第二十一話

「急患だっ!」
烈潮の町は、かなり近くにあった。天希達はすぐにそこへ駆け込んだのだ。天希は頭から血を流していたが、背負っているカレンの方が気がかりだった。一番体力が残っていたのは奥華とメルトクロスで、奥華はふらついている可朗を何とか歩かせ、メルトクロスはアビスを背負っていた。案の定、そこの病院はほとんど空いていた。評判の悪い場所だと言うことはメルトクロスが知っていたが、それは言わなかった。
「えー、では、こちらへ」
細身の気の弱そうな女性は、慌てて案内した。

天希、奥華、可朗、メルトクロスは、手術室の前の長いすに座っていた。可朗は気絶に近い状態で眠っていた。この四人の中で一番ダメージが残っているのは天希だったが、何とか気を保っていた。アビスを倒したというのに、気持ちが落ち着かないのだ。運ばれていった二人の命の安全が保証されるまでは、安心することができなかった。患者があのアビス・フォレストであることを知ったときのドクターたちの顔も気にくわなかった。
(雷霊雲先生だったら、こんなこと苦ではないはず・・・)
間もなく部屋から、これまた気の弱そうな男が出てきた。少し顔色が悪かった。こっちの部屋には、カレンが運ばれていた。
「あの・・・その・・・患者さんの、容態なんですが・・・」男と表現するには弱々しすぎるが、とにかくその男は戸惑いながら言った。
「どうなんだよ?」天希は顔を前に出した。

「」

その言葉に反応したように、可朗は目を覚ました。
「さっきなんて言ってた!?」
奥華は答えなかった。彼女の顔は凍り付いていた。代わりに一つ、可朗に伝えた。
「天希君、雷霊雲先生のとこ行った・・・」

あの戦いの中で、下の階にいた奥華は、一番初めにいやな予感を感じ取ったのだ。メルトクロスとともに上にあがったときは、すでに建物が崩れ始めていたが、すると天希がすぐに起きあがり、叫んだのだ。
「みんな、逃げるぞ!」
そう言うと、すぐに倒れているカレンの方へ駆け寄った。メルトクロスも同じ方へ行ったが、天希に止められた。
「お前は、あっちだろ」
天希は、目でアビスの方を見た。メルトクロスは了解した。可朗にはわずかに意識が残っていたので、奥華は彼を立たせた。
「早くしなさい!ここから逃げるんだよ!」
可朗はふらふらと立ち上がった。
建物は完全に崩れたが、その時にはすでに、天希たちは外にいた。そのまま烈潮の病院まで向かったのだ。

その病院から、今度はどんどん離れていく。天希は前だけを見て走っていた。アビスの本拠地跡を目にしたが、すぐに、雷霊雲邸に続く道を駆け抜けていった。
「とにかく早くたどり着くんだ!仲間を見捨ててたまるか!」

「やはり・・・危険な状態なのか・・・」アビスの様子をうかがってきたメルトクロスは、下を向いて座っている奥華と可朗の前で言った。
「ネロっち、死んじゃうのかな・・・」
「なんで・・・どうしてカレンちゃんは、こんなことになったんだ・・・あの時僕が倒れてる間に、一体何があったんだ・・・一瞬、最後に見たのは、あの白い光だけ・・・」
二人がその絶望に満ちた顔を向かい合わせることもなく対話しているのを見て、メルトクロスが言った。
「『爆発」だろうな・・・」
「・・・え?」二人は重たそうに首を持ち上げ、メルトクロスの顔を見た。
「バルレン族がデラスターになってのみ、使える技がある。なぜバルレン族だけしか使えないのかはいまいち分かっていないが、周りにいる、自分が敵と認識した者と障害物のみに、強烈なダメージを与える、基本能力の一つだ。しかし、その発動には通常の技でダメージを与えるよりも確実で、同時に自分への負荷が大きい。場合によっては、相手に与えるダメージよりも、自分への反動のほうが大きい事もある。いずれにせよ、あれは凄まじい力を持っている。お嬢・・・カレンは、おそらく最後まで使わなかったんだ。それまでのダメージと、最後に襲いかかる自分への反動・・・致命傷に値し兼ねないな・・・」
「でも・・・それを使って死んだ人は・・・」
メルトクロスは、今の可朗の質問が幻聴だと願った。しかし、彼は答えた。
「無論、いる」
二人の顔からはさらに血の気が引いた。奥華の目には、冷たい涙がたまっていた。
「ネロっち、死んじゃやだよお・・・・・」

