「峠口大網」前編

今から42年前、一人の男がこの世に生を受けた。一部の人間は、『神の過ち」という、とんでもないスケールでこの瞬間を誇張するのだが、その男はあくまで人間であって、怪物でも鬼でもない。ただ、限りなくそれらに近いだけなのだ。

「大網、また友達を泣かせたのか!」
峠口大網。今は海賊として世界の海から珍しい者を盗み回っている。峠口真悠美、またの名をエスタクロスという妻もいる。この男にも、少年時代はあった。一応。
そして私の名は峠口琉治。このころはまだデラスト・マスターとして活躍していた。私の息子である大網は、このころからすでに扱いに困っていた。当時から現在に至るまで、一度も改心をしなかったのも不思議だが、逆に言えば、生まれながらに恐ろしい人間であるというのも不思議だった。親の方から何をしてやっても喜んだことがない。幼稚園の頃の方がよく、同じ組の友達を泣かせていたが、小学校二年にもなると、『泣かせる」という言葉が幼稚だと思ったのか、そういうこともあまりしなくなった。もっとも今回は、相手が女の子だったから、気迫にやられてしまったのだろう。実際、こいつは、小学生とは思えないようなオーラを漂わせていたらしい。。ただ、大人の目を見ようとしないので、その真の威力は分からなかったのだが。
大網は、私が振り向いたときには、すでに階段を上って、自分の部屋に向かっていた。

大網には、ある障害があった。小学校の途中までは大したこともなく、その後もそれとは気づきにくかったのだが、大網の体の成長は、途中で止まってしまっていたのだ。だから、現在もそれを補うスーツを中に着ていて、顔は年齢相応だが、背は小学校の時のまま伸びていないのである。当時も、迫力はあるくせに身長が低かったので、『小さい」とか『背が低い」と言われるのが一番嫌いだった。他の悪口を言われても、彼の耳には全く届かないし、デラストの実力者である私からの遺伝なのか、殴られても必ず、その場で三倍にして返していたという。他の生徒よりは腕が短いはずだから、まず反射神経は相当のものだったのであろう。いずれにせよ、それが
喧嘩につながることはほとんどなかった。一つはそのオーラであり、また、その姿と力のギャップも、ほかの生徒にとっては驚異だったであろうし、私の孫・天希のように、デラストに憧れる者なら、余計手を出さなかっただろう。いくら親の言うことを聞かなかろうと、あいつはデラスト・マスターの息子なのだから。
それでも大網を怒らせたときは、ただではすまなかった。普段の大網は、何もいわずに険悪なオーラでこちらを睨むだけで、戦いは終わるのだ。しかし、それを超えてしまえば、こちらも泣いて済むものではない。小学校の時は一人だけで済んだのだが、最後まで彼をバカにし続けた生徒がいて、数日後、大網に顔を殴られて入院した。たった一発のパンチだったらしいが、鼻を折られ、前歯は砕け散っていたそうだ。その日、大網が拳に石を入れていた可能性は高いらしい。いずれにせよ、帰ってくるなり、私の目が届かないうちに、自分の部屋に救急箱を持って閉じこもってしまったのだ。
一つ悟ったことがあった。私の蔵書がたまになくなっていることがあった。大網は私の手元から難しい本を持ち去って、それを読んで、幼いときから世界を理解し始めていたのだ。いくら国語の天才と言われる峠口一族でも、ここまでやった者が私の祖先にいるとは思えなかった。
そんな彼に、私が知る中で唯一の友ができた。それが、アビス・フォレスト君だった。
