第二十五話

「あ、そういえば天希、メルさんはどこへ行ったんだい?」
可朗が訊ねた。
「えっ兄貴?さあ?」
「兄と認めるの早いな・・・」
「なんで?」
「いや、いないなあと思って・・・」
その時、奥華が叫んだ。
「あっ!」
「ど、どうした?」
「ほら見て!キミキミが出て来たよ!」
「な、なんだよ・・・それにしてもあのチビデブ、あんな臆病者で本当に勝てるのかい?」
「見てれば分かるわよ」

君六は恐る恐る出て来た。観客達は彼の事を気の毒そうな目で見ていた。対戦相手が出てくると、彼は後ずさりした。相手はさらに前に出て来た。
「こいつが私の対戦相手、明智・・・君六でしたか。随分と弱気な相手ですね」
「ヒィ・・・」
君六は震えていた。試合開始の合図があると、彼はそれにも過剰に驚いた。
「うう・・・」
相手は踊りながら君六の方へ向かって行った。君六は悲鳴を上げると、背を向けて逃げ出した。観客達の間に笑いが起こった。
「ハハハ、何だアイツ」
「戦いに来たんじゃないのかよ!」
君六は青い顔をして逃げ回っていた。後ろを振り向いて相手を見ながら逃げると、今度は壁にぶつかった。
「ヒイッ!!」
君六は縮こまって震えだした。
「ダメですね、君はこんな場所に来る資格は持ち合わせてないようです・・・」
相手は勢いをつけ、君六に向かって攻撃した。その時、彼には君六の震えがピタッと止んだのが見えた。
「!?」
君六の体の周りに激しい稲妻が走り、それと同時に彼は振り向き、相手を殴り飛ばした。
「ぐああ!」
さっきまでの君六とは様子が違った。髪の毛は静電気が走ったように逆立ち、弱気だった表情は闘争心溢れるいかつい顔に変化していた。
「ムフフ、ムグフフフフ!馬鹿め、俺様を誰だと思ってかかってきてるんだ?連戦無敗伝説を持つ、この明智君六様に勝てると思うてか!」
電撃とパンチをまともに食らった相手は動けなくなっていたが、君六はそこにさらに攻撃を仕掛けていった。
「えっ!?何事!?」
「たたっ潰す!__」
「__ほらね」
奥華がつぶやいた。
「キミキミって、戦いになると性格変わるんだ」

可朗は与えられた控え室にいた。奥華と君六もいた。
「そういえば聞いた事あるような気がする。明智君六・・・どこで聞いたかは忘れたけど、一度も負けた事がないって・・・」
「?」
「ダメダメ可朗。この子、戦ってた時の事、なにも覚えてないんだから」
「・・・まあいいや。それより、問題は次の試合だな。一体どうやって戦おうか・・・」
「何そんなに悩んでるのよ?ていうか次の相手誰なの?」
「えっ?」
「え?」
「・・・まあいいや。試合まで十分時間はあるみたいだし、ちょっと技でも考えてくるか」
可朗は立ち上がって部屋を出て行った。その足取りは妙にギクシャクしていた。
「・・・?」

「全く、いきなりだったな。まさか試合観戦中に倒れるとは思ってなかったぞ」
雷霊雲は椅子に座りながら言った。
「すいません・・・」
カレンが答えた。
「いや、私も少々気を抜いてしまっていたな。まだアビスとの戦いでのダメージが癒えてないことを忘れてしまっていたようだ。すまなかった」
「私は大丈夫ですから、あの、試合で負けた方達を優先させてあげてください・・・」
「ああ、そうだな、すまん」
雷霊雲は作業に戻ったが、また口を開いた。
「・・・お前達兄妹を、私は守らねばならないことになっている。ある人からの頼みでな・・・」
カレンは少し口を開いたが、返す言葉がすぐには出なかった。周りが静かになった。彼女は息をのんで、小さく言葉を発した。
「・・・母さん、ですか・・・?」
「・・・アルマ・バルレン。享年33歳。その遺言だ」
「え・・・」
カレンは言葉を失った。再び沈黙が襲いかかった。あたりは凍り付いたように静かになった。
「そして死因、その最期だが・・・」
雷霊雲はカレンの方を振り向いた。
「もしここで、私が彼女を殺したと言ったら、君はどうするね?」
カレンの視界が揺らいだ。沈黙が矢となって心臓に刺さったような感覚がしたが、彼女は震える体からわずかな声を洩らした。
「せ、先生は一体、何を言おうとして・・・?」
雷霊雲は何も言わずに、ごくゆっくりと、うなずくように首をおろした。
「聞きたいかね、君の母のことを」

