第五十二話

天希とスエラは向かい合った。スエラは憎悪の目で天希を見ていた。対する天希は、スエラを見ると言うよりも、その瞳の奥にある何かを捉えようとしているかのような目だった。
柱の前に立つ君六、うっすらと目を開いたカレン、壁から這い出してきたドッペルの三人は、ただその様子を眺めるばかりだった。
「決着をつけるぜ、すべての決着を!」
そう言って天希は笑顔を作った。その意味がスエラにはわからなかった。
「生意気な・・・アンタらには何一つさせてはやらんよ!」
天井の爆発を合図に、先に踏み出したのはスエラだった。右の氷の刃を振り回し、天希に切り掛かった。天希も突進し、右の手でその刃を受け止めようとした。そこに天井の破片が挟まって衝撃が起き、天希は跳ね飛ばされ、氷の刃は溶け折れた。スエラはすかさず左の刃で天希を刺しに向かった。
「!」
しかし、すでに左の刃も溶けはじめ、天希に刺さる前にそれは水へと変わった。代わりに、左の拳が天希の顔面を捉えた。天希は踏み止まり、頭でその拳を押し返した。
「ぬうっ・・・!」
天希は首で拳を払うと、右の掌でスエラの腹を捉えた。
「ぼっ!」
打撃としてのダメージはスエラにとって大きくはなかった。しかし、スエラはその手にエネルギーを感じ、すぐさま飛び退いた。
「何・・・だ・・・?」
打撃とは別に、そのエネルギーはスエラの身体の芯に届いたようだった。スエラは自分の『中にいるもの』に天希が触れた事に気がついた。
「のれんに腕押しよ・・・!バカだねえ!」
スエラは右手で再び氷の刃を作り、左手で懐からヴェノム・ドリンクを取り出して口に含みつつ、突進した。刃は先ほどよりもさらに長い。
「わっ!」
頭へのダメージで一瞬気を失っていた天希の前に、氷の刃が迫った。天希は全身を翻して、刃から繰り出される連続突きを避けた。返しに右腕から炎を吹き出したが、スエラはこれも水の盾を作り防いだ。
「無駄だよ!アンタの炎は弱々しすぎる!」
スエラは氷の刃をまっすぐ投げた。刃が天希の服の左肩を捉え、壁に突き刺さった。
「わっ!」
スエラは天希の疲弊を確かめるように、ゆっくりと歩いてきた。
「それに本人は力任せのバカ・・・噛み合ってないねえ。残念だ」
スエラは左の拳を握って引き、天希の前で腰を落とした。
「さあ、決着をつけようじゃないか、すべての決着をさあ!」
スエラは叫びながら天希に向かって左の拳を突き出した。とっさの動きができない天希は目をつぶりそうになったが、スエラの顔を見た。そして、魔人の瞳のその先にあるものを。
〈天希君・・・!〉
突如、スエラの拳はスライムのように溶け出した。
「な・・・」
もはや形を失った左腕は、まるで拒否するように勢いを失い、地面にボタボタと垂れた。
「何いいいっ!」
その光景を目にした天希は、叫んだ。
「奥華アアアアアアアッ!!」
同時に、天希の身体が赤熱するように光り出した。スエラが思わず手でそれを遮ったその時、天希は左腕を大きく振り、それまで握っていた拳を開いた。スエラの巨体が浮いた。その光景を見ていた君六達には、何が起こったか分らなかった。だが、天希が何かをスエラに投げつけたように見えた。
「ガアアアアッ!」
その衝撃にスエラは痛み悶えた。氷の刃を作り反撃を試みようとしたが、その刃もまた意志に反するように溶け出してしまう。
「アアアアッ!クソガキめ!」
突然、スエラの顔の左目から涙が溢れ出した。スエラは右半分の顔を青ざめさせ、とっさに左半分の顔を押さえた。
「出てくるな・・・出てくるんじゃないよクソガキぃぃ!」
スエラは右の目で天希を見た。天希は再び左の拳を握った。指の間から赤い光が漏れ出していた。
「あんたも、レベルアップか・・・?まさか」
スエラは自らの拳を顔の左側に打ち付け、その手についた涙を氷の矢へと変え、天希に向かって飛ばした。
「おおおおっ!」
天希は踏み込んだ。氷の矢は天希の目の前で溶け、蒸発した。再び天希が左腕を振った。君六の目には、今度こそ天希の手から投げられた、赤熱する玉の軌道が見えた。スエラは咄嗟に水の盾を作り出したが、火の玉はそれすらも突き破り、スエラの体に直撃して弾けた。
「ぐああっ!」
スエラは倒れこんだ。そのうちに天希は近づいてきた。いつの間にか、スエラは左腕だけでなく、全身が熱にさらされた氷のように溶け出している事に気が付いた。
「ふざけるな!安土奥華だと!?このあたしはスエラ・フォレストだ!ヒドゥン・ドラゴナの頭領!方角連合の一・北角の・・・」
「いいじゃねえか、それで」
「・・・何?」
天希はスエラを見下ろし、スエラは天希を見上げ、互いに睨み合っていた。だが、天希はしゃがみこんだ。
「どっちかがいなくなるくらいだったら、どっちもいて仲良くしたほうがいいじゃねえか」
天希は笑顔を作った。スエラは溶けかけた身体を起こし、天希に襲いかかった。
「バカめ・・・!心底頭のイカれた・・・」
天希は立ち上がった。
「奥華!」
覆いかぶさろうとするスエラの胸に、天希は右の手を当てた。途端、スエラの全身が音を立てて泡立ち、蒸気を吹き始めた。
「ア゛ア゛アアアッ!」
「悪い、俺ができるのはここまでだ!最後の決着は・・・お前の中でつけるんだ!」
スエラは悲鳴をあげながら、全身の形を失っていった。その様を君六達は祈るように見ていた。
「ア゛ア゛アアァァ・・・」
スエラの体だったものは、完全に水となって天希に覆いかぶさった。それすらも泡を立てて蒸発していき、白い煙を吹き上げた。

壁に大きな穴を二つ開けたその広間は静かになった。カレン、君六、ドッペルはゆっくり目を開け、事の行方に目をやった。そこには、傷だらけの身体で、しかし安らかな笑顔で静かに寄りかかる奥華と、全身に水を滴らせ、奥華の身体を受け止めて支える天希の姿があった。
「た、大将・・・」
2人はまるで時が止まったように動かなかった。君六は一歩踏み出し、もう一度言った。
「大将・・・!」
すると、天希はゆっくりと君六の方に向いた。そして言った。
「戻ろうぜ」
君六は思わず泣きながら天希達のもとへ駆け寄った。
「大将〜ッ!!」
起き上がったカレンも、目に涙を浮かべながらそれに続いた。その時。
カレンの耳には確かにその音が聞こえていた。しかしもはやそちらに気を回すことなどできなかったのだ。まず、広間の壁が更に爆発し、ほとんどが破片と化した。それが床につくかつかないかのうちに、その床が裂け爆ぜた。
「うわあああっ!」
彼らの落ちる空間は、それまで何層もの床や部屋があったようだった。しかし、彼らの側から見えるとすれば、それは下から突き上げられたような床の切片の反りと、その間からはみ出した作りの悪い床板だけだったであろう。
カレンは全神経を、落ちゆく建物の破片同士の間に垣間見える、床の端に集中させた。そして上下に向かって人形を飛ばし、上の人形には壁を、下の人形には君六を掴ませた。天希の方にも人形を投げたが、寸前で届かなかった。
「天希君!」
天希は声を上げず、奥華をしっかりと抱えたまま落ちていった。その上方からドッペルが急接近してきた。
「待てええぃ!」
ドッペルはそのまま天希達を通り過ぎたかに見えたが、ドッペルは天希達と地面の間で棒状になり、床に接近する2人の勢いをクッションのように和らげた。ドッペルの身体が縮みきってマットのようになるか否かの時、天希が足を伸ばして着地した。
「おっとっと!」
着地の反動で前に倒れそうになった奥華を、天希はなんとか支えた。
「サンキュー、ドッペル」
「いいわいいわ。気を抜くのはまだ早いぞい」
そう天希は言うと、奥華を今度は背中に負ぶり、歩き出そうとした。カレンと君六も着地し、降り注ぐ建物の破片から天希達を守らんとした。その時、天希は目の前に立つ影に気が付いた。
「え・・・?」
カレンと君六もまた、背筋が凍るような気配を同じ方向から感じ取った。
「父ちゃん・・・」
天希は目を丸くして言った。目の前に立っていたのは峠口大網だった。厳格さと得体のしれなさを持つその男は、光の入らない目を細め、まっすぐに天希を見ていた。天希は息を吸うと、父親に向かって言った。
「なんだ・・・迎えに来てくれたんだ!珍しいな、父ちゃんが迎えに来てくれるなんて。嬉しいよ俺・・・」
大網の表情はピクリとも動かなかった。瓦礫が降る中、カレンは震えていた。大網が何をしに来たのかはわからない。しかし、その息子は知っているのだ。自分の父親が、自分達を助けに来るはずがないということを。この男はそんな人間ではないということを。
「なあ、父ちゃん・・・」
天希は大網の方に歩き出した。まるで疲れを思い出したかのように、その足取りは重くなっていた。
刹那、大網の腕が消えた。天希の顔に拳が入ったのだ。天希は倒れそうになったのを足で踏み堪えたが、息は乱れ、激しく動悸し始めた。その動悸をも噛み締め、天希は渾身の頭突きを父親に喰らわせようとしたが、大網は臆する様子も見せず、隙を見せた息子の後頭部に手刀を叩き込みながら足を引いた。天希は地面へと倒れ込んだ。
「と・・・う・・・ちゃ・・・」
背中の奥華はその横に転がった。大網は彼女を抱え上げ、そのままその場を去ろうとした。
「テ、テメエエエッ!」
君六が大網に向かって叫んだ。稲妻が周囲を走り、落ちてくる瓦礫がことごとく爆ぜた。しかし大網は立ち止まることも、振り向くこともせず、闇の中へと消えた。
「ま、待ちやが・・・」
頭上でひときわ大きな爆発音が聞こえた。ミサイルのようなものが通り過ぎるのが壁の穴から見えた。しかしそのいくつかは着弾したらしく、ボロボロになった塔はついに本格的に崩れ始めた。
「逃げないと・・・!」
天希は倒れたまま動かない。カレンは天希を抱え起こそうと向かった。その時、どこかから声が聞こえてきた。それは人間のものとは違う声だった。しかし聞き覚えがある。
「ドキャァ!」
瓦礫をかき分けて現れたのは、ドラゴナの群れだった。先陣を切るドラゴナの胸には『傘匠旺』の文字があった。

海賊達は、塔が崩れていくのを見ながら、頭の帰りを待っていた。やがて大網の姿が見えると、周囲は歓喜に包まれた。
「なるほど、やっぱりあの子がそうだったのね。教えてくれてありがと」
少女を抱える大網の姿を遠目に見ながら、真悠美は言った。エルデラはその横で未だに天地のわからない状態で横たわっていた。
「くそっ・・・!」
エルデラは辺りを見回した。ヒドゥン・ドラゴナの鎧を着たドラゴナ達が縄で縛られ、一箇所に集められていた。彼らは人のものとは違うが、元気のない哀しそうな声を上げていた。その光景にエルデラはそれ以上形容しがたい悔しさを覚えた。
「その子をどうするつもりだ」
海賊達が喜ぶ中を突っ切り、雷霊雲が大網の前に出てきた。その様子を見た真悠美は、すかさず彼の真後ろに飛んできた。
「あら先生、そんなに怖い顔なさらないで。この子はスエラ・フォレストなのよ?」
「何を・・・」
「エルデラちゃんが言うんだから間違いないわ。だから・・・大人しくしててもらおうかしら」
真悠美が雷霊雲のこめかみに手を伸ばした。その時、そこにいた彼らの頭の上を、巨大な鉄の塊が通り過ぎた。それに海賊達が気づいた時はすでに、雷霊雲、エルデラ、そして奥華の姿はなくなっていた。代わりに、飛び去る飛行艇の下から3つの影が伸び、それは次第に飛行艇の方へ引っ張られていった。
「逃げたぞ!」
「あなた!・・・追わないの?」
大網は険しい顔で空を眺めていた。塔の瓦礫の方では、まだ縄に縛られていないドラゴナ達が、空の彼方に消えゆく飛行艇に向かって手を振り続けていた。

