第三十四話

その建物の内部は、内側にいくつもの壁が立っており、外の光が容易には入り込まなかった。ろうそくの淡く弱々しい光が、彼らの顔をわずかに照らしていた。
「馬鹿馬鹿しい事だ。お前の父親と一緒だと思うな」
檻の向こうにいるカレンを悪堂の口からは、普段の敬語が消えていた。カレンは震えながら座り込んでいたが、悪堂からは目をそらさなかった。
「礼を言いたいよ。私が甘かったという事を見せつけられたのだからね」
悪堂はここぞとばかりに顔をしかめ、邪悪な笑顔で鉄格子の隙間に迫った。その時、廊下の向こうから声がした。
「オドちゃーん!」
飛王天の声だった。悪堂はため息をつき、こう言った。
「あの脳足りん爺が・・・この薄暗い場所ですら遊園地扱いか」
その言葉を聞いたカレンは、恐る恐る口を開いた。
「あなたは・・・一体誰なのですか?」
聞くなり、悪堂は憤怒の表情を見せ、鉄格子を殴り始めた。
「誰かだと?一体誰がお前を引き取ってやったと思っているんだ?誰がお前を育ててやったと思っているんだ?全くスエラ様の言う通り、お前ら一家はろくな奴らじゃない!我々を裏切った罪は重いぞ!」
「スエラ・・・」
カレンがその名前に反応すると、鉄格子を叩く音が止んだ。悪堂は一息ついて嗤い、囁くように話した。
「そう、あなたの父であるアビス・フォレストの姉__あなたにとっては叔母か__スエラ・フォレスト様だ。あのお方がヒドゥン・ドラゴナに不在の間、私の仕事は増えている。そんな時にお前達の邪魔が入ったのだ!あのお方がお前達をただですますと思うな・・・」
悪堂は飛王天の声がした方へ歩き始めた。その間、カレンの方を横目で睨んでいた。
「どうしたの?」
飛王天の間の抜けたような顔と声と言葉に、悪堂は吐き気がするとでも言わんばかりの顔を見せたが、すぐに飛王天の機嫌を取る態度に変わった。
「いえいえ、ご心配ならさずに。それより、そっちの方はどうですか?」
「ああ、あいつね」
飛王天はスキップしながら悪堂を誘導した。
一律に並ぶ鉄格子、その最も端にはメルトクロスがいた。悪堂は格子の間から薄気味悪い笑顔を見せた。
「機嫌はいかがです?メルトクロス」
メルトは答えなかった。
「全く、ゼウクロスの力を手に入れるというならまだしも、自分がゼウクロスになろうだなんて、滑稽な事です」
少し間が開き、メルトがぼそぼそとつぶやき始めた。
「ゼウクロスは復活する。僕がダメなら天希だ」
「は、自分がダメなら、今度は弟ですか」
「彼は『ゼウクロスのデラスト』に選ばれた!天希こそゼウクロスだ」
「やかましい!大体、ゼウクロスが復活することすらバカバカしい話だ、しかも今生きる人間の体を借りてだと?一体なんの根拠がある!」
悪堂は再び剣幕を見せた。それに対しメルトは落ち着いた表情で、ゆっくりと飛王天の方を指差した。
「そこに被害者がいるじゃないか」
飛王天は首を傾げた。悪堂の表情は一転して、焦りの色を見せ始めた。
「お前達の組織は、デラストの力ではなく、呪術を使ってゼウクロス時代の人間を復活させようとした。具体的にはそう、アドマス・ボルカイナだったかな・・・そしてその実験台として使われたのが飛王天だった。しかし、種族の不一致をはじめとする諸々の問題によってボルカイナの蘇生は失敗、ヒドゥン・ドラゴナの参謀だった飛王天は脳に傷を負ってまともに振る舞えなくなった」
悪堂は言葉が出なかった。メルトは続けた。
「一番よく知ってるのはお前達の組織じゃないか。ゼウクロスが復活する事も、そしてその復活には生きた人間の肉体が必要だという事も。ここに捕らわれている人々も、ヴェノム・ドリンクの生成だけに使われるわけじゃなさそうだ」
「黙れ」
「一体何人の人間を実験台に使った?お前達は一体、誰を復活させようとしている?」
悪堂は指を鳴らした。途端にその指先から催涙煙が吹き出し、メルトを黙らせた。
「あのガキは法則に反して生まれてきた。クロス族の特性は五分しかない。そんなガキに期待したところで、この男の二の舞になるだけですよ」
悪堂はそういいながらメルトに背を向けた。飛王天は自分の事を言われた気がしたが、その内容はよく分かっていなかった。
「帰りますよ、飛王天様」
「えー、もう?」
それを聞いたメルトは、格子を掴んで体を起こした。
「帰る?」
悪堂は立ち止まり、振り向いた。
「けっこう面倒なんですよ、この牢獄とアジトの間を往復するのも」
悪堂は向き直ってまた廊下を歩き始めた。

