いた。
「えっ、なぜ俺の名を・・・?」
「君の父のことは、よく知っているんだ。昨夜もここに訪ねてきたし・・・なあ、カレン?」
「う゛ぇ!?嘘!?」
雷霊雲は相槌を打った。カレンは少し笑いながら応答した。
「まあ、その話は置いておこう。それで・・・」
天希が何か言おうとしたとき、隣にいた可朗が急にしゃべり出した。
「何の目的って、学校行事ですよ!グランドラスでの工場見学で・・・」
「まあ、そんなこともあったらしいね。で、帰る途中に事故にあったと」
「そうそうそう、まさにそのとーりで!」可朗はいかにも不自然な声で言った。
「ふうん・・・たしかにそうかもね・・・だがカレン、おまえは一度もめのめ町に入ったことがない・・・めのめ町の人間ではないよな」
「あ・・・・・・え?」
「だいたいは分かる。ただ昨日起きたことを話してくれれば、それでいいんだよ」

「くっ、甘く見過ぎていたか・・・成功だと思ったのに・・・」
唯次は地面に倒れた。そこにはもう一つの影が立っていた。その影は、唯次にもう何発か攻撃を浴びせると、彼の懐からビンを取り出し、狂ったようにピョンピョン跳ねながら、どこかへ消えてしまった。

「ハッハッハ、情けないザコばかりじゃのう!」
可朗は地面に投げつけられた。唯一、正気を保っていたカレンは一歩引いた。
彼女は背後に目をやった。さっき、敵に一撃も与えられずに倒れてしまった奥華が、そのままの状態でいた。カレンは敵の方へ目を戻した。
「さあ、残るはお前だけじゃ!ワシはここにいる人間を一人残らず気絶させないと、気が済まんのじゃあ!」
そういうと、相手「ドッペル」の姿は槍に変形した。というより、槍そのものになっていた。その「槍」は、カレンめがけて飛んでいった。彼女は横に避けたが、かわされたと知ったドッペルはすぐに人間の姿になって、彼女を蹴り上げた。彼女はすぐに体勢を整えたが、その目の前にいたのはドッペルではなく、倒れている可朗だった。その場に一人倒れているのなら攻撃の余地はあるが、実際に目で見る限りは、そこにいる可朗は二人なのだ。どちらかが本物で、もう片方は偽物である。カレンは戸惑っていたが、その隙がもっとも大きくなった瞬間を見計らって、偽物の方の可朗は振り向いて攻撃してきた。その間、時間は十分に空いたのだが、ドッペルの見
積もり通り、カレンが気づいてその攻撃を防ぐには時間が足りなかったのだ。
「フン、ワシがコピーできるのは姿だけにはとどまらんぞ!デラストの能力も、じゃあ!」
そう言うと、ドッペルの腕は蔓に変化し、カレンを叩きつけた。彼女は隙を見計らって攻撃しようとしたが、今までのダメージと、ドッペルの変身能力から考えて、彼女が逆転する兆しはなかった。
(・・・もう・・・だめかも・・しれない・・・)
「さあ、そろそろ終わりじゃのう」
ドッペルは肩の広い人間の姿になり、その太い腕をハンマーのようにして、カレンに強力な一撃を浴びせようとした。
が、。顔一面を覆うほどだったドッペルの影が、瞬時に消えたのだ。というより、実際ドッペルはものすごいスピードで、カレンに対して左方向に突き飛ばされたのだ。
”天希・・・さん・・・?”
ドッペルはそのまま列車にぶつけられた。そこにいたのはまちがいなく天希だったが、カレンの目には全く違うものとして見えた。彼女の存在に気づいているのかそうでないのか、どちらにしろ、天希はドッペルに向かって容赦ない連続攻撃を仕掛けていた。今度はドッペルの方が抵抗できない状態で、変身するスキも与えられなかった。カレンはそれをすべて理解したが、それでも天希は攻撃を続けていた。カレンは青ざめた。自分と戦ったときの天希の姿ははっきり覚えている。戦えなくなった相手にはとどめを刺そうとしない。あくまで、相手と自分が同等に戦える楽しさを見いだしていた。行動だけでなく、あのとき、天希と自分との顔がまっすぐ向き合ったとき、あの目は澄んだ色をしていた。しかし、いまの彼の顔、後ろからその目を見ても、怖いほどに曇っている。そして、狂ったような連続攻撃、あれは相手を痛めつけることで、快感を得ているようにしか見えない。カレンは天希の恐ろしい姿を見て、泣き出しそうになった。そして、逃げるようにその場から立ち去ろうとした。ドッペルがサンドバッグのように殴られている、その音はカレンの心の中で何度もこだました。しかし、その音を聞いているうちに、彼女は「もしかしたら」という心が現れ出てきた。むしろ、それ以外あり得ないと思った。
(そうだ、あの人は・・・きっと、ヴェノム・ドリンクを・・・飲まされた・・・あの目、間違いない、今まで戦ってきた相手と同じ目・・・でも・・・)
突然、響いていた音がやんだ。カレンは無意識に後ろを振り向いたが、同時に、前にいた何かにぶつかった。ちょうど買い物の帰りにこの辺をうろついていた少年だった。フードをかぶっていて、暗いせいで顔が見えない、不思議な感じの少年だった。彼はカレンの悲しそうな顔を見ると少し戸惑ったが、すぐに振り向いて、再び歩き始めた。するとカレンも、吸い寄せられるように、彼の後に付いていった。

日は沈みかけていた。ドッペルはすでに意識がなかったが、天希の攻撃は終わっていなかった。しかし、ペースがだんだん落ちてきたとき、突然、極度の苦しみが天希を襲い、どっと地面にひざを突いた。手足はすでに細くなり始めていた。彼はもがきながら、必死に自分のポケットを探っていた。と、一本の小ビンを取り出したが、震えていた手が滑って、そのビンは空中に投げ出された。充血した目がその軌道を追い、ビンが地面に落ちると同時に、天希も音を立てて倒れた。彼は力なくビンの方に手を伸ばしたが、それ以外にもう動くことができなかった。
「薬が・・・いけないんだ・・・あいつに、あんな薬さえ、飲ませられなければ・・・」
そう言って、天希は目を開いたまま気を失った。あたりは静かになった。

カレンと少年はその館の前に立ち止まった。少年はチャイムを鳴らした。すると、ドアが開いて、背の高い男がぬっと姿を現した。それが雷霊雲仙斬だった。
「お帰り、デーマ。米は売り切れてなかったか?・・・おや、そこのお客さんは・・・」
カレンは訴えかけるような目で雷霊雲を見た。雷霊雲は彼女が何をいいたいのかわかったが、わざと、そんなことないようなそぶりをした。
「こりゃあ珍客だねえ。お前と会うのは、十何年ぶりかもしれない」
その『デーマ」はカレンをつれて、中に入った。
カレンは、今までにこの男と会った記憶がなかった。彼女はまた不思議そうな目で、雷霊雲のことを見ていた。
「さて、なんかあったような顔をしてるな。一体何があったか、話せるかい?」雷霊雲は『話せるかい」を強調していった。カレンは一秒ほど経ってから、首をゆっくり横に振った。でも、できれば話したかった。ただ、天希たちと最初に戦った時から彼女自身も気づいていたが、いったん戦いがとぎれると、その後でデラストが働いてくれなくなってしまう癖があるのだ。そのため、ガロに説明してもらうこともできないのだ。
言いたいことが彼女の喉元まで来てはいるが、言えるはずがなかった。デラストを手にした日、あのときの衝撃のせいで、声がでなくなってしまったのが、今の彼女にとっては、とても重いものだった。これほど声がでないことがつらいとは、慣れきっていた彼女には今まで気がつかなかった。彼女は、今みんながあの場所でどうなっているのかが気になって仕方がなかった。ここにいる人は自分は知らないんだから、すぐこの場を離れてもいいはず。でも、それができない。なぜだろう。話せば解決するような気がする。この場から離れることができる。でも、話すことができない。彼女はもどかしかった。だが、その場で地団駄を踏んだり、気持ちの曖昧さのあ
まり叫んだりすることもなく、彼女は何を待つのか、そこに佇んでいるだけだった。
すると、それを見ていたデーマが、なにやら雷霊雲に話し始めた。彼の声の小ささと、雷霊雲の少し大げさな相槌のせいで、なんと言っているのかはわからなかったが、今カレンが心配していることに関係している話のような気がした。
「ふむふむ、なるほど」雷霊雲の目はカレンの方を向いていた。「ちょうど先客の助けが必要になるかもしれないな」
デーマはうなずくと、カレンのところまでやって来て、彼女を部屋まで誘導した。
「おーい、大網、こっちへ来てくれ」ドアの向こうで、雷霊雲の声が聞こえた。
しかし、あたりは静かになった。雷霊雲も黙って待っているようだった。
(ダイ・・・アミ・・・?どこかで聞いたこと、あるような・・・?)
デーマがお茶を注いでいる以外、聞こえる音はなかった。カレンはそっとドアを開けた。そこには、すでにもう一人の男が立っていた。カレンはびっくりしたが、それ以上に恐ろしかったのだ。男はゆっくり首を彼女の方に向けた。その目を見たとき、彼女は凍りつきそうになった。こんな人間を見るのは、母親以来かもしれない。いや、その目の中に広がっている闇、その恐ろしさは、すでにあのころの母すら越えているような気がした。カレンは一歩引いた。
「ああ、そういえば大網、客はお前だけじゃなかったんだな」雷霊雲は、さっきまで会話していたような口調で言った。color=”#20A090″>「まさかこんな珍客揃いだとは思わなかったよ。その顔、お前なら見覚えあるだろう?」
その男は雷霊雲の方へ顔を戻した。いや、その時、振り向きざまにその男が笑ったような気がした。もう何十年も表情を変えていないような、固い顔だったが、あざける笑いだったのか、おかしかったのか、それすら分からないほど小さかったが、確かに笑った。カレンは気づいたのだ。カレンはどういう気持ちになればいいのか分からず、そのまま、そっとドアを閉めた。
「さて、何の用かと言うとな・・・」ドアを閉めると、雷霊雲の言葉は自然にとぎれた。実際にはドアの向こうからの声は届いていたのだが、カレンの耳には入らなかった。
(・・・一体、何だったんだろう・・・?・・・でも、あの目、他にもどこかで・・・?)
「・・・なあ、峠口・・・大網さんよ」その言葉だけが、彼女の耳を貫いた。
(!!!)
彼女は顔をはっと起こした。
(峠口・・・確かにあの目と、さっきの暴走していたときの天希さんの目は、限りなく似ている・・・そうだ。それなら納得できる。峠口大網・・・天希さんの、お父様!)
カレンはもう一度部屋から出ようとしたが、後ろから気配がして、はっと振り返った。しかしそこには、デーマが座っているだけだった。ちゃんとカレンの席は用意してあり、お茶は少し冷めかけていた。カレンは悪いと思って、すぐに腰掛けた。デーマは何か言いたそうにこちらを見ていた。
(・・・・・?)
カレンはそれだけでなく、彼の言いたいことまでもを読みとれたような気がした。
(・・・先生は事故の現場へ行った。君の仲間も助かろう)
(・・・なぜそれを・・・?)
(・・・あなたがさっき伝えてくれた。大丈夫だ。雷霊雲先生は必ず助けてくれる)

