シン・ゴジラ(映画:2016年)

  • 最初から最後まで「映画」を見ている事を忘れない作品だった、「映画」以外の芸術だと錯覚するような事が起きなかった
  • とにかく展開が早い、台詞回しも早い。ただしそのセリフは、作品内での政治世界のリアリティーを作り、維持するのに無駄なものが1つもなく、お話の裏で何がどう動いているかがしっかり分かる
  • 劇場でた後だと誰がどの顔でどの役をやっていたか思い出したり検索するのが難しいけど、劇中での役割や使命は一人一人描かれてキャラも立っていたし、劇が終わった後に誰が誰だったかを忘れるというのは、むしろあの作品の規模、個人が立ち向かうのではなく国が国を、組織が人々を守るために動くという規模の話にはマッチしている
  • ゴジラの生物的な原理から国民への事態の報道、軍事作戦まで詳細に描かれているのは、ゴジラという破壊と恐怖の象徴の側を多角的に成長させるのではなくて、ゴジラをとりまく人々を現代の映画をはじめとした作品の価値観や空気に合うようにクオリティを上げ、複雑化させていっている。それは怪獣映画という、一種の災害を扱った作品にとっては間違いの少ない正しい成長の仕方だと思う

ライブ:ニンジャスレイヤー フロムコンピレイシヨン『殺』発売記念イベント

  
蝉丸『ドーモ、グリーンムーンスラッグ=サン。オクトーバーです』

中学から吹奏楽部に所属していたなめくじは、見に行く演奏会といえば吹奏楽で、ロックバンドのライブに行くのは今回初めてだった。

ただ、好きなバンドのライブ映像や音源はYoutubeで見たりCDで聴いたりしていたから、どこで観衆がワーワー言うかとか、どんなときに盛り上がるかとかはある程度感覚がつかめていたので、行く前から『CDで思う存分堪能したこの曲は今日のライブではだいたいこのあたりで盛り上がる!俺は詳しいんだ!』と頭の中でライブ映像の高度なシミュレーションを行ってました。

そして会場。ゆだんの少ないなめくじは先頭から2番目の列に立った時から、会場にニンジャがいないかどうか注意深く観察していました。断っておきますが、今回のライブは邪悪なニンジャがライブ会場に出没するという噂を聞きつけて行った潜入捜査であり、万が一ニンジャが演奏を騙った精神干渉行為を行ってきた場合、それを防ぐための耳栓も用意していきました(これは実際にニンジャの卑劣な手によって鼓膜破壊されたという被害者のインターネット証言を参考にしたものである)。

そして開演。最初の演奏はMINE。他の2バンドやニンジャスレイヤーという作品が押し出してくる雰囲気とは違った、全体的に楽しげな雰囲気を醸し出す2ボーカルとアコースティックギターとベースとドラム。曲の進行を仕切るのはもちろん鳥(種類がわからない)の長い羽根を髪に飾った2人のゆるいお嬢さんボーカルだが、個人的に目に留まったのはギターとベース。楽しんでいる。当たり前だが演奏は楽しむものだ。吹奏楽をやっていたなめくじは本番でも楽譜にかじりつき、指よりも口元に神経を注ぐ演奏家群の方が見慣れていたが、この時ばかりは人数がものすごく少なかった高校の吹奏楽部の、それこそジャズバンドのようなテイで行った文化祭演奏を思い出した。あの時の先輩達の姿が重なる。演奏は楽しんでやるものだ。なめくじはこの時点で大きなショックに突き動かされ、気づけば腕を振り、ピョンピョン跳ねていた。Youtubeでライブ映像を見る時は自分は盛り上がる側ではないので至極冷静になったりもするものだが、この時ばかりはまさに心も観客の一員となった。

なお、前列2番目の爆音はMINEの楽しげなメロディーを以ってしても十分すぎるエネルギーを持っていたので、二曲目から耳栓を装着し、鼓膜の健康を守りました。以後はエンディング曲の時だけイヤホンを外すというルールを定めて視聴を続けました。

次にMOJAスレイヤー。公式サイトで順番をアンナウンスーウーしていたかどうかは忘れたが、機材がどんどん少なくなっていったり、ドラムが斜めに配置されたりしたところで、次がMOJAである事は明らかになった。配置上ドラムがよく見えるのだが、ドラマーの動きが演奏前から人間離れしていた。目の前に現れたのは、ベーシストという生き物と、ドラマーという生き物という感じだった。おおよそ自分がライブ映像や実体験で見た事のある動きをしていない。人間というのはノるとこんな動きをするのか?それとももしやこの2人はニンジャなのか・・・?

おおよそベースとドラムのみとは思えないサウンド。ベースの音圧は視界に入ってくる機材から納得できるとしても、そこにさらに三次元的な厚みをかける圧縮された音符群は、ギターという楽器自体の存在を一瞬でも忘却させるに不足ないパワを持っていた。2人でもバンドはできる。むしろある意味でバンドという体型の究極形に近いものを感じた。エフェクターに潰され、アンプに潰され、スピーカーに潰され、人間の耳の限界に潰されてなお頭の中に響いてくる圧倒的な2人間の楽器音、そして浮ついたようなエコーのかかるボーカル。楽器のスピード感がミッドナイトにハイウェイをレッドゾーンのハイスピードで駆け抜ける車本体なら、ボーカルはそれを照らし出す電灯の淡い光のごとく、対照的なサウンドが重なり合って、何ものにも邪魔されず駆け抜けていくような完成度を感じさせる。個人的に今回のライブで一番好きになったのはMOJAだった。

そしてGEEKS。あのエンディング曲そのもの、そして周りからの評価からして、盛り上がらないはずがない。CDであの曲を聴くだけでテンションが上がるわけで、ではライブではどうか?まず、曲よりも前に入場とトークで盛り上げてきた。曲だけで盛り上がらせることはなく、とにかく盛り上がる事自体が好きという雰囲気を感じた。さらにエンディング曲からも分かるようにニンジャスレイヤーという作品自体に入れ込んでいるバンドで、ヤクザスラングも抜かりなく使用する。もしや彼らは新型のクローンヤクザなのでは・・・?髪が赤いのは緑色の血を目立たせなくするための細工なのでは・・・?目元が黒いのはサイバーサングラスなのでは・・・?

パフォーマンスというか、演奏中の演奏者の動きも自然とこちらのノリを作るような部分があり、前の2バンドよりも冷静に音を聴いたり観察したりできず、ただひたすらに飛び跳ねていた記憶がある。曲の中の支配権が楽器のサウンドよりもボーカルおよび歌詞にあるタイプのバンドだと思ったので、爆音で歌詞が聞き取りにくかったのは惜しかったが、それでも十分すぎるノリ。最後の曲は、演奏側も音量を上げたように聞こえ、さすがに楽器の方が圧倒的に音が大きかったものの、観客側も声を合わせてあの歌詞を斉唱してるように聞こえた。少なくともなめくじはそうした。

初ロックバンドライブの圧倒的大音量によって鼓膜の健康のなんかを終始懸念していたなめくじだったが、とにかくこのライブで得たものは、ギンイチよろしく『自分はここまで盛り上がりに対してハイになれる人間なのか』と思えた点。そして、人間は演奏側としてあそこまでハイになれるんだという点。なめくじも作家ないし演奏家として作品を作る・演じる際には、極限の盛り上がりを目指したいと思えるようになった、初体験としては十二分にすぎるライブだった。ありがとうございます!幸せです!
ちなみにだが、ニンジャはいなかったし、従ってなめくじはライブ中に何のジツ干渉も受けず、冷静な状況判断を貫いた事を明記しておく。