「いやさあ、僕も通じるとは思ってなかったんだよね。だって言葉が分かんないし。とにかく必死に伝えようとしたんだ!そしたらポケットに入ってたんだよ、賞味期限切れのもみじまんじゅうがさ!それで伝わるとは僕だって予想外だったよ!」
可朗は壁に寄りかかり、息を切らしながらも自慢話を続けていた。天希と奥華は狭い飛行艇の床に寝かされていた。ドッペルが布団へと変化すると、まずその上にエルデラが寝かされた。雷霊雲がエルデラの額を打つと、エルデラの感覚の混乱は止まった。
「ありがとう、先生・・・」
「他にもいるんだぞ」
エルデラは布団から離れると、端に座るカレンの隣に腰を置いた。
「兄さん・・・」
カレンは安心しきった顔でエルデラの方に手を置くと、抱きつく前にそのまま眠りに落ちてしまった。エルデラもカレンに言葉を返す前に目を閉じて眠ってしまった。
「やれやれ・・・」
雷霊雲は疲れた顔で辺りを見た。君六も壁に寄りかかって寝ている。可朗もウトウトしていた。雷霊雲は飛行艇の運転席の方へ目をやった。
「燃料は一晩持つか? 」
「持たなーい」
「なら陸が見え次第着陸してくれ。できれば」
「了解ー・・・」
操縦ハンドルを握る飛王天は、ときどき不安げに後ろを、特に床で寝る奥華を見やりながら、飛行艇を運転した。
「よくこいつまで味方につけたな、可朗」
「へへ・・・そりゃあ、大網さんに怯えきってましたしね・・・こういうのを確か呉越同舟って・・・」
可朗の声はいびきに変わった。雷霊雲はため息をついて、布団の上に寝かせた奥華に目をやった。
「私もそろそろ休みたいんだがね」
「いやあ、この子らもあんたもずいぶんがんばったよ」
ドッペルが言った。雷霊雲は返事をせず、奥華の容態を確認しようとした。
「ひどい傷だな・・・ん?」
そのまま眠って動かないと思っていた天希の位置が、いつの間にか変わっていた。寝そべったから差し出された手には、奥華の帽子が握られていた。その手の先に眠る奥華本人の服は皺だらけになっていたが、帽子は汚れひとつついていなかった。
「・・・」
雷霊雲は奥華の息を確かめると、簡単な傷の対処を施し、奥華をシートに寝かせ、帽子をかぶせてやった。それから、何事か聞き取れない言葉を小さくつぶやく天希を抱え、奥華の隣に寝かせた。そして別のシートに自らの腰を下ろし、彼もまた眠りについた。

厚い雲は未だ真上にかかっていたが、遥か遠くの空からは夕焼けの色が見えていた。

デラスト 上幕 これにて完結。

第五十一話

スエラ・フォレストは水の中で禍々しく笑った。天希達は水中で身動きを取ろうとするが、思い通りに移動することもできなければ、浮き上がることもできない。水の流れは完全にスエラが掌握しているのだ。
「ガボ・・・」
最初に可朗が気を失った。エルデラやカレンは静かに敵の動きを警戒していた。
「悪い子達だね。寝かしつける手間も考えておくれよ・・・ハハハ!」
スエラは未だ空気中にいるかのごとき闊歩で近づいてきた。天希達は言葉を返すことができない。スエラはカレンの前で立ち止まった。カレンはスエラを睨んでいる。
「ねぇ?」
手の直接届かない距離で、スエラは腕をカレンの首の方へ向けた。するとカレンは首を押さえて苦しみ始めた。
「!」
エルデラが止めに入ろうとした。しかしスエラが反対の手を出し、その掌を地面に向けると、突然強い重力がかかったようにエルデラは水底に倒れ伏した。
(くそっ・・・!)
カレンはさらに首を押さえるが、その手もしだいに力がなくなっていった。エルデラは渾身の力で腕を振り上げるが、それを見逃すスエラではなかった。
「おっと・・・アンタは床に寝かせるべきじゃなかったね」
エルデラが腕を振り下ろそうとするが、スエラが掌を返すと、エルデラの体は渦巻く水流に引っ張られ、上の方に飛ばされた。下の方では、スエラの目の前でカレンが力なく浮き上がり始めていた。
(くそっ・・・くそっ!)
エルデラはコントロールの効かない今の状況を悔やんだ。そしてふと周りを見やると、天希の姿が目に入った。天希もまた息が切れたか。体を縮こめて浮いていた。縮こめて?その時。
こもった破壊音とともに壁にヒビが入り、その直後爆発が起きた。広間の暗い壁に穴が空き、晴天が露わとなった。
「な、何事!?」
空けられた穴から水が流れ出した。それに引きずられて天希達も流されそうになった。エルデラは外に投げ出される前に穴の端につかまり、それから流れてきたカレンの腕を掴んだ。
(またこれか・・・!)
エルデラは水流に向かって頭突きをするように頭を突き出していた。水流は彼に裂かれるようにして傍を流れた。エルデラは流される可朗が横切ったことに気がつかなかった。
「ん?この水・・・?」
エルデラは別のことに気が付いた。流れる水が暖かくなっている。彼の肩が空気に触れるようになった頃には、湯気が出るほどになっていた。
エルデラは水が流れきった。広間に再び乗り出し、闘いの場を改めて見やった。白い湯気が天井にまで届き見えづらかったが、そこにはなんと、敵を圧倒する君六がいた。
「ぐわあああっ!」
スエラは飛び退こうとするが、君六のデラストは彼女を逃さなかった。
「きえええええっ!」
君六は得意の張り手攻撃を重ねた。スエラは思い通りに反撃することができない。その原因は火傷にあった。
「おのれぇ・・・!」
君六の後ろから天希が現れた。床は未だ水浸しだったが、天希が一歩踏み出すごとに水蒸気が舞い上がった。
「ハアッ!」
君六が会心の張り手を繰り出すと、直撃したスエラの体に稲妻が走り、巨体が床から数センチ浮いて飛ばされた。
「ぐわああっ!」
スエラはついに床に倒れた。天希はスエラの方へ歩み寄った。
「奥華はどこだ」
スエラはガバッと顔を上げ、天希の方を睨んだ。
「なんだい、馬鹿の一つ覚えみたいに奥華奥華って!あんなガキに何の未練があるんだい!」
天希もまたスエラを睨み返した。
「『あんな』か・・・なるほど」
エルデラが天希の後ろから歩み寄った。カレンは部屋の柱の横に寝かされていた。
「変だと思ってたんだ。魔人族が2つの姿を持つってのは知ってたが、それにしちゃ見た目の年が違いすぎるってな」
その言葉を聞いたスエラの顔が、一瞬青ざめた。同時に、天希も何かの合点がいったように、驚いた顔でエルデラの方を振り向いた。
「もしかして、父ちゃんの船にあった本の・・・」
「たしかこんな話だったよな。魔人族の男が・・・」
天希はスエラの方を再び振り向こうとした。しかしスエラはその瞬間に飛び退いた。ヴェノム・ドリンクの副作用か、着地は不安定だった。
「そいつはあたしの本さね・・・アンタ達の御察し通りの事をやったのさ」
スエラは床に手をついた。しかし、その目は狂気的に天希達の方を睨み続けていた。
「あたしゃ兄弟の中で一人だけ人の姿を持たないってんでね、小さい頃からそれはそれはバカにされたもんだよ。だから・・・食ったのさ」
スエラは見せつけるように口を開け、指差した。天希達は息を飲んだ。
「書いてあっただろう?魔人族は人を丸呑みすればそいつの身体を手に入れられる。胡散臭い話だ。だがあたしはそれを成し遂げるために世界各地の魔術書にあたった。全てを知り、全ての準備を整えた」
スエラは壁の向こうの空を見、太陽の陰りゆく様に視線を注いだ。
「だが、人を食う?食うとして誰を?それに、誰にせよ人を殺すことに変わりはない。あたしにゃ抵抗があった。自分の望みに抵抗を持ったまま時が過ぎ、結婚し、子供を宿した。その子は無事産まれてきた。ちょうどその時さね」
スエラの身体の衰退が止まった。天希達は、少なくとも、そのような空気の変動を感じた。
「元気に泣き叫ぶ我が子を見て思ったのさ。どうして『これ』は自分の体から出でたのに、こんなに元気なのか。それは真っ当な人の赤ん坊だった。この先真っ当な人の形に育つ事など疑う余地もなく想像できる。若い身体を持ってね。あたしゃ心底それが気に入らなくなった。周りの人間のかける祝福、慰労の言葉など上の空だ。なにせ準備は整っていたんだからねえ」
太陽は雲に隠れて見えなくなった。それと同じくして、部屋を覆っていた水蒸気は嫌な湿り気へと変わっていった。まるでその湿度で身体を潤すかのように、スエラは気迫を取り戻していった。
「レベルアップか・・・!?」
エルデラは叫びつつ、石造りの床を踏み砕き、その破片をスエラの方へ飛ばした。天希はエルデラとは別の方向から攻撃しようと回り込んだ。スエラが再び口を開くと、前よりもさらに強力な、冷たい水柱が吐き出された。
「なっ・・・」
それはレーザービームの如くに真っ直ぐエルデラを狙い、飛んできた床石もろとも外へ突き飛ばした。水を吐き終わったスエラは余韻を感じる間も無く天希の方に向き直り、左拳による突撃をひらりとかわした。そしてさらに向かってくる君六も含めた2人を、足元から起きる巨大な水紋のような波で突き離した。そして飛ばされた天希の方へ向かい、その襟首を左腕でつかんで持ち上げた。その手は冷たかった。
「うぐ・・・」
「そうそう、あの時は左腕だけ食い損ねたね。それで呪術が失敗したのか知らないが、アイツはあたしの知らぬ間に勝手に成長していった。気付いたときにゃ、この身体の制御権はアイツに握られていた。まるで安土奥華っていう1人の中学生がいるかのような振る舞い。アイツの目で見りゃ相当平和な日々だったろうねえ。このヒドゥン・ドラゴナに関わるまでは!」
「がふっ!」
スエラは天希を地面に何度も叩きつけた。
「げはっ!ごはっ!」
「何にせよ、あたしはホームグラウンドに戻った。ゼウクロスのデラストも手に入れた・・・」
「ゼウクロスの・・・デラスト ?」
スエラは一層強く天希を壁に投げつけた。
「ぐあっ!」
「アンタには関係ないことさね。安土奥華も消えた、もうアンタ達には何もかもなくなったのさ。大人しく斃れるがいいさ」
天希は壁から地面に落ちた。しかしすぐ膝立ちになった。
「そんなわけ・・・」
天希は足を立て、同じ側の手を挙げた。
「まだ何かしようってのかい」
スエラはすかさずその手を掴んで握り、引きずり倒した。天希は顔をしかめた。
「懲りないヤツだ・・・その腕も引きちぎってやろうかね」
天希は顔を上げた。その先には君六がいた。
「大将ッ!」
君六はどうにかして助けに入ろうとしていた。しかし天希は首を横に振った。君六の後ろに曇り空が見えていた。先ほど陽が出ていた事が嘘であるかのような、分厚く暗い雲が空を覆っていた。
「うるさいおチビちゃんだねぇ、タフなのはいいが何度やっても無駄だよ、アンタの短足じゃあたしの攻撃には追いつけない」
君六は唇を噛んだ。そして、柱に横たわっているカレンの前に行き、かばうような体勢をとった。しかしスエラは興味のなさそうな視線を向けた。
「ハッ、図星かねえ」
スエラはさらに腕に力を込めた。天希は歯を食いしばった。そして炎を放とうとしたが、スエラに掴まれ固く握られた拳の中でくすぶるだけだった。
「さあ」
スエラは天希の逆の腕も掴み、その腕に全体重をかけてきた。デラストにより得られる腕力は相殺され、天希の肘の骨が悲鳴を上げた。
「くっ・・・!」
天希は力に抵抗し、目を固く閉じた。しかし、それ以上力が入る気がしなかった。諦めかけた天希は目を開いた。その時、厚い雲に覆われていた空の向こうに、一筋の陽光が見えた。その光はすぐに見えなくなったが、それに共鳴するように天希の中にあるものが、一つの抜け道を作った。
スエラの力が徐々にのしかかってくるのをスローモーションのように感じる中、彼の意識はその力に逆行するようにスエラの右腕を伝い、彼女の内部へと達した。そこには、明らかにスエラの身体・心とは違う温度を持った何か、まるで別の人間がいるような・・・
「奥華ッ!」
突如、天希の右腕が赤熱した。当然スエラはこの瞬間がある事__天希が熱攻撃を使う事を予測していた。だが、掴む腕が離れない。
「熱いいいいぃぃっ!?」
スエラは悲鳴をあげた。思わず左腕を離したスエラは、右腕を掴んで引っこ抜くように離した。同時に、天希は飛び退いてスエラの方に向いた。
「ガキが!」
天希はほくそ笑んだ。
「やっぱりそうだ・・・奥華はいなくなってなんかいねえ!ずっとそこにいる」
「ハッ、ここまで話の通じないガキだとは思わなかったよ」
スエラは手を冷ますように水をまとわりつかせた。次第にそれは剣の形へと変わった。不完全だが、刃は凍り固まっている。
「ああう・・・大将・・・」
いつの間にか弱気に戻っていた君六が、その様子を見つめていた。
「待ってろ、大丈夫だ」
天希は右手をスエラの方に向けた。左手は、炎を吹き出そうとした左手は、まだ握ったままだった。

