第五十二話

天希とスエラは向かい合った。スエラは憎悪の目で天希を見ていた。対する天希は、スエラを見ると言うよりも、その瞳の奥にある何かを捉えようとしているかのような目だった。
柱の前に立つ君六、うっすらと目を開いたカレン、壁から這い出してきたドッペルの三人は、ただその様子を眺めるばかりだった。
「決着をつけるぜ、すべての決着を!」
そう言って天希は笑顔を作った。その意味がスエラにはわからなかった。
「生意気な・・・アンタらには何一つさせてはやらんよ!」
天井の爆発を合図に、先に踏み出したのはスエラだった。右の氷の刃を振り回し、天希に切り掛かった。天希も突進し、右の手でその刃を受け止めようとした。そこに天井の破片が挟まって衝撃が起き、天希は跳ね飛ばされ、氷の刃は溶け折れた。スエラはすかさず左の刃で天希を刺しに向かった。
「!」
しかし、すでに左の刃も溶けはじめ、天希に刺さる前にそれは水へと変わった。代わりに、左の拳が天希の顔面を捉えた。天希は踏み止まり、頭でその拳を押し返した。
「ぬうっ・・・!」
天希は首で拳を払うと、右の掌でスエラの腹を捉えた。
「ぼっ!」
打撃としてのダメージはスエラにとって大きくはなかった。しかし、スエラはその手にエネルギーを感じ、すぐさま飛び退いた。
「何・・・だ・・・?」
打撃とは別に、そのエネルギーはスエラの身体の芯に届いたようだった。スエラは自分の『中にいるもの』に天希が触れた事に気がついた。
「のれんに腕押しよ・・・!バカだねえ!」
スエラは右手で再び氷の刃を作り、左手で懐からヴェノム・ドリンクを取り出して口に含みつつ、突進した。刃は先ほどよりもさらに長い。
「わっ!」
頭へのダメージで一瞬気を失っていた天希の前に、氷の刃が迫った。天希は全身を翻して、刃から繰り出される連続突きを避けた。返しに右腕から炎を吹き出したが、スエラはこれも水の盾を作り防いだ。
「無駄だよ!アンタの炎は弱々しすぎる!」
スエラは氷の刃をまっすぐ投げた。刃が天希の服の左肩を捉え、壁に突き刺さった。
「わっ!」
スエラは天希の疲弊を確かめるように、ゆっくりと歩いてきた。
「それに本人は力任せのバカ・・・噛み合ってないねえ。残念だ」
スエラは左の拳を握って引き、天希の前で腰を落とした。
「さあ、決着をつけようじゃないか、すべての決着をさあ!」
スエラは叫びながら天希に向かって左の拳を突き出した。とっさの動きができない天希は目をつぶりそうになったが、スエラの顔を見た。そして、魔人の瞳のその先にあるものを。
〈天希君・・・!〉
突如、スエラの拳はスライムのように溶け出した。
「な・・・」
もはや形を失った左腕は、まるで拒否するように勢いを失い、地面にボタボタと垂れた。
「何いいいっ!」
その光景を目にした天希は、叫んだ。
「奥華アアアアアアアッ!!」
同時に、天希の身体が赤熱するように光り出した。スエラが思わず手でそれを遮ったその時、天希は左腕を大きく振り、それまで握っていた拳を開いた。スエラの巨体が浮いた。その光景を見ていた君六達には、何が起こったか分らなかった。だが、天希が何かをスエラに投げつけたように見えた。
「ガアアアアッ!」
その衝撃にスエラは痛み悶えた。氷の刃を作り反撃を試みようとしたが、その刃もまた意志に反するように溶け出してしまう。
「アアアアッ!クソガキめ!」
突然、スエラの顔の左目から涙が溢れ出した。スエラは右半分の顔を青ざめさせ、とっさに左半分の顔を押さえた。
「出てくるな・・・出てくるんじゃないよクソガキぃぃ!」
スエラは右の目で天希を見た。天希は再び左の拳を握った。指の間から赤い光が漏れ出していた。
「あんたも、レベルアップか・・・?まさか」
スエラは自らの拳を顔の左側に打ち付け、その手についた涙を氷の矢へと変え、天希に向かって飛ばした。
「おおおおっ!」
天希は踏み込んだ。氷の矢は天希の目の前で溶け、蒸発した。再び天希が左腕を振った。君六の目には、今度こそ天希の手から投げられた、赤熱する玉の軌道が見えた。スエラは咄嗟に水の盾を作り出したが、火の玉はそれすらも突き破り、スエラの体に直撃して弾けた。
「ぐああっ!」
スエラは倒れこんだ。そのうちに天希は近づいてきた。いつの間にか、スエラは左腕だけでなく、全身が熱にさらされた氷のように溶け出している事に気が付いた。
「ふざけるな!安土奥華だと!?このあたしはスエラ・フォレストだ!ヒドゥン・ドラゴナの頭領!方角連合の一・北角の・・・」
「いいじゃねえか、それで」
「・・・何?」
天希はスエラを見下ろし、スエラは天希を見上げ、互いに睨み合っていた。だが、天希はしゃがみこんだ。
「どっちかがいなくなるくらいだったら、どっちもいて仲良くしたほうがいいじゃねえか」
天希は笑顔を作った。スエラは溶けかけた身体を起こし、天希に襲いかかった。
「バカめ・・・!心底頭のイカれた・・・」
天希は立ち上がった。
「奥華!」
覆いかぶさろうとするスエラの胸に、天希は右の手を当てた。途端、スエラの全身が音を立てて泡立ち、蒸気を吹き始めた。
「ア゛ア゛アアアッ!」
「悪い、俺ができるのはここまでだ!最後の決着は・・・お前の中でつけるんだ!」
スエラは悲鳴をあげながら、全身の形を失っていった。その様を君六達は祈るように見ていた。
「ア゛ア゛アアァァ・・・」
スエラの体だったものは、完全に水となって天希に覆いかぶさった。それすらも泡を立てて蒸発していき、白い煙を吹き上げた。

