第五十一話

スエラ・フォレストは水の中で禍々しく笑った。天希達は水中で身動きを取ろうとするが、思い通りに移動することもできなければ、浮き上がることもできない。水の流れは完全にスエラが掌握しているのだ。
「ガボ・・・」
最初に可朗が気を失った。エルデラやカレンは静かに敵の動きを警戒していた。
「悪い子達だね。寝かしつける手間も考えておくれよ・・・ハハハ!」
スエラは未だ空気中にいるかのごとき闊歩で近づいてきた。天希達は言葉を返すことができない。スエラはカレンの前で立ち止まった。カレンはスエラを睨んでいる。
「ねぇ?」
手の直接届かない距離で、スエラは腕をカレンの首の方へ向けた。するとカレンは首を押さえて苦しみ始めた。
「!」
エルデラが止めに入ろうとした。しかしスエラが反対の手を出し、その掌を地面に向けると、突然強い重力がかかったようにエルデラは水底に倒れ伏した。
(くそっ・・・!)
カレンはさらに首を押さえるが、その手もしだいに力がなくなっていった。エルデラは渾身の力で腕を振り上げるが、それを見逃すスエラではなかった。
「おっと・・・アンタは床に寝かせるべきじゃなかったね」
エルデラが腕を振り下ろそうとするが、スエラが掌を返すと、エルデラの体は渦巻く水流に引っ張られ、上の方に飛ばされた。下の方では、スエラの目の前でカレンが力なく浮き上がり始めていた。
(くそっ・・・くそっ!)
エルデラはコントロールの効かない今の状況を悔やんだ。そしてふと周りを見やると、天希の姿が目に入った。天希もまた息が切れたか。体を縮こめて浮いていた。縮こめて?その時。
こもった破壊音とともに壁にヒビが入り、その直後爆発が起きた。広間の暗い壁に穴が空き、晴天が露わとなった。
「な、何事!?」
空けられた穴から水が流れ出した。それに引きずられて天希達も流されそうになった。エルデラは外に投げ出される前に穴の端につかまり、それから流れてきたカレンの腕を掴んだ。
(またこれか・・・!)
エルデラは水流に向かって頭突きをするように頭を突き出していた。水流は彼に裂かれるようにして傍を流れた。エルデラは流される可朗が横切ったことに気がつかなかった。
「ん?この水・・・?」
エルデラは別のことに気が付いた。流れる水が暖かくなっている。彼の肩が空気に触れるようになった頃には、湯気が出るほどになっていた。
エルデラは水が流れきった。広間に再び乗り出し、闘いの場を改めて見やった。白い湯気が天井にまで届き見えづらかったが、そこにはなんと、敵を圧倒する君六がいた。
「ぐわあああっ!」
スエラは飛び退こうとするが、君六のデラストは彼女を逃さなかった。
「きえええええっ!」
君六は得意の張り手攻撃を重ねた。スエラは思い通りに反撃することができない。その原因は火傷にあった。
「おのれぇ・・・!」
君六の後ろから天希が現れた。床は未だ水浸しだったが、天希が一歩踏み出すごとに水蒸気が舞い上がった。
「ハアッ!」
君六が会心の張り手を繰り出すと、直撃したスエラの体に稲妻が走り、巨体が床から数センチ浮いて飛ばされた。
「ぐわああっ!」
スエラはついに床に倒れた。天希はスエラの方へ歩み寄った。
「奥華はどこだ」
スエラはガバッと顔を上げ、天希の方を睨んだ。
「なんだい、馬鹿の一つ覚えみたいに奥華奥華って!あんなガキに何の未練があるんだい!」
天希もまたスエラを睨み返した。
「『あんな』か・・・なるほど」
エルデラが天希の後ろから歩み寄った。カレンは部屋の柱の横に寝かされていた。
「変だと思ってたんだ。魔人族が2つの姿を持つってのは知ってたが、それにしちゃ見た目の年が違いすぎるってな」
その言葉を聞いたスエラの顔が、一瞬青ざめた。同時に、天希も何かの合点がいったように、驚いた顔でエルデラの方を振り向いた。
「もしかして、父ちゃんの船にあった本の・・・」
「たしかこんな話だったよな。魔人族の男が・・・」
天希はスエラの方を再び振り向こうとした。しかしスエラはその瞬間に飛び退いた。ヴェノム・ドリンクの副作用か、着地は不安定だった。