「さて大網、協力してくれれば、今回のお代はチャラにしてやるんだがね」
大網はすでに、『そいつ」がこの場にいることに感づいていた。雷霊雲の言葉は全く聞いていなかった。
「しかしよかったなあ、二人とも暗いところで目が見えて」
「・・・・・」
「まあ少ない方だ。他の人間等は逃げたらしいな。大網、船を出してくれ。大きいものじゃなくていい」
「・・・」
「・・・まあ、お前のことだから、別に『陸の人間」に手を貸すつもりがあるなんて思ってないさ。そうなると・・・デーマを呼んでこなくちゃならないな。私は一端帰って戻ってくる」
雷霊雲は自分の家へ向かって走っていった。
大網は、そこに倒れている天希の方へゆっくりと歩いた。夜の暗さはほとんど来ていたが、大網はそれでも、倒れている人間の顔が分かった。
「・・・・・」
大網はしゃがみ込んで、天希に向かって何か言おうとしたが、結局何もせずに、立ち上がって、暗闇の中に消えていった。

四人が語れるのは以上のうちのほんの少しだったが、それでも彼らは話せることはすべて話したつもりだった。雷霊雲も、その時のことは少し話した。
「・・・そうか、父ちゃんが・・・」
「ほう、なるほどねえ・・・、それで、天希は我を忘れて行動しても、ヴェノムドリンクを飲まされたことは覚えていたんだな」
「うん・・・(あっ間違えた、言い直せ)・・・はい」
「名前を知っているならば、具体的な症状も知っているだろう。デラストの能力を一時的にむりやり強化させる薬だ。しかも、副作用が大きい。理性の損失は甚だしくなり、攻撃的な性格にさせる。さらにもう一つは、飲んだ直後にみた人間に、従うようになってしまう性質もあるらしい。多分そいつは、その性質を利用して、お前を動かそうとしたんだろうね」
「でも、天希君は、それに引っかからなかった・・・」
「そりゃあ、世界の支配者になる男が、そんなに簡単に操られちゃあ、お話にならないものな」
「???」
「あ、今のは気にするな。それより・・・ヴェノムドリンクの話だったな。あれの、第三の副作用だが、飲んでから約10分経つと、大量にエネルギーを消費したデラストが、普段は外からエネルギーを補充するところを、その人間の本体からエネルギーを吸収しようとする。本人はもちろん極度の苦しみに襲われる。天希みたいになれば理想的なのだが、苦しみを逃れるために、一ビン、もう一ビンとやるのが現実だ。特にアビス軍団はな」
カレンは、昔の父を思い出すと、また現状が恐ろしく感じた。
「しかも、恐ろしいのは症状だけじゃない。これの成分、原材料は、どんな科学者にも、医者にも、解き明かすことはできなかった。私をのぞいてだがね」
「えっ、じゃあ・・・」
「こいつがデラストの力を加えて、都合のいい作用が出るように作られていたのは、ほかの人間にも何となく分かっていたらしい。ただ、成分そのものを知っているのは、軍団内部の関係者と、私だけだ」
「その・・・成分って・・・?」
「悪いが、私は意地が悪い人間だから、ここでお前たちに教えるつもりはないよ。知りたいんだったら、直接本人にききな」
そういって、雷霊雲は一枚の紙を渡した。
「えっ・・・これって・・・!?」
「見りゃわかるだろ、アビスが拠点としているアジトの地図だよ。住所まで存在するのに、なぜかみんな見つけられないと言っているんだ」
四人は地図を見つめていたが、最初に奥華が顔を上げた。
「あの・・・」
「何だい?私の自作の地図が気に入らないかい?」
「そうじゃなくて、天希君が支配者って、どう言うことですか?」
奥華の言葉に、三人も反応して顔を上げた。
「・・・そうねえ・・・」雷霊雲は少し悩んでいる様子だった。「・・・たしか、アビス軍団に、メルトクロスって言う奴がいたな。(このとき、天希は何度もうなずいた)そいつなら知っているな。教えてくれないはずはないと思うが」
「結局、何も教えてくれないじゃん!」
「落ち着け。どうせアビスのところへは、そのうち行くんだろ?だったらいいじゃないか。私が言うとどうしても理屈っぽくなるし、逆によけいなことまでしゃべってしまう可能性もあるからな」
雷霊雲は立ち上がって紅茶を注ぎにいった。
「あっ、そうだ天希、峠口家の人間なら、読書は好きだよな?」
「・・・はい」
「『ゼウクロス伝・封印と予言」という本は読んだことがあるか?」
雷霊雲は指を鳴らした。すると、何かが庭の窓から猛烈なスピードで部屋の中へ入ってきたかと思うと、彼の前を通り過ぎて、廊下の方へ行ってしまった。その後、金属製の靴を履いているような足音が近づいてきた。それは、さっきとは違って、ゆっくりと姿を現した。デーマだった。
(あっ、昨日の子・・・)
彼は手に一冊の本を持っていたが、それを雷霊雲に渡すと、逃げるようにドアを閉めていってしまった。
「私の助手だ。いや、医者に助手はいないか。いるか?まあ、シャイな奴なんだよ、あいつは」
雷霊雲はほんの上にコップをのせて戻ってきた。
「ほら、これを読むといい。クロス一族とデラストの祖、ゼウクロス大王についての本だ。特にお前は読んでおいた方がいい。これから忙しくなるはずだからな」
天希は雷霊雲の言っていることが理解できなかった。しかし、雷霊雲が提供した本が、クロス一族の人間についての本であることと、兄(かもしれない)メルトクロスもまたクロスという姓を持つこととは何か関係がありそうだと、天希は思っていた。
「可朗、ゼウクロス大王って、どこかで聞いたことあるような気がするんだけど・・・」
「忘れたのか天希?デラストを最初に発見した人だよ。歴史でやっただろう?」
気づいたときには、雷霊雲はそこにいなかった。二人はあたりをキョロキョロと見回した。
”先生ならどこかへ行っちゃいましたよ、のんびりしていってくれ、って言って”
「本当にあの人、何者なんだろうね・・・」
「でもさ、私たちを助けてくれたのは確かだよ」
「・・・アビス軍団から抜け出してきた人間だったりして」
「確かに、あり得るかもしれないね・・・」
「でも、っていうことは、悪い人じゃないんだよね?」
「分からないけど、確か、カレンちゃんと会ったとき、十何年ぶりって言ってたんだよね?」
カレンはうなずいた。
(確かにあの人の顔、というかあの仮面は、見覚えがあるような気がする・・・いつ?すごく・・・昔のこと?)
雷霊雲はすぐに戻ってきた。
「お前たち、もしアビスにあったら、戦うことばかり考えるだろう?カレン、お前は何のためにここまで来たんだ?父親を救うためだろう?違うか?やはり倒すのか?あいつの娘なら、どう出るかは予想がつくが・・・とりあえず、私が言いたいのは、力だけじゃあアビスには勝てないって事だ。逆に、アビスをうまく説得できれば、今のレベルで行っても、生きて帰ってこれる。しかも和解だ。さあどうする?別にここでゆっくりしてもいいんだぞ?私はお前等の分も含めて、飯を買ってこなきゃならんからな」
雷霊雲はまたすぐに部屋を出た。
「すっっっっごい、おしゃべり!あれで医者なの?ああいう人嫌いなんだけど!ねえ可朗、どう思う?」
「まあ、お前には言われたくないかもしれないね。それにしても、あれほどカレンちゃんのことを知っているとは、ますます謎だ・・・カレンちゃん、思い出した?・・・あれ?」
気がついたときには、カレンはいなかった。庭の見える窓から、風が吹き抜けていた。
「地図がない!カレンちゃん、一人で行ったんだ!」
「こうしちゃいられねえ!早く後を追わないと!」
「でも、地図がないんじゃ、場所が分からないよお」
「フッ、任せな。この可朗様が、ちゃあんとあの地図を記憶してあるんだからね」
「えっ、マジで・・・」
「スゴ・・・さすが可朗・・・」
二人は小さく拍手をしていた。可朗は鼻を高くしていた。
「って、こんなことしてる場合じゃねえって!早く追わないと!」
三人は雷霊雲の家を飛び出した。可朗の指示に従って、五棟の森の中を抜けていった。
「・・・・・ホッホホホ、来ましたねえ、やはりカレン様だけで来られては、生け贄となるものがいませんからねえ・・・やはりカレン様は、我々の仲間に・・・そして、残りは・・・何かおもしろいことでも考えておきましょうか。ホッホッホ・・・・・」
森の中で、薬師寺悪堂は独り言を言っていたが、三人とも気づかなかった。
「それにしても、人間だけでなく、木にまで化けられるこの私・・・我ながら、惚れ惚れしますよ・・・ホホ・・・ホホホホホ・・・・・」
こっちは完全な独り言であった。