二人が同じクラスになったのは三年の頃だが、当時のアビス君はすごく友好的な感じがして、『魔人族」だからという理由で嫌われさえしなければ、今に限らず、このころもいい人間でいたかもしれない。しかし彼の、相手を理解し友好的になる力は、当時の彼には強すぎたのかもしれない。私ですら分からなかったこと、大網が一体何を考えているのかを、アビス君は理解してしまったのだ。彼は大網とは逆に、どんな気持ちがこもっているにしろ、いつも笑っていた。当時は優しい笑いだったのが、大網と仲良くなるにつれて、あざけるような笑いに変わっていった。ふたりして、この世の人間を見下していたのだ。このころは大網は滅多に家にいなかった。めのめ町は隠れるところや、秘密基地にできそうな所はいくらでもある。ふたりして町の中を飛び回っていたのであろう。
さて、学校内の話に戻るが、ここでアビス君の事も話しておこう。彼の場合は、ふつうに喧嘩し、その横でいつも大網が、何もいわずに傍観していたという。喧嘩事に関しては、お互い手を出すことはなかったらしいが、大網の場合はさっき話したとおりで、もし相手が泣きながらかかってくれば、攻撃を受ける前に、額を押してたおし、相手が悔しさにもがいている間に、どこかへ消えてしまうらしかった。ただ、アビス君は、少しながら大網から『喧嘩術」を教わっていたらしく、自分の負けが確定したときはわざわざ『ギブアップ」と白旗を振り、喧嘩で泣く事はなかったらしい。もっとも、教えた本人は負けたことがなかったので、この戦略は使わなかったのだが。
いや、『それまで」はヤツを止められる生徒はいなかった。めのめ町の学校は、比較的学年と学年の間にある壁が分厚いといわれるから、上の学年も手を出すどころか、そのことについて知らない人間すら多かったらしい。だが、ヤツが五年生になり、アビス君と一緒に、六年生の廊下を歩いていた日だった。アビス君が先にでていて、大網と話しながら歩いていたらしい。前の六年生とぶつかった。そいつもたちの悪いヤツだったらしく、吠えるような声を出しながらアビス君をにらんだという。しかし、どんな戦い方をしたのかは分からないが、結果は二人組の圧勝だった。おそらく1分もたたぬうちに決着がついたのだろうが、その直後、相手の後ろから、ある男がやってきたのだ。連れも二人いた。
「ふうん、こいつが噂の、生意気な五年か」
そいつは、対してイカツい顔ではなかった。むしろ美男子とは呼べなくもなかった。体格もガッチリしているのではなく、どちらかというとやせている方だったらしい。その男の名は具蘭田陽児。世の中で唯一、大網に恨みを持たせた男だった。
「俺様を差し置いて、好き放題暴れてくれるとはな・・・仕方ねえ、俺様と愚民との力の差を、見せてやるか・・・」
「陽児さん!」連れの二人が叫んだ。
「チッ、何だよ、六年だからって威張るんじゃねえよ!」アビス君が前に出たが、その相手をしようとしたのは連れの二人だった。
「お前が峠口大網か」陽児はそう言った。すると、彼は大網の目ですらとらえられないスピードで、パンチを繰り出した。
その拳は、大網の額を揺らした。大網の体は後ろに反れた。戦おうと構えていたアビス君は、その音がした方向へ振り向いた。が、その光景を見ると、目を見開き、顎がはずれるくらいに口を開けた。
大網は、背中を床に打ち付けた。その時も音がし、廊下に響いた。陽児はニヤリとしながら、腕をおろした。
「だ・・・大網!」
陽児ら三人組は笑いながらその場を去った。アビス君は大網を起こそうとしたが、大網はすぐに自分で立ち上がった。
それから十五年後、大網は陽児へのリベンジを果たすのだが、その話は後で出てくるだろう。
その時の一撃を、大網は忘れなかった。