天希の体には、かなりの疲れがたまっていた。さっき倒れたとはいえ、緊張は未だほぐれずにいた。デラストの力を移動に利用していたが、それも乏しかった。しかし、心だけは前向きを保っていた。
「へっ、こんな距離・・・毎日、学校に行く前に、ちゃんと走ってたんだ・・・こんな距離・・・」
天希は木の根につまずいた。痛みを感じることが久しいような気がしたが、間違いなくそれは今の天希の道を妨げた。
(ちくしょう、なんでこうなったんだよ・・・いや、べつにいい、先のことだけ考えるんだ。俺一人で先生の所まで行くんだ!)
天希は再び走り始めた。

「うう・・・」
アビスに至っては、肺や体へのダメージはデラストのおかげで自然回復しつつあり、今は気絶しているというよりは、病室のベッドの上で寝ているようなものだった。しかし、何かにうなされるように、ときどき妙な寝言を発するのだった。皆、それを気味悪がって、聞こうとしなかった。
「アルマ・・・・・エルデラ・・・」
アビスは眠ったまま、顔をしかめていた。
「・・・カレン・・・」

「あと少しだ・・・待ってろよ・・・」
天希は道を這っていった。が、おそらく目的地であろう家が見えると、立ち上がって駆けだした。その勢いで、玄関のドアにぶつかりそうになったほどだ。しかし、その目の前で彼を止めたのは、物質的なものではなく、そこに書かれていた文字だった。
「・・・え・・・?ウソ、だろ・・・・・」

_本日休業_

天希はドアを強く叩き始めた。
「開けろ!開けてくれ!」
返事はなかった。しかし、彼は五分ぐらい叩き続けていた。そのうちに、だんだん拳の音は、弱くなっていった。
「ち・・・く・・・しょおっ・・・」
天希は首をだらんとさせ、唇を食いちぎらんばかりにかみしめていた。力はなかったが、ドアは叩き続けていた。
「なんでだよ・・・よりによって、何でこんな時に・・・」
天希の拳は開き、体は力なく前へ倒れそうになった。その時だった。
「だれだ、うちの前で立ち往生してるのは?・・・泥棒ならせめて、お前の父親ぐらい派手にやってくれよ、天希」後ろから声が聞こえた。

天希が病院を出てから、かなり時間が経っていた。奥華は緊張と睡魔と自分という、三つ巴の戦いに入っていた。可朗にはその三つに、さらに思考が加わっていた。
(アビスは平気なんだろう?だったら、何でカレンちゃんは今、三途の川を渡らんとする状態にいるんだ?もし本当に死んだら、それは無駄死になのか・・・カレンちゃん自身は、それを知らないわけではないはず・・・それでも、命を賭けてでも、カレンちゃんがしたことは、一体何だったんだ・・・?)
メルトクロスはすでに睡魔に負けていた。

カレンの寝ている周りにいる者たちは、彼女がまだ生きていることを不思議に思っていた。
「なんでこうなったんだ・・・原因がさっぱり分からない・・・」
その白衣を着た男は困惑していた。別の男が言った。
「そうだ、これだからデラスターという輩は、いつあっても訳が分からんのだ。ほら見ろ」
その男はカレンの方を指さした。彼女の右手は、いつの間にか左手の上に移動していた。

(・・・・・)
(・・・)
(・・・・・ねえ)
(・・・)
(君は・・・誰・・・?)
(・・・え・・・?)
(君は一体誰?)
(私は、ネロ・カレン・バルレン・・・)
(ふーん、覚えにくそうな名前だなあ・・・)
(・・・あなたは・・・?)
(僕?名前を?)
(・・・うん)
(名前かァ・・・えーっと・・・うーん、思い出せないや、ずっと眠ったままだったし・・・)
(眠った・・・まま?)
(それにしても、君ってかわいいね・・・多分僕より年上なんだろうけど・・・)
(・・・私は、あなたの姿は見えませんけど・・・)
(え、そうなの?何でだろう・・・長いこと眠ってて、自分の姿を忘れちゃったからかも・・・)
(あなたは、霊ではないんですか?)
(僕は幽霊なんかじゃないよ。ちゃんと生きてるよ、眠ってるけど・・・)
(私は、眠っているの・・・?じゃあこれは、夢・・・?)
(うーん、ちょっと違う。それは『寝てる」時でしょ。『眠ってる」とは、僕は区別して言ってる)
(どう違うんですか?)
(寝てるってのは、体力回復だよね。夢を見たり、一時的なものだよね。でも、眠ってるって言うのは、もう二度と起きない可能性があるやつさ。はっきりと生きてるとは言えないけど、死んでるとも言えない状態)
(私は、これから死ぬんですか・・・?)
(わからない。僕も目覚めるときがくるのか、それともこのまま死んでしまうのか、よく分からない)
(・・・・・)
(泣いてるの・・・?)
(・・・・・)
(・・・何で・・・泣いているの?)
(・・・もう二度と・・・目覚められない・・・可能性って、あるんですよね・・・?)
(うん)
(そうなったときが怖くて・・・私の父さん、母さん、兄さん・・・それに、友達と二度と会えなくなるって思ったら・・・)
(・・・それが寂しいってことなんだ・・・いいなあ、家族とか、友達がいたんだ・・・ちょっとまって、僕も何となく思い出してきた、お母さんが突然いなくなってて、そのあとはあの人に育てられて・・・確かに、自分のことを世話してくれる人がいなくなったときって一番さみしいね・・・)
(そうです・・・でも、それだけじゃない・・・お互いにいろいろな情報や、心を交換しあってきた人たち・・・どんなにそれが些細なものだったとしても、死んだらそれに関係なく、誰とも会えなくなる・・・)
(・・・そうだね・・・どんなに関係が浅くても・・・そうだね、現に僕と君はここで初めて会話した。でも、今まさに・・・・・そ・・・の・・・・・)
声は次第に聞こえなくなっていった。というより、自分の意識の方がさらに薄れていったのだ。カレンは『眠った」状態から、『死んだ」状態になった。