壁に大きな穴を二つ開けたその広間は静かになった。カレン、君六、ドッペルはゆっくり目を開け、事の行方に目をやった。そこには、傷だらけの身体で、しかし安らかな笑顔で静かに寄りかかる奥華と、全身に水を滴らせ、奥華の身体を受け止めて支える天希の姿があった。
「た、大将・・・」
2人はまるで時が止まったように動かなかった。君六は一歩踏み出し、もう一度言った。
「大将・・・!」
すると、天希はゆっくりと君六の方に向いた。そして言った。
「戻ろうぜ」
君六は思わず泣きながら天希達のもとへ駆け寄った。
「大将〜ッ!!」
起き上がったカレンも、目に涙を浮かべながらそれに続いた。その時。
カレンの耳には確かにその音が聞こえていた。しかしもはやそちらに気を回すことなどできなかったのだ。まず、広間の壁が更に爆発し、ほとんどが破片と化した。それが床につくかつかないかのうちに、その床が裂け爆ぜた。
「うわあああっ!」
彼らの落ちる空間は、それまで何層もの床や部屋があったようだった。しかし、彼らの側から見えるとすれば、それは下から突き上げられたような床の切片の反りと、その間からはみ出した作りの悪い床板だけだったであろう。
カレンは全神経を、落ちゆく建物の破片同士の間に垣間見える、床の端に集中させた。そして上下に向かって人形を飛ばし、上の人形には壁を、下の人形には君六を掴ませた。天希の方にも人形を投げたが、寸前で届かなかった。
「天希君!」
天希は声を上げず、奥華をしっかりと抱えたまま落ちていった。その上方からドッペルが急接近してきた。
「待てええぃ!」
ドッペルはそのまま天希達を通り過ぎたかに見えたが、ドッペルは天希達と地面の間で棒状になり、床に接近する2人の勢いをクッションのように和らげた。ドッペルの身体が縮みきってマットのようになるか否かの時、天希が足を伸ばして着地した。
「おっとっと!」
着地の反動で前に倒れそうになった奥華を、天希はなんとか支えた。
「サンキュー、ドッペル」
「いいわいいわ。気を抜くのはまだ早いぞい」
そう天希は言うと、奥華を今度は背中に負ぶり、歩き出そうとした。カレンと君六も着地し、降り注ぐ建物の破片から天希達を守らんとした。その時、天希は目の前に立つ影に気が付いた。
「え・・・?」
カレンと君六もまた、背筋が凍るような気配を同じ方向から感じ取った。
「父ちゃん・・・」
天希は目を丸くして言った。目の前に立っていたのは峠口大網だった。厳格さと得体のしれなさを持つその男は、光の入らない目を細め、まっすぐに天希を見ていた。天希は息を吸うと、父親に向かって言った。
「なんだ・・・迎えに来てくれたんだ!珍しいな、父ちゃんが迎えに来てくれるなんて。嬉しいよ俺・・・」
大網の表情はピクリとも動かなかった。瓦礫が降る中、カレンは震えていた。大網が何をしに来たのかはわからない。しかし、その息子は知っているのだ。自分の父親が、自分達を助けに来るはずがないということを。この男はそんな人間ではないということを。
「なあ、父ちゃん・・・」
天希は大網の方に歩き出した。まるで疲れを思い出したかのように、その足取りは重くなっていた。
刹那、大網の腕が消えた。天希の顔に拳が入ったのだ。天希は倒れそうになったのを足で踏み堪えたが、息は乱れ、激しく動悸し始めた。その動悸をも噛み締め、天希は渾身の頭突きを父親に喰らわせようとしたが、大網は臆する様子も見せず、隙を見せた息子の後頭部に手刀を叩き込みながら足を引いた。天希は地面へと倒れ込んだ。
「と・・・う・・・ちゃ・・・」
背中の奥華はその横に転がった。大網は彼女を抱え上げ、そのままその場を去ろうとした。
「テ、テメエエエッ!」
君六が大網に向かって叫んだ。稲妻が周囲を走り、落ちてくる瓦礫がことごとく爆ぜた。しかし大網は立ち止まることも、振り向くこともせず、闇の中へと消えた。
「ま、待ちやが・・・」
頭上でひときわ大きな爆発音が聞こえた。ミサイルのようなものが通り過ぎるのが壁の穴から見えた。しかしそのいくつかは着弾したらしく、ボロボロになった塔はついに本格的に崩れ始めた。
「逃げないと・・・!」
天希は倒れたまま動かない。カレンは天希を抱え起こそうと向かった。その時、どこかから声が聞こえてきた。それは人間のものとは違う声だった。しかし聞き覚えがある。
「ドキャァ!」
瓦礫をかき分けて現れたのは、ドラゴナの群れだった。先陣を切るドラゴナの胸には『傘匠旺』の文字があった。

