第三十五話

「兄さん・・・?」
カレンは思わずそう口にした。
「へっ?」
「・・・あっ、すいません!人違いですよね、兄とそっくりだったので・・・」
カレンはだんだん声を小さくしてしまった。相手もやや動揺していた。
その時、上の階から戦闘員とともに、天井に届きそうなほどの背丈を持つ中年男が慌てて降りてきた。
「貴様らか侵入者は!」
その男は顔をしかめて叫んだ。
「・・・なるほど、アイツがここの管理人か。悪かったな、勘違いしちまって」
少年はデーマに向かってそう言うと、カレンの方に何かを投げた。カレンは慌ててキャッチした。
「ちょっくら預かっといてくれよ、それ」
少年とデーマはお互いの顔を見た後、敵の中年男に向かっていった。
「ガキ共が我々の邪魔をするか!かかれ!」
戦闘員達が先に出て行った。デーマは手のひらの上に毒針を作り、それを戦闘員達に向かって飛ばした。針は一本の無駄もなく戦闘員全員に命中した。さらにデーマは、しゃがみこんで戦闘員達の足下に鎖を飛ばし、鉄格子に巻き付けて戦闘員達を転ばせた。
「おおっ、やるじゃんか」
続いてデーマは再び鎖を飛ばし、今度は奥にいる中年男の足を狙ったが、途中で何かに横から挟まれて止まった。
「何だあれは?氷か?」
よく見ると、中年男の足下は半透明の塊で覆われていた。
「氷?違うな、塩だ!」
中年男が手の平を前に突き出すと、いくつもの塩の塊がデーマめがけて飛んでいった。デーマは回避しきれなかった。
「くっ」
「次ぃ!」
中年男は両手の平を大きく振って前に突き出した。すると、巨大な塩の壁が現れ、戦闘員達を弾き飛ばしながらデーマ達の方へ進んでいった。
「潰れろ!」
その時、バルレンの少年が前に踏み出た。彼が人差し指と中指を突き出し、せまりくる壁に軽く触れると、そこを中心として壁に亀裂が入り、粉々に砕けてしまった。
「何!?」
中年男は焦りつつも、また塩の塊を作り出して飛ばした。少年の背中を飛び越えて、デーマは塩の塊を回避しつつ中年男に接近した。そして右手に剣を握り、真上から振り下ろした。中年男の方も塩で自分の目の前に厚い壁を作り、刃を受け止めた。
「そう簡単に攻撃は通さんぞ」
そう言われて、デーマはやや顔をしかめた。
「どうかな」
返事をしたのは少年だった。彼は大きく飛び上がり、さっきと同じように天井を指で突いた。すると、天井に入ったヒビが中年男の頭上まで進んでいき、そこで一気に崩れ落ちた。
「おおお!?」
同時に塩の壁も崩れた。デーマは一度着地し、霧を吐きながら剣の一振りを命中させた。よろめく中年男に、デーマはさらに追い打ちをかけようとした。その時だった。
「ぐ!?」
デーマが突然、頭を抱えてよろめきだした。
「お、おい!」
バルレンの少年が駆け寄ろうとしたとき、デーマはすぐに立ち直った。しかし、中年男が反撃を喰らわせようと振りかぶる様を、デーマはただぼーっと見つめているだけだった。
「危ねえ!」
しかし少年の行動も間に合わず、塩でできたハンマーが、立っていたデーマを頭の上から叩き潰した。中年男は邪悪な笑顔を見せると、第二撃を喰らわせようとハンマーを持ち上げた。
「こ、これは人形・・・?」
ハンマーの下敷きになっていたのは、デーマとそっくりの形をした人形だった。その人形から延びる糸を握っていたのはカレンだった。回復したほんのわずかのデラスト・エナジーを駆使しての技だった。
「危なかった・・・」
カレンは息を切らしながら、隣で倒れ込んでいるデーマの方に目をやった。中年男は悔しそうにカレンの方を睨んだ。
「すり替えだと?いつの間に!」
中年男がカレンの方に襲いかかろうとしたとき、床が崩れて転んだ。
「よそ見してんじゃねえよ」
バルレンの少年は中年男の目の前まで来ていた。彼が床を軽く蹴ると、床はさらに崩れ、二人は下の階へ落ちた。着地した少年はあたりを見回した。上の階と同じように、左右に檻が張られ、その中に人がいた。
「地下もあったのかよ」
崩れ落ちてくる床の破片は、中年男のほうに集中していった。少年はさらに向かっていった。中年男が塩の塊を飛ばすが、少年に命中してもただ粉々になってしまうだけで、ほとんど効果がなかった。
「な・・・何なんだ、お前は!」
「俺か?俺の名はエルデラ。ネロ・エルデラ・バルレンだ」
彼は声を強くして言った。その声はカレンの耳にも入った。
「俺は、俺の家族を、俺たちの一族を、こんな目に遭わせる連中が許せねえ!だから来た!お前らを倒しに」
エルデラは、必死に壁を作ろうとする中年男の体に指を突き立てた。すると、中年男は塩の破片とともに、建物の壁まで突き飛ばされた。
「ごあっ!」
中年男が倒れると、周りの壁や天井が崩れた。中年男は気を失ってしまった。エルデラはその様子を見て、一息をついた。その様子を上から見ていたカレンは、小さな声で言った。
「兄さん・・・」
それに気づいたエルデラは、慌てて上の階に飛び上がった。
「ハハ、わりいな、待たせちまって。何年待った?」
カレンはすでに涙ぐんでいた。エルデラの方も、泣きそうなのをごまかしているのは目に見えていた。
「ま、つうわけで。久しぶりだな、カレン」
まるで照れくさそうなしぐさをするエルデラだったが、カレンが泣きながら抱きついてくると、エルデラも涙をこらえてはいられなかった。
「兄さん!会いたかった・・・!」
カレンの声はうれしさのあまりかすれていた。エルデラもカレンのことを強く抱きしめた。
「ああ、俺もだよ!すげえ心配したんだぜ、こんな連中がいるって聞いてさ・・・!もしかしたらどっかに捕まってるんじゃねえかと思って、探してみたら案の定だった・・・!ははは」
エルデラは泣きながら笑っていた。
「・・・んあ、本当に会えてよかったぜ」
その時、二人の背後から物音がした。二人は驚いてその方向に顔を向けた。見ると、メルトクロスが鉄格子の外に出てきていた。
「・・・っと、やっとここまで回復したか。思ったよりもろい牢屋だな」
「メ、メルさん?」
カレンはつぶやいた。エルデラはカレンの方を見た。
「カレン、誰だこいつ?」
「ああ、初めましてエルデラ君。僕はメルトクロス。君のお父さんの・・・知り合いだよ」
「親父の?カレン、親父とも会ったのか!?」
「はい。父さんも元気でしたよ!」
「マジかよ・・・!」
エルデラはさらにうれしそうな顔をした。
「ただ、アビスと会うのはまだ先の話になる。今はこの組織を、飛王天をどうにかしなければ」
メルトはカレンと目を合わせた。
「カレン、君はみんなと合流するんだ」
「天希君たちと?でもいったいどこへ・・・」
「飛王天達を追ったとすれば、ここか、もしくはここから真東にあるアジトへ向かったはずだ。この場所は僕が様子を見て、捕まっている人たちを逃す。飛王天さえいなければ僕一人でも大丈夫だ。二人は先にアジトに向かって。もし彼らがここに来たら僕はそっちへ行くように言う」
「なるほど。どのみちその飛王天って奴を許しておくわけにはいかねえからな」
メルトはうなずいた。
「・・・あ、そうだ。兄さん、さっき預かったこれ」
カレンは握っていた手の平を開いた。ペンダントだった。
「ああ、それは・・・悪い、まだ持っといて」
そう言うと、エルデラは壁際に目をやった。
「あれ?さっきのあいつは?」
「えっ?デーマ君?」
カレンはあたりを見回した。デーマの姿がどこにもなかった。
「メルさん、デーマ君見ませんでしたか?」
「いや・・・僕は見てない」
「不安だな・・・戦ってる途中に突然倒れそうになってたし・・・」
「心配ですね」
「とにかく、俺たちは先にそのアジトに向かわないと」
「そうですね。ではメルさん、ここはお任せします!」
そう言って、カレンとエルデラの二人は建物を後にした。

第三十四話

その建物の内部は、内側にいくつもの壁が立っており、外の光が容易には入り込まなかった。ろうそくの淡く弱々しい光が、彼らの顔をわずかに照らしていた。
「馬鹿馬鹿しい事だ。お前の父親と一緒だと思うな」
檻の向こうにいるカレンを悪堂の口からは、普段の敬語が消えていた。カレンは震えながら座り込んでいたが、悪堂からは目をそらさなかった。
「礼を言いたいよ。私が甘かったという事を見せつけられたのだからね」
悪堂はここぞとばかりに顔をしかめ、邪悪な笑顔で鉄格子の隙間に迫った。その時、廊下の向こうから声がした。
「オドちゃーん!」
飛王天の声だった。悪堂はため息をつき、こう言った。
「あの脳足りん爺が・・・この薄暗い場所ですら遊園地扱いか」
その言葉を聞いたカレンは、恐る恐る口を開いた。
「あなたは・・・一体誰なのですか?」
聞くなり、悪堂は憤怒の表情を見せ、鉄格子を殴り始めた。
「誰かだと?一体誰がお前を引き取ってやったと思っているんだ?誰がお前を育ててやったと思っているんだ?全くスエラ様の言う通り、お前ら一家はろくな奴らじゃない!我々を裏切った罪は重いぞ!」
「スエラ・・・」
カレンがその名前に反応すると、鉄格子を叩く音が止んだ。悪堂は一息ついて嗤い、囁くように話した。
「そう、あなたの父であるアビス・フォレストの姉__あなたにとっては叔母か__スエラ・フォレスト様だ。あのお方がヒドゥン・ドラゴナに不在の間、私の仕事は増えている。そんな時にお前達の邪魔が入ったのだ!あのお方がお前達をただですますと思うな・・・」
悪堂は飛王天の声がした方へ歩き始めた。その間、カレンの方を横目で睨んでいた。
「どうしたの?」
飛王天の間の抜けたような顔と声と言葉に、悪堂は吐き気がするとでも言わんばかりの顔を見せたが、すぐに飛王天の機嫌を取る態度に変わった。
「いえいえ、ご心配ならさずに。それより、そっちの方はどうですか?」
「ああ、あいつね」
飛王天はスキップしながら悪堂を誘導した。
一律に並ぶ鉄格子、その最も端にはメルトクロスがいた。悪堂は格子の間から薄気味悪い笑顔を見せた。
「機嫌はいかがです?メルトクロス」
メルトは答えなかった。
「全く、ゼウクロスの力を手に入れるというならまだしも、自分がゼウクロスになろうだなんて、滑稽な事です」
少し間が開き、メルトがぼそぼそとつぶやき始めた。
「ゼウクロスは復活する。僕がダメなら天希だ」
「は、自分がダメなら、今度は弟ですか」
「彼は『ゼウクロスのデラスト』に選ばれた!天希こそゼウクロスだ」
「やかましい!大体、ゼウクロスが復活することすらバカバカしい話だ、しかも今生きる人間の体を借りてだと?一体なんの根拠がある!」
悪堂は再び剣幕を見せた。それに対しメルトは落ち着いた表情で、ゆっくりと飛王天の方を指差した。
「そこに被害者がいるじゃないか」
飛王天は首を傾げた。悪堂の表情は一転して、焦りの色を見せ始めた。
「お前達の組織は、デラストの力ではなく、呪術を使ってゼウクロス時代の人間を復活させようとした。具体的にはそう、アドマス・ボルカイナだったかな・・・そしてその実験台として使われたのが飛王天だった。しかし、種族の不一致をはじめとする諸々の問題によってボルカイナの蘇生は失敗、ヒドゥン・ドラゴナの参謀だった飛王天は脳に傷を負ってまともに振る舞えなくなった」
悪堂は言葉が出なかった。メルトは続けた。
「一番よく知ってるのはお前達の組織じゃないか。ゼウクロスが復活する事も、そしてその復活には生きた人間の肉体が必要だという事も。ここに捕らわれている人々も、ヴェノム・ドリンクの生成だけに使われるわけじゃなさそうだ」
「黙れ」
「一体何人の人間を実験台に使った?お前達は一体、誰を復活させようとしている?」
悪堂は指を鳴らした。途端にその指先から催涙煙が吹き出し、メルトを黙らせた。
「あのガキは法則に反して生まれてきた。クロス族の特性は五分しかない。そんなガキに期待したところで、この男の二の舞になるだけですよ」
悪堂はそういいながらメルトに背を向けた。飛王天は自分の事を言われた気がしたが、その内容はよく分かっていなかった。
「帰りますよ、飛王天様」
「えー、もう?」
それを聞いたメルトは、格子を掴んで体を起こした。
「帰る?」
悪堂は立ち止まり、振り向いた。
「けっこう面倒なんですよ、この牢獄とアジトの間を往復するのも」
悪堂は向き直ってまた廊下を歩き始めた。

カレンは冷たい床の上で縮こまっていた。よく見ると、床や壁や天井には数字がびっしりと刻まれていた。デラストの力は、まだ回復していなかった。
「私たち、一体どうなるの・・・?」
悪堂達のいなくなった後、徐々に彼女の耳に入ってきたのは、誰かの助けを求める声だった。
「助けて・・・」
「こんな場所は嫌だ・・・」
気づけば、その声はこの場所に来た時からかすかに聞こえていた。格子を必死で叩く音も聞こえた。カレンは頭を押さえて震え出した。
「一体・・・あの人たちは何を考えてるの・・・?もしかしたら、エルデラ兄さんもここに・・・?」
カレンは突拍子もなく兄の名を叫びそうになった。もし同じ建物にいるなら、格子の外に声を響かせて、耳に届かせたかった。が、どうしてもその自信がこみ上げてこなかった。彼女は結局、何も声を発さずに口を閉じ、その場に座り込んでしまった。廊下の反対側の格子の中にいる人間と一瞬目が合った気がしたが、向こうは途方に暮れたようになんの反応も示さなかった。