エルデラは木の下に隠れていた。落下中に木に引っかかったのが幸いし、完全に気を失うことはなかったが、辺りの様子がおかしいことにはすぐに気付いた。爆発音は聞こえなくなったが、草の焼ける匂い、人とドラゴナの声が入り混じった罵声や悲鳴は四方からエルデラを囲んでいた。彼は目を伏せていたが、誰の仕業であるかは見当がついた。エルデラは少し顔を上げた。
「やっぱり、てめえか」
押せ引けの喧騒を気にもかけず、まっすぐこちらに歩いてくる影があった。エルデラは立ち上がり、見慣れたその男の前に自ら立ちはだかった。
「久しぶりじゃねえかよ、大網・・・!」
だが当の大網は、その言葉どころかエルデラが現れた事にすらピクリともしない。大網はそのまま歩いてくる。そして、まるで稲穂を掻き分けるように、わずかな力でエルデラはその場をどかされた。
「おい・・・!」
エルデラは振り返った。大網の背中は離れていく。エルデラはあっけなさと、自分が見せた凄みのくだらなさを感じた。が、相手は間違いなく悪人。エルデラは思い直し、大網を追った。
「大網!何をしに来・・・」
大網の襟をつかもうと迫った瞬間、エルデラは全身の揺らぎを感じた。方向感覚がなくなり、エルデラは意識だけはあるままその場に倒れた。
「おい!待て大網!待て!」
エルデラはどちらに叫んでいいのか、そもそも自分がどこに向かって叫んでいるのかわからなかった。それは昔、はじめて大網の船に乗った時の船酔いを思い出させたが、それよりも遥かに悪い状態だった。彼がやっとのことで視線の先に捉えた大網は、相変わらずまっすぐに歩いていた。途中、腕を振る動作が見え、それと同時に爆発音も聞こえたが、エルデラは小さくなる大網から目を離せなかった。
「おい・・・!おぉい・・・!」

第五十話

「奥華・・・?」

天希はそれ以上前に進まなかった。広間の冷たい壁と、今自分の目の前にいる少女が同じ色に見えた。

「・・・ごめん」

奥華は非常に聞き取りづらい声でつぶやいた。皆思わず耳を前に乗り出した。

「ごめん・・・みんな・・・」

奥華はゆっくりと顔を上げた。その様子に一同は声を上げずに驚いた。顔を上げた奥華は確かに大粒の涙を流して泣いていた。泣いていたのだ。しかし、その目には光がなかった。悲しさの涙でも、うれしさの涙でもない。嗚咽するでもなく、顔を歪ませて涙を流しながら、自分達の方を見つめ続ける一人の少女を前にして、彼らは不気味な緊張感を感じ、動けずにいた。

(・・・?これはどういうことなんだ・・・?)

可朗は眉をひそめた。本来ならば束の間のピンチを乗り越えて再開したことを喜びたいところだが、向こうがその様子でない。それどころか、最悪の事態すら予感させる。

(警告・・・?)

最後列にいる可朗は顔を上げて再び前の方を見た。すると天希が緊張を破って奥華に近づかんとするところだった。

「一体何があったんだよ、奥・・・」

天希は困惑しながらも、自分の仲間に手を伸ばした。それを見る可朗は非常に嫌な予感を感じていた。

「待て、天希っ!」

その時、一瞬だけ奥華の身体が弾け飛んだように見え、だがその次には彼女の帽子が宙を舞う以外に一切の痕跡なく、彼女の姿は消えていた。

「えっ!?」

天希は床に落ちる帽子を慌てて拾うと、状況判断のつかぬまま、叫んだ可朗の方に振り向いた。巨大な影が目に入った。

「エルデラ!」

「え?」

次の瞬間、エルデラは壁にめり込んでいた。張り手によって壁まで突き飛ばされたのだ。巨大な手によって。

カレンと君六が異変を察知し、天希の方へ飛びのいた時には、可朗が蹴りの餌食となっていた。彼もまた一発の蹴りで近くの壁に叩きつけられた。

「何事でい!?」

君六が叫んだ。カレンもまた自分がさっきまでいた方に目をやり、そして驚きに見開いた。魔人族。

「誰だ?」

天希が一歩踏み出し、叫んだ。2mを越す背と、禍々しくしなやかな肉体を持ったその魔人は、3人を見下ろしながら、歩いてきた。

「クフフフフ。ようこそ、ヒドゥン・ドラゴナへ」

魔人はゆっくりと、やや嗄れた中年女性の声で言った。天希達は戦闘態勢を解かなかった。魔人はカレンの顔を見た。

「久しぶりだねえ。ずいぶん大きくなったじゃないか。え?あの弱虫のクソ弟の子供が、こんな所まであたしを邪魔しにくるなんてのは予想外だったよ」

彼女はエルデラの方をちらっと見てから、忌々しげにまた3人を見下ろした。

「あなたは一体・・・?」

「覚えてないかしらね?スエラ・フォレスト。ここヒドゥン・ドラゴナの頭領・・・そして何を隠そう、あんたの親父の姉さ」

スエラはそう言ってカレンに笑顔を見せた。侮蔑を含んだ笑顔だった。

「奥華をどこにやった!」

天希が一歩乗り出した。スエラは天希の顔を見てケタケタと笑い出した。

「大網の息子かい。あいつと違ってずいぶんとうるさいんだねえ。なに?奥華ぁ?それってのは・・・」

スエラは手を上に伸ばした。すると天希達の足元に水が渦巻いた。カレンは再び飛び退こうとしたが、水に足をすくわれタイミングを失った。三人は高くなる水の柱に閉じ込められた。

「こんな技を使うヤツだったかしら!?」

スエラは手を振り下ろした。水の柱は弾け、三人は地面に叩きつけられた。

「奥華・・・?」

天希はゆっくり立ち上がった。

「アハハハハハハハ!あたしだよ!」

スエラは再び強烈な蹴りを放った。天希に直撃し、天希は吹き飛ばされた。

「ハッ!安土奥華なんていうガキはいないよ。最初っからあたしだったのさ」

そう言ってスエラは振り向いた。目の前に飛び上がった君六の張り手が迫っていた。

「チッ、小癪・・・!」

「ウラァ!」

張り手が当たる瞬間、スエラは身体を水のように軟化させて攻撃を躱した。着地した君六は振り向いて追撃しようとしたが、足元から水が噴き出し、吹き飛ばされた。満足げな顔をするスエラの腕に糸が絡みついた。糸の先にはカレンがいた。

「あなたは・・・!」

カレンはスエラを睨んだ。スエラはまた笑った。

「町をドラゴナ共に襲わせた時もそうだよ。あんたらのマヌケ親父はね。なんにも考えてない。おかげで部下にしてやったはいいがあんたらにゃあっさりと負けたし、勝手こいて帰らなくなった」

スエラは腕を引いた。カレンはいともあっさりと引きに負け、身体を宙に放られた。同時にスエラはかかとを振り上げた。

「で!?」

スエラはかかとを振り下ろした。空中にいたカレンは足に捉えられ、地面とかかとに勢い良く挟まれた。床の一部が砕け散った。

「あたしにゃ何をしてくれるって言うんだい」

「倒す」

その声は後ろから聞こえた。エルデラだった。

「俺の家族を、親父を、俺達の一族を苦しめたお前を、俺は許さん!」

エルデラは両の手の人差し指と中指を、刀を構えるようにして型を作り、スエラに接近した。スエラは臆する様子もなくエルデラの真正面めがけて右の拳を突き出した。だが拳の動きと歯車で接しているかのようにエルデラの両腕は動き、拳の正面を4本の指で突いた。

「!?」

スエラは飛び退いた。あと少し踏み込もうものなら、手の骨が砕かれていたかもしれない。エルデラはゆっくりと両手を定位置に戻した。

「なるほどねえ」

スエラはさらに向かってくるエルデラをよそに周囲を見回した。君六もまた彼女の方へ向かってくる。

「ハハ、あんたたち2人はタフだね!潰しがいがある!」

スエラは懐から何か細長いものをふたつ取り出した。それをそれぞれの手で二人の方に弾いた。エルデラ、君六はそれをたやすく破砕し、さらに突き進もうとした。

「うっ!?」

エルデラは怯んだ。その隙をスエラは見逃さなかった。掌からホースのように激しい水流を噴き出し、エルデラの全身を打った。エルデラは声もあげられずに再び吹き飛ばされた。反対側の君六は怯んだ隙に水の柱に捕らわれ、もがいていた。

「クフフ、坊や達にゃ刺激が強かったかい」

スエラは細長い棒、すなわち特殊な線香をさらに取り出し、ライターで火をつけ、足元に置いた。その刺激臭にはその部屋にいる全員が気づいた。

可朗はその臭いによって朦朧としていた意識を少し取り戻した。さっきまでわずかに聞こえていた会話を頭の中で整理しようとした。

「奥華・・・?奥華がスエラ・フォレストだったのか・・・?でもそんな・・・」

可朗は奥華の今までの振る舞いを思い出していた。背の小さいながら、彼女に蹴られ殴られてきた記憶はあった。彼女が天希を見るときの目も、彼は何故か覚えていた。

「違う、それは違う・・・」

そして今のスエラ・フォレストの方に目を向けた。あれは奥華じゃない。まるで魔女だ。何かにかこつけて自分達を騙そうとしている。

「まやかしだ・・・!」

壁から逆さまに剥がれ落ちたままの体勢で、可朗は叫んだ。それに共鳴するかのごとく、天希も叫んだ。

「まやかしだ!」

天希は頭の整理がつかなかったが、目の前にいる敵が、今まで共にいた友達を亡き者にしようとしている事は、彼にとって紛れも無い事実だった。彼は踏み出した。

「喰らえっ!」

天希は掌を突き出した。炎の槍がスエラめがけて伸びた。対するスエラは腕を振った。指の間から流れ出る水が尾を引き、彼女が腕を回転させるとそれは水の盾のようになり、炎を受け止めた。

「ハハハハハ、言ったじゃないか。安土奥華なんていう人間はいない。それこそまやかし、いや、あんたたちが勝手に見ていた幻だったのさ」

「違う!」

「何が違うってぇ!?」

スエラが腕を振り払うと、水の盾は矢に変化し、炎を突き破りながら天希の身体を次々に打った。

「ぐあああああっ!」

しかし天希は踏みとどまった。水の矢が尽きた瞬間、天希は再びスエラの方に突っ込んできた。

「無駄だねぇ!」

飛び上がる天希にスエラは裏拳を喰らわせた。天希は吹き飛んだはずだった。では自分の顔に今、炎の鉄拳を喰らわせたのは?