一人の医師が、心拍計を見ながらつぶやいた。
「心、停・・・」
その声と、心電図の長い音は、ガラスの割れる音にかき消された。窓から突っ込んできたのは、巨大なバイクだった。
「ガラスの修理代は二倍払う。そのかわり全員部屋から出ろ」
バイクに乗っていた雷霊雲が言った。後ろに乗っていた天希はバイクから降りた。医師たちは、おびえてはいたが、素直に行動した。
「さて、患者は、そこか」
心電図を見たとき、天希は頭から血の気が引けた。しかし、それよりも彼を動かしたのは、カレンの体からゆっくりと浮き上がってくる、太陽のように光る玉だった。天希は、自分の家にアビスが現れた日を思い出し、それがデラストの本体であることを悟った。
(一度デラストが人間にとりつくと、外部からの力で離れることは滅多にない。にもかかわらず、デラストは何世紀もの間、命に限りを持つ人間たちの間で伝承され続けている。その人間が命を失ったとき、デラストはその体を離れ、新たな継承者のもとへと飛んでいく。つまり逆に言えば、その人間の体から、デラストが離れるということは・・・)
天希はすごい形相をして、カレンの体から出てこようとするデラストの本体を必死で押し戻そうとした。
「おい、天希・・・」
バイクの姿をしていたデーマも、もとの姿に戻り、その様子を見ていた。天希は、そのデラストに向かって叫んだ。
「おい!お前、何で自分の主人から離れようとするんだよ!お前が自分で、主人を選んだんだろ!そうしてからずっと、カレンと一緒にいたんだろ!?じゃあなんで、そっから離れようとするんだよ!どうして自分の居場所だった人間が死ぬって事を、あっさり認めようとするんだよ!?」
「天希、それ以上やると手が溶けるぞ・・・」
雷霊雲は言ったが、天希の耳には届かなかった。
「だが、やり方は一応あっている。デーマ、手伝ってやれ」
デーマはフードのマント部分をひるがえし、前へ出て、天希の隣で同じ事をやった。その鋼鉄の腕は、ダメージを受けることもなく、デラストをカレンの体へゆっくりと押し戻していった。
「よし、次からだ天希、お前の出番は」
「え?」カレンの心臓の動きがだんだん戻ってくるのにあわせるように、天希の心も少しずつ落ち着いていった。
「確かにここまでは我々でやってきた。しかし天希、ここにお前がいるのは幸いだ。まず、カレンの腕を握ってくれ」
天希は言われたとおりに、カレンの右手を少し持ち上げた。まだ少し冷たかった。
「体温を戻すためだ。私はデラストを持っていないから、どうやるのかは分からない。だが、デラストの力によって、死にかけた人を助ける場面は多い。天希、お前は未来に生きる必要のある人のために、命の炎を再び灯す係りだ」
天希はその言葉を了承すると、目を閉じた。天希にも何をどうやればいいかは全く分からなかった。ただ、自分がこれだろうと思ったことを実行してみた。それがデラストの持つ力を引き立たせるのだ。カレンの頬に、次第に赤みが戻ってきた。
「よし、もういいぞ。あとは我々に任せろ」
雷霊雲は、天希が部屋から出るように言った。

病院を飛び出す前と同じ位置に、天希は座った。喜びとも、悲しみとも言えない表情をしていた。それは、同じ椅子に座っている可朗と奥華も同じだった。が、奥華は間違いなく寝ていた。