飛王天達がその建物を立ち去り、空が暗くなり、数時間が経った。内部にいる人々には空の様子を見る事もできなかったが、一人の少年の姿を、月の明かりは確かに照らしていた。
「ここか」
デーマは厚い土の壁からもれてくる、かすかな声を聞いては、場所を変え、安全に破れる場所を探していた。その途中にあった、格子付きのごく小さい窓を見つけた。デーマがその鉄格子に手を触れると、鉄は液体のように溶けて足下に流れた。彼は窓をコツコツと叩いた。声は聞こえない。デーマは溶かした鉄をかき集めて小さな鉄球を作り、鎖にくくりつけてハンマーにすると、それを使って窓を叩き割り、そのまま侵入した。
「何だ?」
中には警備の者がいたらしく、十数人が次々にデーマの所へやってきた。デーマが手を一振りすると、鎖が彼らの足下を払った。
「うおっ!?」
すかさずデーマは毒針を飛ばした。命中した戦闘員達はその場で気を失ってしまった。デーマは彼らの間を抜けていった。
「待て!」
毒針の当たらなかった戦闘員がデーマを後ろから掴んだ。するとデーマは迷うこと無く戦闘員の方に振り向き、その顔めがけて息を吐きかけた。
「うわっ」
戦闘員は思わずその毒の息を吸い込んだ。デーマを押さえていた腕から徐々に力が抜け、その場に崩れてしまった。デーマは鉄格子の部屋に向かった。

その足音に、捕まった人々は震えていた。上の階から聞こえた戦闘員の叫び声も気になっていた。そして、金属のカチャッ、カチャッという足音はついに彼らの目の前に姿を現した。
「う・・・あ・・・」
デーマの姿に、彼らは怯えるしかなかった。デーマがやや困りながら、彼らを閉じ込めている鉄格子を溶かしても、それに気づかないほどだった。
「・・・大丈夫だ、俺はアンタらを」
そう言いかけた所で、新たな戦闘員達が叫びながら現れ、デーマに襲いかかってきた。
「おおおおおおおおお」
デーマは一度その場に伏せると、さっきと同様に鎖を動かし、戦闘員達を転ばせた。
「はあっ!」
一人の戦闘員が飛び上がり、デーマの目の前で着地した、はずだった。しかし、前方にデーマの姿はなかった。
「ぬうっ?どこに消えた」
戦闘員は後ろを振り向き、一瞬青ざめた。他の戦闘員の姿までが、床から離れ、足に鎖を巻いて天井からつり下げられていたからだ。
「う・・・」
デーマは眼前に立っていた。彼は手に握っている鎖の端を地面に投げ捨てたが、その一人の戦闘員には、鎖が床に落ちた音が全く聞こえなかった。鳥肌が立った。
「この種類の毒もまずまずだな」
デーマはそうつぶやいた。その声もまた、戦闘員には届いていなかった。デーマが背を向け、地面に落とした鎖をつま先で引くと、最後の一人も突然足をすくわれて、地面につり下げられた。
「うわああああっ」
戦闘員達を次々と行動不能にしていくデーマの姿に、捕まっていた人々は次第に目を向け始めた。その中には当然、カレンもいた。
「デーマ君・・・」
カレンは小さい声で言った。それに気づいたデーマは彼女の方を向いたが、すぐに目をそらした。
「助けに来た」
その時、廊下の向こうから壁を勢いよく破壊する音が聞こえた。デーマはすぐにその方向を向き、戦闘態勢をとった。崩れた壁の煙の中にいたその影もデーマの姿に気づいていたらしく、まっすぐデーマの方に向かってきた。デーマは剣を真直ぐ相手の方に向けて突いたが、相手に触れた瞬間、剣がボロボロに砕けた。結果、デーマはその影の体当たりを食らう事になった。
「テメエらか、俺達の一族、俺達の家族をこんな目に遭わせてんのは」
デーマは鎖を使おうとしたが、その前に体ごと弾かれ、床に着地し損ねた。
「俺じゃない」
「じゃあ何だオメエは!」
その影はデーマに追い討ちをかけようとした。デーマは素早く影の横を通り抜け、逆側に回り込んだ。影は振り向くスピードが追いついていなかったが、そのまま突撃に向かおうとした。
「待って!」
影はピタッと止まった。
「その人、悪い人ではありません」
カレンは恐る恐る、その影に近づいた。よく見るとその人物は、白い髪を持つバルレン族の少年だった。カレンは思わず立ち止まった。その少年も彼女の顔を見ると、そのまま固まってしまった。
「・・・エルデラ、兄さん・・・?」

第三十三話

「さっきの光は・・・?」
可朗は足を早めた。幾重にも重なり合った木々のせいでよくは見えなかったが、確かに奥で橙に光る炎を見たのだ。
「天希!」
可朗は光った場所に向って高度を低めていった。しかし、その地点に近づくにつれ、どういうわけか木が操りにくくなってくる。まるで他の誰かが先に使ったかのように。可朗は足を止めた。
「なんだ、この木は」
明らかに道を塞ぐようにして曲がっているその木の格好は、明らかに不自然だった。
「僕以外にも、木を操る事のできるデラストが?」
可朗は地面に足をついた。近くにあった茂みの一部が焼け焦げていた。足元をみると、大きな足跡がかすかに月明かりに照らされて見えた。可朗はその妙な足跡をたどって進んだ。
「天希は、こいつと戦ったのか?」
少し歩くと、テント状の小さな家が目に入った。中から灯りがもれている。可朗は様子を見ようと、忍び足でそのテントに近づいた。声が外に漏れていた。
「天希?」
可朗がさらに近づこうとした時、その声が突然ピタリと止んだ。かと思うと、テントの一角が破れるように開き、次の瞬間には可朗の目の前に大柄の老人が仁王立ちしいていた。可朗は一瞬視界を塞がれたのかと思ったが、すぐに上を見上げた。そして硬直してしまった。
(こ・・・こいつか!)
可朗は思ったが、あまりに近い場所にはいられすぎて、後ろに退く事すらできないように思えた。男は沈黙と強い目線で可朗を威圧してきた。
「謙さん、どうしたんだ~?」
男の背後から聞こえたのは、天希の声だった。男は振り向くと、可朗の目の前からゆっくりと退いた。
「可朗!」
「天希!」
天希は火を手に灯しながら、可朗の方に走ってきた。
「突然いなくなっちゃうからどうしたかと思ったぜ」
「そりゃあこっちの台詞だよ。君1人だけ先に進んでたんだ」
「・・・ほう、やはり件のお友達だったか」
可朗は男の方を見上げた。
「天希、この人は?」
「えっ、分からねえの?安田謙曹だよ!」
「・・・誰?」
その会話を聞いて、謙曹と呼ばれた老人は笑いだした。
「ほら見たろう天希君、私の名前を知ってるのは君くらいのものだよ」
「え~、そっかなあ・・・あ、そういえば可朗、奥華達は?」
可朗ははっとした。
「そ、そうだよ天希、君のせいで二人とも待ってるんだから、早く行かないと」
そう言って、可朗は天希の手を引っ張ろうとした。
「シッ!」
謙曹が顔を厳しくした。
「静かに。誰か来る」
天希は灯りを小さくした。彼らの耳に入ってきたのは、奥華の声だった。
「・・・だからキミキミ、そんなにくっついて歩かないでってば!歩きにくいでしょ・・・」
可朗は思わず叫んだ。
「奥華?」
「あっ、可朗!」
奥華は暗闇から姿を現して、駆け寄って来た。
「ごめんごめん勝手に動いちゃって!でも天希君見つかったからさー」
彼女はすごく嬉しそうな顔をしていた。
「そう、天希ったらこんな所に・・・えっ?」
「えっ?」
「奥華・・・お前何を言ってるんだ?」
奥華は可朗の隣に立っている人間を見た。どう見ても天希である。彼女は首をかしげ、天希のことを指差し、まぬけな声で言った。
「コレはダレ?」
「な・・・あ、天希に決まってるじゃんか」
「じゃあ、あれは・・・?」
奥華は後ろを指差した。火を灯しながら歩いて来たその人間の姿も天希なのである。2人の天希は驚いた顔で向き合ったが、先に動いたのは可朗側の天希だった。真っ先に飛び上がり、後に現れた方の天希に飛び蹴りを食らわせ、着地するなり叫んだ。
「さっきのお返しだぜっ!」
周りの衆はわけが分からなかった。どちらが本物なのか察しがつかなかったのだ。蹴られた方の天希は大きく倒れたが、すぐに立ち上がり、右手を突き出した。蹴った方の天希も同じタイミングで左手を突き出した。この2人の姿がまるで映し鏡のようになった瞬間、可朗が動いた。
「そっちだ!」
可朗の腕が植物の蔓に変化して伸び、後に奥華とやってきた方の天希の体に巻きついた。
「そっちが偽者だ。天希がとっさに構えるのは左手だよ」
捕まらなかった方の天希は、構えた手から炎を噴射した。捕まった方の天希は逃げようとダッシュしたが、可朗の蔓の力のせいで炎をかわしきれなかった。
「熱っ!」
天希と可朗が偽者に対応する中、奥華は混乱したままその様子を見ていた。彼女の中では、自分が一緒にいた天希(だったはずのもの)が偽者だとはすぐには信じられていなかったが、その姿が粘土のように溶け、天希の姿から可朗の姿に変化すると、ショックを受けた。
「え・・・嘘」
可朗の姿になった敵は、その能力で蔓を解き、逃げ出そうとした。しかし、その目の前には謙曹が立ち塞がった。
「どこへ行くつもりだ」
「ちっ」
敵はまた姿を変化させようとしたが、謙曹の拳を喰らい、中途半端な姿になったまま突き飛ばされた。敵は変身が完了しないままよろよろと立ち上がったが、今度は奥華が叫びながら襲いかかってきた。
「ふっ、ふざけるな~!」
奥華は敵の頭をポカポカ叩いたり、顔をめちゃくちゃに引っ張ったりした。敵は変身をし終える隙がなかった。
「ぐっ・・・」
「返せ~!私の青春を返せ~!」
「分かった分かった、許してくれ!」
奥華は半泣きになりながら攻撃していた。その様子を、周りはポカンとした表情で見ていた。
「・・・あいつ、一体何を言ってるんだ・・・?」
可朗がつぶやいた。

ひとまず争いは落ち着き、一同は謙曹のテントの中に入っていた。奥華は疲れて寝てしまっていた。
「このテントも、これだけ人数が入ると狭苦しいな」
謙曹が言った。
「この人はな、俺のじいちゃん・峠口琉治の先輩なんだよ。じいちゃんが一番尊敬してる先輩だって」
天希は可朗に説明した。
「ただそれだけの話だよ。私自身は有名でもなんでもない」
謙曹は照れながら、しかし少々残念そうにそう言った。
「それで・・・友達がヒドゥン・ドラゴナにさらわれたという話だったね」
謙曹はすぐに真面目な顔つきになった。
「謙曹さん、あいつらについて何か知ってるんですか?」
天希が尋ねた。謙曹は少し考えてから言った。
「奴らは低血種族への差別をなくすため、という肩書きで様々な活動をしているが、実際にはそんなこと米一粒ほども考えてはいないのだろうと思う。高血種族の誘拐、それを目的とした破壊活動・・・何を隠そう、私がこんな場所にテントを張っているのも、奴らの振る舞いを見るに耐えかね、本部に殴り込みに行こうと思ったからだ」
「じゃあもうすぐそこにあるんですか・・・?」
可朗が聞いた。
「目と鼻の先だ」
「よく張れましたね・・・」
「今日はゆっくり休みなさい。明日の早朝に本部へ向かおう」
そう言って謙曹は寝る支度をし始めた。
「そうですね・・・」
「こいつも連れて行ってやんないとな」
可朗と天希は、隅で縮こまっている敵をにらんだ。
「・・・ワシ、やつらの部下と違います・・・」
敵はそう言った。可朗はあることに気づいた。
「お前、もしかして前に会った事ある?」
「おお~っ、やっと思い出してくれたのかい!ワシじゃよ、ドッペル・フランコじゃよぉ!」
ドッペルは急に馴れ馴れしく振る舞い始めた。
「可朗、知ってるのか?」
「ああ。確かアビス軍団の・・・」
「いいや、ワシゃどこにも所属しとらんぞ」
「じゃあなんで電車ひっくり返したりしたんだ」
「いやぁ、地上に来れた事が嬉しくてつい・・・あっ、今のナシ!今の忘れて!」
「地上?」
「だっ、その話はやめとくれって!それより、仲間がさらわれて大変だそうじゃな。ワシも非力ながら加勢させていただきたい」
「お前が?」
「ダメかいの?」
可朗は悩みながら天希の方を見た。しかし、天希の表情は前向きだった。
「よし、わかった!一緒に行こうぜ!」
「ええっ?」
「仲間は多い方がいいだろ!みんなでやつらを倒しに行こうぜ!」
「そ、そうだな・・・」
可朗はやや心配だったが、天希に従うことにした。そして、疲れて寝ている奥華、そしてその隣で寝そべって爆睡している君六を見た。
(多い方がいい・・・か。あの安田謙曹とかいう人がまとめてくれるといいんだけど)
そうして天希達は寝床についた。しかし可朗はカレンの身の安否を考えると不安で仕方がなかった。