カレンは冷たい床の上で縮こまっていた。よく見ると、床や壁や天井には数字がびっしりと刻まれていた。デラストの力は、まだ回復していなかった。
「私たち、一体どうなるの・・・?」
悪堂達のいなくなった後、徐々に彼女の耳に入ってきたのは、誰かの助けを求める声だった。
「助けて・・・」
「こんな場所は嫌だ・・・」
気づけば、その声はこの場所に来た時からかすかに聞こえていた。格子を必死で叩く音も聞こえた。カレンは頭を押さえて震え出した。
「一体・・・あの人たちは何を考えてるの・・・?もしかしたら、エルデラ兄さんもここに・・・?」
カレンは突拍子もなく兄の名を叫びそうになった。もし同じ建物にいるなら、格子の外に声を響かせて、耳に届かせたかった。が、どうしてもその自信がこみ上げてこなかった。彼女は結局、何も声を発さずに口を閉じ、その場に座り込んでしまった。廊下の反対側の格子の中にいる人間と一瞬目が合った気がしたが、向こうは途方に暮れたようになんの反応も示さなかった。

飛王天達がその建物を立ち去り、空が暗くなり、数時間が経った。内部にいる人々には空の様子を見る事もできなかったが、一人の少年の姿を、月の明かりは確かに照らしていた。
「ここか」
デーマは厚い土の壁からもれてくる、かすかな声を聞いては、場所を変え、安全に破れる場所を探していた。その途中にあった、格子付きのごく小さい窓を見つけた。デーマがその鉄格子に手を触れると、鉄は液体のように溶けて足下に流れた。彼は窓をコツコツと叩いた。声は聞こえない。デーマは溶かした鉄をかき集めて小さな鉄球を作り、鎖にくくりつけてハンマーにすると、それを使って窓を叩き割り、そのまま侵入した。
「何だ?」
中には警備の者がいたらしく、十数人が次々にデーマの所へやってきた。デーマが手を一振りすると、鎖が彼らの足下を払った。
「うおっ!?」
すかさずデーマは毒針を飛ばした。命中した戦闘員達はその場で気を失ってしまった。デーマは彼らの間を抜けていった。
「待て!」
毒針の当たらなかった戦闘員がデーマを後ろから掴んだ。するとデーマは迷うこと無く戦闘員の方に振り向き、その顔めがけて息を吐きかけた。
「うわっ」
戦闘員は思わずその毒の息を吸い込んだ。デーマを押さえていた腕から徐々に力が抜け、その場に崩れてしまった。デーマは鉄格子の部屋に向かった。

その足音に、捕まった人々は震えていた。上の階から聞こえた戦闘員の叫び声も気になっていた。そして、金属のカチャッ、カチャッという足音はついに彼らの目の前に姿を現した。
「う・・・あ・・・」
デーマの姿に、彼らは怯えるしかなかった。デーマがやや困りながら、彼らを閉じ込めている鉄格子を溶かしても、それに気づかないほどだった。
「・・・大丈夫だ、俺はアンタらを」
そう言いかけた所で、新たな戦闘員達が叫びながら現れ、デーマに襲いかかってきた。
「おおおおおおおおお」
デーマは一度その場に伏せると、さっきと同様に鎖を動かし、戦闘員達を転ばせた。
「はあっ!」
一人の戦闘員が飛び上がり、デーマの目の前で着地した、はずだった。しかし、前方にデーマの姿はなかった。
「ぬうっ?どこに消えた」
戦闘員は後ろを振り向き、一瞬青ざめた。他の戦闘員の姿までが、床から離れ、足に鎖を巻いて天井からつり下げられていたからだ。
「う・・・」
デーマは眼前に立っていた。彼は手に握っている鎖の端を地面に投げ捨てたが、その一人の戦闘員には、鎖が床に落ちた音が全く聞こえなかった。鳥肌が立った。
「この種類の毒もまずまずだな」
デーマはそうつぶやいた。その声もまた、戦闘員には届いていなかった。デーマが背を向け、地面に落とした鎖をつま先で引くと、最後の一人も突然足をすくわれて、地面につり下げられた。
「うわああああっ」
戦闘員達を次々と行動不能にしていくデーマの姿に、捕まっていた人々は次第に目を向け始めた。その中には当然、カレンもいた。
「デーマ君・・・」
カレンは小さい声で言った。それに気づいたデーマは彼女の方を向いたが、すぐに目をそらした。
「助けに来た」
その時、廊下の向こうから壁を勢いよく破壊する音が聞こえた。デーマはすぐにその方向を向き、戦闘態勢をとった。崩れた壁の煙の中にいたその影もデーマの姿に気づいていたらしく、まっすぐデーマの方に向かってきた。デーマは剣を真直ぐ相手の方に向けて突いたが、相手に触れた瞬間、剣がボロボロに砕けた。結果、デーマはその影の体当たりを食らう事になった。
「テメエらか、俺達の一族、俺達の家族をこんな目に遭わせてんのは」
デーマは鎖を使おうとしたが、その前に体ごと弾かれ、床に着地し損ねた。
「俺じゃない」
「じゃあ何だオメエは!」
その影はデーマに追い討ちをかけようとした。デーマは素早く影の横を通り抜け、逆側に回り込んだ。影は振り向くスピードが追いついていなかったが、そのまま突撃に向かおうとした。
「待って!」
影はピタッと止まった。
「その人、悪い人ではありません」
カレンは恐る恐る、その影に近づいた。よく見るとその人物は、白い髪を持つバルレン族の少年だった。カレンは思わず立ち止まった。その少年も彼女の顔を見ると、そのまま固まってしまった。
「・・・エルデラ、兄さん・・・?」

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