「あ゛ッ!?」

天希は確かにその瞬間、スエラの裏拳を『かわして』、代わりに拳を喰らわせていた。裏拳を喰らった方、つまりドッペルは壁に、叩きつけられながらも、くずれた顔で叫んだ。

「いいぞ!そんなヤツ、や、やっちまえ〜!」

天希はスエラの目の前で着地した。

「こ・・・の・・・ガキが!」

見回すまでもなく、スエラはカレン、エルデラ、可朗、君六にも囲まれている事に気がついた。しかし彼女は劣勢を感じることはなかった。足元の線香はまだ灯っている。

「奥華を返してもらうぞ」

スエラは懐から何かを取り出した。天希は飛び退いたが、彼女が持っていたのは液体の入った小さなビンだった。カレンとエルデラの顔が青くなった。

「ヴェノム・ドリンク・・・!」

双子は止めに入ろうとした。スエラは大ジャンプでその場から退いた。液体はビンから飛び出たが、まるで意志を持ったように宙を泳ぎ、スエラの口へ入っていった。

「やめろっ!」

スエラは液を飲み、満悦の顔で彼らを見た。

「若いの5人相手するには疲れるんでね」

「ふざけるな・・・!」

エルデラが構えながら飛びかかった。スエラはビンを握った体勢からピクリとも動かなかった。しかし、予想外の方向から噴き出した水の柱はエルデラを捉えた。

「ふん!」

スエラが両手を地面に打つと、広間は一瞬にして水で満たされた。スエラの声が水の中に響いた。

「そろそろ・・・子供達はお眠の時間かねえ・・・」

第四十九話

カレンは目を開いた。自分が床に倒れているのには気がついた。しかし、まるで荒波に晒されたように体の感覚はうねりを続けていて、周りの様子が掴めない。
「くおっ・・・!」
可朗はドラゴナ達の接近を阻んでいた。狭い廊下を前後から包囲されるも、可朗は必死に蔦を巡らせ、攻撃に抵抗していた。可朗もまた感覚が混濁しているらしく、蔦の動きは不安定だった。
「やめろ・・・!」
1人のドラゴナが爪を使って蔦を切り裂き、可朗の守っているエリアに入ろうとすると、可朗は蔦を操り、そのドラゴナの足をなんとかすくった。しかし、その集中が他のドラゴナ達の事を忘れさせた。隙ができたと見るや、ドラゴナ達は一斉になだれ込んだ。可朗はまだその状況を把握しきれているわけではない。
「あ・・・?」
ドラゴナのうち1人の持つ槍が、可朗の肩口を切った。可朗はそれに気づき、無謀にもドラゴナ達に突っ込んで行こうとしたが、顔面に拳を喰らい、眼鏡を飛ばしながら倒れた。
1人はその横に倒れているカレンの襟を掴んで持ち上げ、連れて行こうとした。
「ヴ?」
そのドラゴナは転倒しかけた。足に蔦が絡まったのだ。彼は怒りながら可朗の方へ行って、頭を持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。
「ぶっ」
それから何度も可朗の顔を殴りつけた。可朗は朦朧とする意識の中で考えていた。
「何か・・・何かしなくちゃ・・・こいつらを・・・」
可朗は左手をクイッと上げた。それと同時に、廊下に広がっていた蔦がシュルシュルと可朗の手に収まり、ドラゴナ達は転びかけたが、それらはドラゴナ達への挑発にしかならなかった。可朗は殴られ続ける。
一方、カレンはドラゴナ達が近くにいることに気づいていた。しかしそれは彼女の恐怖ばかりを助長させ、そのまま縮こまっていた。
「また・・・また私たちは・・・!」
彼女は自分がこうなる前の瞬間の出来事を頭の中で繰り返していた。迫り来る波。バキバキと崩れていく周りの壁。9年前、同じ波がやってきて家族を引き裂いた。ついにその波に呑まれたカレンは、今度は自分という人間が引き裂かれ、今バラバラになっているという幻覚すら覚えた。
「お父さん・・・お母さん・・・兄さん・・・!」
カレンの頭の中で、ドラゴナの作り出した波の迫り来る光景が繰り返される中で、カレンは母親の姿を思い出した。先ほどではなく、9年前のその日の光景。久しぶりに一家四人が揃い、次の日のお出かけの話をしていた時だったか。母は、アルマ・バルレンはその時、なぜか壁を見つめていた。当時のカレンは母の様子が変だとは気づいていたが、それよりも楽しい話をしたかった。『波』が来たのはその直後。再び彼女の頭の中はその波で埋め尽くされた。
「待って・・・待ってお母さん・・・!」
カレンは心の中で叫んだ。それがカレンが母を見た最後の光景だったのだ。
『待って?』
彼女の中にあるものは、もはやその波で埋め尽くされてしまった、そう感じた矢先だった。再び9年前、波が家を襲う直前、そして最中の光景。母は壁を見ていたか。その波が来て、何も見えなくなるまで母はずっと壁の方を見ていただけだったか?否。
「待っ・・・」
カレンは気付いた。母は壁が崩れた時、その方向へ飛び込んだのだ。まるで荒波巻く海の彼方に見える灯台のごとく、その一瞬は、カレンの意識に訴え続けた。
「お母さん・・・お母さんは・・・!」
カレンは目を見開いた。ドラゴナ達の足音が聞こえ、自分は大柄なドラゴナに背負われているところだった。カレンは片手を少し上げた。その手に人形が形作られる。カレン自身の未だ回復せぬ感覚を表すかのように、その形、そしてその人形の顔に書かれた『波』の漢字はグニャグニャだった。カレンはその漢字を見て一瞬戸惑いながらも、その人形に自分のこめかみを打たせた。瞬間、カレンの頭に、そして全身に、彼女の中の歪みを打ち消すような波が広がった。感覚は嘘のように元に戻った。人形の形は五体整然としたものに変化した。
続いてカレンは自分を背負うドラゴナのこめかみにあたる部分を人形に打たせた。そのドラゴナはその場に一瞬で崩れ落ちた。それが周りのドラゴナへの合図だった。
「ウオオッ!?」
ドラゴナ達は異変に気づき、一斉に武器を構えた。凛として着地したカレンは、その場にいた全ドラゴナを見やるやいなや、自らの手の中に同じ数の人形を作り出し、それぞれに向かって投げた。それらの顔には『波』の漢字が書かれていた。
「波動!」
カレンは叫んだ。それと同時に人形達は形を変えた。手のひらに収まる大きさだった人形達は次第に人の大きさになり、また峠口真悠美によく似た姿になった。人形達はそれぞれ、対峙するドラゴナの頭めがけて手を伸ばした。うち二つはドラゴナに攻撃を繰り出させる間もなく眠らせた。
「グエエエエ!」
他のドラゴナ達は抵抗した。その隙にカレンは放り出された可朗の方へ駆け寄り、彼の両のこめかみに人差し指を当てた。すると、それまで力の抜けていた可朗の顔は急に覇気を取り戻し、すぐに起き上がった。そして入れ替わるようにカレンはその場に倒れこんだ。
「あれ・・・?」
可朗が目を開くと、目の前でドラゴナ達が人形と交戦していた。実際、それ以上ドラゴナを眠らせた人形は出なかった。ドラゴナ達は人形を打ち負かすと、立ち上がる可朗に向かって突進してきた。妙な爽快感を覚える可朗は、迫り来るドラゴナ達の動きがいつもより遅く感じていた。
「これは・・・!」
可朗は腕を荊の鞭に変化させ、前方めがけて打ち付けた。その威力はドラゴナの持つ武器を弾き飛ばし、ダメージを与えた。それでも槍を向けて突っ込んでくるドラゴナには、丸太で突き返した。お世辞にも切れ味の良いとは言えない槍は丸太の力に負け、貧弱な柄は折れてしまった。可朗は体と頭の循環がはるかに良くなっている事を感じていた。
「今なら、あれもできるか・・・!」
狼狽するドラゴナ達の前で、可朗は鷲掴みのような格好で両手を空に突き出した。すると、木で出来たドラゴナ達の槍の柄から芽が飛び出し、成長してドラゴナ達の腕の自由を奪った。
「グヌッ!?」
可朗が腕をゆっくりと上に上げると、さらに芽は成長し、やがて木肌を作りながらドラゴナ達の体を完全にホールドした。
「グアアアー!」
可朗は手を下ろすと、倒れているカレンに気づき、抱え起こした。
「カ、カレンちゃん、大丈夫・・・?」
カレンは自力で立ち上がると、やや疲れた表情で可朗に笑いかけた。
「大丈夫です・・・やっぱり、母は強し、ですね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。奥華ちゃんは・・・?」
カレンが訊ねると、可朗は目をそらしてやや悔しそうな表情をした。
「あの攻撃の時・・・奥華だけ連れて行かれた。あっちの方向だ」
それから可朗とカレンは廊下を走って行き、階段を上っていった。その間もカレンは、自分の母の最後の姿を頭の中で繰り返していた。
(お母さんはあの先へ行ったんだ・・・あの波の先へ・・・!)
奥華の身を案じるゆえか、二人の足取りはさらに早くなっていった。
(お母さんは私達を助けようとしたのかもしれない。もしそうなら・・・今度は私が波に飛び込む番です!)

可朗とカレンが階段を登りきった時、目の前には巨漢なドラゴナが待ち構えていた。二人が戦闘態勢を取ろうとした時、そのドラゴナは前に倒れ込み、地面に伏した。
「しぇいっ!」
その背後からは君六が勝ち誇ったように声を上げた。そのさらに奥には天希とエルデラの姿もあった。
「兄さん!」
カレンはエルデラの方に駆け寄った。しかし、その途中で足を止めた。再会の嬉しさを味わっている暇などないと考えたからだ。
「無事だったか」
エルデラはそれだけ言った。カレンは前より大人びた表情で、無言で頷いた。
「よーう、可朗ー!」
天希もまた可朗の方に駆け寄ったが、馴れ合いは避けた。
「奥華は?」
「・・・ごめん。連れ去られてしまった。こっちに来なかったか?」
「いいや。でも上に連れて行かれたってことはつまり・・・」
天希はその長い廊下を逆走し、巨大な扉の前で立ち止まった。
「ここみたいだぜ」
他の皆も扉の方へ来た。周囲を見渡すと、その扉から廊下全体は、今までの塔の廊下とは違い、高貴かつ妖しい雰囲気を漂わせていた。天希は暗い真鍮の扉に手をかけた。巨大な扉はゆっくりと開き、書斎のような部屋の様子を露わにした。
「これは・・・?」
その部屋に人の気配はなく、すぐ先にもう一つ同じような扉があった。両の壁には古い本がぎっしりと詰まっており、机の上に下に紙や得体の知れぬ液体の入った瓶、誰のものかもわからぬ頭蓋骨などが散乱していた。天希はすぐに次の扉に手をかけたが、可朗やカレン、エルデラは部屋の様子が気になった。化粧台。壁に掛けられたコートや帽子。それらは埃をかぶっていた。床は高級そうな模様付きの赤い絨毯。シャンデリアの光により天井は黄色く見えた。カレンは棚の上にあった一つの写真に目がいった。
「いくぞ」
エルデラに促されて、カレンは扉の方に向かった。さっきの写真には父アビスに似た人物が写っていたのは確かだった。
天希が扉を開けた。そこは前の部屋とはうって変わって、氷を思わせるような冷たい色をした広間だった。家具のようなものはなく、奥には玉座のような大きな椅子が見えた。しかし、彼らの目に留まったのは、その手前に立つ人物だった。
「奥華!」
まず天希が叫び、走って前に出た。奥華の立っているところまではやや距離があった。
「奥華!無事だったんだな!」
可朗達も最初は安堵の表情を見せた。しかし、天希が呼びかけても奥華は俯いたまま返事をしない。天希は次第に足のペースを遅めた。皆が怪訝な表情を見せ始めた。何かがおかしい。
「・・・奥華・・・?」