第三十二話

辺りはすっかり暗くなっていた。疲れの見えてきた他のメンバーとは逆に、天希の足は無意識に急いでいた。
「日が暮れた・・・!早くカレン達を助けねえと・・・!」
足元が見えなくなってきた。天希は火で灯りをつけた。目の前の道はちょうど二手に分かれていた。
「おい、ここはどっちに行けば・・・」
天希は顔を後ろに向けた。しかし可朗達の姿はない。
「あれ?」
天希は自分の歩いてきた道を照らしたが、立っているのはその場に根を下ろした木々ばかりであった。
「やべっ、はぐれたかな」
天希は元来た道を戻ろうとした。しかし、左右の脇に生えていた木が突然動きだし、道を塞ぎ始めた。
「何だ?」
天希は思わずその木の枝に手をかけた。すると、木の枝は彼の手に絡んで来た。
「うわっ!」
天希は慌てて、腕から炎を噴射した。そして枝から抜け出した。
「可朗?」
天希は思わずそう口にした。しかし、木の枝の動きからは敵意を感じた。
「可朗じゃ、ないのか?」
天希は木に向かって大きな炎を噴射した。そして辺りを見回した。敵の姿は、一瞬だが炎に照らされて見えた。敵は草むらに隠れた。
「待てっ!」
天希は草むらを焼き払った。しかし、敵は姿を見せなかった。
「どこ行った?」
注意は前に向いていた。そのせいで、真後ろから攻撃がくるとは予想していなかった。しかし、彼が驚いたのはそれだけではなかった。
「熱っ!」
彼の背中を襲ったのは炎だった。熱が痛みになるのは、デラストを得て以来である。彼は焦って振り向いた。
「お前・・・」
相手の姿を目にした天希は一瞬だけ納得した。しかし即座に、間違いなくおかしな事態が起こっているという考えに戻った。
「何か?」
戸惑う天希に、敵は拳を頬に一発喰らわせた。続いて蹴りを2、3発放った。
「くそっ!」
天希は両足で踏ん張り、火炎を広く放ったが、敵はそれを避けつつ後ろに回り込み、天希の背中に蹴りを喰らわせた。怯む天希は振り向く間もなく、背中への攻撃を受けるばかりだった。
「くあああっ!」
攻撃の間が開き、その隙に天希は振り向いた。が、敵の拳はすでに彼の体との隙間を30センチと残していなかった。
「ぐっ!」
拳は水月に深く入り込んだ。天希は反撃に敵の腕を叩き落とし、傾いた相手の髪をつかんだが、そこから先の意識がなかった。彼はよろめきながら地面に膝をつき、手をついた。
「まだぁ」
敵は立ち直ると、天希の頬に回し蹴りを入れた。天希の体は横に飛ばされた。それ以上動く様子のない天希に、敵はさらに攻撃を加えようとした。が、強い気配を感じ、その手を止めた。その敵は周辺の様子を注意深く見回した。しかし、一瞬にしてその場に姿を現したその男は、すでに目の前だった。敵はその男の体に視界を遮られ、最初は何が起こったのか分からなかった。
「何をしている」
声は頭上から降ってきた。敵は顔を上げた。その男は老けてこそいるが、肩幅は壁のように広く、厳しい顔をしていた。敵は声も出さずに後ろへ下がったのち、走って逃げ出した。
「・・・」
男は敵を追わず、倒れている天希の手をとった。
「大丈夫かね?」
「ん・・・」
天希は敵が来たと思って、すかさず攻撃しようとしたが、足元が揺らいで体勢を崩した。彼は前を見た。
「・・・安田、謙曹?」
男は顔の皺を緩めた。
「始めまして、峠口天希君」

「ああ、なんで私こんなところにいるんだろう!」
奥華はその場に座り込んでしまった。辺りはすっかり暗くなり、周りの様子はよく確認できない。かろうじて月の光が物の場所を教えてくれるぐらいだった。
「私達、どうすればいいんだろう・・・」
「私『達』?ふん」
聡美は手を水晶の刃に変え、蔓をちぎると、歩き出した。
「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!?」
「あなたのようなのと一緒にいるとバカがうつりますの。私は1人で先に行かせてもらいますわよ」
「ここで待ってろって言われたじゃない!」
「従う気になれませんわ、天希様のお願いでもないかぎり」
「道案内はどうしたのよ!?」
「あら、案内役をやめるとは言ってませんわ。私が最初に天希様を見つけて、そのまま2人っきりでアジトへ・・・ウフフ」
聡美はホホホと高笑いしながら暗闇の中に消えて行った。奥華は悔しそうな表情でその様を見ていた。
「あーんもう、可朗何やってるの!早くしないと天希君が・・・!」
奥華は追いかけようともしたが、その場にとどまった。風の音だけが耳の内外をこだまする中、奥華はだんだん不安になってきた。その場にうずくまり、何も言わずに辺りを見回すばかりだった。
「あれ?」
自分たちの歩いてきた道には足跡がついていた。なるほど足跡をたどれば天希の進んだ方向も分かる。しかし、彼女が気づいたのはそこではなかった。聡美の物と思われる足跡が、自分達の来た道の方を向いていたのだ。
「あいつ・・・逆行った?」
奥華は地面に顔を近づけた。
「キャーッ!」
突然、聡美の歩いて行った方から叫び声が聞こえた。同時に、同じ方向から目に刺さるようなまぶしい光が奥華を照らした。彼女は驚いて顔を上げたが、その時にはすでに光は消え、辺りは再び真っ暗で静かになった。奥華は怖くなって縮こまった。
「何?今の何?やだ怖い怖い怖い!」
奥華は頭を抱えて小さくなった。すると今度は逆の方向から、松明のような灯りと足音がこちらに近づいてきていた。奥華は慌てて隠れようとした。
「まったく、何だったんだよさっきのは」
奥華はその声を聞いて顔を上げた。
「天希君?」
「えっ」
その影は驚いて構えをとった。
「待って待って、私だってば!」
「・・・なんだ奥華か、驚かすなよ」
「ごめんなさい・・・」
奥華は奥華は少し恥ずかしがったが、すぐにまた天希の方を見て言った。
「よかった無事で・・・可朗が探してたんだけど、会った?」
「いや、会ってねえな」
「そっか・・・とりあえずここで待ってろって言われたから」
奥華はそう言って、木の根元に座り込んだ。天希も座った。
(あれ・・・?私もしかして今、天希君と完全に2人きり?えっ待って、こんな場所で?)
奥華は赤くなる顔を覆った。彼女には天希がものすごく近くに座っているように感じた。小さい炎は彼の横顔をうっすらと照らし出していた。
(2人きり・・・!グヘヘざまーみろ加夏聡美、アンタなんかが天希君を手に入れられると思ったら大間違い!私の勝ち・・・!)
奥華は邪魔も入らずこのままの状態でいたかったが、そうもいかなかった。道の奥から、不気味な声が聞こえてきたのだ。
「何だ?」
「えっ何?幽霊?」
天希は立ち上がって、奥華を守るように前に出た。天希の炎だけが照らす暗闇の中、奥華の目は天希の背中に釘付けになっていた。
(なんか今日の天希君、いつもより頼もしい・・・!)
奥華が『幽霊』と形容したその高く不気味な声は、こちらに近づいてきていた。そして、ついにその姿を現した。
「うううっ、うううう~っ・・・」
「・・・き、キミキミ・・・」
奥華は呆れ返っていた。その声は君六の泣きべそだったのだ。彼は奥華の存在に気付くと、彼女の方に抱きつこうとした。
「ううっ、奥華ちゃあ~~ん!」
「邪魔すんなバカぁぁ!!」
奥華のハイキックが、君六の厚い頬に直撃した。

「・・・あ、あの、デブ・・・絶対、許しませんわよ・・・」
暗い森の中、聡美は地面に伸びていた。

飛王天の飛行機は、建物のそばに降りていた。
「さあ、ここだよ」
飛王天はまるで、子供に遊び場を紹介するかのような口調で言った。当のカレンとメルトクロスは、檻に入ったままだった。
「ずいぶんと楽しそうですね、飛王天公」
メルトが言った。後ろにいた悪堂は顔をしかめた。
「悪あがきはやめた方がいいですよ、メルトクロス!」
その声は掻き消された。彼らを閉じ込めていた檻は崩れ、悪堂はメルトの拳に突き飛ばされ、停まっている飛行機の壁に叩きつけられた。
「おお~、すごい!」
自分の作った檻が破られると思っていなかった飛王天は、思わずそう言った。鬼の姿になったメルトは、今度は飛王天の方に襲いかかった。
「逃げろ!」
突然の事態に驚いていたカレンは、その言葉でハッとした。そして、すぐに檻の外へ飛び出した。
「そうはさせん!」
飛王天もまた、ちょうどメルトが鬼になったのと同様に、恐ろしい表情に変わった。両手を左右に突き出すと、彼の後ろから数字の壁が輪を描くように広がり、カレンの目の前で閉じた。カレンは急に止まれず、壁にぶつかって跳ね飛ばされた。一方、飛王天は横に壁を作ったせいで正面がガラ空きだった。メルトの頭突きが直撃し、自分の作った壁と挟み撃ちになった。
「ぐおおっ!」
飛王天が怯んだ。メルトは次に拳で飛王天の顔を打った。すると、飛王天の体だけが壁の外に放られ、メルトは跳ね返ってきた自分の拳で軽く頬を打った。
「うむぅ・・・」
飛王天はよろよろと立ち上がった。膝と尻を払ってから、壁の中にいる2人を見た。
「あー、このタイプの檻は君の能力じゃ突破できちゃうのか。いいと思ったんだけどなあ」
メルトは壁に向かって__と言うよりは壁の向こうにいる飛王天めがけて__攻撃しようとしたが、壁は彼を跳ね飛ばした。
「ああ、そっちの壁はちゃんとプログラムを組み替えてあるんだよ」
飛王天が指を鳴らすと、壁は狭まっていった。
「うわっ・・・!」
極限まで小さくなると、その壁はゼリーのようにカレンとメルトを飲み込み、やがて外に吐き出した。2人はデラスト・エナジーが抜けた状態だった。
「さあ、もう抵抗できないでしょ。行くよ」
飛王天は2人に言った。まるで子供をお出かけにでも連れて行くかのような口調で。

第三十一話

「げはっ!」
亜単巧太郎(背が小さい方の手下)はなんとか意識を保って起き上がった。
「ゲフッゲフッ、なんだ今の攻撃・・・」
かなりの距離を飛ばされていたが、彼は仲間の横を通り過ぎ、君六との距離を一気に縮め、次の攻撃を当てようとした。「回転」のデラストで、スピンの威力を含んだ拳を繰り出した。
「うらっ!」
しかし、彼が当たると思った位置では当たらなかった。君六は手足一つ動かしていない。巧太郎は一瞬戸惑ったが、次の攻撃を放った。これも力をこめた肘撃ちだったが、君六には片手で止められるものだった。
「な・・・」
君六がその手をどけた瞬間、巧太郎は青ざめた。次に君六の繰り出す技を避ける様が想像できなかったのだ。
「っちぇっ!」
奇怪な叫び声とともに、君六は平手を前に突き出して巧太郎を強く打った。巧太郎の体が揺れたが、妙な事に今度は全く飛ばされない。君六は続いて交互に突っ張りを放った。
「速っ!」
その速度、一秒間に15回は当たっているだろう。拳ではなく手の平で、君六は攻撃を打ち込み続けた。かつ、巧太郎はその場から動かないし動けなかった。
「ちぇっちぇっちぇっちぇいっ!」
その様が1分は続いただろう。巧太郎へのダメージが溜まりに溜まった頃、君六は最後に大きく上から平手を巧太郎に振り下ろし、叩き付けた。巧太郎は地面を跳ねてその場に倒れた。その様子を見ていた者は言葉が出なかった。君六は加夏聡美の方を見た。
「・・・な・・・何なのよあいつ・・・」
「お嬢様・・・あいつ、明智君六ですよ」
玄鉄(背の高い方の手下)が言った。
「聞いた事ありませんか、様々な地方の大会に現れては、その強さで優勝を次々と奪っていったという噂ですよ・・・しかも、彼と戦った相手の半分は、今の連続突っ張りだけでダウンしたとまで言われてるそうで・・・」
「あの技だけで?一体どういうことなのよ!?」
「分かりません。しかし所詮は平手打ち。私の守りをもってすれば、あんな技など」
玄鉄は言い切る前に走り出した。そして君六と少し距離を置いた場所で止まり、守りの構えをした。
「さあ来い!」
しかし君六もその場から動こうとしなかった。代わりに、彼の手の平の上に小さな稲妻が走り、それが次第に大きくなっていった。
「そうかよ弱虫野郎、そっちが来ねえなら、こっちは力を溜めさせてもらうまでだぜ」
そう言われて、玄鉄はあわてて攻撃に転じた。しかし、今度は前に来過ぎて攻撃がうまく当たらなかった。君六はニヤリと笑い、連続平手攻撃を開始した。最初の数発はモロに当たったが、玄鉄はすぐに自分の服を真鍮に変化させ、守りの体勢を固めた。それでも君六の攻撃は一向に止まらなかった。ダメージを耐えている中、玄鉄は考えた。
(・・・くそっ、速すぎて反撃の隙がない!しかも、これだけの威力の攻撃を連続で打ち込んでおきながら、全く後ろへ逃げる事ができない!一体どうなっている!?)
玄鉄は後ろに下がろうとするが、まるで後ろに柔らかい壁があるかのように、足を後ろにやることが出来なかった。
「ちぇえええええっ!」
そのままの状態が2分は続いた。君六の攻撃は一向に止む様子を見せない。それどころか、守りを固めている玄鉄でも、ダメージの蓄積に耐えられなくなってきた。
(隙だ・・・どこかに隙があるはずだ!)
しかし玄鉄は焦って、自分のタイミングで攻撃をしようとした。その瞬間守りが解け、再び攻撃をモロに食らう事になった。
「おおおおっ!」
玄鉄が変化した瞬間に君六の攻撃のタイミングがずれた。玄鉄はその瞬間に後ろに下がった。
「ハァ・・・ハァ・・・こいつ・・・」
玄鉄は再び体を固めた。それが「かかってこい」の合図だった。君六はニヤリと笑い、合掌した。
「な、なんだあのポーズは」
相変わらず君六はその場から動こうとしなかった。しかし不思議な事に、玄鉄の視界ではだんだん君六が近づいていた。玄鉄は気がついた。自分の攻撃が位置を外したり、相手の連続攻撃から逃れられなかったのは、君六の力で自分の体が引っ張られていたからなのだと。
「この野郎っ!」
玄鉄は体を固めつつ、拳で君六に攻撃しようとしたが、引っ張られた事でまた位置がそれた。代わりに君六の強烈な平手の一撃が、彼の腹に直撃した。
「がはっ・・・」
その攻撃の振動は、彼の守りをすり抜けて全身に響いた。玄鉄は膝をついてその場に崩れた。
「うそ・・・玄鉄まで・・・」
そうつぶやいた聡美の方を、君六は鋭い目で睨みつけた。
「ひっ!・・・す、素晴らしい腕前ですわね!感激いたしましたわ!じゃあ、私はこの辺でおイトマさせていただき・・・」
そう言いながら聡美は逃げ出したが、間もなく植物の蔓が体に巻き付き、動けなくなった。
「キャーッ!ちょっと何よこれ!」
そうしてもがいていると、可朗がゆっくりとこちらに歩いてきて、冷たい目で見下ろした。
「君達の組織について、ちょっと教えてもらおうか・・・」