第十五話

「うわ、ちょ、すご~い!これ地下鉄なんだ~、すごいよコレ、汽車より速いじゃん!」
電車内は静かにしましょう。
「え、なに!?その人形!?超カワイイじゃん!!あ、あなた、ネロ・カレン・バルレンっていうんだよね、じゃあ、今度から『ネロっち』って呼んでいい?」
電車内は・・・
「ね~ね~可朗、昼ご飯まだ?どこで食べんの?」
・・ウガ・・

その日の朝、奥の部屋で、可朗は天希を説得していて、慶は、朝食を『7人分』作ったあと、どこかへ出かけてしまった。二人とも深夜起きてから、ずっと寝ていなかった。そう言う意味では、あと一日でもこの家に滞在したいと、一番思っているのは、可朗だった。
続いて彼がカレンを説得しようとしたときに、慶は『その二人』をつれてかえってきた。
「う~、まだ頭がクラクラすっぜ・・・」と言いながら、宗仁は靴を履いたまま上がった。当然のように殴られた。
二人とも昨日のことはほとんど覚えていないようだった。奧華は先客のいる部屋をのぞこうとしたが、天希の声を聞くと、顔を真っ赤にして立ちすくんでしまった。
彼女のこの動作には誰一人気づかなかったが、次に宗仁がのぞいたとき、それに気づいた天希は笑いながら言った。
「宗仁、なんでお前来てるんだよ!?」
宗仁はすぐに部屋の中へ飛び込んだ。そこへ慶も割って入って、四人で暴れだした。が、可朗と慶はすぐに止まった。それに合わせて、天希と宗仁も静かになった。
冷静になった宗仁は、何故自分たちがここにいるのかを、できるだけ話そうとした。
「まあ、俺はあれだよ、天希が旅へ出て、可朗もついていって、俺まで行かなきゃ、おかしいってもんだ。俺たちゃ、ほんとにトリオみたいなもんだからな。もちろん、あんなことやこんなこと、いろいろと言われたぜ、先公とか親とかにな。んま、詩人な俺にとっちゃあ、どれも引き止めの『ひ』の字にも足らん文句だったがな、へっへっへっ。てなワケで、まあ俺様は頭いいからな、天希が行くとしたら、ここしかないと思って、それで来たんだが・・・そうだ、奧華だよ、あいつ、なぜか出発するときについて来たんだよ、う~ん、やっぱ俺様ってモテんのかなあ~?(ニヤリ)だーっ!いらねえよ、あんな女!あんな奴に好かれたくなんかねーよ!あ、いや、これは冗談なんだけどな、うん」
「で、その後は?」可朗は訊ねた。
「それだよそれ、覚えてねえのよ、昨日までは、ホント昨日までは何もねえの、なかったんだけどよ、昨日の午後からサッパリよ!う~ん、おかしいんだが・・・」
そう言い終わると、宗仁はカレンが台所から運んで来た朝食をむさぼるように食い始めた。
「誰、こいつ?」宗仁は口に物を入れながら、カレンを指差して言った。(ちなみに奧華の場合、カレンのことを知らないのはもちろん、小学校が天希と違ったため、慶とも一応初対面であった)
「あ、カレンちゃんのこと?」可朗は面倒くさいと思いながらも、説明を始めた。(省略)
「そろそろ、ええ時間やで」慶は皆を立ち上がらせた。
「えっ、もう行くのかよ~・・・・」天希は嫌そうな顔をして言った。カレンと可朗も立ち上がって、荷物を整理した。3人が歩き出そうとすると、宗仁は一番前に出て来た。
「さあ、お前ら、この俺様についてこ・・・ぐええっ!」行こうとした宗仁は、慶に首を後ろから引っ張られた。
「お前は残れや!薬なんか使ってたら強くなれへんで、本気で特訓や!ビシバシしごいたるで~」怪しげな笑みを浮かべながら、慶は言った。
「えっ、あれ?俺は?」天希は振り返って言った。
「天希、お前はじゅ~~~ぶん強いっ!ワイが教えることは何もないっ!ワイができることは、お前がそれ以上に強くなることを、ただただ祈るだけっ!はい、終わりっ!」
「・・・あの~・・・私は・・・」慶の顔をのぞきながら、奧華は言った。
「あ、せやな、お前は~・・・天希達と一緒に行け!他に選択肢ないし・・・」
「や、やった~・・・!」奧華は小声で叫んだ。
「そ、そんな~・・・」宗仁は向こうの部屋へ引きずられていった。天希達の後についていった奧華は、一瞬だけ宗仁の方を向き、彼に向かって舌を突き出した。
「あ、あのヤロ~め、ちくしょ~・・・」宗仁は歯ぎしりをしながら、そのままお互い見えなくなった。

そんでもって、電車の中。
「ね~可朗、せっかくグランドラス来たんだからさ、買い物行きたいな~、ネロっちと一緒に」
「なんで僕にばっかり聞くんだよ?」問う傍ら、可朗は自分が目立っている(ような状態)のを、理由に少し浮かれていた。
「だ、だって、他に話せる人がいないんだもん」
「・・・天希は?」このとき可朗は、わざとらしいくらいにニヤリとした。
「えっ・・・えっと・・・だってほら、天希君て、男の子じゃん、話しにくいし・・・」
「・・・奧華、君の目の前に立ってる人間は、果たして男かな?女かな?」可朗は呆れ果てていた。
「あっ・・・えっと・・・・・・・・女っ!!」

この瞬間、少なくともこの二人の頭の中が真っ白になったのは言うまでもないだろう。

一般的に、デラスト文明の地上での交通手段は自動車か汽車だが、こういう都市部では最近、地下鉄が発達してきている。自動車や汽車は主に輸送や、個人および団体の旅行(荷物が多いとき)に使われ、それ以外の場合は自転車の方が早いと言われているが、地下鉄はそうではない。通勤にも輸送にも便利な乗り物として、開発されているのだ。ただし、もちろん値段は高い。
「ねー可朗、買い物!ネロっちと一緒に行きたいの!」
「分かった分かった!次の駅で降りよう」
「あ、ついでにゴハンも」
「あんまり高い奴にしない方がいいぞ、千釜先輩からもらったお金なのに、ただでさえこの地下鉄で消費したんだし」

四人は地下鉄駅から階段を上がって地上に出た。
「うわっ、すごーい!!これビルだよね?ビルだよね?」
慶の家の周辺とはだいぶ違った。頭上には今にも倒れかかってきそうな高層ビルの数々が、空を覆い尽くさんばかりにそびえ立っている。正面に顔を戻せば、人の海で前が見えなかった。
「すげー、この前来た時はこんなにいなかったのにな」
「じゃあ、可朗さ、待ち合わせ場所決めて、自由行動にしようよ。あっ、そう、あたしはネロっちと一緒だけど」
「はいはい」

天希は待ち合わせ場所に設定された公園の中で特訓をしていた。特訓と言っても、何をしていいのか分からず、でたらめなことをやっているのがほとんどで、まともにやっていることと言えば、慶から教わったことのほんの少しぐらいだったが、可朗のレベルアップを見た時から、自分も早く強くなってレベルアップしたいと思っていたのだ。
「一日でも早く、アビスのところまで辿り着けるように・・・今は、それくらい強くならないと・・・」

奧華とカレンは、二人でショッピングに出ていた。「あっ、別にネロっちが自由に動いていいよ、あたしはネロっちについていければいいから」とは言ったものの、カレン本人は自分の意見を言うことができないし、主導権は奧華が握っているのと変わりなかった。
「あ、これ、カワイイじゃん!ネロっちは何か欲しい物あった?」
彼女は何にしようか迷っていた。というよりは、『迷っているフリ』に近かった。自分では何も言えないので、奧華のしゃべることにあわせて行動するしかなかったのだ。
が、彼女の動きは自然に止まった。その原因は、かすかに彼女の鼻を突いた、ごく懐かしい香りであった。彼女の目は『その一点』に釘付けになった。
「ネロっち?どうしたの?」奧華は横からカレンの顔をのぞいたが、彼女は動かなかった。かわりに、彼女の頭の中には、ある記憶がよみがえっていたのだ。

「俺もデラスト手に入れて、おかーさんみたいになりたいんだ!」
当時六歳だったエルデラは、無邪気に言った。
「そうだよね、おかーさんってすごく強いんだよね」
カレンも言った。その頃の、当時の声だった。
「あっ、帰って来た!おかーさん、おかえりなさい!」
「ただいま、かわいい子供達、今日はお土産買って来たわよ」
「お土産?わーい!」
「お菓子なんだけど、はい、カレンは女の子だから赤、エルデラは緑ね」
そのとき、エルデラは、カレンに渡されたお菓子の袋を奪い取って、言った。
「俺、赤の方が好きだッ!」
カレンは泣き出した。そのとき、アビスが、『まだ』まともな人間の姿だったころのアビスが、部屋に入って来た。
「こらこら、エルデラ、妹を泣かせちゃダメだろ」
カレンの母は、この様子を暫く見ていたが、やがて何も言わずに、ゆっくりと部屋からでていき、夕暮れのせいで寂しくなった廊下の暗がりに消えていった。そのとき、カレンはちょうど泣き止み、自分の母親の横顔を目にした。今思えば、滅多に家に帰ってこない自分が、その子供である自分達のことをよく知らなかったことに対する悔しさも、なくはなかったであろう。しかし、当時の彼女に与えた、その横顔の恐ろしさ、それは・・・