第四十八話

天希はエルデラに助けられた。天希を追っていたドラゴナ達は、エルデラに崩され粉々になった階段とともに落下していった。
「サ、サンキュー、エルデ・・・」
天希は口をつぐんだ。エルデラの顔に隠しきれていない憤怒の表情があったからだ。
「どうしたんだ?」
するとエルデラは片手を顔に当て、やや天希の視線を遮るような格好をしながら答えた。
「いや、何も。何か俺の顔についているか?」
「そうじゃねえけど・・・」
エルデラの後ろには君六がいた。階段の崩壊音から耳を塞ぎ、縮こまっていた。
「ならいい。さっさとここのボスにケリをつけに行くぞ」
エルデラは素早く踵を返し、歩き始めた。
「なんだよ、どうしたんだあいつ・・・?」
天希は崩れた床の方を振り向いた。よく見ると断面の端につかまるドラゴナが1人いた。天希は迷わず崩れた床穴の方に寄り、そのドラゴナの腕を掴んで引き上げようとした。その時、わずか数十秒前に階段のあった空間のはるか下、ドラゴナ達の混乱する姿があった。こちらを見上げる者、階段の瓦礫をどける者、瓦礫の下で苦しむ者・・・それらが天希の目には見えたのだ。天希は掴んでいるドラゴナを引っ張り上げた。そのドラゴナは真っ先に天希を攻撃したが、天希はそれも知らずにひらりとその場を避け、飛び降りていた。
「ドッペル!」
「な!?」
ドッペルは何を求められたのかわからなかったが、まず床の断面につかまった。そして天希の胴をつかみ、バンジージャンプの紐のように天希と断面とをつないだ。
「ひえっ、また無茶振りかいな・・・!」
地面い近づくと、天希は瓦礫の一つに手をかけた。デラストの力で自分より重い物を持つという使い方には不慣れだったが、天希はドラゴナのいない方へ瓦礫を投げ飛ばした。
「せいっ!」
周囲に集まったドラゴナは唖然としていた。まず敵が上から突然現れたこと。そしてその敵__のはずのもの__が、瓦礫に埋まる味方達を次々と、しかも正確に助けだしていること。彼らにはこの状況がきわめて異質なものに見えた。天希はこれ以上埋まっているドラゴナがいない事を熱で確認すると、自分を見ているドラゴナ達の方を見た。
「えーっと・・・お前ら!今度会ったときはサシでやろうな!」
一瞬の沈黙の後、ドラゴナ達は声を上げて武器を構え、天希に向かって猛突進してきた。しかしドッペルの体が縮み、天希は上へ引っ張られていった。
「残りはそっちでやってくれよ〜!」
天希は再び階上に着地した。ドラゴナと君六の姿がない。代わりに廊下の向こうから戦闘音が聞こえる。天希はそちらに向かって走り出した。

可朗、奥華、カレンの3人は、塔の外壁を上っていた。塔の壁で育ったツタが塔の高低階を繋いでいた。それも可朗の手にかかれば格好の足場だった。
「エレベーターってわけにはいかないからね・・・くれぐれも足場には気をつけて。落ちてもすぐ拾えないかも・・・」
可朗は自分とカレンの腰にツタを巻かせ、ゆっくりと壁を上っていた。奥華はカレンの背中に乗り、これもまたツタで固定されていた。
「どうかな、カレンちゃん?」
「上の方は風が強いようで・・・」
「そりゃあね・・・」
壁を登り始める前、カレンは塔の高い場所めがけて糸付きの人形を投げ、巻き上げて一気に上の階まで行こうとした。しかし人形はあさっての方向へ飛び、カレンはあやうく塔の窓から落下しそうになったのだ。
「奴らは来てる?」
奥華は下を見た。塔下の光景にも見覚えがあったが、それは言わなかった。
「大丈夫みたい」
奥華は覇気のない声で言った。可朗にぎりぎり聞こえる声だった。彼女はずっと帽子を押さえていた。
「上からツタを切られたら?」
カレンが言った。
「大丈夫さ、ツタはたくさん伸びてる。そっちを操れば切られてもすぐ結べる」
「では、上から敵が降りてきたら?」
「ツタでどうにかする。でも人数が多いと危ないかも・・・」
やがて窓のひとつにたどり着いた。可朗はパンチで割ろうとしたが、思ったより威力が出ず、苦戦した。
「イテテ・・・」
そうこうしているうちにカレンが追いついた。カレンが窓に手を当てると、窓は勢いよく吹き飛び、3人も反対側へ投げ出されそうになった。
「うわーっ!」
振り子のように戻ってきたカレンは塔の中へ着地し、可朗もそれに続いて着地失敗した。
「い、今のは・・・?」
「父さんの技、です!」
カレンは可朗の顔を見て微笑んだ。そして前の空間に向き直った。埃だらけの部屋だった。
「だれもいないみたいですね」
「ゲホッ、使われてないのかな」
可朗は改めて物音に気を遣いながら、ドアの方へ向かった。ドアの外からは声は聞こえない。
「行こう」
可朗はゆっくりとドアを開き、周りを確認しながらカレンと奥華を待ち、2人が出るとドアを閉めた。廊下は不自然なくらい静かだった。
「・・・やっぱりそうだ、この塔はほとんど無計画に作られてる。行き当たりばったりって感じだ」
可朗は妙にデコボコした天井を眺めながら言った。カレンは警戒を緩めなかった。三人が廊下を進もうとしたその時、天井が突然剥がれ、三人の背後にドラゴナ達が着地した。
「しまった!」
降りてきたドラゴナ達はみな屈強だった。可朗達は腕を後ろに回され、拘束された。
「モウ、暴れるのは、よしな」
ドラゴナの一人がつたない発音で言った。
「言葉を・・・?」
しかしカレンは大人しくなかった。いつ仕掛けたか、カレンの足元から伸びた糸が張り、カレンを回転させながら巻き上げた。予測できない突然の動きに怯んだドラゴナの拘束をカレンは素早く解いて退き、床めがけて「波」の文字が入った人形を叩きつけた。それと同時に床が大きく揺れ、他のドラゴナ達にも隙ができた。可朗は状況を判断して素早くカレンの側に退き、奥華はカレンが投げた人形に捕まって巻き上げられた。
「チクショー・・・」
ドラゴナ達を挟んで反対側の廊下から、増援のドラゴナ達が現れた。カレンは身構えた。その時、前方にいた一人のドラゴナが何かに気付き、カレンの顔を見た。
「お前、お前か。覚えてるぞ」
「え・・・?」
「見た。小さいお前を」
カレンは最初、相手が何を言っているかわからなかった。しかし彼女は気づいてしまった。目の前にいる相手が、その生き物が、以前にも自分の目の前に現れたことを。そして、その日の光景は彼らの向こう側に見えた。
「カレンちゃん・・・?」
カレンは震えだした。目の前の光景に釘付けになっている。可朗は嫌な予感がした。まずカレンをゆすって正気に戻そうともした。それよりまず、この状況にすら目を向けずに佇む奥華を庇うことも考えた。そうしているうちに、ドラゴナ達は迫ってきた。飛び上がってはその質量を前下にぶつける攻撃群が津波のように押し寄せてくる。その波はもはや人間には不可能な動きだった。もはや目の前には個々のドラゴナの存在は感じられない。波そのものだった。カレンはあの日、自分の家を、家族をバラバラにした謎の波を思い出していた。いや、思い出すまでもない。今、その時と全く同じ光景が目の前にあるのだから。

「クアッ!」
ちょうどこの時、エルデラもまたシンクロニシティの如く同じ日の光景を頭に浮かべていた。
「もういいだろ、エルデラ!」
天希の声はエルデラの耳には届かない。まるで人相が変わったかの如く、すでに戦意を失ったドラゴナをいたぶるように攻撃し続けていた。
「お前達か・・・!お前達か・・・!」
「やめろって!」
天希は止めに入った。エルデラの天希を睨みつけるその目は鋭く、天希もまたその眼光を遮るようにして顔をしかめた。しかしすぐ目を開き、エルデラの顔をまっすぐ見て言った。
「どうしたんだよ」
だがエルデラの目は天希の背中より向こうへ逸れた。こちらへ向かってくるのは、彼らのいる廊下を轟音とともに埋めていく、得体の知れない波だった。エルデラは天希を払いのけると、その波に向かって踏み出した。
「おい・・・」
天希には初めて見るその奇妙な波よりも、それに向かっていくエルデラの姿が目に留まった。それは、エルデラの目の前に、迫り来る波よりもさらに手前に、見えない壁があるように感じさせた。そして、エルデラは確かにその壁を破った。天希にはそう見えた。
「あああああああ!」
エルデラはその波の真ん中めがけて、二本指を突き出した。波はバラバラになり、その波を作っていたドラゴナ達は壁に床に天井に叩きつけられた。
「お・・・」
エルデラは何かを叫びかけた。しかし彼は息を喉に詰まらせるようにしてそれを止め、唾を飲んだ。そしてまた倒れこんだドラゴナ一人の首根っこを掴み、地面に叩きつけた。他のドラゴナはまだ立ち上がり切らない。
「おい!」
天希はエルデラの肩をつかんだ。
「何だ・・・」
「ちょっとやりすぎだぜ」
「やりすぎ?」
エルデラは天希の手を振り払いながら振り向き、天希の顔を睨んだ。
「俺は敵を確実に倒していっているだけだ。お前はそれに何か文句があるのか」
「ある!そもそもエルデラ、お前そんな奴だっ・・・」
エルデラは腕をしならせ、天希の眉間に二本指を突き出した。エルデラの指は剃刀が通るか通らないかの距離で、まるでアニメのように反動なく静止した。
「いいか天希、俺達家族をバラバラにしたのはこいつらだ、俺が親父やカレンと離れ離れになったのは、こいつらのせいだ」
「・・・っ」
エルデラの顔が憤怒を見せていた。もはや隠す事をしなかった。
「俺はあの頃から感じていた。お袋も親父も自分の俺達を幸せにするために努力していた。俺達に本当の姿を隠して、普通の家庭にしようと努めていた。実際にそれで幸せだったんだ。だから俺は許さない。だから報復する、俺達家族の幸せを奪ったやつに!」
「じゃあ誰なんだよそいつは!」
天希が叫んだ。エルデラは目を見開いた。
「誰・・・?」
「この塔の中にも外にも、こいつらいっぱいいるじゃん。お前の家族をバラバラにしたってのは、こいつらの中の誰なんだよ?」
エルデラは顔をしかめた。
「そんな事どうでもいい、『こいつら』で間違いない、この組織で間違いないんだよ!何故お前は敵の心配なんかするんだ!?」
「だってこいつらだって家族がいた方が幸せだろ」
エルデラは耳を疑った。こいつらに?魔人族と違う、明らかに人ならざるこいつらに?家族がいる?幸せがある?エルデラにはそれが全く想像できなかった。
「とにかく上に行こうぜ。この組織が悪いってんなら、そのボス会いに行こうじゃねえか」
天希は笑顔を見せた。エルデラは無言で同意を示し、君六と共に上の階に向かった。