飛王天達の乗り込んだ乗り物の中。メルトクロスは目を覚ました。すぐそばにはカレンがいた。
「おいカレンちゃん、起きるんだ!」
メルトは、その部屋に他に誰もいないのを確認すると、再びカレンの体を揺さぶった。
「う・・・ん・・・」
「カレンちゃん!」
「メ・・・メルさん・・・」
メルトは何か動作をするたびに辺りを見回して、誰か来てないかを確認した。
「メルさん、私たち・・・」
そう言われただけで、メルトは口をつぐんで下を向いてしまった。
「僕たちが止めておけば・・・アビスと二人で悪堂さえ止めておけばまだよかったんだ・・・」
メルトはカレンにすらよく聞こえないような小さい声でそう言った。
「え・・・?」
「・・・そうだ、カレン・・・君はこれを持っていてほしい」
メルトは突然そう言うと、懐からメモを取り出し、カレンにささやいた。
「そこには僕がアビス軍団を使って探させた『ゼウクロスのデラスト』について書いてある。今天希達が持ってるデラストのことだ。もし何かあったら、それを持って君だけ逃げてほしい」
「えっ・・・?」
「それだけ。これ以上は何も言わない・・・」
そう言うと、メルトは黙りこんでしまった。カレンは最初は彼の言う事がよく理解できなかったが、少し考えて、メルトが何か企んでる事に彼女は気がついた。カレンもそれ以上は聞かないことにした。

「・・・そこ右ですわ・・・多分」
聡美は蔓で両手を不自由にされたまま、天希達と一緒に林道を歩いていた。
「本当にこの道で合ってるのか?」
可朗が言った。
「な、なんでそうやって疑うんですの!?人がせっかく親切に道を教えてさしあげていると言うのに!こんな縄、私の『水晶』のデラストがあれば簡単にほどけますのよ!」
「へえ」
「ちょっとそんな顔するのやめてくれませんこと!?どこまで人を疑えば気が済むんですの?」
「こっちは仲間をさらわれてるんだぞ!・・・だいたい、本当に知らないのか?君らのボスがカレンちゃん達をさらった目的を」
「飛王天様は優しいお方ですわ、目的はどうあれ、非道な事をするなんて考えられませんのよ」
そこに奥華が入った。
「だから、あいつらはなんとかドリンクの製造を・・・」
「その話はもういいですの!そんなデタラメな作り話をさんざん聞かされてちゃこっちもたまったもんじゃありませんわ」
奥華は不機嫌な顔をした。そこに先頭を歩いていた天希が入ってきた。
「俺達はヴェノム・ドリンクのせいでいろんな目にあってる。とにかく今は早くあいつらのアジトに行ってカレン達を助ける事だ」
そう言って天希は前に向き直ったが、すぐに首だけ聡美の方に向けた。
「お前さあ」
聡美は顔を赤くした。
「な、何ですの・・・?」
「道案内ありがとうな」
天希は笑って見せてから、再び前に向き直った。聡美はそう言われてから数秒は顔が硬直していたが、次第に顔が真っ赤になり、途端に足取りがふらつき始め、表情も嬉しさでドロドロになった。数歩歩くとハッとしたように姿勢を正し、そしてうっとりしながら言った。
「素敵な方・・・」
途端に、その隣にいた奥華は鬼のような表情に変わった。前にいた可朗は、背中の方から感じる殺気で振り向く事ができなかった。
(怖っ・・・)

やがて日が落ち、林道は暗さを増し始めた。疲れのせいで、一同の足取りは重くなっていた。
「ああ・・・日が暮れちゃう・・・ネロっちどうなっちゃうんだろう・・・」
奥華はまた泣き出しそうになっていた。
「あとどのくらいだ?」
可朗が聡美に訊いた。
「これで半分くらいですのよ・・・」
可朗はため息をついた。
「そろそろ辺りも暗くなってきてる。天希、灯りを・・・あれ?」
可朗は思わず立ち止まった。
「天希?」
目の前を歩いていたはずの天希の姿がなかった。可朗は辺りを見回したが、すでに見失うのも仕方ないほどの暗さになっていて、何も目に入らなかった。汗が引いた。
「天希ー!」
可朗は呼んだが、返事はない。
「あいつだけ足が強いんだ。急ごうとして、僕らより先に行っちゃったのかもしれない」
可朗は後続の奥華と聡美にそう言った。二人もかなり不安げな顔をしていた。
「嘘でしょ・・・」
可朗は暗くなる空を見上げた。そして、ある事に気が付いた。
「探してくる」
「どうやって?天希君の方が先に行っちゃってるんでしょ?追いつけるかどうか・・・」
「何言ってるんだ、ここは森の中だよ?」
「えっ?」
可朗は右手を上げた。すると、木の枝が降りてきて、彼の腕を掴んで引っ張り上げた。それに続くかのように木々が動きだし、バケツリレーのように可朗を運んでいった。
「これなら追いつくさ!奥華達はそこで待ってて!」
そう言って、可朗は林の闇の中に姿を消した。
「・・・野生児みたいね」
聡美が言った。
「ないない」
奥華が返した。

「ひ~ん!」
君六は泣きながら林道を走っていた。走っているつもりだったが、そのスピードは天希達の徒歩とそこまで変わらなかった。
「置いて行かないでよぉ~!」
木の根につまずいて君六は転んだ。ベソをかきながら起き上がり、やっと辺りが暗くなったことに気が付いた。
「ひ・・・」
君六は辺りを見回して背筋が凍った。暗闇にうっすらと浮かぶ木々の禍々しい形や模様が、彼の恐怖を煽った。極め付けは、彼の真後ろから聞こえた茂みの音だった。
「あぎゃーっ!」
君六は思わず叫んだ。振り向きはしたが、その光景が目に入る前に倒れてしまった。
「なんて声だ、このガキ」
茂みの中から現れたのは、ヒドゥン・ドラゴナの戦闘員2人だった。
「気絶しやがったぞ」
2人は倒れている君六に近づき、懐中電灯で彼の頭を照らした。
「こいつは違うようだな」
「待て。染めてるかもしれない。よく見てみろ」
すると、突然チッという音と共に、懐中電灯の灯りが消えた。
「あれ?電池切れかよ」
「電池切れにしては急だな」
片方の戦闘員が替えの電池を取り出し、懐中電灯の電池を取り替え、スイッチを入れた。しかし、やはり明かりは点かなかった。
「おい、この電池も切れてるぞ」
「おかしいな・・・」
そう言って、もう片方の戦闘員は自分の懐を探り始めたが、顔に光が当たるのを感じて手を止めた。
「何だ、やっぱり点いたじゃないか、驚かすなよ・・・おい、どうした、そんな顔して」
そう話しかけた彼の片割れが、驚いた表情で見ていたのは君六の方だった。それを見て彼も始めて気づいた。その光が懐中電灯よりはるかに明るいことに。
「・・・ったく、うるせえよ」
君六の体は稲妻を纏って光っていた。彼はゆっくり起き上がった。2人は息を呑んだ。
「こいつ、デラスターだ・・・!」
「逃げろ!」
2人は振り向き、全速力で走り出した。
「逃がすかよ!」
君六が宙でものを手繰り寄せるように手を動かすと、戦闘員の服に付いていた金属製のボタンやベルトが引っ張られた。足の力の方が負け、2人は君六の方に体を引っ張られていった。君六は無言で笑いながら手を構えた。
「ひーっ!」
「許してくれーっ!」

第三十話

「初めてご対面なのに『お前』とは、言われたもんですね」
デーマが来る3分前の、雷霊雲の部屋。ドアに、と言うよりその向こう側にいた男に強く突き飛ばされて倒れた雷霊雲は、ゆっくりと立ち上がった。可朗をはじめとする、意識の戻った患者達は、その突然の出来事に目を丸くした。
「何か用かな」
雷霊雲は、声だけは平気を装ったような調子だった。飛王天は部屋に入り、ゆっくりとドアを閉めた。
「この部屋に・・・高血種族の者はいないかね、お医者さん」
飛王天は一歩歩み寄った。
「患者もいるんでしょう。私は出来れば危なくないようにこの事を終わらせたい。出来れば、の話ですが」
飛王天は優しそうな笑顔でこちらを見ている。老けた顔でありながら何ら曇りは無い顔だが、言ってる事は明らかに怪しい。
「・・・可朗」
すぐ隣にいた可朗に、雷霊雲が言った。
「は、はい」
「窓から逃げろ、他の患者と一緒にだ!」
そう叫ぶと同時に、雷霊雲は指の間から細長い針を出現させ、患者たちに向かって投げた。針は正確に患者達の体の一部に刺さった。飛王天は自分への攻撃かと思って一瞬身構えたが、違うと分かると表情を変え、すぐ攻撃に転じようとした。
「させな・・・い!?」
飛王天の体が一瞬崩れた。攻撃は不発に終わった。雷霊雲は飛王天のほうに視線を向けつつ、可朗達に向かって叫んだ。
「その針は一瞬だけ体を急激に回復させる薬が塗ってある。一瞬だ、その内に逃げろ!この男と戦おうと思うな!」
可朗達は言われた通り、窓を割って外に出て行った。飛王天はその様子を悔しそうに見ていた。
「くそっ、貴様、さっきドアを開けたタイミングで・・・!」
飛王天は自分の手にいつの間にか刺さっていた小さい針を、逆の手で抜いた。
「逃がさん・・・!」
飛王天は雷霊雲に向かって突進した。雷霊雲は刹那の出来事になす術も無く、そのまま二人窓の外へ放り出された。飛王天は、雷霊雲の頭を地面に叩き付けた。
「がっ・・・」
仮面にヒビが入った。雷霊雲は頭に直接来たダメージで気を失う寸前だった。その時、雄叫びとともにこちらへ向かってくる者がいた。
「おおおおおっ」
「ば、馬鹿野郎・・・」
雷霊雲を助けに戻ってきたのは、市田庄だった。彼は飛王天の方へ真直ぐ飛びかかっていった。飛王天は至近距離で避けた。お互い向き合った。
「ほう」
「一体なんなんだお前らは」
そう聞かれると、飛王天はまたニコッと笑って言った。
「私の名は飛王天だよ。そう言う君は誰かな?」
自分から質問しておきながら、庄は飛王天のこの仕草を挑発だと思い、言葉で答える代わりに次の攻撃を食らわせようとした。手の平にデラストの力をこめたが、なぜか溜まる気配もなく、力が次々と散っていってしまう。庄は思わず自分の手の平を見た。手の平に現れているオーラが、数字の形になって散っていた。
「なんだ・・・これ」
庄は自分が戦闘中である事を忘れる前に、慌てて飛王天の顔に視線を戻した。飛王天は彼が戸惑っている間は全く攻撃してこなかった。
「気は済んだかな」
飛王天は一歩踏み出した。庄は後ずさりした。
「私の前では、デラストの能力などデータでしかない」
庄の後ろから緑色の光が射した。庄が驚いて振り向くと、緑色の無数の数字が壁を作っていた。一部ローマ字も目に入った。彼はすぐ飛王天の方に向き直った。
「くそっ!」
庄は手を飛王天の方に向けたが、そこから出されるのはまた数字のようなものばかりで、攻撃にはなりきらなかった。庄の顔は青ざめた。
「わあああっ!」
飛王天が歩いてきて距離が縮まった。庄はパニックになったように叫びながら、右の手の拳で飛王天の腹を突いた。手応えがあり、飛王天は顔を渋くした。
(入った!)
庄は逆の手に拳を作り、第二撃を食らわせようとした。しかし、先に出たのは飛王天の拳だった。庄の体は数字の壁にぶつかった。数字の壁は庄の体をゆっくりと飲み込み、反対側へ吐き出した。彼の使えるデラストの力は、完全に壁に吸い取られていた。
「か・・・体が、重い・・・」
しかし、飛王天が数字の壁を割って姿を現すと、慌てて立ち上がった。
「はは、デラスト・エナジーを完全に吸い取られた気分はいかが?そのくらいのレベルになれば、普段の生活でも使っている力のはず。人間本来の力に戻れたかい?」
庄は再び拳を作り、飛王天の腹に再度打ち込んだが、その速度は恐ろしいほどに遅かった。その拳が音もたてずに飛王天の腹に当たった瞬間、飛王天は平手で庄の頭を横から弾いた。デラストの力による抵抗力も無い庄は、脇の壁に思い切り叩き付けられ、声も出さずにその場に倒れた。飛王天は庄の顔を見つめた。
「こいつは違うか」
その時、ピリリリという電子音がした。飛王天はため息をつくと、すぐに歩き出した。
「はは、牢屋に侵入者とは」