「・・・・・ネロっち、ネロっち!」
奧華に呼ばれて、カレンはハッと我に返った。
「どうしたの?ボーッとして」
彼女は首を横に振った。そして、改めて前を見ると、やはりその時と同じ、見覚えのある、赤の袋と緑の袋が並んでいた。カレンはすぐにそれを一つずつ手に取って、レジへ持っていった。
「・・・お菓子?」
カレンは時計を見ながら、奧華のところへ戻って来た。
”もうそろそろ約束の時間みたいですよ”ガロが言った。
「えっ、もう!?まだ買いたいものあるのに~・・・時間って、経つの早いね~」
カレンは奧華の言葉を深く飲み込んだ。あの日が、母にあった最後の日だった。それ以来、写真も見ず、名前を聞くこともなかった。あれからすでに9年、今のカレンにとって、第一印象であった恐ろしさは透けて見えている。まずは、今自分達の敵として立ちはだかっているアビスが、自分の父であることを明らかにし、そして、母と兄の居場所をつきとめ、再び家族全員集まることが、彼女の願いであった。今思えば、あの日から間もなく、家族は引き離されたのだ。その原因を突き止めることも、今の課題であると、カレンは待ち合わせの場所に向かって歩きながら考えた。

可朗はグランドラスにいる伯父の家に来ていた。奧華がフリーにしようと言ってから思い出したのだ。
「いやあ~、ホントにでっかくなったな可朗、お前の両親は元気か?」
「は、はい(なんであえて『両親』って言ったんだろう)、まあ、元気ですが」
「ほう、そうか、いやあ~、お前は知らんだろうが、うちに息子が二人できてな」可朗の伯父は自慢げに言った。
「はあ、おめでとうございます」可朗は関心なさそうに言った。
「ほら、ちょうどそこにいるだろう?遊び相手がいなくて困ってたんだ」
その二人は可朗の方を、睨みつけるように見た。
「うっ・・・」このとき可朗は、相手がすごく苦手なタイプであることを察したのだった。

結局、最後にやって来たのは可朗だった。息を切らしながら、彼は言った。
「もういいかげん、グランドラスを出よう」
「でも、これからどこに行くの?」
「ここから近い『伍楝』というところに、今のデラスト・マスターが住んでるっていうことを伯父から聞いたんだよね。収穫はそれだけだったけど」
「じゃあ、そいつが爺ちゃんを倒したのかなあ?」
「多分ね・・・・」
カレンは考えていた。(デラスト・マスター・・・?どこかで聞いたような・・・)
「ん?どうしたの?カレンちゃん」
”いや、なんでもないそうです”ガロが返事した。
「『ないそう、です』って・・・」奧華が突っ込みそうになったが、可朗が再び喋って遮った。
「だから、本体と人形は別人格なんだってば。そうでなければ、彼女だって苦労してないさ。人形の方はきっと知らないんだよ、カレンちゃんがデラストを手に入れる前の、出来事を、さ」
「・・・成る程ね、そうしたらネロっち、とっくに過去語ってるもんね」
「確かに、それを聞いてればアビスについての手がかりがつかめるかもしれないな」
「・・・書かせれば?」
「何かかわいそうだよ」
「とりあえず、その伍楝って所にいって、デラスト・マスターに会って・・・・・何するんだ・・・?」
「勝負のコツとかを聞くんだろ!まあ、天希が琉治さんから十分聞いてるっていうならいいけど」
「う・・・」

伍楝には地下鉄は通じていないので、四人は汽車に乗ることにした。天希は自分の足で走ってもいいと思っていたが、何が起こるか分からないので、可朗が引き止めたのだ。
「うう~っ、遅いよ~、地下鉄も早くいろんなところにできればいいのに」窓からの景色を眺めていた奧華がいった。
「前みたいに、親父さん、いたりして」可朗はニヤニヤしながら天希に言った。
「オイ、それ言うなよ!」
可朗の表情は変わらなかったが、四人はしゃべることがなくなってしまった。なにか話題を持ちかけようと、奧華がカレンに話しかけようとした時、列車が急停車した。
四人とも不自然だと感じたが、その次の瞬間には、轟音とともに列車が爆発した。天希は爆風で離れたところへ飛ばされた。カレンと可朗は慶から教わった基本能力のおかげでダメージを和らげられたが、奧華は爆風で直接地面に叩き付けられた。二人は彼女を起こした。
「イタタタ・・・」
「他の乗客は・・・!?」
カレンは辺りを見回した。どうやら爆発したのは先頭車両だけのようだった。もしや偶然ではないのかもしれないが、その車両の乗客席に乗っていたのは仲間だけだったのだ。彼女はすぐに運転席の方に走ったが、誰もいないようだった。
”やはり・・・”
爆発音の余韻が消えようとした時、可朗が言った。
「どうやら、敵のお出ましのようだ」

天希は左手を下敷きにして地面にぶつかっていた。普通の人間なら骨折しているところだ。
「痛ってエ~」
天希は左手を押さえながら立ち上がったが、痛がっている暇はないようだった。
「ハーイ、お前が峠口天希だね」
林の影から、そいつは姿を現した。
「何だお前は?」
「オレは岩屋唯次(いわや ゆいじ)。お前、随分うちの軍団の奴らをいじめてくれたそうじゃないか」
「っていうことは、お前もアビス軍団か?」
「もちろん。お前みたいに正義の味方を気取ってる奴が、好き勝手なことやりたい放題やってると、こっちも迷惑するんだよね」
「それはこっちのセリフだ!お前ら一体何が目的なんだ!?」
「活動の理由か?さあね、知りたいんだったらアビス様に直接聞きな。ただ、メルトクロス様が欲しているのは、どうやらそのデラストのようだ」
「この・・・デラストを?」
「そうだ。いや、『それら』四つのデラストだ。お前は現場に居合わせたときいているが、アビス様はそれを峠口琉治から奪おうとして、失敗した。まあ、自分より地位の低いメルトクロス様からの命令だったから、ワザと失敗したのだろう。いずれにせよ、我々はその四つのデラストを集めるために活動しているともいえる。あ、これ理由になるな。だが、団員のほとんどはお前が倒してしまった。そして、お前の持つデラストはそのうちの一つだ。お前をメルトクロス様のところへ連れて行くのだ。あ、ただし、おとなしくさせなければね。誰が強いのかをはっきりさせておけば、お前もうかつに手出しはできないだろう?」
「・・・」
「うちの団員はお前に負けたことで自信をなくしている。だがお前は何度も這い上がってくるような性格らしいからな。かといって、始末することも許されない。(致死量のダメージを与えるほどの力がないという部分もあるのだが)メルトクロス様が直々にお前を半殺しにしてもいいが、俺たちの方からそれを言うこともできないし、メルトクロス様も、それが分かっている上で俺たちを動かしているのだろう」
唯次は頭の上で空気を切るような仕草をした。いや、実際に、頭上に突き出ていた木の枝が、彼のところまで落ちて来たのだ。それをとると、そのきれいな切り口を天希の方に向けた。
「俺のデラストは『切断』。相手が木であろうが岩であろうが人間であろうが、とにかく斬って斬って斬りまくるのさ!さて、このデラストに、お前のデラストは対抗できるかな?おっと、別にここで降参してもいいんだぜ?」
「誰が降参するか!むしろ、また一人退治できるのが幸運って所だ!」

第十四話

二中の門の前を、その行列は通っていた。見物集、野次馬は道の脇に退いていた。天希達もその一部だった。
まず歩いてきたのは、二列に隊をなした、百人ほどの軍隊と思われる男達で、その後にやってきたのは、これも二列に並んで行進していたが、見たことのある顔が並んでいた。長谷大山、陰山比影・・・・・・
「あ、あいつら・・・」
そのすぐ後ろで動いていたのは人力車だった。その豪華な飾りの中に、アビスの顔が浮かび上がっていた。天希と可朗なら知っている顔である。
さらに、人力車の両脇で偉そうに歩いているのは、アビスの手下の中でも、幹部格のようだ。片方は、人力車から見て右側にいるのは、カレンの知っている、薬師寺悪堂だった。
天希達はというと、それぞれ見ている人物が違っていた。人力車から見て左側に天希達四人はいた。天希は、一番手前にいる幹部と思われる男、人力車から見て左側を歩いていた、その青年と目が合った。天希は何となくその青年に見覚えがあったが、倒すべき敵が目の前にいると、天希はそわそわしていた。
可朗は、今まで戦ったことのある部下達の方を見ていた。恐らく、デラストを持っているもの同士で固まっているのだろう。可朗がそっちを見ていると、向こう側も冷や汗をたらしながらこっちをにらんでいたが、すぐ目をそらした。
慶は知人がいないので、他の見物集と同様、アビスの方を見ていたが、アビスの視線が、こっちに注がれている・・・いや、正確には、そのボスはカレンの方をにらんでいたのだ。彼女は目をそらした。
(まさか・・・・・やっぱり・・・・・・・)
彼女の思考は、見物集もとい野次馬のどよめきにかき消された。天希が行列の前へ飛び出したのだ。
「おいアビス、俺と勝負しろ!」
反対側にいた薬師寺悪堂も驚いた表情を見せたが、アビス本人は、カレンから天希に視線を変えると、一瞬で人力車から飛び出した。車の飾りはぴくりとも動かないのに、アビスは瞬間移動でもしたように、車の外にいたのだ。
天希はそのボスの顔を見上げにらんでいた。身長三メートルの相手の威圧感に対する反応は、表には出さなかった。
見下ろしているアビスの方は、天希を見てにやりとした。次の瞬間、ものすごい音がして、天希はぶっ飛ばされた。アビスの拳が動くのは全員に見えたので、殴ったのには違いなかった。
人々の視線は天希を追ったが、その視線が道の真ん中に戻った時、アビスは既に車の中にいた。あたりが静かになると、行列は再びゆっくりと動き出した。少しだけ、アビスは人力車から顔を出して、カレンの方を向いて、ニヤリと笑みを浮かべた。その顔が見えなくなっても、行列が遠くなっても、カレンはその方を向いていたが、気づいたときには、辺りを見回しても、可朗と慶の姿は見当たらなかった。二人はとっくに、天希を探しにいってしまっていた。