・・・ここまではアビス君が前に来たとき__天希がデラストを手に入れたときとは別の、もっと昔__に、話してくれたことをふまえてまとめてみた。次からは、大網の妻、川園真由美の話、それから私の体験もちょこっと入る・・・

大網とアビス君は中学生になった。周りからの評判はもちろん悪かった。だが、クラスに入ってみると、その評判のおかげで、下手に暴れる輩は少なかった。
中学時代は、大網以下の輩が、影で弱者をいじめているという噂が入るだけで、大網たちに対し直接喧嘩が関係することはほとんどなかった。
このころ大網は陽児のことしか頭になかったが、同時にアビス君もある人のことで頭がいっぱいだったらしい。その人こそが、川園真悠美だったのだ。彼女は二人よりも一つ上の学年だった。
アビス君の恋が原因で、二人は一度決裂した。アビス君が夢中になっているうちに、大網は彼の元を離れたのだ。お互いが独りでいる期間は、短いようで長かった。そう感じさせる原因は、大網の方にも恋話が回ってくるというところにある。
といっても、恋をしたのは大網ではなく、ヤツが二年生になったとき、そう、今の天希と同じぐらいの時に、新入生として入ってきた、一年生のアルマ・バルレンだった。彼女の恋はほとんど一目惚れだった。アビス君でさえ近づけるのがやっとなのに、女子とくれば、その距離はどれだけ離れているか分からない。大網はいつも無口で、自分の世界より外を知ろうとしていないように見えるが、実は、アルマのことで一番最初に気づいていたのは、大網本人だった。
アビス君の話では、大網は人間の感情を読むのが得意らしい。目を合わせなくても、行動でその人間が行動している目的や意味を即座に推測してしまうらしい。アビス君は、大網に直接そういわれたわけではなく、横から行動を見ていてそう思ったらしい。私は、自分にそういった能力があるとは思っていなかった。時々、本当に自分の子供なのかと疑うときさえある。
自分の子供と言えば、弟の二郎も一つ下で、バルレンちゃんと同じクラスだった。二郎は中学生になってから、兄の行動を観察するようになっていた。
「兄さん、またアルマさんに後を付けられてるみたいだなあ・・・」
二郎の性格は大網とは全く違った。真面目で、よくしゃべり、ニュースは口に出さずに入られない、といったような感じだった。アビス君とは仲がよかったそうだが、大網は兄弟喧嘩とか、争いごとの前に、二郎のことを弟としてみているようには見えなかった。しかし二郎は、兄の良いところをよく挙げてくれた。大網とはまた別の意味で、人を見る目が優れていた。成績も良かったのだが、実は大網も、人道を歩んでいれば、天才として認められてもおかしくないはずの、頭の切れる男だった。ただ、学校の勉強に対しては、態度でノーと言い、目にもかけようとしなかった。呼び出しをくらったり、居残りを命じられても、大網は全く動じなかった。すでに、
そういった罰を平気で乗り切るほどの精神力と頭脳が、大網には備わっていたかもしれないのだ。
やがて、アビス君の方から大網の所に戻ってきた。ただ彼は、真悠美君が卒業することに焦っていたのだ。
『真悠美君」と呼ぶのは、彼女が当時からよく私の家に寄ってくれていたからだ。私をデラスト・マスターとして尊敬してくれ、「琉治様」と呼んで家に上がり込んでくることがしばしばあって、そのうち大網に近づける第二の人間になっていた。我々峠口一家とは、このころから親しくなりつつあった。
真悠美君がとうとう卒業してから、アビス君は元気がなくなっていたらしい。あまりしゃべらないのは大網にとって有利だったのかも分からない。ただ、アビス君は大網に比べると成績は悪いわけでもなかったのだが、落ち込んだせいでテストの点は下がる一方だった。
結果として、二人は同じ高校にはいることになった。真悠美君は成績優秀な方だったので、上の方の高校で、すでに進路を決めていたという。が、恐ろしいのはアルマちゃんだった。私もあることがきっかけで、つい最近会ったのだが、見かけは臆病な反面、病的な執念深さを持つ性格だったという。実際、成績は悪くなかったのに、大網を追いかけるために、同じ高校に入ったというから驚きである。
大網は高校になると、また家にいることが少なくなった。真悠美君が心の内をつくような話し方をするのにうんざりしたのかもしれない。彼女は相変わらず私の家に通っていた。大網も大網で無口だが、真悠美君も真悠美君で、何を話すときもだいたい笑っているから、二人とも何を考えているのかは全く予想がつかない。ただ、真悠美君が大網と話しているのをのぞいたとき(といっても、しゃべっているのは真悠美君だけで、大網は相槌すら打っていなかったが)、真悠美君の言葉を聞いて、成る程と思ったことがいくつもあった。彼女も比較的、大網の心の内を捕らえていたのだろう。逆にそのせいで、大網は真悠美君のことがいやになったのかもしれない。
陽気な性格も、大網にとっては苦手だったし、彼女以外で峠口家の生活に変化はなかった。本人も自分のせいかもしれないと言っているくらいだ。
「あれ?琉治様、今日も大網君いないんですか?」
二郎の方は明らかにシャイなところがあったので、真悠美君が来るとすぐに自分の部屋へ逃げ込んでいた。
真悠美はこの頃から大網のことが好きだったのかもしれない。ただ大網同様、そういう感情を表に出そうとせず、誰にでも同じように明るく対応していたので、本心は分からなかった。
しかし、それと思われるのが次の行動だった。