観衆達は、デーマの表彰があるものと思って待っていた。そうでなくすでに帰りの支度をしていた者も「それ」を目撃した事によって手を止め足を止めた。
「・・・なんだありゃあ」
「こっちに向かってきてるのか?」
「まさか」
その会場にいる人間が、誰一人として見た事の無いものだった。宙を浮くものとして彼らが想像するものと言ったら、風船のような小さいものか、太陽や月など、やはり「小さい」と思えるものだった。あるいは今現れた「それ」が雲か何かに見えたのだ。「それ」は彼らの頭上をゆっくりと浮遊していた。会場のざわめきは耳障りなほどに大きくなっていたが、やがて「それ」の動きが遅くなり、中から数人の人間が闘技場のど真ん中に降りてくると、その声の半分は悲鳴に変わった。
「なんだよあれ!」
「宇宙人!?」
降りてきた者達は、全身を布で包んでおり、人種が特定できるような格好ではなかった。彼らは何やら互いに話しているようでその場から動かなかったが、観衆達は一刻も早くこの会場から逃げ出そうとしていた。

「可朗ー!どこ行ったー!」
天希は一人廊下を走っていた。他の選手達よりも遥かに足が速かったので、気づいた時には一人になっていたのだ。彼が立ち止まって辺りを見回した瞬間、外の方から大勢の悲鳴が聞こえた。
「ちくしょう、一体なにが起こってるんだ?」
その時、天希は前から誰かが走ってくるのに気がついた。
「あれ・・・?えっと、たしか、君六だっけ?」
君六は天希の横を通り過ぎていった。逃げるのに必死な表情だった。
「お、おい、待てよ!」
君六は外に出る扉を見つけ、角を曲がって会場の外に出ようとした。しかし、扉に触れた瞬間、君六は弾き飛ばされた。
「ひゃん!」
「えっ・・・大丈夫か!?」
天希は君六の元に駆け寄った後、扉の方を見た。君六が触れた場所の周りに、数字の形をした光が浮いている。天希は火の玉を作り、扉に向かって投げたが、火の玉は扉の前で数字に変わり消えてしまった。扉には焦げ目一つつかなかった。
「出られない・・・のかよ?」
再び悲鳴が聞こえてきた。天希はとっさに会場の方に体を向けた。そして後ろから突き飛ばされた。
「ってっ!」
天希はびっくりして後ろを向いた。君六の顔つきが変わっていた。
「まっ、待てよ、俺は敵じゃないぞ」
「うるせえ!こっちは気が晴れねえんだよ!」
君六は攻撃の態勢になった。天希はその場から逃げ出し、闘技場の方へ向かった。君六は追いかけてきた。
「今は相手が違うって・・・」

観客席に催眠薬が撒かれた。薬師寺悪堂は観客達の顔を一人一人のぞいていた。
「こいつも違う・・・ああ、これも違いますね・・・」
彼は闘技場の真ん中の方をチラッと見た。彼らは背を立てて悪堂の方を向いていた。
(来るの早過ぎですよ・・・)
その時、フィールドの中央へ歩いてくる者がいた。飛王天だった。彼はカレン、メルト、可朗の三人を閉じ込めた檻を引きずってきた。真ん中にいる連中と悪堂は飛王天の方へ向き直った。
「薬師寺!そっちの方はどうだ?」
「ダメですー、全くといっていいほど見当たりません!」
「そうかー、そろそろ時間のようだ!こいつらも来てるからな、一旦戻るぞ!」
そう言うと、飛王天は布に身を包んだ者達の方を睨んだ。
「・・・来るの早過ぎるだろ・・・」
悪堂は下に降りてきた。
「あれ・・・そのメガネ野郎は・・・」
「ああ、この子はもちろんいらないから・・・」
その時、彼らのいる場所めがけて火の玉が飛んできた。悪堂と飛王天は不意をつかれたが、布を纏った一人が一歩踏み出し、携えていた刀で向かってくる火の玉をまっ二つに切り裂いた。火の玉の飛んできた方向を見ると、天希が立っていた。
「やいお前ら!俺の友達をどうするつもりだ!」
悪堂は険しい表情をしたが、飛王天は逆に嬉しそうに笑み、気絶している可朗の方を見て言った。
「仲がいいんだね、君達」
天希はもう一度火の玉を作って飛ばしたが、飛王天はさすがに心得て、可朗を檻から引きずり出して盾にした。天希は目を疑った。
「うわああああっ!」
天希は彼らの方に向かって走り出そうとしたが、雷霊雲の打った薬が切れたか、突然力が減少し、転んでしまった。
「ハハハ・・・そう言えば悪堂、あれがそうかい?」
「そうです、あれがメルトの弟です。しかしよく考えたのですが、あいつは法則に逆行しています。血が薄くて使い物になるません」
「ふーん、なるほどね」
飛王天が地面に触れると、円形の足場が現れ、そのまま上に昇っていった。可朗は地面に投げられて取り残された。
「しかし、実力者が集まると思っていたこの大会でもたったの二人か・・・」
彼らが乗り込もうとした瞬間、乗り込み口の脇に巨大な刃物が刺さった。その端は鎖で繋がれていた。
「何だこりゃ?」
地面に続いているその鎖に沿って飛んできたのは、デーマだった。彼は左手に握った紫の剣を振るいながら、彼らの目の前まで来た。
「こいつ!」
布を纏った者が応戦したが、デーマはうち二人を蹴散らし、毒の剣で飛王天の腕を斬りつけた。
「何を!」
飛王天は数字の壁を作ってデーマを突き飛ばした。デーマは足場を失い、そのまま地面に落ちていった。彼は地面に向かって巨大な金属の塊を叩き付け、勢いを相殺して着地した。
「デーマ!」
天希は駆け寄った。デーマは上を見つめたままだった。乗り物は動き出した。デーマは再び剣を鎖に繋いで投げ飛ばしたが、今度は機体に刺さらず弾き返された。
「あいつら逃げる気だ・・・!」
天希は走り出そうとしたが、体が思うように動かなかった。代わりにデーマが、乗り物の飛ぶ方向に向かって走り出した。
「おい、デーマ!待って・・・」
彼の視界は、まるで上下が逆転したような感覚だった。ものははっきり見えているのに、頭も体も言う事を聞いてくれなかった。天希は唇を噛んで、地面を拳で何度も叩いた。

「悪堂、助けてくれ!」
飛王天は傷を押さえながら苦しみもがいていた。
「暴れないでください!奴の毒のせいです。私の薬で治せますから大人しくしてください」
悪堂はなんとか飛王天をなだめて、薬を塗った。ときどき薬が染みて飛王天は渋い顔をしたが、悪堂が飛王天の方を睨むと、彼はおとなしくした。
(・・・しかし、あの妙なガキ・・・こんな強力な毒を操って・・・私のデラストでなかったら治せなかった。しかも、ドラゴナの戦士をいとも簡単に蹴散らした・・・何者だあいつ?)

「ヒドゥン・ドラゴナ」
雷霊雲は小さな声で言った。
「アビス達を操っていたのも、その組織だ」
天希達は雷霊雲の部屋に集まっていた。
「何でもいい!なんであいつらカレンをさらったんだ!?」
天希が叫んだ。奥華は隣で泣いていた。
「・・・あまり考えたくない事だが」
雷霊雲は一度深く呼吸をした。
「高血種族、とりわけクロス族とバルレン族の血は、奴らが使用するヴェノムドリンクの原料になる。そのためだろう」
あまりにも簡単な答えの前に、誰も何も言えなかった。
「・・・助けなきゃ」
「今のお前じゃ無理だ。仮に体力が万全だったとしても飛王天を止めるのは無理だ」
「じゃあどうしろっていうんだよ!」
天希は立ち上がったが、目の前がグルグル回ってそれ以上動けなかった。それでも彼は言った。
「他になにもねえんだろ。俺達が戦うしかねえじゃん」
「そうです。天希が戦えなくたって僕達がいる」
可朗もそう言って雷霊雲の目を見た。奥華も涙を拭き、まっすぐ雷霊雲の方を見て意志を表した。
「もう私は知らん。お前達がどうなっても」
雷霊雲は後ろを向いてしまった。
「・・・必ず助けて来い」
天希達は黙ってうなずくと、部屋から出て行った。

会場の外に出た彼らが一番最初に目にしたのは、地面に倒れている選手達だった。彼らは思わず足を止めた。
「なっ、何だこれ!?」
辺りを見回すと、そこに背の低い少年が一人立っていた。
「あっ、出てきた出てきた。加夏お嬢様ー!」
そう呼ばれて現れたのは、高価そうな服を来た少女と、体の大きい男だった。
「ふふふ、来ましたわね」
「何だお前らは」
天希がそう言うと、なぜかその女は目をそらしてしまった。代わりに大男が答えた。
「我々はヒドゥン・ドラゴナ!飛王天様の研究を邪魔しようとする奴は、加夏聡美お嬢様率いる我々が許さぬのだ!」
「加夏!?」
奥華が叫んだ。
「もしかしてあんた、あの加夏聡美?」
「あら、私の名前を知っているなんて、一体どこの誰だったかしら」
奥華は可朗の方に寄って、小声で言った。
「小学校の時、金持ちだからってすごーく偉そうにしてたの!」
「へえ、そうなんだ・・・」
背の小さい方の手下が一歩前に踏み出た。そして叫びながら飛びかかってきた。
「おいお前!お嬢様の悪口を言ったか!」
「わっ!」
奥華は思わず目をつぶった。
”パアン!”
妙な音がした。背の低い手下は、聡美の横を吹っ飛んでいった。奥華はゆっくり目をあけた。
「・・・き、君六?」
彼女の目の前にあったのは、手の平の一撃で相手を突き飛ばした体勢のままの君六だった。
「楽しそうな事してるじゃねえかあ」
君六はニヤリと笑った。

第二十九話

「天希・・・」
天希は可朗の隣に運ばれてきた。
「負けたのか・・・」
雷霊雲は天希の所に来て、治癒を始めた。
「そりゃあ、あいつは7年間もデラストとともに生きてきたんだ。しかも私の指導の下でな。負けるわけがなかろう」
「ほ・・・本当にどっちの味方なんですか先生は」
「私は両方が強くなってほしいと思って試練を与えてるだけだ。欲張りかね?」
「でも・・・やりかたがちょっと・・・」
「ああ。そろそろ決勝か。デーマの奴、今度はどうするかな」
「あの・・・」

君六はいつもどおり、恐る恐る姿を現した。対するデーマはすでに定位置に立っており、それを見た君六は泣きそうな顔で後ずさりしたが、後ろから奥華が押してきた。
「はいはい怖がっちゃダメ!早く出て行かないと!」
「も、もうヤダ~!これ以上怖い所行きたくない!」
「何言ってるのキミキミ、今までの相手を倒してきたからここにいるんでしょ、早く行って!」
奥華に押し出されて、君六は観衆の目の触れる場所にやっと出てきた。試合が開始したが、双方とも動かない。少なくとも、君六は明らかに足が硬直している様子だった。
「ひ・・・ひいいい・・・」
すると、突然デーマの姿がその場から消えた。元いた場所には少し砂煙が立ったが、音は観衆のざわめきでかき消された。ちょうど君六が目を少しそらした瞬間にいなくなったので、彼は何が起こったのか分かっていなかった。
「あ、あれ・・・?」
君六はだんだんその気配に気付き始めたが、できれば考えたくなかった。背中に感じた強烈な打撃は、叫ぶ余裕すら与えてくれなかった。
「んげっ!」
デーマは君六を蹴り飛ばした後、追い討ちをかけるように殴り始めた。一発目の拳を食らった勢いで君六は半回転し、正面から殴られる事になった。
「ぎゃあああ!」
連続攻撃の中、君六は濁った悲鳴をあげた。観客たちの目が沈んだが、その瞬間に君六の目つきは変わった。
「ぅえいっ!」
君六はそれまで自分を攻撃していたデーマの拳を受けて投げ上げた。前面がガラ空きになったデーマに、今度は君六が平手の連撃を放った。
「ちぇいちぇいちぇいっ!」
観衆は一斉に声をあげた。君六の放つ突っ張りは、デーマの連続攻撃よりもさらに速かった。デーマはしばらくその状況から抜け出せなかった。
「すげえ!あのチビデブ、逆転するぞ!」
しかし、君六の連続攻撃は急速に弱くなっていった。君六は一旦飛びのいた。
「何だこれ、力が入らねえ・・・」
君六がおかしいと思って自分の両手を見ると、毒によって紫色に変色していた。
「 ・・・っ!」
「どうした」
デーマは両手を広げた。左右で違う形の剣が握られていた。
「・・・その腫れた手で、まだこの鋼鉄の体に打ち込むつもりか?」
君六は両手を2、3回握って開くと、デーマの方をまっすぐ見て言った。
「こちとら今日まで99回、一度も敗北を見ずにのし上がってきた猛者、明智君六様よ!この100戦目に勝利を掲げずして、何が猛者じゃい!」
君六は全身に力をこめた。すると、彼の体の周りに稲妻が走り始めた。音を立てて彼の周囲を暴れまわる光はだんだん強くなっていく。デーマはそれをつまらなそうに見ていた。
「食らえや!」
君六が両手を前に押し出すと、彼を纏っていた稲妻が一本の柱になってデーマの方向に一直線に飛んで行った。しかし、その攻撃はデーマに当てるには遅すぎた。デーマは難の表情も見せずにそれを避け、君六の目の前に降り立った。
「俺は疲れてる。雷霊雲先生があんな条件さえ つけなければ、ここで試合放棄してお前を勝たせても良かったのに」
君六は慌てて張り手を繰り出そうとしたが、毒による苦痛で速度が出ず、ただデーマの体にタッチしただけのようになった。デーマは右手に握った白銀の剣を振り上げた。同時に、君六の体は縦に切り裂かれた。
「ぐああっ!」
君六よろめいたが、何とか立ったままでいた。デーマは腕を下ろすと、振り向いてその場から立ち去ろうとした。
「ま、待て、まだ・・・」
君六はデーマを止めようと踏み出したが、毒による苦痛に耐えかね、 その場に倒れ伏した。

