第四十九話

カレンは目を開いた。自分が床に倒れているのには気がついた。しかし、まるで荒波に晒されたように体の感覚はうねりを続けていて、周りの様子が掴めない。
「くおっ・・・!」
可朗はドラゴナ達の接近を阻んでいた。狭い廊下を前後から包囲されるも、可朗は必死に蔦を巡らせ、攻撃に抵抗していた。可朗もまた感覚が混濁しているらしく、蔦の動きは不安定だった。
「やめろ・・・!」
1人のドラゴナが爪を使って蔦を切り裂き、可朗の守っているエリアに入ろうとすると、可朗は蔦を操り、そのドラゴナの足をなんとかすくった。しかし、その集中が他のドラゴナ達の事を忘れさせた。隙ができたと見るや、ドラゴナ達は一斉になだれ込んだ。可朗はまだその状況を把握しきれているわけではない。
「あ・・・?」
ドラゴナのうち1人の持つ槍が、可朗の肩口を切った。可朗はそれに気づき、無謀にもドラゴナ達に突っ込んで行こうとしたが、顔面に拳を喰らい、眼鏡を飛ばしながら倒れた。
1人はその横に倒れているカレンの襟を掴んで持ち上げ、連れて行こうとした。
「ヴ?」
そのドラゴナは転倒しかけた。足に蔦が絡まったのだ。彼は怒りながら可朗の方へ行って、頭を持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。
「ぶっ」
それから何度も可朗の顔を殴りつけた。可朗は朦朧とする意識の中で考えていた。
「何か・・・何かしなくちゃ・・・こいつらを・・・」
可朗は左手をクイッと上げた。それと同時に、廊下に広がっていた蔦がシュルシュルと可朗の手に収まり、ドラゴナ達は転びかけたが、それらはドラゴナ達への挑発にしかならなかった。可朗は殴られ続ける。
一方、カレンはドラゴナ達が近くにいることに気づいていた。しかしそれは彼女の恐怖ばかりを助長させ、そのまま縮こまっていた。
「また・・・また私たちは・・・!」
彼女は自分がこうなる前の瞬間の出来事を頭の中で繰り返していた。迫り来る波。バキバキと崩れていく周りの壁。9年前、同じ波がやってきて家族を引き裂いた。ついにその波に呑まれたカレンは、今度は自分という人間が引き裂かれ、今バラバラになっているという幻覚すら覚えた。
「お父さん・・・お母さん・・・兄さん・・・!」
カレンの頭の中で、ドラゴナの作り出した波の迫り来る光景が繰り返される中で、カレンは母親の姿を思い出した。先ほどではなく、9年前のその日の光景。久しぶりに一家四人が揃い、次の日のお出かけの話をしていた時だったか。母は、アルマ・バルレンはその時、なぜか壁を見つめていた。当時のカレンは母の様子が変だとは気づいていたが、それよりも楽しい話をしたかった。『波』が来たのはその直後。再び彼女の頭の中はその波で埋め尽くされた。
「待って・・・待ってお母さん・・・!」
カレンは心の中で叫んだ。それがカレンが母を見た最後の光景だったのだ。
『待って?』
彼女の中にあるものは、もはやその波で埋め尽くされてしまった、そう感じた矢先だった。再び9年前、波が家を襲う直前、そして最中の光景。母は壁を見ていたか。その波が来て、何も見えなくなるまで母はずっと壁の方を見ていただけだったか?否。
「待っ・・・」
カレンは気付いた。母は壁が崩れた時、その方向へ飛び込んだのだ。まるで荒波巻く海の彼方に見える灯台のごとく、その一瞬は、カレンの意識に訴え続けた。
「お母さん・・・お母さんは・・・!」
カレンは目を見開いた。ドラゴナ達の足音が聞こえ、自分は大柄なドラゴナに背負われているところだった。カレンは片手を少し上げた。その手に人形が形作られる。カレン自身の未だ回復せぬ感覚を表すかのように、その形、そしてその人形の顔に書かれた『波』の漢字はグニャグニャだった。カレンはその漢字を見て一瞬戸惑いながらも、その人形に自分のこめかみを打たせた。瞬間、カレンの頭に、そして全身に、彼女の中の歪みを打ち消すような波が広がった。感覚は嘘のように元に戻った。人形の形は五体整然としたものに変化した。
続いてカレンは自分を背負うドラゴナのこめかみにあたる部分を人形に打たせた。そのドラゴナはその場に一瞬で崩れ落ちた。それが周りのドラゴナへの合図だった。
「ウオオッ!?」
ドラゴナ達は異変に気づき、一斉に武器を構えた。凛として着地したカレンは、その場にいた全ドラゴナを見やるやいなや、自らの手の中に同じ数の人形を作り出し、それぞれに向かって投げた。それらの顔には『波』の漢字が書かれていた。
「波動!」
カレンは叫んだ。それと同時に人形達は形を変えた。手のひらに収まる大きさだった人形達は次第に人の大きさになり、また峠口真悠美によく似た姿になった。人形達はそれぞれ、対峙するドラゴナの頭めがけて手を伸ばした。うち二つはドラゴナに攻撃を繰り出させる間もなく眠らせた。
「グエエエエ!」
他のドラゴナ達は抵抗した。その隙にカレンは放り出された可朗の方へ駆け寄り、彼の両のこめかみに人差し指を当てた。すると、それまで力の抜けていた可朗の顔は急に覇気を取り戻し、すぐに起き上がった。そして入れ替わるようにカレンはその場に倒れこんだ。
「あれ・・・?」
可朗が目を開くと、目の前でドラゴナ達が人形と交戦していた。実際、それ以上ドラゴナを眠らせた人形は出なかった。ドラゴナ達は人形を打ち負かすと、立ち上がる可朗に向かって突進してきた。妙な爽快感を覚える可朗は、迫り来るドラゴナ達の動きがいつもより遅く感じていた。
「これは・・・!」
可朗は腕を荊の鞭に変化させ、前方めがけて打ち付けた。その威力はドラゴナの持つ武器を弾き飛ばし、ダメージを与えた。それでも槍を向けて突っ込んでくるドラゴナには、丸太で突き返した。お世辞にも切れ味の良いとは言えない槍は丸太の力に負け、貧弱な柄は折れてしまった。可朗は体と頭の循環がはるかに良くなっている事を感じていた。
「今なら、あれもできるか・・・!」
狼狽するドラゴナ達の前で、可朗は鷲掴みのような格好で両手を空に突き出した。すると、木で出来たドラゴナ達の槍の柄から芽が飛び出し、成長してドラゴナ達の腕の自由を奪った。
「グヌッ!?」
可朗が腕をゆっくりと上に上げると、さらに芽は成長し、やがて木肌を作りながらドラゴナ達の体を完全にホールドした。
「グアアアー!」
可朗は手を下ろすと、倒れているカレンに気づき、抱え起こした。
「カ、カレンちゃん、大丈夫・・・?」
カレンは自力で立ち上がると、やや疲れた表情で可朗に笑いかけた。
「大丈夫です・・・やっぱり、母は強し、ですね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。奥華ちゃんは・・・?」
カレンが訊ねると、可朗は目をそらしてやや悔しそうな表情をした。
「あの攻撃の時・・・奥華だけ連れて行かれた。あっちの方向だ」
それから可朗とカレンは廊下を走って行き、階段を上っていった。その間もカレンは、自分の母の最後の姿を頭の中で繰り返していた。
(お母さんはあの先へ行ったんだ・・・あの波の先へ・・・!)
奥華の身を案じるゆえか、二人の足取りはさらに早くなっていった。
(お母さんは私達を助けようとしたのかもしれない。もしそうなら・・・今度は私が波に飛び込む番です!)