海賊達は、塔が崩れていくのを見ながら、頭の帰りを待っていた。やがて大網の姿が見えると、周囲は歓喜に包まれた。
「なるほど、やっぱりあの子がそうだったのね。教えてくれてありがと」
少女を抱える大網の姿を遠目に見ながら、真悠美は言った。エルデラはその横で未だに天地のわからない状態で横たわっていた。
「くそっ・・・!」
エルデラは辺りを見回した。ヒドゥン・ドラゴナの鎧を着たドラゴナ達が縄で縛られ、一箇所に集められていた。彼らは人のものとは違うが、元気のない哀しそうな声を上げていた。その光景にエルデラはそれ以上形容しがたい悔しさを覚えた。
「その子をどうするつもりだ」
海賊達が喜ぶ中を突っ切り、雷霊雲が大網の前に出てきた。その様子を見た真悠美は、すかさず彼の真後ろに飛んできた。
「あら先生、そんなに怖い顔なさらないで。この子はスエラ・フォレストなのよ?」
「何を・・・」
「エルデラちゃんが言うんだから間違いないわ。だから・・・大人しくしててもらおうかしら」
真悠美が雷霊雲のこめかみに手を伸ばした。その時、そこにいた彼らの頭の上を、巨大な鉄の塊が通り過ぎた。それに海賊達が気づいた時はすでに、雷霊雲、エルデラ、そして奥華の姿はなくなっていた。代わりに、飛び去る飛行艇の下から3つの影が伸び、それは次第に飛行艇の方へ引っ張られていった。
「逃げたぞ!」
「あなた!・・・追わないの?」
大網は険しい顔で空を眺めていた。塔の瓦礫の方では、まだ縄に縛られていないドラゴナ達が、空の彼方に消えゆく飛行艇に向かって手を振り続けていた。