「つ・・・強い・・・」
可朗は画面にかじりついていた。
「君六の打撃もすごかったけど、あれを耐えるなんて・・・」
それを聞いた雷霊雲は、また自慢げに話し始めた。
「言ってあるんだよ。この大会で優勝したら、私の元を離れてもいいって」
「そ・・・そうですか」
「あいつが自分から外の世界を見たいって言い出すなんて、思ってなかったよ私は」
「さ・・・左様でございますか」
すると、雷霊雲は席を外した。
「さて、最後の犠牲者君を連れて来なきゃ」
「犠牲者って・・・君六の事ですか」
可朗はますます雷霊雲の性格を疑った。その時、ドアをノックする音がした。
「ん?誰かな?デーマか?それとも奥華かな?」
雷霊雲はドアノブに手をかけた。すると向こうからゆっくりとドアを開けてきた。
「・・・お前は」

デーマは廊下を歩いていたが、嫌な予感がして、闘技場に走って戻ってきた。君六はその場に倒れ伏したままだった。観衆がどよめき始めた。
「おや?デーマがまた出てきたぞ」
一同は君六が雷霊雲の部屋に運ばれるのを待っていたが、だれも到着しない。
「・・・」
デーマは辺りを見回した。誰も来る気配がない。自分が今まで戦ってきた時は、闘技場から出ようとするとすぐ医療班とすれ違った。しかし、当の医療班がまったく姿を表さなかったのだ。
デーマはやや心配になった。自分の放った攻撃をまともに食らった君六が、力尽きてピクリとも動かないのは彼にとっては当然の事だったが、それが逆に不安を煽った。デーマは君六の所に近寄ると座り込んで、懐から数本の針を取り出した。
「あいつ、何する気だ?」
デーマはその針を君六の背中に刺した。観客たちは驚きの声とともに互いに目を合わせたが、当の君六の体はみるみるうちに正常な色に戻っていった。やがてデーマが君六の体を起こすと、君六は目を覚まして自分で立った。その光景に、観衆は感嘆の声をあげずにはいられなかった。
「あいつ、自分から相手の体を治したぞ!」
「毒の中和って奴なのかな?」
「格好いいぞ!」
君六の顔は普段の自信のない顔に戻っていた。
「大丈夫か?」
君六は最初は怯えたが、小さい声で返事をした。
「うん・・・」
デーマは立ち上がって背中を向けると、雷霊雲の部屋に向かって走って行った。
(どうしたんだ先生・・・? なぜ来ないんですか・・・?)
デーマはドアノブに手をかけた。その瞬間、天井をはさんで観客席の方から大勢の悲鳴が聞こえた。戸惑いつつもデーマはドアを開けた。そこには誰もいなかった。ベッドは倒れて散乱し、モニターは割れていた。デーマはキョロキョロ見回しつつ、部屋の中を探ったが、やはり人の気配はなかった。
「何だ・・・何が起こっているんだ?」
デーマは部屋を飛び出し、再び闘技場の方へ向かった。

「ハァ・・・ハァ・・・」
可朗は一人廊下を無心に走っていた。疲れたところで我に返り、後ろを振り向いた。
「ああ・・・何で僕は逃げてきたんだ?」
可朗は息を切らしながら、ゆっくり廊下を歩いていった。
「ダメだ・・・こんな所にいる暇はない、早く戻らないと・・・」
可朗は元来た場所に戻ろうとして、また後ろを振り向こうとした。その時、妙な物が視界に入った。可朗は不思議に思って、その方向へ近づいていった。
「何だ・・・これは」
床から垂直に伸びた数本の『緑色に光る柱』が並び、格子を作っていた。その檻の向こう側にいたのは、カレンとメルトだった。
「カ、カレンちゃん!メルさん!」
格子の不思議な力は可朗をそれ以上寄せ付けなかった。彼はその『光る柱』を凝視した。よく見ると、宙に浮かぶ小さな『数字』が大量に集まって出来ていた。
「・・・コンピューター?」
ふと、可朗は背後に気配を感じて振り向いた。その柱と同様に出来た剣が、喉元に突きつけられた。
「ハハハ、友達を助けに来たんだね。優しいねえ」
飛王天はとても嬉しそうに言った。

第二十八話

「面白い」
デーマが一歩歩むたびに、金属のカチャッという音がした。
「デラスト・マスターの孫と現デラスト・マスター、どちらが強いか試してみようじゃないか」
背こそ天希よりは少し低いが、風格があった。片目は顔に巻いた布で隠れ、灰色の髪は後ろで束ねられていた。肘から先は金属で覆われ、足も甲冑のように頑丈な金属の靴を纏っていた。光沢のあるマントは焦げ目一つ付いていなかった。両腕に握られた剣は、互いに全く違うオーラを醸し出していた。
「えっ」
デーマの姿に気を取られていた天希は、話を聞いていなかった。少し考えてから我に返った。
「お前・・・デラスト・マスターなの・・・?」
デーマも言ったばかりの事を質問されて調子が崩れた。
「今そう言ったんだけど」
すると、天希は突然大声を出してはしゃぎ始めた。デーマは思わず構えた。
「すげえー!お前が今のデラスト・マスターだったんだ!全然気付かなかった!おい、俺のじいちゃんもデラスト・マスターだったんだぜ!」
「・・・知ってる。俺が先に言った」
デーマは興奮する天希にすでに呆れていた。
「よーし、そのデラスト・マスターの称号、峠口家に返してもらうぜ!」
天希が構えた。それにならってデーマも戦闘態勢に入った。
「奪い取れるものなら、奪い取ってみろよ!」

カレンはトイレの中でずっと泣いていた。自分の母親がもうこの世にいないという事実を、受け止めきれてはいなかった。
「・・・母さん・・・」
天希とデーマの試合が始まった頃には、涙も枯れかけていたが、カレンはずっとトイレにこもって顔を覆っていた。
「・・・」
彼女の気がやっと落ち着いてきた頃、 突然悲鳴が聞こえた。男の声だった。
「・・・メルさん?」
カレンはそっとトイレのドアを開けて廊下に出た。メルトクロスはすぐそこに倒れ伏せていた。
「メルさん!一体何が・・・」
メルトはカレンに気づくと、彼女に向かって吠えるように言った。
「逃げろ!何でもいいからすぐ逃げるんだ!」
「えっ・・・」
「早く逃げろ!ここから!す・・・」
メルトの顔は青ざめた。 カレンの真後ろに、その男が立っていたのだ。その男は、彼女の両肩に手を乗せた。カレンは背筋が凍った。
「なるほどねえ」
その男はカレンの後頭部に手を移し、彼女の髪の毛を見つめた。
「クロス族の者に加え、バルレン族の者まで手に入るとはね・・・期待してたよりは少ないけど、まあ、大した収獲と言ってもバチは当たらないでしょ」
カレンは素早く飛び退き、その男と間合いをとった。
「あなたは・・・一体・・・」
カレンは戦闘の態勢をとりながら言った。その男は、彼女を見下ろしながら口を開いた。
「おや、これはこれは、誰かと思えば・・・」
男が言い終わる前に、カレンは糸を操り二体の人形を走らせて、男の両脇から攻撃を仕掛けようとした。しかし、それと同じ軌道上を真逆に走る「何か光るもの」の方が、先にカレンの首元まで来て止まった。
「一応、初めてお目にかかるかな、ネロ・カレン・バルレンちゃん。私は君のお父さんの『お友達』だよ」
人形を操る糸は、いつの間にか途中で切れていた。カレンは自分の首元に突きつけられているものが一体何なのかが分からなかった。ただ、下手に動けば危ないという事は分かっていた。その男は歩み寄ってきて、手を差し出した。
「では初めまして。私は飛王天です」
カレンはその手を握った。肉がついていないわけではないが、老人の手のように色が黒ずみ、手の平はガサガサしている。彼女は次にその男の顔を注視した。黒髪からほぼ白髪になりかけており、顔も老け切ってはいないが、肌にはシミが目立った。そして何より、その男は笑っていた。
「え・・・あれ?」
飛王天は突然、膝が抜けたようにその場に崩れた。カレンのデラストによって、人形同様に操られてしまったのだ。カレンは逆の手で人形を操り、再び攻撃しようとした。
「ダメだ・・・そいつは・・・」
倒れていたメルトが呟いた。そう言った矢先、飛王天は突然泣き出した。
「待ってくれえェェッ!」
カレンは驚いて止まってしまった。
「いやだ・・・頼むから、やめてくれ・・・怖いんだ・・・」
飛王天はうつむいてすすり泣きを始めた、突然の事態にカレンは頭が追いついていなかった。しかし、彼のその行動の意味をようやく理解しかけたとき、妙な匂いが鼻をついた。その瞬間、彼女の頭の中にあった考えがすべて飛び散り、真っ白になった。彼女は廊下の床に倒れ伏した。
「ホホホ、飛王天様、さすがの演技力でございました。私も見習わせていただかなければ」
その場に現れたのは薬師寺悪堂だった。飛王天はゆっくりと顔を上げた。その顔は、邪悪な笑みを含んでいた。
「こうやって時間を稼げば良かったのかい」
「パーフェクトでございますよ」
二人は笑い出した。メルトはその隙に悪堂の足を引っ張ったが、攻撃に入る前に眠らされてしまった。
「こいつ・・・しかし、何はともあれ、手に入りましたね」
「うん。まだ探すかい?」
「勿論でございますとも」

天希は手の中で火の玉を作り、デーマに向かって飛ばした。デーマが剣を一振りすると、その火の玉は彼の目の前で2つに裂けて消えた。天希はさらに火の玉を作って飛ばしたが、デーマはすべて振り払い、天希に急接近してきた。
「わっ!?」
デーマは左手に握った剣で突きを放った。天希が横に避けると、デーマは逆の腕に握った剣を振った。天希はこれもかわした。
「危ねっ」
慌てて足を後ろに下げる度に、剣先が鼻の先を通り過ぎた。デーマは突きの構えをしたが、その一瞬の隙に天希は一気に後ろに下がった。デーマはそれを追うように突きを放った。天希は前に走る時と同じぐらいのスピードで逃げようとしたが、速度が上がろうとした所で転んだ。デーマはすかさず軌道を変え、地面に転がった天希の顔面に、剣を握ってできた右拳を振り下ろした。
「ぶ」
天希はすぐにデーマの腕を掴み、そこに高熱を送った。デーマは驚いて拳を引き上げたが、すぐに左の腕に握った剣で天希を切り裂こうとした。天希はデーマの顔めがけて炎を吹き出した。またしてもデーマがひるんだので、その隙を見て天希は足から炎を吹き出し、跳んでその位置から退いた。デーマはしきりに顔をこすっていたが、それを終えて両手の平の隙間から現れた彼の顔は、何一つ変化がなかった。
「こんなものか」
デーマは両手の平を開き、剣を地面に落とした。
「?」
天希にはその意味がよく分からなかった。
「なんだよ、使わなくなったのか、ソレ」
デーマはやや残念そうな顔をすると、天希に背を向けた。
「お、おい待てよ、どこへ行く気・・・」
そう言った瞬間、天希の体に激痛が走った。
「うぐっ・・・!?」
突然の事態に天希は思わず唇を噛み締めたが、ついに耐えられなくなって叫び出した。
「ぐわあああああああっ!!」
理解しがたい状況に、観客達は目を疑った。天希が左肩を押さえて苦しんでいたので、おそらくはデーマの剣が入ったのだろうが、傷らしきものは手の中に完全に隠れていた。天希は立っている事すらままならなくなった様子で、膝から地面について倒れ伏した。デーマは天希に背を向けたまま歩き始めた。
「・・・この程度で・・・」

モニター越しに観戦していた可朗は、一番状況が把握できていなかった。
「な、何が起こったんだ・・・?」
「毒さ」
雷霊雲はあっさりと種明かしをした。
「深く入らなかったのはアイツにとっては心外だったらしいが、あのわずかな傷口からでも結構な強さの毒が入るからな。デーマの剣は」
可朗は言葉が出なかった。
「私が教えたんだ」
雷霊雲は自慢げに言ったが、可朗は反応しなかった。
「強い・・・強すぎるよこんなの・・・」
その可朗の言葉を聞いて、雷霊雲は呆れたように言った。
「何を言っている?試合開始からこれっぽっちも経ってないのに、実力を見極めたような言い方をして。試合はこれからだろ?」
可朗はハッとした顔で雷霊雲の方を見た。雷霊雲はモニターに映るデーマを見ながら言った。
「デーマ。この戦いは、私との勝負だ」