「う・・・」
奥華は起き上がった。あの波の激しい音は止んでいた。一体何が起きたのか。可朗やカレンの声も聞こえない。奥華は辺りを見まわそうとして顔を上げた瞬間、息を呑んだ。
「・・・っ」
廊下の左右に、ドラゴナ達が綺麗に列をなして並んでいる。まるで奥華を迎えるかのように、その視線はすべて彼女に注がれていた。奥華は恐怖したが、すぐにこのドラゴナ達が自分に対する敵意を持っていないことに気がついた。むしろそれが不気味だった。
「な・・・何?何なの・・・?」
奥華は呟いた。訴えるような目でドラゴナ達を見たが、ドラゴナ達は互いに目を合わせるだけで返事は返ってこない。
「可朗は?ネロっちは?天希君は?」
するとドラゴナ達は一斉に廊下の向こうへ視線をやった。奥華もそちらを見た。廊下の向こうから誰かがやってくるのが見えた。その2メートル近い長身細身のドラゴナは、奥華の目の前まで来ると、全身を屈めて頭を下げた。
「お帰りなさいませ。スエラ・フォレスト様」
スエラ・フォレスト?奥華には聞き慣れない名前だった。自分の事を言っているのか?奥華は不安と疑問で何も返事が出来ずにいた。しかし、次の瞬間、突然の頭痛が襲った。
「うっ」
そしてそう思った時には、自分の意思に反した言葉が、自分のものとは思えぬ声が口をついて出ていた。
「留守番ご苦労、我が僕」
自分は何を言っている?奥華は謎の不安に身を毟られるようだった。その次の瞬間には目の前の光景が紫の雲によってかき消えた。そしてまた頭痛が襲った。この光景は現実ではない。
「何これ・・・?何なのこれ・・・!?」
奥華は頭を押さえた。並ぶドラゴナ達はその様子を見て隊を乱し始めたが、長身のドラゴナが制した。その光景は奥華の眼中にはなかった。
〈ハハハ、ハハハハハ!〉
頭痛と共に、誰かの笑い声が奥華の頭の中に響いた。
「誰・・・!?」
〈全くやってくれるねえ、大網のガキも!あのダメ弟やボケ老人もうまく立ち回れるようにしてやったのに、所詮あの程度かい・・・〉
「誰なの!?」
奥華は頭の中で叫んだ。
〈んー?何を言うんだい、あんたはアタシじゃないか。あんたはスエラ・フォレスト、だからアタシはスエラ・フォレスト。分かるでしょ?〉
「違うよ・・・!あたしは奥華だよ!安土奥華・・・!」
〈安土、奥華・・・クッハハハハハ!〉
声は笑った。その禍々しい笑いは奥華の頭痛を加速させた。
〈さぞ嬉しいだろうねえ、お友達に一人の人間として認められて、仲良くしてもらえて!好きな男もできて、普通の中学生満喫かい?〉
紫の雲の間から、二つの巨大な目玉が現れた。奥華は金縛りにあったようにその目を見て動かなくなった。
〈じゃあ教えてあげようじゃないの。この身体の主はアタシ、アタシはあんたであり、あんたは西角、ヒドゥン・ドラゴナ最高幹部、スエラ・フォレストなんだよ。つまり!安土奥華なんていう人間はこの世にいない!〉
その声は天のそこかしこで鳴る雷鳴のように奥華の頭を揺さぶった。
「いない?いる!ここに!あたしはここにいる!あたしは」
〈うるさいガキだねえ。いないんだよ。そもそも安土奥華なんていう人間は最初っからいなかったんだよ。どこにも〉
突然、頭痛が治まった。しかし奥華は考える力を失っていた。
「いなかった・・・?」
〈憐れだねえ。あんたのお友達は安土奥華とかいう幻覚をずっと見ていたのさ。あんたはそれにつられて自分が安土奥華だと思い込んだ。あるいは逆かもしれないねえ。あんたがお友達にホラを吹き込んで回ったんじゃないかい〉
「あたしが・・・?みんなに・・・?」
〈どうしてそれに誰も気づかないかねえ。あんたの身なりは、どう見たってこの世ならざるものじゃないか。え?〉
その目玉は奥華の左肩に目をやった。肩から先の服の袖には何もない。奥華は放心したまま涙を流し始めた。
「あたしは・・・いない・・・?」
その瞬間『奥華』の視界は、紫の雲や巨大な目玉すらかき消え、何もなくなった。少女の体は床に倒れ伏した。
「スエラ様・・・」
長身のドラゴナが歩み寄ったが、『スエラ』は制し、自ら立ち上がった。何も言わなかった。その様子は先ほどまでの『奥華』と変わらない。しかし、その主導権を徐々に奪われている事は、『奥華』の最後の意識が感じ取っていた。『スエラ』はゆっくりとした足取りで廊下を進み始めた。ドラゴナ達はその後に続いた。

第四十七話

【テ、テメエェエエェ・・・!】
禍瑪は立ち上がり、天希を睨みつけていた。一方、天希は咄嗟に繰り出した先程の攻撃の感覚を思い出していた。
「こんなのも、できるのか・・・」
自分の掌に目をやっていた天希だったが、禍瑪の咆哮を浴びせられて向き直った。
「ゴアルチバァ!」【ふざけやがってェ!】
天希は突進する禍瑪の懐に再び入ろうとしたが、斧による突きがそれを許さなかった。天希は避け損ね、斧の先端についた突起に服を引っ掛けられた。
「うわわっ!」
禍瑪は斧を縦横に振り回し、天希を地面に叩きつけた。斧の刃と突起が地面に突き刺さり、斧の腹が天希の首を閉めた。
「〜〜〜!」
天希が咄嗟に炎を上げると、禍瑪はその場から飛び離れた。斧は地面に刺さったままである。
【グハハハハハ、そのままくたばれ!】
しかしここでも傘匠旺が割って入った。彼は天希の方へ駆けつけ、天希の首を絞めている斧を全力で蹴飛ばした。
「グッ!?」
斧の飛んだ先には禍瑪がいたが、飛んできた斧の柄を掴むと、一回転して斧を持ち直した。
【生意気な・・・!】
しかし禍瑪は周囲の光景に気付き、改めて辺りを見回した。ドラゴナ達が、槍をこちらに向けて囲んでいる。禍瑪は鼻を鳴らした。
【おう、おう。貧弱な村人どもがよ、俺様に刃向かうか?そんなオモチャで?】
武器を向けるも尻込みをするドラゴナ達に向かって、禍瑪は自ら進み出た。ドラゴナ達は後ずさりした。
【どうなんだよ!?】
禍瑪は斧を振り下ろした。その一撃で向けられていた槍が折れ、地面の揺れと禍瑪への恐怖を感じたドラゴナ達が転げ、他の者達は散らばった。
【ハハハハハ、これこそがヒドゥン・ドラゴナの力よ、無知で無力な村人にできる事などない!】
禍瑪は逃げ遅れた一人のドラゴナに狙いを定め、斧を振り上げた。
【こいつを】
「やめろ!」
禍瑪は咄嗟に右肘を横に突き出した。止めに入ろうとした天希に肘鉄を喰らわせたのだ。天希は顔から反対側に飛んだ。
【助けることすらな!】
【ひいぃ!】
顔面蒼白のドラゴナめがけ、禍瑪は斧を振り下ろした。だが、その攻撃ははずれた。
【ぬ・・・?】
ギリギリで命中を回避し、斧が地面を叩く衝撃で飛び跳ねたそのドラゴナは立ち上がった。その表情は恐怖に混乱が掛かり、歪んでいた。
【やる気か】
【た、助けて!】
禍瑪は斧の横振りで攻撃をしかけた。しかしそのドラゴナは素早く身を伏せて躱した。
【何これ!?嫌だ!許して!】
禍瑪は次々と斧による攻撃を繰り出すが、そのドラゴナは泣き叫びながらもそれらの攻撃をスイスイとかわしていく。
【チィッ、なんだこいつは!】
禍瑪が諦めて攻撃対象を変えようとした瞬間、そのドラゴナは禍瑪の手首めがけて蹴りを繰り出した。禍瑪が斧を取り落とすと、そのドラゴナは素早くその斧を拾い上げた。
【あっテメェ!】
【ひぃーっ重い!】
禍瑪は強引に斧を取り返そうとしたが、そのドラゴナは華麗に腕の軌道から逸れると、禍瑪の2倍はある速さで斧による連続攻撃を繰り出した。
【ぐわわわーっ!?】
【あーっ!やめてやめてやめて!腕がおかしくなる!】
禍瑪の鎧と斧はぶつかり合うごとに軋み、砕けていった。棒だけになった斧の先で、そのドラゴナは禍瑪の鎧の砕けた部分を執拗に攻撃し続けた。
【いでいでいでいで!やめろーッ!】
【やだーっ!もうやめたい!】
禍瑪の動きが鈍くなると、そのドラゴナは棒で禍瑪の顔を縦横から打ち付けた。
「ガガガーッ!」
禍瑪は攻撃を払いのけようとしたが、いくら手を動かしても相手のドラゴナに触れることができなかった。顔を手で覆おうとしてもその手を弾かれてしまう。ついに禍瑪は五月雨のような顔面打ちを前に意識を失った。
【アア・・・ハア・・・】
鈍い音をたてて後ろに倒れる禍瑪を目の前にして、そのドラゴナは信じられないといった表情で、訳も分からないまま立ち尽くしていた。腕と顔はひきつって痙攣している。
【ウオオーッ!】
【やっちまった!すげえな!】
周囲のドラゴナたちが堰を切ったように集まってきた。名前すらもないそのドラゴナは未だに何が起こったのかわからなかった。
「すげえ・・・」
その一瞬の出来事に介入する隙も与えられなかった天希は、思わずそう言った。その時、誰かが天希の方を叩いた。振り向くとそこにいたのはカレンだった。彼女は自分の五指から延びた糸を巻き取りながら、立てた人差し指を口の前に当てて見せた。

「でさ、僕もこれは危ないなって感じたんだ。とにかく危ないって。だから咄嗟に木の壁を生やしたんだ。固さは不十分だったけど、何にせよあのでっかいやつの直撃は防げたってわけ」
ドラゴナの村を後にした天希達は、島にそびえ立つ塔の方へ向かっていた。空は曇っていた。
「もちろんみんな無傷で済んださ。僕の計算がなかったら、きっと誰か首を折ってたに違いない」
自慢話をする可朗を尻目に、天希は先頭を切り、カレンは敵の警戒をしていた。奥華はその後ろを歩いていた。すると、天希は何かを思いついたように突然走り出した。
「天希?」
天希は少し高い丘の上に立ち、空に向かって火の玉を投げた。その火の玉は空に近づくごとにだんだん小さくなり、やがて消えた。
「あれ?」
天希はもう一度空に向かって火の玉を飛ばしたが、やはり同じ結果だった。
「おーい天希、何やってるんだ?」
可朗が丘の下に走ってきた。
「目印だよ、君六やエルデラが見たら俺たちの居場所が分かるだろ」
「なるほど」
「でもうまくいかねえんだ。こう、空に上がったらバーンって、花火みたいにいかねえもんかな」
カレンと奥華が追いついた。天希は掌を閉じた。
「花火とか爆弾はだな天希、少量の火薬にエネルギーが詰まってるからこそ爆発を起こすんだよ。一気にエネルギーを放出する現象の事を、すなわち爆発って呼んでるんだ」
「・・・じゃあデラストの力をもっと込めればいいのか!」
天希は早速掌を握りしめ、そこに意識を集中した。
「力を込める・・・デラストの力を・・・『握る』?」
一同はその様を見守っていた。やがて閉じられた指の間から光が漏れ出した。
「それだ天希!投げるんだ!」
天希は空に向かって腕を振った。先ほどの火の玉よりもずっと小さな光が天に昇った。また消滅したかと思った瞬間、大きな音、強い光とともに赤い炎が花の咲くように空に灯された。あまり高く飛ばなかったため、天希達は爆風を受けて転んだ。
「うわーっ!」
炎は煙になって消えたが、天希はその爆発の中心を見続けていた。
「これだよこれ!」
「こりゃあすごい・・・」
「サンキュー可朗!」
「ああ、フフッ、また僕の頭脳が役に立ってしまったようだね」
爆発の音にこだまするかのように、空では雷が静かに光り、直後に雨音が聞こえ始めた。
「でも、今のって敵にとっての目印になったりしないよね・・・?」
「ん?それがどうかした・・・」
「伏せて!」
カレンが言った。村での戦いの直前と同じ目をしていた。
「ど、どうしたの急に」
四人は丘の上で体を沈めた。下方に見える道の向こうから、ドラゴナの行列がやってきた。禍瑪と同じく鎧を身につけているが、その成りはずっと質素だった。
【禍瑪先生はどこだ】
【もしかして道をすれ違ったか】
【待て、本当に禍瑪先生は負けたのか?】
【いつもの禍瑪先生だったら犯罪者を連れてすぐ戻ってくる。それが無いからこうして村に向かってるんだろ】
【禍瑪先生が負けた?見間違いだろう、監視装置がポンコツなだけでは】
【いずれにせよ、これであの村の連中も直接叩きのめせる】
ドラゴナの行列は、天希達に気づかないまま通り過ぎていった。
「確かにあの人数じゃ戦いにくいかもな」
「ていうかあれ、村に向かってるんじゃ・・・?」
「マジかよ・・・よし、可朗達は先に行け!」
「何するつもりだ?まさか正面からぶつかり合う気か?」
「そんなこと、しねえよ!」
天希は丘の斜面を滑り降りていき、ドラゴナ達の真後ろで炎を噴き上げた。ドラゴナ達は驚いて振り向いた。
「ありゃ、やっぱ雨じゃキツイか・・・」
「ウオオーーッ!」
ドラゴナ達はものすごい剣幕で天希の方へ突進してきた。天希は靴を抱えると、背中を向けて一目散に走り出した。
「こっちだこっち!」
離れていく天希とドラゴナ達の方に目をくばせながらも、可朗達は塔の方へ向かった。