「そいつはあたしの本さね・・・アンタ達の御察し通りの事をやったのさ」
スエラは床に手をついた。しかし、その目は狂気的に天希達の方を睨み続けていた。
「あたしゃ兄弟の中で一人だけ人の姿を持たないってんでね、小さい頃からそれはそれはバカにされたもんだよ。だから・・・食ったのさ」
スエラは見せつけるように口を開け、指差した。天希達は息を飲んだ。
「書いてあっただろう?魔人族は人を丸呑みすればそいつの身体を手に入れられる。胡散臭い話だ。だがあたしはそれを成し遂げるために世界各地の魔術書にあたった。全てを知り、全ての準備を整えた」
スエラは壁の向こうの空を見、太陽の陰りゆく様に視線を注いだ。
「だが、人を食う?食うとして誰を?それに、誰にせよ人を殺すことに変わりはない。あたしにゃ抵抗があった。自分の望みに抵抗を持ったまま時が過ぎ、結婚し、子供を宿した。その子は無事産まれてきた。ちょうどその時さね」
スエラの身体の衰退が止まった。天希達は、少なくとも、そのような空気の変動を感じた。
「元気に泣き叫ぶ我が子を見て思ったのさ。どうして『これ』は自分の体から出でたのに、こんなに元気なのか。それは真っ当な人の赤ん坊だった。この先真っ当な人の形に育つ事など疑う余地もなく想像できる。若い身体を持ってね。あたしゃ心底それが気に入らなくなった。周りの人間のかける祝福、慰労の言葉など上の空だ。なにせ準備は整っていたんだからねえ」
太陽は雲に隠れて見えなくなった。それと同じくして、部屋を覆っていた水蒸気は嫌な湿り気へと変わっていった。まるでその湿度で身体を潤すかのように、スエラは気迫を取り戻していった。
「レベルアップか・・・!?」
エルデラは叫びつつ、石造りの床を踏み砕き、その破片をスエラの方へ飛ばした。天希はエルデラとは別の方向から攻撃しようと回り込んだ。スエラが再び口を開くと、前よりもさらに強力な、冷たい水柱が吐き出された。
「なっ・・・」
それはレーザービームの如くに真っ直ぐエルデラを狙い、飛んできた床石もろとも外へ突き飛ばした。水を吐き終わったスエラは余韻を感じる間も無く天希の方に向き直り、左拳による突撃をひらりとかわした。そしてさらに向かってくる君六も含めた2人を、足元から起きる巨大な水紋のような波で突き離した。そして飛ばされた天希の方へ向かい、その襟首を左腕でつかんで持ち上げた。その手は冷たかった。
「うぐ・・・」
「そうそう、あの時は左腕だけ食い損ねたね。それで呪術が失敗したのか知らないが、アイツはあたしの知らぬ間に勝手に成長していった。気付いたときにゃ、この身体の制御権はアイツに握られていた。まるで安土奥華っていう1人の中学生がいるかのような振る舞い。アイツの目で見りゃ相当平和な日々だったろうねえ。このヒドゥン・ドラゴナに関わるまでは!」
「がふっ!」
スエラは天希を地面に何度も叩きつけた。
「げはっ!ごはっ!」
「何にせよ、あたしはホームグラウンドに戻った。ゼウクロスのデラストも手に入れた・・・」
「ゼウクロスの・・・デラスト ?」
スエラは一層強く天希を壁に投げつけた。
「ぐあっ!」
「アンタには関係ないことさね。安土奥華も消えた、もうアンタ達には何もかもなくなったのさ。大人しく斃れるがいいさ」
天希は壁から地面に落ちた。しかしすぐ膝立ちになった。
「そんなわけ・・・」
天希は足を立て、同じ側の手を挙げた。
「まだ何かしようってのかい」
スエラはすかさずその手を掴んで握り、引きずり倒した。天希は顔をしかめた。
「懲りないヤツだ・・・その腕も引きちぎってやろうかね」
天希は顔を上げた。その先には君六がいた。
「大将ッ!」
君六はどうにかして助けに入ろうとしていた。しかし天希は首を横に振った。君六の後ろに曇り空が見えていた。先ほど陽が出ていた事が嘘であるかのような、分厚く暗い雲が空を覆っていた。
「うるさいおチビちゃんだねぇ、タフなのはいいが何度やっても無駄だよ、アンタの短足じゃあたしの攻撃には追いつけない」