奥華は両手で口を押さえたまま震えていた。
「うそ・・・天希君が、あんな簡単に・・・」
退場しようとするデーマ、叫び声も途絶えた天希。そのどちらに視線を向ける者達も、皆静まり返っていた。
「・・・前の奴らよりは楽しめたが」
デーマはそう呟いた。その瞬間、後ろから歓声が聞こえた。デーマは振り向いたが、それと同時に、腹部に砲弾を撃ち込まれたように、地面と垂直の方向を滑り、壁に激突した。
「な・・・」
天希はすぐにデーマの腹から頭を抜き、後ろに飛び退いてフラフラと着地した。歓声はさらに大きくなった。
「・・・へへ・・・どこ行こうとしてんだよ。まだ終わってないぜ」
これはデーマにも少々応えた様子で、よろめきながら体勢を立て直した。顔を上げると、天希は妙な格好で立っていた。戦闘態勢を作ろうとはしているが、毒による苦しみと頭突きの衝撃をやせ我慢しているのは明らかで、震える全身から汗が吹き出していた。
「お前が毒使うって言うの、雷霊雲先生から聞いてたんだよ」
「・・・」
天希の左腕は既に変色し始めていた。デーマはその腕に視線を落としていたが、まさかその弱った腕が、自分の頬に鉄拳を入れるとは思ってもいなかった。
「ボーッとしてんじゃねえよ!!」
パンチを食らって体勢を崩したデーマに向かって、天希は叫んだ。デーマはその拳の力強さが理解できないでいた。
「じいちゃんの方が100倍強え。お前本当にデラスト・マスターかよ!」
デーマが立ち上がった瞬間、天希は彼の顔の左側に回し蹴りを食らわせた。右側に倒れそうになったデーマの顔面に左手を真っ向から当て、手の平と顔面の間に爆発を起こさせた。デーマは大きく回転し、後頭部を地面にぶつけそうになったが、すこし浮いて一回転し、着地した。地面に足がつく音がすると同時に、二人は飛び退いて間合いを取った。その時、天希はまた鎖につっかかって転んだ。
「くそっ、さっきから何なんだよ、この鎖」
天希はデーマの攻撃がすぐに飛んでくると思って、素早く体勢を立て直したが、デーマは攻撃してこなかった。
「そうだった」
デーマは呟いた。
「俺はデラスト・マスターだ」
デーマはたった今思い出したように言った。その瞬間、地面に落ちていた鎖が突然動き出した。
「デラスト・マスターが、こんな奴に苦戦しちゃいけなかったよな」
天希はデーマの理解しがたい言葉に我慢できず、蹴りを食らわせようと飛びかかった。しかし、デーマの顔の目の前に来た天希の足は、空中で止まった。
「俺は、お前とは違うんだった。危うく忘れる所だった」
天希の足には何本もの鎖がきつく絡まっていた。天希は動く事ができなかった。デーマがその鎖を引くと、さらに足が締め付けられた。天希が声にならない悲鳴をあげたのもつかの間、デーマは鎖を振り回して投げた。天希が天高く放り出された瞬間、鎖はほどけた。しかし、デーマは下から照準を合わせていた。
「俺のデラストは、こうだ」
デーマが何かを投げる仕草をした。その瞬間、太い棘の生えた巨大な円盤2つが、回転しながら天希の方へ飛んでいった。天希は避ける術もなく、その円盤に挟み潰された。天希は悲鳴すら上げず、失速した円盤と共に地面に落下した。観客達はまたしても唖然としていた。地面に打たれた天希は、デーマに向かって力なく呟いた。
「・・・お・・・おい、お前さ・・・」
デーマは口をつぐんでいた。
「毒とか・・・鎖とか・・・使って、さ・・・」
天希の声はさらに小さくなった。
「一体・・・どんなデラストだ・・・よ・・・」
天希は目を閉じた。それと同時に、毒による変色が進んでいった。デーマは口を閉じたまま、両手に力を込めた。すると、左手から紫の光が、右手から白い光が放たれた。観客達はその意味を知り、背筋が凍り付いた。
「あいつ・・・デラスト、2つ持ってやがる・・・」
デーマはその光を十分観客に見せつけた後、何も言わずに退場した。

第二十七話

雷霊雲は試合場への門の前に立っていた。
「・・・来たか」
デーマは相変わらず、フードを被って顔を良く見せなかった。
「行って来い。お前にとってこの大会はそんな難しいものじゃないさ」
二回戦のデーマの様子は、一回戦と全く変わらなかった。会場は霧に覆われ、晴れたときには相手は倒されていた。
「一体、なんんあんだよあれ・・・」
天希が呟いた。
「あれって、もしかして天希君の次の相手?」
奥華が聞いた。
「えっ、マジで?そうなの?」
「え?あ!いや、ゴメン、あたし全然わかんないから、なのになんか変な事言っちゃって」
「・・・まあどっちでもいいや、誰が相手だろうと絶対に負けないからな!」
次の試合の準備が始まった。奥華は辺りを見回してから言った。
「ネロっち、さっきから来ないんだけど、どこ行ったんだろうね・・・」
「確かに、さっきからいねえな」
「うー・・・」
奥華はうつむき気味になったが、すぐにはっとして隣を見た。
「キミキミ!こんな所で何やってるの?次試合だよ!さっきは間違えちゃったけど、次ほんとに試合だから!」
そう言って奥華はいやがる君六を引っ張っていった。
雷霊雲の部屋では、雷霊雲と可朗が話していた。
「お前、運動神経鈍いだろ」
「見た目でわかるでしょう」
「あの2試合だけで疲れ過ぎだ。一応私のデラストでサポートはしてやるが、なるべくここで休め」
「すいません・・・」
モニター画面の中では、君六の試合が始まろうとしていた。
「明智、君六か・・・」
君六は、いつものようにおびえながら姿を現した。
「あのおっかなびっくりな普段の姿からは、想像もつかないような力を持っている」
モニターの中で、君六はまた逃げ回っていた。
「だが・・・」
「・・・だが?」
君六は戦闘モードになり、戦いを巻き返し始めた。
「うちのデーマには及ばない」
噂をしていた所に、当のデーマが現れた。
「・・・聞いてたのか?」
デーマは無言で歩いてきた。可朗は目が合った。
「や、やあ・・・」
デーマは何も言わなかった。すぐに雷霊雲の方に向き直った。
「次は準決勝だな」
「・・・天希と、あたるんですか」
「何ら問題はない。相手が天希だろうと結果は同じだ。デーマが勝つ」
雷霊雲の答えがあまりにあっさりしていたので、可朗は複雑な気持ちになった。
(・・・ちょっと過信し過ぎてたかな。雷霊雲先生を味方だと思い過ぎてた・・・そりゃあ当然デーマの方をとるか・・・)
先の試合でデーマに倒された一人が、ベッドの上でうなった。が、デーマが睨みつけると、すぐに止んだ。
(天希は・・・勝てるのか?こんな技も姿も得体の知れない相手を前にして・・・)
その時、部屋のドアが開いた。入ってきたのは天希だった。
「雷霊雲先生!デーマの倒し方教えてくれ!」
その台詞を聞いて、可朗は思わず叫んだ。
「はあ!?」
雷霊雲も少し動揺していた。
「ちょっと何言ってるんだ天希、お前『相手が誰になったって自分の実力で戦う』って言ってたじゃん」
「えっ?対戦相手の話を始めたのは可朗だろ?」
「まあ、そうだけどさ・・・ちがうちがう、相手側にそれを直接聞いてどうするんだよ!ゲームじゃあるまいし!しかも当の本人がいる前で・・・あれ?」
可朗は部屋の中を見回したが、デーマの姿はなかった。
「当の本人?」
「あ、いや、なんでもない。とにかく、雷霊雲先生に頼むんじゃなくて、普通は自分で相手の戦いの様子を観察して・・・」
「いや」
雷霊雲は少し笑っていた。
「いいだろう。教えられることは教えてやる」
「よっしゃ!」
「えええ!?何でですか?」
「面白いじゃないか。ちょっとアイツを困らせてみてもいい。お前がそうしたいならな」
「ちょっと・・・困らせるって」
「いいか天希、今からいうことを戦うときにやってみろ。対戦中に覚えてればの話だが」
試合の時間になった。デーマはその場にやはりフード姿で現れていた。観客達は不穏な目で彼に注目していた。
「またあいつだ」
「今回も、やっぱりあの変な霧が出て、倒されてってなるのか」
また奥華も、前回に増して天希に対する不安を募らせていた。
「今回の相手・・・天希君、勝てるかな・・・?前は可朗が相手だから良かったけど、今回は・・・」
しかし、やがて観客達の心配は別の所に変わった。天希の姿がいつまでたっても見えないのだ。
「一体どうしたんだ?」
「試合放棄か?」
観客達はざわつき始めた。アナウンスが入り、天希を呼び出し始めたが、それでも姿を現さなかった。
「・・・っ、これでいいのか?」
天希は廊下に一人で立っていた。アナウンスはもちろん彼の耳にも届いたが、天希は壁にへばりついていた。
「いくら作戦っつったって、試合を遅らせるのはねえよ。あーもう、やっぱり自分のやり方で行っちまおうか」
そう言って歩き出そうとした瞬間、妙なものが目に入った。
「・・・ん?兄貴?」
人通りのない廊下の隅を歩く影があった。天希にはメルトクロスが誰かと歩いているように見えたのだ。広い廊下の反対側にいたためによく見えなかったが、妙な歩き方をしているようにも見えた。
「何だ・・・」
様子を見に行こうとしたとき、突然後ろから何者かに肩を叩かれた。
「君、こんな所で何をやっているのかね?次は確か君の試合でしょ」
天希は驚いて振り向いたが、すぐに目に入ったのは服のボタンだった。その顔を確認するには、かなり顔を上げる必要があった。
「あっ、どうも、すいません」
「ハハハ、イタズラはよくないな。試合を見にきてる人や、対戦相手を困らせている。それとも、行きたくないのかい?」
その男は笑いながら、天希に言った。
「い、いえ、俺そんなんじゃなくて、スミマセーン」
天希は走ってフィールドの入り口の方へ向かっていった。その男は天希の姿が見えなくなったのを確認すると、向こうにいる薬師寺悪堂に合図を出した。
「ハハハ・・・なるほどね、彼の知り合いだったわけか、メルトクロス君は」
天希はいそいでフィールドに姿を現した。観客席からは多少のブーイングが飛んだが、何よりまずデーマの方に向いた。
「ゴメンゴメン、寝てて試合のことすっかり忘れちゃってたんだ」
デーマは無言だった。
「でも、来たぜ!さあ勝負!」
試合開始の合図があった。デーマはすぐに霧を吹き出し始め、後ろに下がり出した。しかし、彼はすぐにそれをやめた。かかってくると思った天希が、動かなかったからだ。
「お前から先に攻撃していいよ」
観客達もあっけにとられた。デーマは考えている様子だった。
「ほら、どうしたんだよ、攻撃して来いよ」
すると、デーマは今までよりいっそう強烈な勢いで霧を吹き出し始めた。辺り一帯はすぐに霧で埋め尽くされた。
「そうか、確かに天希なら、霧の中でも相手の位置は分かりますね」
床の上に置かれた天希の靴を見下ろしながら、可朗は言った。
「あいつ、聞き終わったと思ったら飛び出していったんだよな・・・本当に大丈夫かな?」
「何がだ?」
雷霊雲が訊ねた。
「えっ?いや何がって・・・勝てるかどうかっていう」
「そりゃあ勝てる分けないだろ」
雷霊雲はまたしてもあっさりと言い切った。
「あいつはそんなに外で戦う機会がなかったからな。自分の戦い方の弱点を知ってる人間を相手にまわしたら、どうするか」
「それじゃ・・・まるで天希が実験台みたいな・・・」
「うん?そうだとも。本当なら一番いい方法は天希が戦いを放棄することだった。私もデーマも残念がらせることが出来るっていう意味ではアイツの勝ちになりうる。でも、アイツはそんなひねくれたことは考えなかったし、勝てない相手と戦うことを選んだ。自然とそうなるよ」
「そ、そうですね・・・」
観客からは完全に姿が見えなくなった天希とデーマ。また、二人ともお互いの姿を目で確かめるのは不可能だった。天希は状況に少し動揺していた。
「・・・この霧か・・・」
天希は手をかざしてみた。炎が出ない。
「デラストの力を抑える毒の霧だって・・・?」
その時、天希は足の裏から違和感を感じた。何かがこちらに向かってくるのが分かった。
「来た!」
デーマは突進してきたが、天希はその方向を読んでかわした。
「よっし、足下はちゃんと機能してるな」
天希は足の指を動かしながら言った。デーマは再び突進してきたが、天希はまたかわした。デーマは今度はゆっくり接近してきたが、天希は後ろに下がって、お互いの姿が全く見えない状態のままを保っていた。
「雷霊雲先生のいう通り、不思議がってんのかな、俺が攻撃かわしてること」
デーマの走る速度が上がった。それに合わせて天希もスピードを上げた。
「でも、なんか変なんだよな。可朗のときはちゃんと人間っぽい温度だから場所分かったけど、あいつの足冷たすぎるぜ」
デーマの動く速度が急に速くなった。天希はすぐに走り出したが、デーマとは加速に差があった。
「マジかよ、俺より足速えじゃん・・・!」
天希の目の前を拳が通り過ぎた。間一髪でかわしたその腕は、肌色でもなければ、服の色にあるようなものとも違った。
「何だ今の・・・!?」
デーマはさらに至近距離攻撃をしようとしたが、天希は俊足で逃げ出した。デーマは追ってくるが、実際の速さは天希の足ほどではなかった。
「なんだ、加速だけかよ、ホッとした」
天希はひたすら逃げ回っていた。そのうち、次第に霧が薄くなってきた。太陽の光が差し込んできた。
「よし、雷霊雲先生の言った通りだ」
そう思った瞬間、彼は何かにつまづいて転んだ。早く走っていたために放り出されたが、すぐに立ち上がった。
「何だ今の、鎖・・・?」
そうこうしているうちに、デーマは近づいてきていた。霧が薄くなり、デーマの姿が見えた。
「食らえええっ!」
天希はデーマの来る方向に手をかざした。最初は何も起こらなかったが、彼がそのまま力を込めると、炎はせき止めていた水が流れ出すように一気に吹き出した。デーマはすぐに気づいたが、避ける余裕はなく、火炎放射に直撃した。フードに火が引火し、火だるまになったデーマの突進を天希は避けた。
「霧が晴れた!」
「あいつ、まだ立ってるぞ!」
「っていうか、なんかデーマの方が押されてないか!?」
観客がどよめいた。
「ほ・・・ほんとに無事だった・・・」
モニターからも霧のせいで様子が見えていなかったが、それが晴れて可朗は思わず呟いた。
「まあ、私が教えたからな」
火だるまになっているデーマの姿を、雷霊雲は特に何という様子もなく見ていた。
「あーあ、フードが燃えてしまった。これでは姿が見えてしまうな」
雷霊雲はわざとらしく言った。それを聞いた可朗はさらにモニターに見入った。
「見れる・・・デーマの姿が?いや、それどころじゃないくらい燃え盛ってるんですけど・・・」
「まあ見てろ」

デーマはフードをつかんだり、炎を振り払う仕草をしてもがいていたが、天希はその上から拳を振り下ろし、デーマの頭にぶつけた。デーマは一瞬ひるんで止まったが、すぐに後ろに飛んで間合いをとった。
「へっ、どうだ」