ある日、真悠美君はとうとう、大網の学校へ直接きたのだ。その学校自体にも用はあったのだが、わざわざ大網に会いに行ったのだ。
「あ、大網君」
その時にはもちろんアビス君も大網と一緒にいた。
「まままま・・・真悠美先輩・・・?」
真悠美君はこのときは急がなければならなかったそうで、会うだけでも後で遅刻しそうだったので、話はできなかったらしい。だが、その場ではそれだけで済んだのだが、周りではいろんな事が起こっていた。
まず、アビス君は、その様子を見ていて、真悠美君が大網に近づこうとしてることにうすうす気がついたが、本当にそうなのか分からず、そのことでショックを受けるのは遅かった。そのため、先に別の驚きが彼を襲った。
真悠美君が走ってその場から離れていったとき、その先にいたのが、なんと具蘭田陽児だったのだ。偶然ではなく、視界から遠ざかっていくときの歩き方は、二人がつきあっているようにしか、アビス君には見えなかったらしい。実際そうだったのだが、真悠美君が、自分でもなく、大網でもなく、あの陽児を選んだのが、ものすごいショックだった。
さらにもう一つ、真悠美君本人は、もしあのとき時間があっても、その場には長くいない方が良かったかもしれない、といっていた。理由を聞くと、その後ろから、会る一人の女子が、恨めしいような目でこちらをのぞいていたからだという。それがアルマ・バルレンだった。彼女も真悠美君の行動は怪しいと思っていたらしい。さらに、彼女には陽児の姿は見えていなかったらしい。
その日の夜、これは私が見たことがほとんどだが、大網は珍しく家にいて、それでも部屋の中に閉じこもっていた。私は、いつも外にいて、ろくな飯を食っていないであろう大網に、夕飯を作っていた。その時、チャイムが鳴った。私はドアを開けた。
「大網君、いますか?」アルマちゃんだった。
もし彼女が、二郎から聞いていたようにおどおどしているような、臆病な感じであれば、私だけでも暖かく出迎えたり、高校では離れてしまった二郎を呼んでまた会わせるのも良いと思っただろう。だが、正直言って、このとき私は、彼女の表情に圧迫されそうになった。
おどおどしているわけでもない、陽気でもない、その時の彼女の目には、光が射し込んでいなかった。まるでロボットのように、ストレートに「大網君、いますか?」と言われた私は、正直言って、少し怖かった。デラスト・マスターとして戦うときに、まれに感じる怖さとは、全く別の物があった。私は氷付けにされそうな気分だったが、すぐに大網を呼んだ。すると、いつもは呼んでも部屋から出てこないのだが、アルマちゃんの名前に反応したのか、ゆっくりとドアを開けて、玄関の方へ歩いていった。
冷徹な目と冷徹な目が向かい合った。しかし、大網が来たせいか、アルマちゃんの目は再び光を取り戻しかけていた。私は台所に戻りつつ、その様子を見守っていた。
「大網君、その・・・私、大網君の好きなあげもちを作ってきたんだ、よかったら食べてください」
私は耳を疑った。大網はあげもちが好きだったのか。しかも、親の私は知らずに、本来ならヤツも相手にしないはずの人間が知っているとは。普段から家にいないのだから、私が知らないのはもっともだが。
「・・・ど、どうぞ・・・」
そういって、アルマちゃんは大網にその箱を差し出した。しかし、大網は素直に受け取ることはなかった。その時の光景は、私にとってもショックなものだった。
アルマちゃんの持っていた箱は宙を舞い、床に落ちてつぶれた。そして、悲しそうな顔に変わったアルマちゃんの前で、本来ならアビス君の前ですら話そうとしない大網が、口を開いたのだ。
「二度と俺に話しかけるな」
玄関のドアがゆっくりと動き始めた。
「大網ィ!!」
私は怒りをあらわにした。なぜ怒ったか、それを言い表すことはできない。だが、とにかくそれは、大網がとった行動に対する怒りだった。アルマちゃんが私の行動を見ていたのかは分からない。しかし、私が玄関の前まで走ってきたときには、玄関はもう閉まっていた。
私は大網の頭をにらみつけた。しかし、大網は玄関の方を向いて突っ立ったままだった。
「大網・・・お前・・・」
私はもう一度言ったが、同じ事だった。私はあきらめて料理に戻った。そのあと、大網も部屋に戻っていった。二郎を呼んで夕飯にした。大網は呼んでも来なかった。食べ終わったあと、私はもう一度玄関の前まで来た。さっきあった箱はなくなっていた。ただ、次の日にはゴミ箱の中に見かけた。中身は空っぽだった。大網が食べたのかどうかは分からない。あとで冷静に考えてみると、あのとき大網がしゃべったということ、あれがせめて、ヤツにできる最大のことだったのではないか。大網は気づいていたのだろう。そして、自分の声を聞かせること、それがヤツからの最大のプレゼントだった。最大の、別れのプレゼントだった。
それ以来、アルマちゃんと大網は会ってないはずだ。二人ともこれから、修羅の道を歩んでいくことになるのだ。唯一の相違点と言えば、アルマちゃんは正義、つまり家族や人のため、大網は悪、つまり自分のために、そうなっていったことだった。

もちろん大網は成績の関係上、大学に行くことはできるはずがなかった。二郎は公立、真悠美君は国立の大学へ行った。アビス君は専門学校へ行ったらしい。具蘭田陽児とアルマちゃんについては、誰もそれ以上語らなかった。

大網の学生生活は終わった。一体それは、ヤツにとって有益なものだったのであろうか。いずれにせよ、これからヤツの、海賊としての生活が始まるのだ・・・