君六は唇を噛んだ。そして、柱に横たわっているカレンの前に行き、かばうような体勢をとった。しかしスエラは興味のなさそうな視線を向けた。
「ハッ、図星かねえ」
スエラはさらに腕に力を込めた。天希は歯を食いしばった。そして炎を放とうとしたが、スエラに掴まれ固く握られた拳の中でくすぶるだけだった。
「さあ」
スエラは天希の逆の腕も掴み、その腕に全体重をかけてきた。デラストにより得られる腕力は相殺され、天希の肘の骨が悲鳴を上げた。
「くっ・・・!」
天希は力に抵抗し、目を固く閉じた。しかし、それ以上力が入る気がしなかった。諦めかけた天希は目を開いた。その時、厚い雲に覆われていた空の向こうに、一筋の陽光が見えた。その光はすぐに見えなくなったが、それに共鳴するように天希の中にあるものが、一つの抜け道を作った。
スエラの力が徐々にのしかかってくるのをスローモーションのように感じる中、彼の意識はその力に逆行するようにスエラの右腕を伝い、彼女の内部へと達した。そこには、明らかにスエラの身体・心とは違う温度を持った何か、まるで別の人間がいるような・・・
「奥華ッ!」
突如、天希の右腕が赤熱した。当然スエラはこの瞬間がある事__天希が熱攻撃を使う事を予測していた。だが、掴む腕が離れない。
「熱いいいいぃぃっ!?」
スエラは悲鳴をあげた。思わず左腕を離したスエラは、右腕を掴んで引っこ抜くように離した。同時に、天希は飛び退いてスエラの方に向いた。
「ガキが!」
天希はほくそ笑んだ。
「やっぱりそうだ・・・奥華はいなくなってなんかいねえ!ずっとそこにいる」
「ハッ、ここまで話の通じないガキだとは思わなかったよ」
スエラは手を冷ますように水をまとわりつかせた。次第にそれは剣の形へと変わった。不完全だが、刃は凍り固まっている。
「ああう・・・大将・・・」
いつの間にか弱気に戻っていた君六が、その様子を見つめていた。
「待ってろ、大丈夫だ」
天希は右手をスエラの方に向けた。左手は、炎を吹き出そうとした左手は、まだ握ったままだった。

エルデラは木の下に隠れていた。落下中に木に引っかかったのが幸いし、完全に気を失うことはなかったが、辺りの様子がおかしいことにはすぐに気付いた。爆発音は聞こえなくなったが、草の焼ける匂い、人とドラゴナの声が入り混じった罵声や悲鳴は四方からエルデラを囲んでいた。彼は目を伏せていたが、誰の仕業であるかは見当がついた。エルデラは少し顔を上げた。
「やっぱり、てめえか」
押せ引けの喧騒を気にもかけず、まっすぐこちらに歩いてくる影があった。エルデラは立ち上がり、見慣れたその男の前に自ら立ちはだかった。
「久しぶりじゃねえかよ、大網・・・!」
だが当の大網は、その言葉どころかエルデラが現れた事にすらピクリともしない。大網はそのまま歩いてくる。そして、まるで稲穂を掻き分けるように、わずかな力でエルデラはその場をどかされた。
「おい・・・!」
エルデラは振り返った。大網の背中は離れていく。エルデラはあっけなさと、自分が見せた凄みのくだらなさを感じた。が、相手は間違いなく悪人。エルデラは思い直し、大網を追った。
「大網!何をしに来・・・」
大網の襟をつかもうと迫った瞬間、エルデラは全身の揺らぎを感じた。方向感覚がなくなり、エルデラは意識だけはあるままその場に倒れた。
「おい!待て大網!待て!」
エルデラはどちらに叫んでいいのか、そもそも自分がどこに向かって叫んでいるのかわからなかった。それは昔、はじめて大網の船に乗った時の船酔いを思い出させたが、それよりも遥かに悪い状態だった。彼がやっとのことで視線の先に捉えた大網は、相変わらずまっすぐに歩いていた。途中、腕を振る動作が見え、それと同時に爆発音も聞こえたが、エルデラは小さくなる大網から目を離せなかった。
「おい・・・!おぉい・・・!」

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