偶然にも、天希が落ちたところはいつもの公園のそばであった。ダイドの足跡のところにめり込んでいて、まるで踏みつぶされたみたいになっていた。可朗と慶が見つけたとき、天希はまだ気絶していた。慶はすぐ腕を引っ張って起こした。
「カレンちゃんがいませんね」
「ここへは来るやろ」
もちろん慶の言う通り、十数分後にカレンは公園にやってきた。しかし、ちょうど今起きた天希を含んだ三人には、彼女の顔が普段よりも一層落ち込んでいるように見えた。
「カレンちゃん、どうしたの?なんか、不安と恐怖にかき立てられているような感じだよ」
可朗は無理矢理かっこ良く言おうとした。
“・・・・・いえ、ただ・・・・・・”
「アビスと何か縁があるんか?」
うつむきながら歩み寄ってきたカレンだったが、慶の言葉を聞くと、驚いたように顔を上げた。アビスの行列を見物していた時の、カレンの変化に気づいたのは彼だけであった。
「一体何があるんだよ?」天希も一歩前へでた。
“・・・・・・・・”同時に彼女は、あまり話したくない表情を見せていたが、天希と可朗はどうしても気になっていて、彼女の落ち込んでいる姿から目をそらしたのは慶だけだった。
“実は・・・・・・あの人は・・・・・アビス・フォレストは・・・・・”もちろん喋っているのはカレン自身ではなく人形のガロなのだが、その声すら震えていた。
“もしかしたら・・・・・カレン様の・・・・お父・・・様・・・かも・・・しれない・・・・・のです・・・・・”
一同は目を丸くした。言葉がでなかった。その後のカレンは、表情は変わらなかったが、ガロはもうためらいながらは喋らなかった。
“アビス・フォレストというのは、カレン様のお父様の名前と全く同じらしいのです。私自身は、カレン様のデラストの入手以降に生み出されたものですので、ご主人様の過去については、よく知らないのですが・・・”
ガロがそれ以上喋ることがなさそうなのを見ると、可朗は「なるほどねえ」と言った。
「え、でも、何で名字違うんだよ?それで認識してたんだろ?」天希が問うと、
「そりゃあ、母親がバルレン族なんでしょ、仮に父親が魔人族じゃなかったとしても・・・・」
「だからさあ、その魔人族とかって、一体なんなんだよ!?」
「ふっ、読書家の君が、そんなことも知らないのか?」
「ワイも知らん」会話に慶が入り込んできた。
「・・・・・仕方ない、無知な人たちのために、教えてやるか!」
ここで可朗が話したことをそのまま記すと、三分の一以上が自慢話になってしまうので、直接、説明文を書いておこう。

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これは、種族階位(遺伝)の法則と言われるもので、地球の生物には、これほど大規模な遺伝の法則は見られない。

デラストの世界には、大きくわけて三種類の人種がある。高血種族、平血種族、そして低血種族である。魔人族はこの低血種族の一部である。それぞれの種族の中で、さらに大きくわけられる。例えば、アビス・フォレストとダイド・マリンヌでは、低血種族または魔人族という点から見たら同じだが、名字が違えば、別の種族である。
天希や可朗、慶など、漢名を用いるものは例外を除けば平血種族である。カレンのバルレン族は高血種族である。

では、この種族の違いを決めるものは何かというと、血の中に含まれる、ある成分である。この成分の構成が複雑であると高血種族になり、複雑でないと低血種族になる。が、高血種族同士の子供が生まれるとき、遺伝情報の異常によって、全く別の種族の子が生まれると言ったケースは、これまで一度も発見されていない。また、もっとも上の高血種族と、もっとも下の低血種族の子供が、平血種族寄りの血になるということもない。

一般的に、この種族をわける法則を使う理由は、家系にある。両親のうちどっちのほうが血が高い(成分が複雑である)かが分かれば、血の高さの距離(差)は全く関係ない。
(RPGゲームで、『素早さ』によって優先順位が決まるものと同じだと考えてください)
この差があると、生まれる子供に変化が出てくる。例えば、父親の方が血が高いと、生まれた子供は約8割が父親に似る。母親の場合も同様である。また、名字も血の高い方から引き継がれる。髪の毛の色なども(うわーまさにマンガだな)血の高い方の親と同じになる。

が、たまに例外があって、血の高さに差があっても、父親と母親の両方に似た(五分五分)子供が生まれてくることがある。こういう子供が生まれる時は、災いが生じると言われている。(超マンガじゃん)

ちなみに、真ん中の種族、平血種族は全員漢名で、平血種族は一つの種族だが、いろいろな名字があり、主に外見が似た方の名字を引き継がせる。(笑)

平血種族同士やバルレン族同士のように、同じ種族同士が結婚した場合でも、子供は生まれる。(たぶん兄妹とかでも・・・)

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「・・・というわけだが、あれ・・・・・?」
カレンだけは真剣に聞いているつもりだったが、天希と慶は既に爆睡していた。
「お~い天希、学校はじまるぞ~」可朗は冗談で起こそうとしたが、起きなかった。代わりに、慶は何かに気づいたように、はっと目をさました。
「来るで!」
一同ははっと公園の林の方を見た。砂煙とともに、何かが道に飛び出してきた。恋砂煙の中にいる人の影は、慶でさえ見たことのある顔だった。
「宗仁!!」
そこには友の姿があった。しかし、様子がおかしい。カレンと慶は殺気を感じ取った。が、強くなったり薄れたりしている。まるで彼の心が、『何か』に対して拒絶反応を起こしているように見えた。天希達がいることに気がつかず、うめき声を上げて苦しんでいた。
「一体どうしたんだよ、宗仁!?」
天希の声に気づいた様子で、宗仁は震えながら、ゆっくりとその首をこちらに回した。昔から学年の大将であったはずの男がその顔は、病んだように青ざめていた。
「あ・・・あ・・・・天希・・・・・・・お・・・・お・・・・・・・お・・奧華・・・が・・・・・・・グッ・・・グガガガッ!」
宗仁は言いながら、自分のでてきた林の方を指差したかと思うと、うなだれてしまった。天希はその方向を見た。
「天希、危ない!!」
天希がはっと顔を戻した時、宗仁はいなかった。彼にとって、予想できなかった方向から、血走った目をつり上がらせて、宗仁は飛びかかってきた。二人は地面に倒れ、組み合ったが、天希はすぐに飛び退いた。宗仁はうなりながらこちらを見ていた。その目はまるでーー本物を見たことのある者はないがーー獣のように、理性を失った目であった。
「一体何があったんだ!?」
天希がそう言ったとき、彼の意識が別の方向へ行った。それは、宗仁がさっき指した林の方向だった。天希は不思議だった。何故なのか、自分の他に、カレンもそれに気づいているようだった。それ以外はそう言った様子は示さなかった。
「何や宗仁、デラストもってたんか?」慶は別のことに気づいていた。
「天希が旅にでる少し前で、そんなに時は立ってないはずなんですけど、なんか強そう・・・」
「え、そうだったの?」
天希と可朗が反撃しようとしたところを、カレンが止めた。
“皆さんは公園の中へ!ここは私たちが食い止めます!”
「えっ、何が?」可朗には何のことだか分からなかったが、カレンは振り向いて、天希の顔を見、うなずいてサインした。
「こっちだ!」天希は、行動を開始した時は、何のことだか理解していなかったが、了承したように、二人の手を引っ張って、公園の中に入った。
“あなたのことは、三人から聞いていますよ。その目、その症状、ヴェノムドリンクですね!”

三人は公園の広場まで来た。いつもあまり人の来ない公園で、昨日なんかはダイドのせいで一人もいなかった。今日も見る限りはそうであるが、視線を感じる。三人は辺りを見回した。
「あそこや!!」慶が指を指した。
その男の立っている位置は、すごく不自然だった。木のてっぺんに立っていて、膝から下までは緑の中にあった。
「あ、あいつ!」
さっきのアビスの行列の中で、アビスの隣を歩いていた男だった。天希はその男がどうも気に入らなかった。
が、彼としては意外なことに、その男は自分に向かって微笑みかけたのだ。
「やあ、さっきの見物集にまぎれていた子たちだね」
「何なんだお前は!?」天希が一歩前に踏み出して言った。
「メルト・クロスだよ、天希。覚えてないのかい?」妙に親しげな声だった。
「そんな変な名前、聞いたことないぞ」
「忘れた?兄であるこの僕をか!?」
「兄!?」一番驚いたのは可朗だった。
「俺には兄弟なんかいないぞ!だいたい、俺の名字は『峠口』だ!」
「・・・まあね、君の場合は『おやじさん』だからね・・・」
「何の話だ!?」
「天希、お前の父、峠口大網は、よくめのめ町に来るんで、『おやじさん』の名で通ってたんや」
「ああ、そうそう、めのめ町って言えばさ」そう言うとその男は、しゃがんで、茂みの中から、何かを引っ張りだした。
「げっ!!」
「あ、あれは!」
手にぶら下がっていたのは、まぎれもなく安土奧華だった。服はボロボロになり、意識がないようで、ぐったりしていた。
「ほら」
ドサッ
奧華は地面に投げつけられた。慶がそっちへ行った。
「ひ、ひどい・・・」
「許さねえぞ!」
「ハハハ、そう怒るな。僕は君達と戦うつもりはないよ、『今』はね・・・・・」
そう言うと、メルとクロスは、まるでテレビの画面が消えるように、いなくなった。
さっきまで闘争心むき出しであった天希だったが、すぐに奧華の方へ駆けつけた。
「天希が怒ったの、久しぶりに見たな・・・・・」可朗はその場所でたたずんでいた。
「・・・・・・大丈夫や、ほとんど峰打ちやで、見た目ヤバいが、ショックで倒れとるだけや」
「よかった・・・」が、それと同時に、カレンと宗仁が戦っていたことを思い出した。