「いやさあ、僕も通じるとは思ってなかったんだよね。だって言葉が分かんないし。とにかく必死に伝えようとしたんだ!そしたらポケットに入ってたんだよ、賞味期限切れのもみじまんじゅうがさ!それで伝わるとは僕だって予想外だったよ!」
可朗は壁に寄りかかり、息を切らしながらも自慢話を続けていた。天希と奥華は狭い飛行艇の床に寝かされていた。ドッペルが布団へと変化すると、まずその上にエルデラが寝かされた。雷霊雲がエルデラの額を打つと、エルデラの感覚の混乱は止まった。
「ありがとう、先生・・・」
「他にもいるんだぞ」
エルデラは布団から離れると、端に座るカレンの隣に腰を置いた。
「兄さん・・・」
カレンは安心しきった顔でエルデラの方に手を置くと、抱きつく前にそのまま眠りに落ちてしまった。エルデラもカレンに言葉を返す前に目を閉じて眠ってしまった。
「やれやれ・・・」
雷霊雲は疲れた顔で辺りを見た。君六も壁に寄りかかって寝ている。可朗もウトウトしていた。雷霊雲は飛行艇の運転席の方へ目をやった。
「燃料は一晩持つか? 」
「持たなーい」
「なら陸が見え次第着陸してくれ。できれば」
「了解ー・・・」
操縦ハンドルを握る飛王天は、ときどき不安げに後ろを、特に床で寝る奥華を見やりながら、飛行艇を運転した。
「よくこいつまで味方につけたな、可朗」
「へへ・・・そりゃあ、大網さんに怯えきってましたしね・・・こういうのを確か呉越同舟って・・・」
可朗の声はいびきに変わった。雷霊雲はため息をついて、布団の上に寝かせた奥華に目をやった。
「私もそろそろ休みたいんだがね」
「いやあ、この子らもあんたもずいぶんがんばったよ」
ドッペルが言った。雷霊雲は返事をせず、奥華の容態を確認しようとした。
「ひどい傷だな・・・ん?」
そのまま眠って動かないと思っていた天希の位置が、いつの間にか変わっていた。寝そべったから差し出された手には、奥華の帽子が握られていた。その手の先に眠る奥華本人の服は皺だらけになっていたが、帽子は汚れひとつついていなかった。
「・・・」
雷霊雲は奥華の息を確かめると、簡単な傷の対処を施し、奥華をシートに寝かせ、帽子をかぶせてやった。それから、何事か聞き取れない言葉を小さくつぶやく天希を抱え、奥華の隣に寝かせた。そして別のシートに自らの腰を下ろし、彼もまた眠りについた。

厚い雲は未だ真上にかかっていたが、遥か遠くの空からは夕焼けの色が見えていた。

デラスト 上幕 これにて完結。

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