ヒドゥン塔の入り口の一つ。警備と思われるドラゴナは立っていたが、植物の蔓に巻き上げられて身動きが取れなくなっていた。
「やっぱり、広いな・・・」
可朗達は前から敵がやってこないか警戒しながら、長い廊下を進んでいた。ヒドゥン塔自体にたどり着くまでには距離があるが、そんな場所でもスピーカーから薬師寺悪堂の声は聞こえていた。
「全員に連絡!地下55号室からの脱走者あり!ネロ・エルデラ・バルレン!明智君六!ともに人間!見つけたら即息の根を止めろ!」
それ以外に物音のしない白い廊下が、緊張を解く隙を与えなかった。可朗は達は二人の名に反応こそしたが、お互いに何か言い合うことはなかった。
やがて閉じたシャッターの前に突き当たった。向こう側からは音が聞こえる。ドラゴナ達が走って通り過ぎていく音である。可朗は足音から、シャッターの先の部屋の床が別の材質でできている事に気付いた。
「・・・スノコ?」
可朗はシャッターの向こうに意識を集中した。聞こえる声が悲鳴に変わる。可朗はニヤリとして頷いた。
「これがキーかな?」
可朗はシャッターの真横にあるパネルに手を置いた。しかしその暗証番号を知っているわけではない。
「5040」
不意に奥華が言った。可朗とカレンは彼女の方に振り向いた。
「5040?」
奥華は曖昧そうに頷いた。その表情は曇っていてはっきりしない。可朗は言われた番号を入力すると、シャッターはゆっくりと開いた。
「どうして分かったんだ?」
「分からない・・・」
奥華は顔を背けた。シャッターの向こうは廊下だったが、そのつくりは質素なものだった。材料のほとんどは木で、雨漏りすらしている。こちらに気付いたドラゴナ達が飛びかかってきたが、可朗が手をかざすと、木の柱の腹から枝が飛び出し
ドラゴナの動きを止めた。
「ツギハギなんだ、この建物は・・・!」

一方、天希は全く別の入り口からヒドゥン塔の内部にすでに侵入していた。
【捕まえろ!これ以上の侵入を許すな!】
【早えぞあいつ!】
天希は比較的狭い廊下の方へ向かった。前から来たドラゴナ達は壁を作るように立ちふさがった。
「よーし・・・いくぞドッペル!」
天希のポケットからドッペルが顔をだした。
「やれやれ、やっとワシの出番かいな・・・なんじゃあいつら!?」
「上だ!」
「上!?」
ドッペルは体を餅のようにのばし、天井の金網に引っかかった。天希はドッペルに引っ張られ、あと少しで前のドラゴナに捕まるというところで浮き上がった。後ろから追ってきたドラゴナ達は前のドラゴナ達に激突した。天希はその上を飛び越え、先に進んだ。
「ムチャやりおるわい」
階段を見つけると、天希は駆け上がった。
「迷路の中にいるみてえだな!」
「楽しそうじゃの・・・」
ドッペルがそう言うと、天希は少し真面目な顔になった。
「楽しいのが一番だよな」
「何を急に・・・」
天希は振り向き、階段を上って迫ってくるドラゴナ達の顔をチラッと見た。
「あいつら、楽しそうな顔してないんだよ。俺が追いかけられてるはずなのに、必死に逃げてる顔してるの、あいつらの方なんだぜ」
「そんなん分かるんかいな、あんな人間離れした奴らの・・・」
天希は少し得意げに笑った。
「村の奴ら。俺と遊んでるうちにみんな顔が変わってくんだ。ここの奴らはやっぱり怖いみたいだったけど・・・でも、分かったんだ。俺たちもあいつらも、見てみたらそんなに変わんなかった!笑う時は笑うし、怒るときは怒る!」
「ふむ・・・」
「あいつらだって必死に追ってきてるけど、ここに入った瞬間あんな顔になったんだぜ。その前はもっと楽しそうだったぜ!だって楽しいじゃんか、追いかけっこ」
「本当かァ!?」
長い階段を登りきると、少し大きめの扉が見えた。行き止まりだった。天希は扉に背中をつけた。
「鍵に化けられたりしねえ?」
「無理じゃこれ、暗証番号式じゃ」
ドラゴナ達は間も無く登ってきた。先頭はすでにヘトヘトだったが、それを払いのけるようにして後ろからドラゴナ達がなだれ込んできた。
「おい、お前ら!」
天希は叫んだ。そしてドラゴナ達の血走った目を見た。天希は笑顔を作った。
「ガアアーー!」
槍や斧が扉に突き刺さった。天希はそれぞれを間一髪で躱すが、途中で服にひっかかり、身動きが取れなくなった。
「やべっ・・・!」
槍が天希の眉間をまっすぐに狙って飛んだ。しかし、それは天希の頭をかすめて外れた。
「ゴオオッ!?」
さっきまで足音すらかき消していた頑丈な床が、扉と同時に一瞬にして崩れ始めた。天希とドラゴナ達は下に落下し始めた。
「うわああぁぁああっ!」
しかし、天希の腕を掴み、助ける者がいた。その者に崩れ落ちる壁の破片が当たると、さらに粉々に砕けて落下していった。天希は引き上げられた。
「大丈夫か? 」
「エ・・・エルデラ!」

第四十六話

かくして、天希達はドラゴナの村へ迎え入れられた。二本足で立ち、通じはしないものの同じように言葉を話し、挨拶の時に手を上げるという共通点が、壁を越えて彼らを繋げていた。
「ありがとうございます」
可朗は正座をし、もてなしのマンゴーを受け取りながら言った。長老らしきドラゴナと目が合う。長老が何か言うが、可朗にはその言葉は理解できない。両隣にいる奥華・カレンももちろんだ。彼らは確認するように何度も顔を合わせたが、やはり言葉が通じる事はなかった。それでも何か言葉を発する事で、最低限の意思疎通ができているような気がしたのだ。それを裏付ける好例は外にあった。

「そりゃっ!」
「フガ!」
村の中心、ヤシのような実をボールにしてサッカーを行っているのは、村のドラゴナの一人と天希である。
村の他のドラゴナ達は、二人を囲むようにして、試合の有様を見守っている。
「そこだっ!」
天希の蹴った実が、柔道着のような服の胸に「傘匠旺」の文字を持つそのドラゴナの股をくぐり、簡単な作りのゴールに入ると、周りのドラゴナ達は歓声を上げた。
「グルバ・・・」
傘匠旺は悔しそうに実をゴールから取り出したが、次は相手のゴールを奪うと意気込み、実を地面に置いて足を構えた。守りの姿勢をとる天希と目が合う。その目は、明らかにこれを楽しんでいる目だった。それは天希にも分かった。
「さあ来い!」

双方の緊張の色は徐々に薄らいでいた。もてなしの品を一通り食べ、可朗は自分達が座る家の中を見渡した。草を編んで作られた壁。そこに掛けられた刺繍絵。いつの間にか別世界へ来たようだった。天希は・・・自分と会う前の、大網の海賊船に住んでいた頃の天希は、いつもこのような世界を転々としていたのだろうか。
「何・・・?」
それまで笑顔でマンゴーを口にしていたカレンが突然立ち上がった。皆がカレンの方を見た。彼女の目は、まだその場にいない敵を見据えるようだった。和やかになりかけた場が、一瞬にして緊張した。
「何か来ます・・・!」
長老は察しがついたらしく、近くにいたドラゴナ達に何か耳打ちをした。ドラゴナ達は外へ出たが、慌てて戻ってくると、長老の腕を引いて外へ連れ出そうとした。その瞬間だった。
「ウオォラアアァァァ!!」
轟音とともに低い天井が迫る。何か重い物が家めがけて落ちてきたのだ。一瞬の出来事を、可朗は防御する術がなかった。
【長老ォ!テメエェ!】
あっという間にペシャンコになった家の上に立つのは、厚い鎧を着た大柄なドラゴナ。彼はつぶれた家の壁の間から、気絶寸前の長老を引っ張り出し、首をつかんで持ち上げ、睨みつけた。
【お主・・・禍瑪か?】
【俺達ヒドゥン・ドラゴナにヤシを納めねえどころか、この島への侵入者をかくまってやがるな?】
【何故それを・・・】
【プッ、ククックッ、全部バレバレなんだよ、塔からじゃなァ!テメエらのちっぽけな頭じゃ分からねえだろうけどなァ】
【待て、あの人間はあれだ、海賊の使いで・・・】
禍瑪は長老を顔から地面に叩きつけた。
【もっとマシな嘘の一つもつけや。海賊の使いがドラゴナに顔を出さない事があるか?】
【やめろ・・・】
その時、禍瑪の横顔に硬いヤシの実が直撃した。だが禍瑪は驚きもよろけも見せず、ヤシの実の飛んできた方向を睨みつけた。そこにいたのは『人間』だった。
「何してんだよ」
天希は一歩前に出た。周囲のドラゴナ達は禍瑪から距離をとっていた。禍瑪が人間よりも歓迎されざる存在である事は一目瞭然だった。禍瑪は人間の姿を見ると喉を鳴らし、背中にかけた斧に手をかけながら天希の方へ出た。
「ガッガッガッ・・・」【そちらから来てくれるとは好都合だぜ。近くで見ると随分と小せえじゃねえか。さてはガキだな】
天希は構えをとった。今相手が下りた草の山の下には可朗達がいる。天希はすでに靴を脱いでいた。
「うおおおおっ!」
天希は禍瑪に向かって突進した。火炎を伴うパンチを当てようとしたが、禍瑪が長老を盾にして持ち上げると、天希は命中直前で慌てて腕を引き戻した。長老の顔に熱風がかかる。
【チッ、当てねえのかよ】
禍瑪は逆の手でアッパーを繰り出した。天希は後ろに下がって躱したが、禍瑪はその手で改めて斧に手をかけると、勢い良く目の前に振り下ろした。だが、天希はこれもなんとか避けた。だが跳ねあげられた地面の砂までは避けられなかった。
「うわっ!」
怯む天希に禍瑪は長老を投げつけてさらに隙を作らせると、下ろした斧を支点にジャンプし、そのまま天希めがけて全体重を乗せた蹴りを繰り出した。
「キアッ!」
しかし、その攻撃はとっさの乱入者によって、わずかに狙いを外された。飛び上がる禍瑪に真横からジャンプ体当たりを当てたのは傘匠旺だった。
【クソが!】
着地するや否や、禍瑪は転がってきた傘匠旺の頭を掴み、怯えるドラゴナ達の方へ投げつけた。しかし、禍瑪が向き直る頃にはすでに天希は懐に入っていた。
【ぬ・・・?】
「はあっ!」
天希は禍瑪の腹に手を当て、そこに力を込めた。すると、その間に熱がこもり、やがて小さな爆発を起こして禍瑪を弾き飛ばした。
【熱ちぇえぇあっ!】
禍瑪は別のドラゴナの家に直撃し、潰れた草の上を転がりながら悶えた。
【テ、テメエェエエェ・・・!】