可朗とカレンが階段を登りきった時、目の前には巨漢なドラゴナが待ち構えていた。二人が戦闘態勢を取ろうとした時、そのドラゴナは前に倒れ込み、地面に伏した。
「しぇいっ!」
その背後からは君六が勝ち誇ったように声を上げた。そのさらに奥には天希とエルデラの姿もあった。
「兄さん!」
カレンはエルデラの方に駆け寄った。しかし、その途中で足を止めた。再会の嬉しさを味わっている暇などないと考えたからだ。
「無事だったか」
エルデラはそれだけ言った。カレンは前より大人びた表情で、無言で頷いた。
「よーう、可朗ー!」
天希もまた可朗の方に駆け寄ったが、馴れ合いは避けた。
「奥華は?」
「・・・ごめん。連れ去られてしまった。こっちに来なかったか?」
「いいや。でも上に連れて行かれたってことはつまり・・・」
天希はその長い廊下を逆走し、巨大な扉の前で立ち止まった。
「ここみたいだぜ」
他の皆も扉の方へ来た。周囲を見渡すと、その扉から廊下全体は、今までの塔の廊下とは違い、高貴かつ妖しい雰囲気を漂わせていた。天希は暗い真鍮の扉に手をかけた。巨大な扉はゆっくりと開き、書斎のような部屋の様子を露わにした。
「これは・・・?」
その部屋に人の気配はなく、すぐ先にもう一つ同じような扉があった。両の壁には古い本がぎっしりと詰まっており、机の上に下に紙や得体の知れぬ液体の入った瓶、誰のものかもわからぬ頭蓋骨などが散乱していた。天希はすぐに次の扉に手をかけたが、可朗やカレン、エルデラは部屋の様子が気になった。化粧台。壁に掛けられたコートや帽子。それらは埃をかぶっていた。床は高級そうな模様付きの赤い絨毯。シャンデリアの光により天井は黄色く見えた。カレンは棚の上にあった一つの写真に目がいった。
「いくぞ」
エルデラに促されて、カレンは扉の方に向かった。さっきの写真には父アビスに似た人物が写っていたのは確かだった。
天希が扉を開けた。そこは前の部屋とはうって変わって、氷を思わせるような冷たい色をした広間だった。家具のようなものはなく、奥には玉座のような大きな椅子が見えた。しかし、彼らの目に留まったのは、その手前に立つ人物だった。
「奥華!」
まず天希が叫び、走って前に出た。奥華の立っているところまではやや距離があった。
「奥華!無事だったんだな!」
可朗達も最初は安堵の表情を見せた。しかし、天希が呼びかけても奥華は俯いたまま返事をしない。天希は次第に足のペースを遅めた。皆が怪訝な表情を見せ始めた。何かがおかしい。
「・・・奥華・・・?」

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