天希達が駆けつけたとき、宗仁の方が押されているように見えたが、カレンも疲れ果てていた。今までの激闘が感じられた。
「クソっ・・・さすがに・・・強いな・・・・・・」そう言いながら、宗仁は一本のビンを懐から取り出した。
「だが・・・これで・・・・・・(ゴクッ)・・・・・・・・・・これデ・・・・・・オワリナンダヨ!」
宗仁は突然元気になり、カレンの方へ向かっていった。彼女はもう足がすくんで動けなかった。が、自分と、向かってくる相手との間に、何かが割って入ってくるのが見えた。
「おやおや、カレンちゃん、お疲れのようだね、もう代わっ・・・・・ぎゃああああああ!!」
一瞬、カレンの目に、先日の情景が重なったが、今の可朗はあっけなく吹き飛ばされた。幸い、林の方角だったので、可朗のコントロールで木がクッションになってくれて、今日の天希のように遠くへ飛ばされずにすんだ。
「ククク・・・キキキ・・・」
「あれ、今まで戦ってきた奴と同じに見えるぞ・・・」しかし、天希は、何が同じなのかがよくわからなかった。カレンは後ろに退いたが、逆に天希は前へ出ようとしなかった。
「なんや何や、薬なんか使いやがって、情けないやっちゃなあ」代わりにでてきたのは、千釜慶だった。
その言葉は宗仁の耳には入らなかったが、彼の頭には、『今の状態なら、こいつも倒せる』という考えがあった。ヴェノムドリンクの副作用で、理性を失いかけている宗仁にあったのは、目の前の男に対する『復讐』だった。
「グオアアアーッ!」
宗仁はすぐに慶の方へ飛びかかった。が、その間、慶は相手の顔を見さえしていなかった。
(ついに・・・この人の実力が・・・)カレンはつばを飲んで、必死に目を注いでいた。
しかし、それは一瞬の出来事であった。宗仁の攻撃が今にも当たろうとした時、慶の指から刀のように鋭い爪が伸び、宗仁を空高く突き上げた。あまりにもあっけなかった。
「早っ・・・」
地面に叩き付けられた宗仁は、起きなかった。

その日の夕方、慶は昨日の病院に宗仁をおいて帰ってきた。
「メルト・・・クロス・・・メルトクロス・・・」
「どうしたんだよ可朗、あんな奴の名前なんか連呼して」
「いや、クロスってたしか・・・ほら、今日話した高血種族、あるでしょ、あれの一番上の種族なんだよね・・・・・」
「で?」
「いや・・・だからその・・・すごいんだけど・・・・・あ、そうだ、天希のお母さんの名前って、何だっけ?」
「え?母さん?峠口真悠美・・・一応、前の名字は『川園』だったらしいけど」
「ふーん、川園・・・・・?」
「でも、俺、母さんとあんまり会ったことないんだよな」
「ん?おお、川園の息子が来とんのかあ!?」ドスドスと階段を下りる音がした。
「父ちゃん」
「はは、慶~、いい後輩を持ったなあ!わざわざめのめ町から会いにきたんじゃろう?しかも川園の息子と来た・・・」
「父ちゃん、『おやじさん』も忘れんといてな」
「ありゃ?天希くんって、具蘭田のほうじゃなかったか?」
「・・・いや、峠口やで、具蘭田って誰やねん」
「あ・・・・・そうだったか・・・・・」
「・・・具蘭田・・・・?」可朗がまたつぶやいた。
「じゃ、そいうことで、失礼しますわ、両親にはよろしく伝えておいて下はい!」と言って、慶の父親はまた階段を上っていった。

慶は布団を敷き始めた。天希は独り言を言っていた。
「ったく、一体どうなってんだ、なんで宗仁が俺たちを襲うんだよ!?なんか悪いことでもしたか?」
「全くだ」可朗も同意した。
“・・・あの・・・”ガロがいった。
「ん?」天希は振り向いた。
“多分その人は『ヴェノムドリンク』をのまされたと思うんです・・・”
「ヴぇ?何それ?」
“どうやら、アビス軍団の中で作られている薬らしくて、飲んだ人間を団員として操る力があるそうです・・・・”
「こわっ・・・」
“さらに、見ている限りでは、デラストの能力を促進させる効果があって・・・”
「その分副作用は大きい・・・・・・か・・・」
「もう許せねえよ、とにかく、早く強くなって、アビスを倒さねえと!」
「おちつけ天希、最近気が短いぞ」そう言いながら、可朗は天希の家族のことを考えていた。
(天希の父親は大網さんで、今日いたメルトクロスという男と天希の母は同一人物・・・・・さっきの話からすれば、メルトクロスの父親の名字は『具蘭田』・・・・・しかし、どこからその『クロス』という血統は出てきたんだ?仮に、どちらかが偽名を使っていたとすれば納得がいくが、もし、『川園』氏の方が偽名を使っていたとすれば・・・・・天希は・・・・・)

夜更けのことだった。戸の閉まる音に、可朗は目を覚ました。天希は睡眠が落ち着いて、珍しく鼾をかいていなかった。
慶、いや、千釜先輩がいない。可朗は外に出た。同じグランドラスでも、都市部と比べると、この郊外部は暗くて寒かった。めのめ町よりも暗かった。先輩はどこに行くのだろう。外に出ている人間は二人だけだった。可朗は気づかれないように後をつけた。

そこは可朗にとって見たことのある場所だった。小学生の頃、千釜先輩(当時は『先輩』じゃなかった)があの事件を起こした直後、社会科見学で一度グランドラスまで来たことがある。休憩の時間に、天希や宗仁と一緒に座って話した、海の見える場所だった。
「お前も座れ、可朗」当時の天希の言葉と、目の前にいる慶との言葉が重なった。先輩は既に自分がつけていたことに気づいていたのだ。
「悪いな、こんな場所までわざわざつけさせて。海なんて見飽きてるやろ」
「そうでもないです、めのめ町にはめのめ町の海が、グランドラスにはグランドラスの海があります」
「ぷっ、さすが可朗、うまいこと言うなあ。しっかし、やっぱここの海はゴミばっかで汚いわ、やっぱめのめ町に帰りたいで、あいつがいればな・・・・」
「あいつって?」
「いや、こっちの話やで、気にせんといて・・・」
(・・・?何故先輩は元気がないんだ?)」
沈黙が続いた。海は歌をやめて、空に浮かぶ金色の光球をはっきりと映し出していた。
「・・・なあ可朗、彼女できたか・・・?」
「ふほえ!?いませんけど・・?」唐突に聞かれて、可朗はびっくりして慶の方を向いた。
「じゃあ、あれか、あの・・・カレンちゃんは、おまえじゃなくて」
「いやあ、そう言う訳じゃないですよ、カレンちゃんは一応、ついてきてるだけです」
「そうか・・・まあ、いるだけマシやね・・・・」
「どうしたんですか」」
「いや・・・その・・・そう、神隠し事件、覚えてるか?」
「話そらさないでください」
「そらしとらんで!マジメな話や、覚えてるか・・・?」
「・・・あの、天希が来る前に起きた事件ですよね」
「せや、で、誰が被害者か知ってるか?被害者の名前は・・・・」
「いや、気にしてませんでした、兄とテレビ見て怖がってただけでしたので・・・」
「幽大か、懐かしいな・・・・」
「で、誰なんですか?」
「・・峠口先生の・・娘や・・・」
「えっ、峠口先生って、子供いたんですか!?」
「せや、天希見てると、そいつ思い出しちまってな・・・ワイ、そいつのこと、好きやったから・・・」
「それで、あんまり天希と話さなかったんですね」
「まあな、そんで、ほんとに・・・・いや、可朗、夜明けたら出発してくれんか、このままだと、ワイが開き直ると、逆に出発させなくなるような気がして・・・・なんか」
「・・・・・わかりました、天希にはうまく言っときます、あいつ鈍いから、話しても分からないと思うので」
「いや、話されたらこっちが恥ずかしいわ」
「じゃあ、惜しいですけど、朝出発ということで・・・あ、そろそろ天希が起きてくる頃だと思います、海が照り始めましたよ」

グランドラスに光が射す。その光を背に、二人は家に戻っていった。慶は自分に言い聞かせていた。「せめて最後は、きちんと向き合おう、かわいい後輩のために」

第十三話

さて、今日から天希達の特訓が始まるのであった。特訓と言っても、知識がなく何もできない天希と可朗にとってはそうはならないのだが。

睡眠中・・・・

六時になった。天希が目を覚ました。彼にとっては遅い時間だった。天希は鼾をかいて寝ている二人を起こさないようにそーっと歩き、押し入れを静かにあけてみた。カレンも目が開いていた。
「どうした?目が赤いぞ?眠れなかった?」
彼女は布団から手を出すのに時間がかかった。
“大丈夫です・・・全然・・・”いつものようにガロがしゃべった。
「ほ・・・本当に大丈夫か?」
カレンが今度は無言でうなずいた。
次に起きたのは慶だった。慶は峠口家に宿泊したことがなかったので、天希が早起きであることは知らなかった。
「父ちゃ~ん特訓行ってくるで~」
天希は寝ぼけている慶の言葉に吹き出しそうになったが、カレンはむしろ驚いていた。半分寝ている状態でも、特訓は習慣になっていて、欠かさないということが見えたからだ。ただ、その時間が九時半というと、少し心配だった。
最後には可朗が叩き起こされた。十時。二中のチャイムが聞こえたが、慶は反応しなかった。