さらに天希は攻撃に向かっていったが、再び鎖に引っかかって転んだ。その瞬間、デーマの蹴りを頬に食らって飛ばされた。
「って・・・」
天希は着地して立ち上がった。デーマは燃え盛る火の中からこちらを見て立っていた。辺りは緊張の雰囲気に包まれていた。天希は、デーマがいつの間にか両腕に何かを握っていることに気がついた。
「峠口」
天希は初めてデーマの声を聞いた。
「峠口。どこかで聞いた名だと思えば・・・昔のデラスト・マスターの孫か」
デーマは突然、その場で回転した。それと同時に、彼を包んでいた炎の布が一瞬にして振り払われ、その姿をついに現した。
「面白い、実力を見せようじゃないか、デラスト・マスターとして」

「あ・・・あれは本当に、人間なのか・・・?」
可朗が思わず呟いた。雷霊雲はそれに答えた。
「ああ、もちろん人間だ。名前だって私がつけたんだ。『デラスト・マスター』だから『デーマ』。センスあるだろ?」

第二十六話

「・・・違う!」
カレンは叫んだ。
「・・・今話してくださった事が事実なら・・・事実、なら・・・」
カレンは拳を握りしめた。雷霊雲はうつむいていた。
「事実なんだよ。これはお話なんかじゃない。残念だが、お話じゃないんだ・・・」
その声は普段の傍若無人な態度とは違っていた。
「これで分かったろう。私は彼女の代わりに、お前達兄妹を守ってやらなければならない。もっとも、お前達が私を恨まないはずが・・・」
「違います」
雷霊雲は顔をゆっくり上げた。
「違う・・・?」
「先生は母さんを殺してなんかいません」
カレンは雷霊雲の顔をまっすぐ見ていた。
「先生の話してくださった事が、もしすべて事実なら、とてつもなく辛い事です。でも、先生は母さんを殺してなんかいません。むしろ母さんの目を覚ましてくださった」
その言葉に対して、雷霊雲はどうにも返しようが無かった。彼はいままでにないくらい困惑していた。
「これからは母さんが、ちゃんと私たち兄妹を安心して見守ってくれるんですね」
雷霊雲は顔を覆いたくなった。
「本当に・・・すまない」
一方試合では、可朗が攻め続けていた。天希は攻撃を食らいつつかわしつつ、飛び回っていた。
(そうだ、僕が相手だぞ天希、驚いたか!驚いて攻撃できないか!)
可朗は天希の方に向かって種を投げた。天希は直接種に当たる事はなかったが、その種から芽が伸びていき、それに捕らわれまいと跳ねたところで、可朗のパンチを食らった。天希は無言で歯を噛み締めた。そのまま蔓の伸びている方へ転がった。可朗はその蔓を操って攻撃しようとしたが、先に天希が立ち上がった。
「マジかい・・・」
天希はニヤリと笑いながら言った。そして、右手を真横に伸ばすと、その手から炎が吹き出し、可朗の操る蔓の上を生き物のように這い回って焼き尽くした。
「いいぜ可朗、お互い手加減無しで行こうぜ!」
それを聞いて、可朗はため息をつきながら呟いた。
「相変わらず、バカだな天希は」
可朗はできるだけ距離を置いて戦いたかったが、天希の行動はその願望には応える由もなかった。彼は構えるや否や、一気に可朗との距離を詰めてきた。攻撃に行った天希の左手の五本の指からは、花火のように勢い良く炎が吹き出していた。天希はまるで、長い爪で引っ掻くように腕を振り下ろして可朗に攻撃した。
「どうだ、これが・・・ん?」
火花から出る煙の間から彼の目の前に現れたのは、可朗の姿ではなく、重たく地面に直立する丸太だった。天希はとっさに逆の手から同じように炎を噴射させ、今度は丸太の真ん中を突いた。同時に丸太の内部に高熱を送り、なんとか障害物をどけたが、そこにも可朗の姿はなかった。天希が、自分の相手が丸太ではなく可朗である事を思い出すまでの時間は、可朗が攻撃の準備をするには十分すぎる長さだった。
「・・・地中!?」
天希はやっと、足下に穴を掘った後がある事に気づいた。彼はすかさず左手の平を地面につけて熱を送った。すると、さっきの丸太よりも太い植物の蔓が、熱の広がりが届かない位置から、天希を囲むように次々と地面から伸びてきた。その陣形のせいで、天希は自分の真下に可朗が居ると思い込んでしまっていた。天希は地面を熱し続けたが、蔓は全くひるむ事なく天希に襲いかかった。
「うわ!」
天希は蔓に持ち上げられた。彼はすぐに炎を出して蔓を燃やしたが、蔓に火がついたのは、彼が地面に投げ飛ばされたすぐ後だった。彼は地面に叩き付けられた。
「ぐうっ!」
地面との衝突を背中で受けた天希は、反動を利用してすぐに立ち上がったが、ダメージのせいですぐに動き出す事ができなかった。かろうじて次に襲いかかってきた蔓は避け、火をつけた。次に頭上から襲いかかってきた蔓に向かっても炎を吹き出したが、その蔓の影から可朗が落ちてきたのは予想外だった。
「天希!」
あっけにとられた天希の顔に、可朗の頭突きがクリーンヒットした。天希は目をつぶり、バランスを崩した。一方可朗は着地に失敗し、さらに天希が熱した地面に手や膝をついてしまった。
「熱っ熱っ!!」
可朗は立ち上がり、両手で顔を押さえた。うつむくと地面からの熱が顔に向かってのぼってくる。汗を拭いたかったが、指の間から天希の突進してくるのが見えると、そうもいかなかった。
「つっ!」
目の前がチカチカしているのか、突進してくる天希は顔をしかめていて、突進もまっすぐではなかった。それでも運動神経の鈍い可朗に当てるには十分な速度のはずだった。天希が拳を握り、可朗の真横にパンチを当てようとしたその瞬間、天希は進行方向から真横に弾き飛ばされた。
「!?」
天希を弾いたその蔓は、今度は可朗をつかんで反対の方向に運び、天希との距離を作った。
「・・・アハハ。才能、見つけちゃったかも」
可朗は頭を掻きながらそう呟いた。

カレンが部屋から出て行った後、雷霊雲は、モニターに映る天希と可朗の姿を見ながらぶつぶつ呟いていた。
「・・・デラストの3分類、エネルギー系、生物系、物質系・・・」
その隣のベッドで起きていた患者がそれに気づいて、雷霊雲の横顔を見つめていた。
「天希の炎はエネルギー、可朗は生物か。とすれば天希の方が有利か?いや・・・」
「あの・・・」
その患者が雷霊雲に話しかけた。
「なんですか、そのエネルギーとかって」
「・・・ああ、デラストのもつ固有能力はだいたい3つのタイプに分けられるんだ。主にエネルギーを操作するエネルギー系、自分の体を変形させたりなど、生物的な部分を操るのが生物系、主に物質を生成したり操ったりするのが物質系だ」
雷霊雲は振り向きもせずに、モニターを見つめていた。
「エネルギー系は、その操るエネルギーの種類にもよるが、基本的には生物系に強いんだ。より影響を与えやすいから。だから、その相性で見ればこの戦い、天希が有利だが・・・」

地面はだんだん冷めていった。天希は強力な打撃をモロに食らったせいで怯んでしまい、今やっと立ち上がったところだった。
「そうだ、デラストを操るのは、必ずしも手や足を使うんじゃない」
可朗は独り言を呟いていた。
「昔からそうだった、宗仁に殴られている間でも頭はフル回転してた。ピンチな時ほど無駄に頭がよく働いてた」
可朗は蔓の上から地面に下りた。
「デラストは頭で命令するだけで力が働いてくれる。いじめられてる時には動いてくれなかった手足とは大違いだよ」
天希と可朗は互いにゆっくりと歩み寄ってきた。可朗の欲しかった間合いは十分に開いていた。二人は立ち止まった。
「・・・すげえな可朗、さすが天才だな。あんなふうに来るとは思ってなかった」
いままでは運動能力で負けていた可朗は、天希を押しているという事実があって少し気が浮ついていた。天希にほめられるとなおさらだった。
「いやあ、あの程度なら誰でも思いつくってば」
「だから、俺もちょっと考えたぜ」
そう言って天希は息を大きく吸い、また突進してきた。しかし、相手の姿がちゃんと見えるぐらいの間合いが、可朗には今度はちゃんと取れていた。可朗は蔓の一本を操って天希の方に向かわせた。その蔓は天希めがけて攻撃したが、天希は簡単に避けた。それが可朗の狙いだった。
「ああ、楽だ・・・!蔓達がスムーズに動いてくれる。もう隙は作らせない!」
第二、第三の蔓が攻撃を仕掛けにいった。見事に天希は弾き飛ばされた。しかし、天希は受け身をとってすぐに立ち上がると、両手を可朗の方に向けた。両手の隙間から炎が吹き出し、可朗の方にまっすぐ伸びていった。
「うわっ・・・!」
蔓がすぐ壁を作り、可朗は直撃を防いだ。
「まだ!」
しかし天希が腕を少しひねると、炎は軌道を変えて壁をかわし、可朗の方へ回り込んできた。
「何!?」
焦っている可朗のところへ天希は叫びながら走ってきて、頬に蹴りを食らわせた。
「んぶっ!」
可朗は倒れながらも蔓を操り、天希に攻撃を仕掛けた。蔓は上方から天希の腕を掴み、そのまま地面に叩き付けた。もう一度天希の体が持ち上がった時、天希は蔓の表面に手を当てた。すると、地面に向かって叩き付けられる直前、蔓の内部から発火し、先端が燃え落ちてしまった。天希は着地して蔓から抜け出した。
(天希の蹴り・・・素足だった・・・なぜ?)
次の蔓が攻撃してきたが、天希は真っ向から蹴りで対抗した。威力では天希が劣勢で地面に転がったが、蔓の方には火がついて焼け出していた。地面から出ている蔓はすべて動かなくなった。天希が手を上に掲げると、蔓の上で燃えていた炎はすべて、天希の手の中に吸い込まれた。
「へへっ、どうだ可・・・あれ?」
可朗はまた地中に潜っていた。彼は地下に種を埋めつつ移動していた。
(間違いない・・・このままいけば勝てる・・・!僕の戦略が勝つ!天希には悪いが、この勝負、この三井可朗だけには、勝てない、勝たせないね・・・!)
可朗は地面から勢い良く飛び出した。しかしその瞬間、頬を天希に掴まれた。
「!?」
「よう可朗!やっと出てきたか」
可朗はとっさに、植えた種から蔓を出させて操ろうとした。しかし、蔓が地面から出る直前、目の前の光景を見てある事に気づいた。自分が種を植えた真上の位置に、小さな炎の玉が置いてあるのだ。蔓が出た瞬間、それらは勢い良く燃え盛り、すぐに力を失ってしまった。
「なぜ・・・位置が分かったんだ・・・?」
待ってましたと言わんばかりの満面の笑みを浮かべて、天希はしゃべり出した。
「地面のどこに何があるか、熱で何となく分かっちゃうんだぜ」
可朗はショックを受けた。いままでの天希のような行き当たりばったりの行動からは思いもよらない戦略だった。
(そうか・・・だから足の裏を直接地面につけるために靴を脱いでいたのか・・・)
可朗は腕を蔓に変化させて、目の前でしゃべっている天希を突き飛ばした。二人とも同時に地面に立った。
「ふーん、なかなか考えたじゃないか天希。でもその程度、僕の洗練された攻げ・・・」
目の前の天希が突然視界から消えた。それとほぼ同時に腹部にものすごい衝撃を受け、それで気を失いかけた。間もなくその勢いで壁に背中をぶつけ、意識を失った。
「な・・・」
観客は静まり返ってしまった。天希は可朗の腹に突っ込んでいた頭を抜き、ふらふらと立ち上がった。
「み、見たか可朗、これが俺の、新しく考えた、技、だぜ・・・」

「すごい、すごーい!見た見た!?先生今の見てた!?」
奥華は雷霊雲のいる部屋に駆け込んできた。
「先生、天希君すごかったよ!」
「あ、ああ・・・」
雷霊雲は乗り気ではなかった。まもなく可朗が運ばれてきた。
「可朗、大丈夫か?」
可朗は気絶したまま返事をしなかった。
「えっ?ちょっと可朗、ねえ可朗!大丈夫!?」
「気を失っているだけだ」
「なんだ、よかった~・・・」
すると、再びドアが開き、天希と君六が入ってきた。
「おう、天希。お疲れだったな」
「ここだったんすか。めっちゃ探しちゃった」
奥華は天希から少し距離を置いた。
「あっ、あの、天希君・・・」
「あ、奥華もここにいたんだ」
「うん。じゃなくて、最後、すごかったね・・・!」
「へへっ、だろ~。でも慣れないとダメだなありゃ。まだ頭グラグラするから」
その天希の声を聞いて、可朗が目を覚ました。
「天・・・希・・・」
「おっ。可朗、目を覚ましたのか」
「可朗、悪かったな。ごめん」
「・・・あれは、何だったんだ?天希、最後僕に何をした?」
その質問には雷霊雲が先に答えた。
「靴を脱いだ足から炎を噴射して、ジェット機の要領で突進したんだな。画面越しに見てもものすごい威力だった」
「俺の方にもすごい衝撃来て、首折れるかと思ったぜ」
「・・・そうか、そんなのだったのか」
「しかもあれ、突進の途中でデラスト・エナジー切れちゃったんだよな。勢いだけで飛んでた」
「えっ、それであのすごさだったの・・・?」
「そりゃあ恐ろしい。フルパワーで食らってたら、僕の体どうなってただろうね」
可朗は笑った。つられて周りも笑った。
「あれ・・・?そう言えば次の試合って・・・」
奥華は君六の顔を見た。
「キミキミ、こんなところで何してるの?次試合だよ!」
「ええっ!?」
君六は今更のように驚いた。そしてわめき出した。
「やだ、怖い、行きたくない!」
「何言ってるの?早く行かないとダメだよ!ほら!」
二人は部屋を出て行った。
「・・・まあ、君六の試合は次の次なんだけどな」
雷霊雲は呟いた。