メルトクロスは、ずっとアビスの寝ている部屋にいた。アビスのうなり声を聞いていると、彼も顔をしかめていた。
「安心しろアビス、お前の知っている例の先生、来たみたいだぞ」
メルトクロスはアビスにささやいた。すると、うなり声はだんだん落ち着いてきた。しかし、眠っているにも関わらず、アビスは険しい顔をしていた。
メルトクロスは、それから一時間ほどその部屋の中をうろうろしていた。そのとき、アビスが一瞬、何か言ったのに気がついた。
「何だい?」
結局、何を言ったのかは分からなかったが、アビスの顔をのぞき込むと、表情に現れていた緊張が、少しずつほどけていくのが分かった。それにあわせて、メルトクロスも少しずつ笑顔になっていった。
「・・・・・そうか、よかったな」

奥華の目覚めは決してはっきりとしてはいなかった。だんだん目を開いていったが、寝ている状態とほとんど変わらないように見えた。ドアを開けた雷霊雲には、三人とも居眠りしているようにしか見えなかった。雷霊雲がドアを開けたことには気づいていたが、それがつまり、何を意味するのか、三人とも理解しようとしなかった。
「おい」
「・・・」
「入れ」
最初に立ち上がったのは天希だった。その時は下を向いたままで、ゆっくりと立ち上がったが、三人とも同時に、何かに気づいたように顔を上げると、残りの二人も即座に立ち上がった。しかし、先に手術室の中に入ってきたのは、さっき追い出されたドクターたちだった。
「あんたが雷霊雲仙斬か、こんな乱暴な医者は見たことがない!」みな口々にそう言ったが、雷霊雲は冷静に返した。
「この病院の評判の悪さと、どっちのほうがひどいか知ってるか?」
そういうと、皆自信なさげに黙ってしまった。
「しかし、いや、絶対あんたの方が上・・・」一人が言ったが、すでに雷霊雲はその場にいなかった。
「ネロっち!!」奥華は、起きあがっているカレンの所へ飛び込んだ。すでにぬくもりの戻った手を取り、泣きながら言った。
「よかった・・・よかったよ・・・」
「本当に、よかったね・・・」可朗も突っ立ったまま泣いていた。
「・・・まあ、国立病院でも、これが直るかどうかは分からなかったがな」雷霊雲は意味の理解しがたいため息を途中に何度もつきながら、言った。
天希は尊敬と感謝の目で、雷霊雲の顔を見上げていた。すると、それに気づいたように、雷霊雲は天希の顔を見ていった。
「まあ、別に私のことをどう思うかは自由だ。だが天希、お前も『感謝される」側の人間だからな」
天希はカレンの方を見た。そして目が合うと、また雷霊雲の方を向いた。顔を少し赤らめて、頭を掻き、照れくさそうにしていた。奥華と可朗も、雷霊雲に礼を言おうとしたが、彼はすぐに言った。
「あー、これから我々は大事な手術が他にもあるんだ。ではこれで失敬。おいデーマ、行くぞ」
デーマは一瞬何のことかと思ったが、それを理解する前に、素早く部屋の外へ出て行く雷霊雲のあとを追った。
(・・・なんだかんだ言って、先生も照れくさいんじゃないか?セリフ棒読みだったし、今日は休業のはず・・・)天希は少しニヤッとしながら、雷霊雲の出て行った方向を見ていた。が、後ろで奥華と可朗の騒いでいる声を聞いて、その方向へ向いた。カレンの表情は疲れが少し見えたが、この上なく安心した笑顔を、三人に見せていた。しかし、自分にはもう一つ、やることがある。雷霊雲との『約束」を果たさなければならない。

奥華と可朗は、寄ってきた天希の顔を見た。その時だった。
「・・・み・・・・ん・・・な・・・・・」
三人の耳に、聞き慣れない声が走った。それにも関わらず、その声は三人に、さらなる歓喜の心を与えた。なぜそうなのかはすぐに分かることだった。
「あ・・・り・・・が、とう・・・」
間違いなくそれは、カレン自身の声だった。三人は驚いた。また、久しぶりに聞く自分の声に、彼女自身も驚き、そしてうれしさに泣いた。奥華も、さっきより激しく泣いていた。
「しゃべった!?しゃべったよね!?すごいよ、ネロっちが、自分でしゃべったよお~!!」

__外にいた雷霊雲は、二階から聞こえてくる声を聞いてつぶやいた。
「そうそう、『オマケ」で手術したこと、言うの忘れとったな・・・」
彼は、隣で同じコーヒー缶を飲んでいるデーマに言った。
「ずいぶんとまずいヤツを買ってきたじゃないか。まあいいだろう。・・・よし、おそらく彼らも疲れていることだ、少し経ったら、またここに様子を見に来よう。さっきみたいに、うまい言い訳をして、な」
空は曇っていた。彼には、曇った日にハッピーエンドが迎えられるのには違和感があった。それだったら、高い山にでも登って、雲の上にある太陽を見に行こう。あまりの明るさに、きっと失明するぞ・・・そう彼は自分に言い聞かせていた。

第一章 アビス編 終わり

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