朝飯を食べ終わった四人は、昨日の公園へ行った。人はいない。中央には噴水があり、その周りに、人間の胴体くらいの大きさの石がゴロゴロしている。慶は軽々と片手で持ち上げてみせた。
「これ持って公園五周や」
慶はまず可朗に向かって、持っていた石を投げた。可朗はキャッチできず、石は顔面に直撃した。
「ぶっ!」
可朗は音を立てて地面に倒れた。天希とカレンは驚いて可朗の方を向いた。が、一分とたたないうちに、可朗は起き上がり、転がっているその石を持ち上げて、ヨロヨロと歩いていった。
天希は可朗の方を見ていて、他のことに気づかなかった。間もなく天希の顔にも石が飛んできた。
「ぶはっ!」
天希まで同じ目にあったが、さすがにこっちはすぐ起き上がり、可朗のいった方向に走っていった。
こんどは慶は、天希が林に隠れて見えなくなるまでその方向を見ていたが、間もなくそうなると、もう一個の石を持ち上げて、最後に残って立っているカレンに向かって石をなげた。
石はほとんどまっすぐ飛んでいったが、彼女が石に手のひらを向けると、およそその幅が三十センチくらいになった時、石は空中でピタッと止まってしまった。
「ほう、一応知ってるようやな」
カレンはその体勢のままうなずいた。
彼女が腕を(肘をのばしたまま)ゆっくりおろすと、石はその腕の延長線上にい続けようとするかのように、腕の動きに合わせて石もおりていった。肘を曲げると、石は力が抜けたように、地面に落ちた。
「それくらい出来れば大丈夫やろ、でも約束は約束、公園五周やで」

デラストの所持によって体力がついたにもかかわらず、可朗は一周しないうちに息
があがってきた。彼も本当は最初から走るつもりだったのだが、すぐに天希とカレンに抜かされて、やる気も失せたのだった。
天希はというと、石を肩に乗せ、かついで走っていた。彼の場合、デラストを持つ前から体力があったので、ある程度は走ることはできた。が、まさかカレンに抜かされるとは思いもよらなかったであろう。さすがに疲れてきて、あと一周というところで石を地面に落とした天希の目の前で、その少女はまるで買い物から帰って行くように、石を抱きかかえながらスタスタと歩いていった。天希もさすがに目を疑った。しかし、間もなく姿が見えなくなると、千釜先輩の、彼女をほめる声が聞こえてきた。

「・・・なあ天希、師匠に何にも教わってこなかったんか?」慶は不思議そうに言った。
「いや、もうすぐ飛び出してきたんで・・・・」天希は照れくさそうに言った。
「こいつったら、金すら用意しないで出て行ったんですよ」と可朗。
「まあ、そこが天希らしいところやて・・・・・っと、とりあえず、カレンちゃん、ワイがさっきやったアレ、できる?」
カレンは少しだけうなずくと、可朗がさっきまで運んでいた石に手のひらをのせた。そして、天希達に見せるためか、それとも慣れていないからか、慶が持ち上げた時よりもゆっくりと、肘を曲げずに手を上に上げていった。その石は、まるで彼女の手にくっついているようだった・・・いや、実際は彼女の手より、二十センチほど離れた状態で動いてた。宙に浮いていたのだ。二人にはそれが見えた。二人とも驚きを隠せなかった。
「これが『デラストの基本能力』や」慶は言った。「基本能力はどんなデラストでも、慣れれば使いこなせる能力やで。これは覚醒するのに一時間とかからんはずやで、本当は。今日はこれ覚えるまで特訓や、家には入れへんで」

実際、天希と可朗の二人は、十一時になるまで慶の家に入れなかった。といっても、『それ』を習得した訳でもなかった。結局、天希は自分の今までの習慣とかけ離れているほど遅くに寝てしまった。慶はそれよりも遅くに寝たのだが。

次の日だった。意外にも最初に起きたのは可朗だった。天希は起きたとき、腹が減って仕方がなかったが、それ以上に眠かった。
今日の空はどんより曇っていた。天希は「・・・ねむい、ああ・・・・こんな天気で特訓するんスかあ・・・・・?」
「当たり前や。雷に当たってくたばってる場合やないで」

空の表情に似合わず、可朗はいつもより元気がよかった。天希より早く起きたからであろう。しかし、カレンだけは不安な気持ちでいた。この天気は嫌な予感がする。一瞬、巨人の足音のような音が聞こえた。しかし、他の三人は気づいていない様子だった。

四人は公園に着いた。着くなり、慶が言った。
「さて、そろそろダイドが帰ってくる頃やな」
「ダイド?」眠そうな天希が、腹を鳴らしながら言った。
「さっきの足音、間違いないで、ダイドや」
実は慶も気づいていたのだと、カレンは言われるまで分からなかった。
やがて、五メートルほどもある巨大な影が、林の方向から、ぬっと現れた。
「おーい、ダイド~!」慶は叫んだが、その巨人は反応したようには見えなかった。突然、そいつの拳は慶を殴り飛ばした。
「あっ!?」
三人は一瞬、慶の方を振り向いたが、今見直しても、その敵は公園の外にいるはずだった。しかし、殴られたところは確実に目に入った。
「な・・・・なんでやねん・・・・・」噴水の縁にめり込んだ慶は、死んだ振りをしてやり過ごそうとした。
「や、やばいぞこれ!」天希が目を覚ました。
「うぐあ~っ!」ダイドが叫ぶと、彼らの上に何かが乗っかったような感じがした。
「か・・・体が・・・・重い・・・・」天希とカレンは地面に倒れてしまい、天希は睡魔のせいでそのまま眠ってしまった。
もうこれで、立っていられるのはあの怪物だけ・・・・・・いや、もう一人の姿を、カレンは顔を上げて見た。
“か・・・可朗さん”ガロの声がした。
今日の可朗は、いつもと少し違っていた。カレンの目には、黒い雨雲の隙間から少しずつ照らす太陽が、まっすぐ立ち、相手の姿を真剣な目で見つめている可朗を映し出した。
いままでの、普段は演技臭い喋り方をして、いざとなると縮こまってしまう可朗とは違っていた。少なくとも、天希が起きていようものなら、そのギャップに驚いたに違いない。
可朗は足を一歩前に踏み出した瞬間、その場からいなくなった。怪物は驚いて一瞬左を向いたが、当て外れで、可朗は相手の体に対して右側から相手の顔に向かって、イバラの矢を放った。
「ぐおおお~~~っ!」
ダイドは可朗の周りの重力を強くしようとしたが、右を向いた時、既に可朗はいなかった。今度は左側から、イバラの鞭のように変形した腕で、相手を切り裂いた。
「ぐああああ~~~!」
「隙だらけだぜ、のろまちゃん!」
ダイドは倒れると、背が二メートルくらいまでに縮まっていった。可朗は歩み寄って、言った。
「魔人族」
「正解!」いつの間にか慶は後ろに立っていた。

「とりあえず、ダイドは病院に送っといたで」少し遅れて家に帰ってきて、慶はただいまの代わりに言った。
「可朗もレベルアップか、ほな、お前の左腕にあった『木』っていう字、『林』になってるやろ」
「?」
「デラスターになったとき、体の一部分に、そのデラストを表す漢字が浮き出てきたやろ。んで、経験値がたまっていくと、その周りにある模様がゴチャゴチャしてきて、そいで一定の経験値を超えると、レベルアップするんやで」
「へ~」
「何やお前、そんなもんまで知らんかったんかい」
「はい、まあ・・・・はははh」可朗の表情は、既に元に戻っていた。
「カレンちゃんはどのくらいのレベルなのかな?」可朗は本人に聞いてみた。
“え?・・・・っと・・・”
「彼女はレベル2やで」慶が言ったとき、カレンは慶の方をすぐ振り向いた。
“ど・・・どこでそれを・・・”
「昨日の夜」

この後、慶が殴られたことは言うまでもない。

第十二話

その夜、天希たちは千釜慶の家に泊まることになった。
千釜慶の家は郊外にあった。都市付近にしては緑が多く、前回の公園や二回前の二中も木がたくさん生えていた。さらには、天希達が早速家に中へお邪魔する と、木材と畳ばかりという始末である。
(ふっ、これくらいの家なら僕のデラストで作れるな・・・・・・・)
可朗は冗談を練っていた。

「千釜先輩~~~~ほんとに懐かしぶりだ~~~!」敬語は使わないが、名字で呼ぶことが天希の敬意だった。
「しっかしお前らもよくこんなとこまで来おったな~~~・・・そうそう、師匠は元気しとるんか?」
「相変わらず元気だよ!デラストが使えないのも相変わらずだけど・・・・・・・」
「まあな。ところで・・・・・その・・・・・そこのもう一人って、誰やねん・・・・・」
可朗が答えた。「カレンちゃんですよ。ネロ・カレン・バルレンって本名です」
「ほ~~~~~~・・・・って、なして本人が自分の名前紹介せんのや!?ちくと声聞いてみたいわ」
「いや・・・・それはちょっと・・・・」
「どないしたん?」
「彼女・・・デラストの副作用で喋れないんです」
「ほお・・・・・まあ、布団は四人分ギリギリあるさかい、はよ寝とき」
天希、可朗、慶は布団を敷きながら、四年前のことを話し合った。カレンにもそのことは話したが、三人とも実際楽しそうに話していた。

そしてそのお話は、彼らの夢にまで出てくるほど、懐かしく、思い出のある話だった・・・・・・・

「海賊だーッ!!」
「逃げろー!金をとられるなー!」

めのめ町。あまり有名ではない港町である。
この町に、峠口琉治(とうげぐちりゅうじ)という老人がいる。彼は以前、最強のデラスター(デラスト使い)といわれていた男である。彼がどんなデラストを 使っていたか、そのデラストが何を司るデラストなのかは、誰も知らない。老人は一人暮らしで、別居の息子(峠口次郎という)は同じめのめ町で中学校の教師 を務めている。また、この老人には弟子がいた。名を、千釜慶(ちがま けい)という。この年、小六である。一見、デラストの腕は良さそうに見えるが、少し ひねくれていて、マジメに特訓をしない。だが、峠口老人を尊敬しているということは、確かなのだ。
今日は天気がいい。この三人で海岸を散歩をしていた。平凡な真っ昼間だ。今日は特に変わったことはないだろう。三人は海の方に目をやった。二、三隻の船が 見えた。真っ黒い帆に、真っ白な頭蓋骨が描かれている。明らかに怪しげで、悪趣味な船だ。三人とも、もう見飽きたという目で、その船を見ていたが、
「海賊だーッ!」近くにいた若者がこう叫ぶものだから、周りは大騒ぎになった。もちろん逃げ帰るものもいなくはなかったが、珍しもの好きの集まる、この港 町の海岸は、次第に野次馬でいっぱいになっていった。
だが、船は港へ着くどころか、野次馬だらけの海岸の方へ走ってきた。次第に逃げ帰るものは多くなった。やがて、先頭の船が海岸に止まると、突然、
「ガキを甲板へ出せーっ!!」と、聞き覚えのある野太い声が、船内から聞こえた。

