第四十六話

かくして、天希達はドラゴナの村へ迎え入れられた。二本足で立ち、通じはしないものの同じように言葉を話し、挨拶の時に手を上げるという共通点が、壁を越えて彼らを繋げていた。
「ありがとうございます」
可朗は正座をし、もてなしのマンゴーを受け取りながら言った。長老らしきドラゴナと目が合う。長老が何か言うが、可朗にはその言葉は理解できない。両隣にいる奥華・カレンももちろんだ。彼らは確認するように何度も顔を合わせたが、やはり言葉が通じる事はなかった。それでも何か言葉を発する事で、最低限の意思疎通ができているような気がしたのだ。それを裏付ける好例は外にあった。

「そりゃっ!」
「フガ!」
村の中心、ヤシのような実をボールにしてサッカーを行っているのは、村のドラゴナの一人と天希である。
村の他のドラゴナ達は、二人を囲むようにして、試合の有様を見守っている。
「そこだっ!」
天希の蹴った実が、柔道着のような服の胸に「傘匠旺」の文字を持つそのドラゴナの股をくぐり、簡単な作りのゴールに入ると、周りのドラゴナ達は歓声を上げた。
「グルバ・・・」
傘匠旺は悔しそうに実をゴールから取り出したが、次は相手のゴールを奪うと意気込み、実を地面に置いて足を構えた。守りの姿勢をとる天希と目が合う。その目は、明らかにこれを楽しんでいる目だった。それは天希にも分かった。
「さあ来い!」

双方の緊張の色は徐々に薄らいでいた。もてなしの品を一通り食べ、可朗は自分達が座る家の中を見渡した。草を編んで作られた壁。そこに掛けられた刺繍絵。いつの間にか別世界へ来たようだった。天希は・・・自分と会う前の、大網の海賊船に住んでいた頃の天希は、いつもこのような世界を転々としていたのだろうか。
「何・・・?」
それまで笑顔でマンゴーを口にしていたカレンが突然立ち上がった。皆がカレンの方を見た。彼女の目は、まだその場にいない敵を見据えるようだった。和やかになりかけた場が、一瞬にして緊張した。
「何か来ます・・・!」
長老は察しがついたらしく、近くにいたドラゴナ達に何か耳打ちをした。ドラゴナ達は外へ出たが、慌てて戻ってくると、長老の腕を引いて外へ連れ出そうとした。その瞬間だった。
「ウオォラアアァァァ!!」
轟音とともに低い天井が迫る。何か重い物が家めがけて落ちてきたのだ。一瞬の出来事を、可朗は防御する術がなかった。
【長老ォ!テメエェ!】
あっという間にペシャンコになった家の上に立つのは、厚い鎧を着た大柄なドラゴナ。彼はつぶれた家の壁の間から、気絶寸前の長老を引っ張り出し、首をつかんで持ち上げ、睨みつけた。
【お主・・・禍瑪か?】
【俺達ヒドゥン・ドラゴナにヤシを納めねえどころか、この島への侵入者をかくまってやがるな?】
【何故それを・・・】
【プッ、ククックッ、全部バレバレなんだよ、塔からじゃなァ!テメエらのちっぽけな頭じゃ分からねえだろうけどなァ】
【待て、あの人間はあれだ、海賊の使いで・・・】
禍瑪は長老を顔から地面に叩きつけた。
【もっとマシな嘘の一つもつけや。海賊の使いがドラゴナに顔を出さない事があるか?】
【やめろ・・・】
その時、禍瑪の横顔に硬いヤシの実が直撃した。だが禍瑪は驚きもよろけも見せず、ヤシの実の飛んできた方向を睨みつけた。そこにいたのは『人間』だった。
「何してんだよ」
天希は一歩前に出た。周囲のドラゴナ達は禍瑪から距離をとっていた。禍瑪が人間よりも歓迎されざる存在である事は一目瞭然だった。禍瑪は人間の姿を見ると喉を鳴らし、背中にかけた斧に手をかけながら天希の方へ出た。
「ガッガッガッ・・・」【そちらから来てくれるとは好都合だぜ。近くで見ると随分と小せえじゃねえか。さてはガキだな】
天希は構えをとった。今相手が下りた草の山の下には可朗達がいる。天希はすでに靴を脱いでいた。
「うおおおおっ!」
天希は禍瑪に向かって突進した。火炎を伴うパンチを当てようとしたが、禍瑪が長老を盾にして持ち上げると、天希は命中直前で慌てて腕を引き戻した。長老の顔に熱風がかかる。
【チッ、当てねえのかよ】
禍瑪は逆の手でアッパーを繰り出した。天希は後ろに下がって躱したが、禍瑪はその手で改めて斧に手をかけると、勢い良く目の前に振り下ろした。だが、天希はこれもなんとか避けた。だが跳ねあげられた地面の砂までは避けられなかった。
「うわっ!」
怯む天希に禍瑪は長老を投げつけてさらに隙を作らせると、下ろした斧を支点にジャンプし、そのまま天希めがけて全体重を乗せた蹴りを繰り出した。
「キアッ!」
しかし、その攻撃はとっさの乱入者によって、わずかに狙いを外された。飛び上がる禍瑪に真横からジャンプ体当たりを当てたのは傘匠旺だった。
【クソが!】
着地するや否や、禍瑪は転がってきた傘匠旺の頭を掴み、怯えるドラゴナ達の方へ投げつけた。しかし、禍瑪が向き直る頃にはすでに天希は懐に入っていた。
【ぬ・・・?】
「はあっ!」
天希は禍瑪の腹に手を当て、そこに力を込めた。すると、その間に熱がこもり、やがて小さな爆発を起こして禍瑪を弾き飛ばした。
【熱ちぇえぇあっ!】
禍瑪は別のドラゴナの家に直撃し、潰れた草の上を転がりながら悶えた。
【テ、テメエェエエェ・・・!】