エルデラの意識は朦朧としていた。まず目の前に格子がある事は分かった。そして、その向こうに人影がある事も。誰だ?カレンか?おふくろか?それとも別の高血種族__であれば名前が分からないが__か?いずれにせよ助けなければ。エルデラは手を伸ばしたつもりだった。しかし実際は手は床に横たわったままだった。
「やはり貴様ら一家を先に始末しておくべきだった」
格子の前に立っているのは、他でもない薬師寺悪堂であった。閉じ込められているのはエルデラの方だったのだが、彼はまだそれに気づかなかった。
「せいぜい床の冷たさでも味わいながら余生を過ごすがいい」
悪堂は言葉ごとに唇を噛み締め、肉のついていない拳を握り締めながらそう言った。去り際、その拳で壁を一発殴りつけた。
「・・・?」
エルデラは彫刻のように横たわったまま、視線を落とした。視界が青白くなりつつある。彼は溺れた時とはまた違う息苦しさを感じた。だが彼は自分が捕まっている事に気づけない。波と水流の感覚が体の中を反射して、未だ海の上に浮かんでいるような心地さえしているのだ。
「ウウウ・・・」
壁の向こうからは唸り声が聞こえてきた。しかし人間の声には聞こえない。何か言葉をつぶやいているようにも聞こえたが、たとえ今のエルデラの意識が鮮明だったとしても、その言葉は分からないだろう。
「ギャーッ!」
不意に叫び声が聞こえた。こちらは人間の声だ。声の主は格子の外、さっきまで悪堂の人影があった場所に転がり込んできた。
「アッ、アッ、苦しい!助けて!」
エルデラはその声に聞き覚えがあった。
「・・・明智・・・君六?」
エルデラは何かをしようとした。何をしようとしたかは定かではない。何をするまでもなく、何もできないのだ。彼の体は動かない。そしてそもそもエルデラは、自分が動いているかいないかの区別さえついていない。彼は冷たい水の床の上にいる。
「ゲホッ、ゲホッ、ひぅ・・・」
周りから聞こえてきた謎の声も、君六の叫び声も、しだいに聞こえなくなってきた。青白い煙は完全にエルデラの視界を覆った。
「こんちくしょーめがぁ・・・!」
何者かが叫び、一瞬雷光が見えた気がした。格子の形がはっきりと煙の中に映し出され、稲妻が自分めがけて飛び込んできたように見えた。しかし、その声もまた呻き声に変わり、やがて苦しそうにその音を絶えた。
静寂が再び訪れた。この地下牢の中で、立ちこめる煙を除けば、動くものは何もない。そのように見えた。だが、先程の雷光は間違いなく彼を射ていたのだ。
彼は横たわったまま、目を見開いた。そして、腕に力を入れた。指先が動く。柔らかい指の腹が冷たい床を掴む。文字通り掴む。指が硬い地面にたやすくめり込む感覚を感じとると、エルデラは笑った。

第四十五話

ドラゴナ島。周囲に他に陸地を目視できない、いわば絶海の孤島である。海の覇者・峠口大網の目下で、人間がこの島にたどり着くような事はまずない。例外といえば、峠口大網に実力を認められた者か、もしくは大網の力に抗う、もしくはすり抜ける事に成功した者のみ。
「げふっ、げふっ!」
後者、すなわち峠口天希一行は島の東側の海岸にいた。十秒前、ドッペルが砂浜に激突のち爆発し、天希は海に投げ出され、可朗と君六は砂浜に叩き付けられて埋まり、カレンは少し先の土の上に着地していた。天希が海から上がってくると、小さくなったドッペルがふらふらと上から降りてきて、天希の頭の上に着陸した。
「到着合図の花火ってか・・・」
カレンが砂に埋まる可朗と君六をなんとか引き抜き、改めて四人は立ち直り、その島の中央に立つ巨大な塔を見上げた。
「これが・・・」
「僕たち、いつの間にかこんな組織を相手に戦ってたんだ・・・」
カレンは思い出していた。9年前、突然家族がバラバラになり、自分は薬師寺悪堂のもとでその後育てられた。しかしその悪堂もまた、今起こっている一連の事件を起こした人物の一人であった。さらに父アビスは利用され、小組織の親玉となっていた。一度は我を失いかけたが、その時の自分を正気に戻してくれた二人がいた。そして今も隣にいる。一度は一人で父親を助けに走ったが、今こうして一緒にいるのだ、もう一人で無茶は許してくれないかもしれない。
「・・・」
またある時は飛王天に連れ去られた。もしかしたら、あの老人もまた父親と同様に利用されていただけなのかもしれない。あのとき助けにきてくれたのはデーマ、そしてエルデラだった。
(兄さん・・・)
大網の奇襲によって再び離ればなれになってしまったエルデラが、彼女にとってはどうしても心残りだった。自分やその周りの人間を狂わせてきた元凶を前にして、カレンは思わず兄の消えていった水平線の方にちらと目をやってしまった。その時、波打ち際に小さな人影がある事に気がついて、体ごと振り向いた。
「奥華ちゃん!」
それを聞いて他の三人も後ろを振り向いた。目を伏せたまま、まるで幽霊のようにふらふらとこちらに近づいてくるが、やはりその姿は奥華だった。
「うおっ本当だ、奥華じゃんか!」
四人は奥華の方に駆け寄ってきた。その時まで半ば気を失っていたかのように、奥華はハッとして顔を上げた。
「えっ、あれ?」
「良かった、どこ行ってたのかと思ったぜ!」
「いつ一緒に乗り込んでたんだ?それとも・・・」
奥華は自分の置かれている状況がわからなかったが、自分の足が海水に浸かっている事に気づくと、その場で適当に思いついたことを言った。
「そ、そりゃああたし、水のデラストの使い手だもん!」
しかしそれが合っていたらしい。三人は納得して頷いた。
三人。最近の奥華の不自然な振る舞い、そしてこの登場、怪訝に思わない者がいなかったわけではないが、いっそうその不自然さを警戒していたのは、可朗だった。つい最近まで、彼の中ではごくごく普通の女子だった。左腕が全く欠損している事を除いては。むしろその欠損の事すら気づかせないほど、感情豊かで、かといって何ら特別な悩みもなく・・・いや、あったか。自分の親友である天希に対し、密かに想いを寄せているのを見抜いたのは自分だ。だが最近は自分達も含めて、一緒にいるのは自然になってしまっている。この前は二人きりで船の甲板にも上がっていたし、その事でもはや悩むような事はないように見える。天希の事が原因でなければ、最近のその不自然な振る舞いは?一体があった?今まで気にしていなかった左腕の欠損が、可朗にはいつもよりクローズアップして見えた。
「可朗?」
頷きもせず、ただただ難しい顔をしている可朗の顔を、天希は覗き込んだ。可朗は我に返って焦った。ちょうど先ほどの奥華のように。
「え、な、な、何だい?」
それと入れ替わるかのように、奥華の顔に影ができた。しかし天希は可朗が特に問題ない様子なのを確認すると、先頭に立って進み始めた。
「よーし、今までの事件の元凶、絶対倒してやるぜ!」
後の四人も、天希の声に励まされて、島のジャングルの中を進み始めた。

【ぐおわっ!】
塔につづく道の途中では、ドラゴナ同士の喧嘩が行われていた。
【そいつをよこせ、俺様が悪堂殿に献上して、褒美を貰ってきてやる】
【誰がそんな口に騙されるか!】
エルデラは腕と足を縛られ、脇に横たわっていた。得体の知れない生き物達が喧嘩している様は目に映るが、頭がはっきりとしない。
【お前達みたいな下っ端があの塔に出入りできない事くらい、その足りん脳みそでも分かるだろうが!】
【だからこの人間を献上しに行くのだ!そうすりゃ悪堂様のもとまで通してくれる、それだけの大手柄なんだろう!】
【通さん、この俺様が通さん!お前達の節穴のような目で見て何故大手柄だとわかる?】
【あんたが必死に奪おうとしてるってことは、それだけすごい物って事なんだろう?だったらそれを独り占めされてたまるか!】
【バカ者が、お前達でなくたって献上物は俺様のような幹部を通して悪堂殿に届けられるのだ。誰が独り占めなどすると言った?】
おおよそこのような内容で言い合いをしながら喧嘩は続いた。幹部を名乗る大男、名にして沙羅曼蛇は、下っ端達の抵抗に耐えかね、ついに背中の大鉈を引き抜いて振り回した。
【うわあっ!】
沙羅曼蛇はうなりながら、さらに何度も大鉈を振り回して見せた。その光景を目にしたエルデラは、反射的に目を見開き、体をエビのように反らすと、両手両足を縛られたまま飛び上がり、沙羅曼蛇に飛び蹴りを食らわせた。
【ぬうおっ!?】
沙羅曼蛇はのけぞった。エルデラは縛られた足で彼の目の前に着地し、一言「やめろよ」と言うと、また気を失ってその場に倒れ臥してしまった。
【むう・・・】
蹴りを食らって一瞬吹き出した唾をぬぐいながら、エルデラが動かなくなったのを見ると、沙羅曼蛇はすばやくエルデラの首根っこを掴み、担いで行ってしまった。
【ああっ・・・】
【俺様に逆らった罰として、こいつは没収だ。褒美も分けてやらん!】
沙羅曼蛇は振り向きもせずに言い放ち、道の向こうへ消えた。

ジャングルの中の開けた土地に村があったのを見つけた時、最初に天希が無警戒に挨拶に行こうとしたのだが、すぐに可朗が茂みの中に引き戻した。ここがドラゴナ島である限り、その村は敵の物である可能性は限りなく大きいのだ。話し合った結果、君六が行く事になった。戦闘モードがオフの状態の彼なら、敵と気づけばすぐこちらに戻ってくる、そう考えたからだ。しかし、涙目ながらも送り出された君六が遭遇したのは、予想の斜め上を行っていた。
(?????)
村のドラゴナの一人と偶然目が合ったのだ。君六含め、五人はドラゴナの存在など今までの人生の中で確かめた事がない。魔人族にも増して異形のこの生き物を前に、君六は恐怖の先を行って思考と動きが止まっていた。まるで宇宙人にでも遭遇したような様子だ。後ろからその様子を見守っていた四人も目を丸くする。
「何だあれ・・・!?人間?」
しかし村人、名にして芋里もまた同じようなショックで動けなかった。二人が見合ったまま固まり、数分が経過した。
「ワ、ワナタナハ・・・」
芋里は片手を上げてそう言った。後ろの四人にはそれが何らかの挨拶に見えたのだが、君六はそれを合図に大声で泣きながら戻ってきた。
「ぴゃああああああああ!」
「おっ、おい、君六!」
君六はジャングルの中を一目散に駆けていった。一方で芋里も村の方へ逃げ出した。カレンが君六の後を追い、残った三人が茂みの間から続けて村の方を見ていると、村の住民達が武器を持って家々の中から現れた。皆こちらを恐れているのか、武器を持つ手がおぼつかない。三人は警戒し身を潜めていたが、さっきの挨拶を聞き逃さなかった可朗は、一か八かと思って、そっと茂みから抜け出した。
「お、おい、可朗?」
茂みの中から現れる人間の姿を見て、ドラゴナ達は武器を強く握る。しかし可朗も緊張しながら彼らの方を向いて立ち直ると、片手を上げ、震える声で言った。
「ワ、ワナタナハ」
ドラゴナ達はそれを聞いて目を丸くした。沈黙の時間が過ぎる。可朗はやや自身がなかったがダメ押しでもう一回言った。
「ワナタナハ・・・」
可朗の顔は引きつっていた。バカな事をした。次の瞬間で一気に襲われるだろう。そう思っていたが、意外にもドラゴナ達は武器を下ろし始めた。それ以上の動きがなく、未だに警戒を解いたようには見えなかったが、相手のうち比較的遠くにいる一人が、小声で挨拶を返してきたのを見て、可朗も挨拶が通った事が分かり、やや安心した。
「ワナタナハ」
そう可朗は言って、ゆっくりと彼らの方へ近づいていった。ドラゴナ達も一応は可朗の事を受け入れた様子で、更なる警戒の色を見せる事もなかった。その一部始終を、天希と奥華は茂みの中からポカンとして見ていた。
「あいつ・・・どうなってるんだ本当に・・・?」