船から降りてきたのは、四十代くらいの男と、その子供と思われる少年だった。慶はその少年が一番気になった。
「今日は何の用かな?船長さんよ」峠口老人は言った。
「ちょっと、俺の船に薄汚い地上のガキが住み着いててね」男は言った。
「薄汚いというのは、そこにいるお前の息子のことかな?」
「そうだ、俺の息子と言えば俺の息子だ。が、澄んだ海の人間ではない。泥と汚い汗の臭いのする、地上のくそガキだ!」
「ワシは、お前をそんな奴に育てた覚えはないぞ!第一、お前が生まれてから今日まで、ワシは一回も引っ越したこともないし、お前を自ら追い出した覚えもな いってのに、何じゃその仕打ちは!子供は大切にせい!」
「黙れジジイ!誰がいつ俺様に優しくなんてした!?」
「年寄りをいたわらんかい!」
この後、小一時間くらい、親子喧嘩がつずく。

「長老が砂浜で騒がれては困るちゃ!海賊!?何の用じゃい!お前に売る果物は用意しとらねよ!」喧嘩を止めに入ったのは、慶の父親であった。
「今日はお前に用がある訳でない」怒鳴りまくってガラガラな喉を震わせて、大網は言った。「おい親父、俺は海の人間だ。が、さっきも言ったように、地上の 人間、しかもガキが!俺の船に住み着いてるんだよ!」
「まあまあ兄さん、そんなんこと言わないで・・・・・つまり、天希君を預かれというんでしょ?」峠口次郎は、兄弟でありながら大網とは似ず、気が長く、や さしい男だった。今の結論からしても、次郎の方が、言葉が簡潔で、しかも頭の回転が速いことが分かる。
「次郎、お前、兄に喧嘩売ってんのか?」大網は実の弟を恐ろしい形相でにらんだ。周囲の人も一歩退くほどだった。ところが、
「僕はただ、兄さんの言いたいことを簡潔にまとめて、皆さんに分かりやすく伝えてあげただけじゃないか」次郎はまるで少年のような言葉で兄の言葉に応答し た。当たり前の会話に答えるような、柔らかい言葉は、周囲の野次馬に安心をもたらした。(これでも36歳ですが)

しかし、彼でも兄の感情を抑えるのは難しかった。海賊という人間は、実に短気で、酒ですらその気持ちは押さえるのが難しい。この日、大網が用事を済ますの に、かなり時間がかかった。

この大人達の話をしているときりがないので、天希の話をしよう。

このとき、連れてこられた少年こそが、峠口天希であった。当時10歳で、慶とは一つ違いである。
「とーちゃん達、何話してたの?」親の話をこっそり聞いていたのだが、天希はいまいち内容が理解できない。
「ああ、お前が今日からこの町に住むって話・・・」文と文の間でため息をつきながら、慶は亡霊のような声で話した。「後は喧嘩だけ・・・・だ・・・」ま だ、なまってもいなかった。
「じゃあ、じいちゃんの家に住むってことだな!?やった~!これで一日中外の空気を吸ってられるぜ~!」
天希ははしゃいでいたが、「学校どうするんだよ」と、慶は心の中で突っ込んでいた。

天希は、昔学校に通ってはいたが、何しろ父親は海賊なので、よく上級生から非難を浴びたが、記憶力が悪いのと、何でもプラスに考える癖のおかげで、すっか り忘れてしまっている。その後、父と行動をともにした船内生活でも、よくサンドバッグにされた。気に触れないようにじっとしているよりは、掃除やら何や ら、少しは役に立とうと考えてしまう天希がわるい、という時もあったが、大抵は船員のストレス発散で殴られていた。もちろんそれもじきに忘れてしまうのだ が。
しかし今回の学校は、最初のうちは彼を暖かく迎えてくれたので、それまで大人だらけだった世界から解放された感じがして、天希はうれしかった。この日か ら、天希は現在住んでいる家で、祖父と二人で暮らすことになった。それに、慶もデラストの特訓でちょくちょく峠口家を訪問するので、今までの苦痛も楽しさ うれしさですっかり抜けてしまっていた。
天希を見ていると、不思議と慶は力がわいてくる。『あの』事件があってから、ずっと落ち込んでいた慶にも、天希の元気は心の闇を照らすような気がした。

が、数日たって、天希は校舎内で数人の男子がある一人をいじめているのを見つけた。最初は(早く逃げればいいのに)と思って通り過ぎるだけだったが、その 光景を何日も目撃するうちに、見るに絶えなくなり、天希はその中に突っ込んだ。
昔からいじめられる立場だった天希は、その足の速さで、いつも逃げ回っていた。今回は何の用意もせず、しかも逃げるのではなく、自分から突っ込んだのだ。 が、やってみたものの、何の力にもならなかった。天希はこの光景を見るうちに、だんだんいじめっ子のことを許せなくなってきた。おそらく今までが相手は大 人だったのに対して、天希は背のあまり変わらない相手なら倒せると思ったのだろう。
結果はいつも同じ。相手方が天希一人を攻めようが、他の人間を殴っている途中に天希が入ってこようが、力のまだない天希には勝ち目がなかった。このとき、 最初に殴られていた子は、三井可朗だった。二人が親友となった原点はここなのだが、そのうち天希だけが連れ出されて殴られるようになった。

ある日、ぼこぼこにされていた天希を、慶が見つけた。その少年は廊下の隅に倒れていた。慶は何があったのか聞こうとしたが、天希は気を失った振りをして、 何も言わなかった。天希は、自分だけで解決したいと思ったからだ。正義感こそなくても、昔から決心の強い天希は、傷やアザのことについては、誰にも何も言 わなかった。琉治翁はというと、自分の人生を見れば気持ちは分かる、といって、まるで気にしていないようなそぶりをする。それが何日も続いたが、解決の兆 しはなく、天希はただ割り込んでは殴られるだけだった。
これを見ていた慶は、ついにいきり立った。直接見れば他人、しかしあのチビは師匠の孫。受講料も払わない自分が、礼をする時が来た。そう慶は思った。

昼休みになると、慶は例の廊下へ走った。自分がその学年だった時もそうだった、あの廊下は、電気が壊れっぱなしで、しかも使われていない教室が多く、連れ 込むにはもってこいの場所であった。

「このごろ、慶落ち込んでるよな~」「やっぱり『あいつ』がいなくなってから、登校回数減ったし、いままでの慶じゃないよね」「事件が起こってからもう一 年以上立ってるだろ、いい加減回復しろ!」
ある事件が起こってから、慶は元気をなくしてしまっていた。しかし、天希のおかげで希望が生まれてきた。今や、孫子ともに自分にとって恩師である。それを 救わずにいてたまるか。

慶は、学校では使うまいとしていたはずのデラストの力を、解放した。肌は緑色に変色し、皮膚が瓦のような形になる。歯はとがり、爪は長く伸び、恐ろしいく らい頑丈で、太くなった。
もはや怪物と化した慶は、風のように廊下、階段を駆け抜け、ちょうど天希が殴られていたところに突っ込んだ。その鋭い爪は、危うく加害者の足を切断しそう になったが、幸い骨を傷つける前に、慶の意識が安定してきたのだ。とはいえ、彼自身、最初から捨て身の攻撃だと分かってやったのだ。結果がどこまでひどく ても、後悔はしないと誓った。

天希は、慶の変わり果てた姿に驚いていたが、彼がその姿を捉えられたのは一瞬だけで、そこには、いつも自分の家にくる時の慶が立っていた。

周りの大人は、しかる人間は一人もいなかったという。元々不良の種だった慶は、しかっても効果がないと、先生達は判断していたし、師匠の琉治翁も何も言わ なかった。

次の日から、慶は学校にも、天希の家にも来なくなった。慶はどこに行ったか。刑務所である。
デラストを持たない人間に対して、デラストの力による暴力を振るうことは、どんな国でも共通した犯罪である。それに、少年院制もない。
慶は中学に上がるとともに、グランドラスに引っ越してしまった。天希はそう聞いていたが、後で考えると、刑期は一年間なので、恐らく刑務所をでるととも に、引っ越したのであろう。
天希の伯父である次郎は、慶が中学に上がったら、彼の面倒になるはずだった。慶のような人間が、勉強をしないのはもったいないと、いつも言っていたのだ。
「これからは『千釜先輩』だな、天希」天希が小学校を卒業する時、そう隣で言っていた。

「それで、次郎先生は今、天希の担任なんやろ?」と慶。
「いやあ~、さすがにあれはやりにくいっスよ」と天希。
「しかし、宗仁もマシになってよかったわな。まさかあれだけでよくなるとは思わんかったわ」と慶。
「まあ、その後は『友達』になったんスけど、確かにあいつがいじめをやめたっていうのは・・・・」天希。
「で、そのあとは、僕らは同学年の間では有名なコンビですよ」と可朗。
「あいつも来ればな・・・・」と慶。
「まあ、あいつはデラスト持ってないから・・・・」天希。
「え?持ってるよ」と可朗。
「えっ?」
「天希、デラスト持ってない時だったから、あいつなりに気使ってくれたんじゃないかな」

この時の、いじめっ子というのが、第一話にでてきた、内命宗仁であった。

「ほ~、あいつそこまで成長したんかい」
「さ、そろそろ寝ましょう」
「えっ、もうこんな時間!」
「ハハハ、天希は早寝早起きがモットーやからな」
カレンだけは、すでに押し入れの中に布団をしいて寝ていた。

天希、可朗、慶の男三人組は、大きな鼾をかきながら、あの日のことを夢見ていた・・・・・・。