エルデラの意識は朦朧としていた。まず目の前に格子がある事は分かった。そして、その向こうに人影がある事も。誰だ?カレンか?おふくろか?それとも別の高血種族__であれば名前が分からないが__か?いずれにせよ助けなければ。エルデラは手を伸ばしたつもりだった。しかし実際は手は床に横たわったままだった。
「やはり貴様ら一家を先に始末しておくべきだった」
格子の前に立っているのは、他でもない薬師寺悪堂であった。閉じ込められているのはエルデラの方だったのだが、彼はまだそれに気づかなかった。
「せいぜい床の冷たさでも味わいながら余生を過ごすがいい」
悪堂は言葉ごとに唇を噛み締め、肉のついていない拳を握り締めながらそう言った。去り際、その拳で壁を一発殴りつけた。
「・・・?」
エルデラは彫刻のように横たわったまま、視線を落とした。視界が青白くなりつつある。彼は溺れた時とはまた違う息苦しさを感じた。だが彼は自分が捕まっている事に気づけない。波と水流の感覚が体の中を反射して、未だ海の上に浮かんでいるような心地さえしているのだ。
「ウウウ・・・」
壁の向こうからは唸り声が聞こえてきた。しかし人間の声には聞こえない。何か言葉をつぶやいているようにも聞こえたが、たとえ今のエルデラの意識が鮮明だったとしても、その言葉は分からないだろう。
「ギャーッ!」
不意に叫び声が聞こえた。こちらは人間の声だ。声の主は格子の外、さっきまで悪堂の人影があった場所に転がり込んできた。
「アッ、アッ、苦しい!助けて!」
エルデラはその声に聞き覚えがあった。
「・・・明智・・・君六?」
エルデラは何かをしようとした。何をしようとしたかは定かではない。何をするまでもなく、何もできないのだ。彼の体は動かない。そしてそもそもエルデラは、自分が動いているかいないかの区別さえついていない。彼は冷たい水の床の上にいる。
「ゲホッ、ゲホッ、ひぅ・・・」
周りから聞こえてきた謎の声も、君六の叫び声も、しだいに聞こえなくなってきた。青白い煙は完全にエルデラの視界を覆った。
「こんちくしょーめがぁ・・・!」
何者かが叫び、一瞬雷光が見えた気がした。格子の形がはっきりと煙の中に映し出され、稲妻が自分めがけて飛び込んできたように見えた。しかし、その声もまた呻き声に変わり、やがて苦しそうにその音を絶えた。
静寂が再び訪れた。この地下牢の中で、立ちこめる煙を除けば、動くものは何もない。そのように見えた。だが、先程の雷光は間違いなく彼を射ていたのだ。
彼は横たわったまま、目を見開いた。そして、腕に力を入れた。指先が動く。柔らかい指の腹が冷たい床を掴む。文字通り掴む。指が硬い地面にたやすくめり込む感覚を感じとると、エルデラは笑った。

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