天希は廊下を歩いていた。
「・・・本当にどこいったんだろな、あいつら・・・」
そのとき、可朗に出くわした。
「おっ、可朗!どこ行ってたんだよ!」
「えっ?どこって、控え室だよ」
「控え室?そんなのあるのか!」
「もらっただろ、案内の紙をさ」
「あー、俺それ捨てちゃったかも・・・」
可朗はあきれた顔をした。
「ってことは、次の対戦相手も分からないのかい?」
「別にいいじゃん。相手が誰になったって俺は自分の実力で戦うし、別に対戦表なんて見たって相手がどんな奴か分からないだろ」
「そりゃそうだけど・・・」
可朗は何を言っていいのか分からないような顔をしたが、天希は気づかなかった。
「可朗は頭いいもんな。今までの対戦見てて、選手の技とか全部頭に入ってたりして」
「そんなことないさ」
「ところでさあ可朗、兄貴見つかったか?」
「え?あ、いや・・・まだ」
「ったくどこ行ったんだろうなあ。つーか、何で探してんの?雷霊雲先生に聞けばいいんじゃね?」
「その雷霊雲先生から探せって言われてるんだよ」
「マジか~、もしかしたら帰ったんじゃね?」
「そうかもね・・・」
天希は可朗の顔をのぞいた。
「・・・どうした可朗、元気ねえぞ」
そう言われると、可朗はハッと顔を上げた。
「いや、さっきの戦いで疲れちゃってさ・・・」
「あれでかよ、可朗らしいぜ。俺は二回戦の試合がすぐ次だから、疲れてる暇なんてないんだよな。控え室で休んでれば?」
可朗は目を見開いたが、すぐに落ち着かせた。
「あ、ああ。そうさせてもらうよ・・・」
天希は笑った。
「俺はちょっと外に行って技練習してくるよ。すげーいい技思いついちゃってさ」
「そ、そう」
可朗は「どんな技?」と聞きそうになったが、口をつぐんだ。
「じゃ。よく休めよ。可朗だって試合あるんだろ」
天希はそう言って廊下を走って行った。可朗は天希の消えた方向を見ながら言った。
「・・・天希らしいな」

関係者以外立ち入り禁止の看板。それは闘技場の廊下の、目立たない場所に立っていた。そしてその先の、薄暗い部屋の中には三人の人影があった。
「・・・ぐあっ!」
メルトクロスは膝を床についた。
「ホホホホ、だから言ったでしょう。アビス軍団が崩壊した以上、我々にはこれ以上関わらない方がいいと・・・」
「バカな・・・」
変装をといた薬師寺悪堂と、もう一人の背の高い男は、メルトクロスを見下ろしていた。
「ふざけるな・・・これ以上、僕達の仲間を殺すんじゃない・・・!」
「だって、仕方ないでしょう?ヴェノムドリンクをこれ以上醸造できなくなると我々が不利になるのですよ。そのくらい、アビス軍団の幹部だったあなたなら分かるでしょう?」
悪堂はメルトの頬を蹴った。
「そのアビス軍団が解散したところで、何が仲間だ!あなたが今、仲間と呼んでいる輩を裏切って入ったのがあの組織だったのでしょう!?うわごともいい加減にしろ」
その瞬間、メルトは大きく飛び上がり、鬼の姿に豹変した。
「ひっ」
今度は悪堂が顔を殴られて倒れた。メルトは背の高い男の方を見た。あまり背が高いと顔がよく見えなくなるほど部屋は暗かったが、メルトは知っていた。その男がどんな顔なのか、そして今、どんな表情をしているのかを。
「メル君」
その男はゆっくりと歩み寄った。メルトはその長い爪で攻撃しようとしたが、その攻撃ラインの間に突然壁が現れ、跳ね返された。
「もう一度、質問してみよう。君は今、一体誰と戦っているのかね?今度こそ答えてほしいな」
「・・・飛王天(フェイワンティエン)・・・『ヒドゥン・ドラゴーナ』参謀、飛王天・・・」
「そのとおりだよ、正解」
その男は、笑っていた。
「えーっと、じゃあもう一つ質問が・・・」
メルトは再び爪で攻撃した。しかし、その爪は飛王天の腕につかまれた。
「ぐっ」
「我々の支部の、しかも『元』幹部にすぎない君が、なぜ親組織の、しかもその幹部である私に、矛を向けるのかな」

試合の時間が来た。天希はフィールドに入ってきた。
「よぉーしっ、次の相手が誰だろうと、絶対勝ち進んでやるぜ!」
その様子を観客席から見ていた奥華は青い顔をした。
「えっ・・・天希君、次の相手知らないの・・・?私もついさっき知ったけど」
しかし、奥華の言葉に反応してくれる人間はいなかった。いるのは常にオドオドしている君六くらいだった。
「・・・どっち応援すればいいんだろう」
当の天希は緊張などそっちのけで、自分の場所から見える光景を見回していた。反対側から入ってくる人間の姿には、すぐに気がついた。
「あれぇ?」
その二人はフィールドの真ん中に歩み寄ってきた。そして立ち止まった。
「天希・・・」
「どうしたんだよ可朗、控え室で休んでるんじゃなかったのかよ。あっ、もしかして、今回の対戦相手の事とか教えにきたの?」
可朗は細い目をしたまま黙っていた。観客達は不自然がっていた。
「あいつら、知り合いか?」
天希は、可朗がここに立っている意味に気づかないまま話を進めていた。
「それとも試合前のアドバイス?あっ、試合始まっちゃうぜ可朗。早くいなくならないと、対戦相手からまた文句言われるかもしれねえし」
それでもなお、可朗は黙っていた。
「・・・可朗?どうしたんだ?」
その時突然、試合開始のゴングの音が鳴った。天希は驚いて音のした方を見た。その瞬間、可朗はよそ見をしている天希に攻撃し、突き飛ばした。
「なっ!?」
天希は受け身をとって立ち上がった。しかし、状況は飲み込めていなかった。
「ん?えっ?」
可朗は両腕を植物に変化させながら、近づいてきた。
「天希、君は相手が誰だろうと、自分の実力で戦うって言ったよね。ならば僕も手加減はしない」
「マジかい・・・」

第二十四話

カレンと奥華は観客席に座って、試合が始まるのを待っていた。
「ネロっち、ケガだいじょーぶ?」
「ええ、もうだいぶ楽になってきました」
「そっか、よかったね~、はあ~・・・」奥華はため息をついて、背中を背もたれにつけた。「・・・この大会が終わったら、めのめ町に帰ろうかな・・・あ、そうだ、ネロっちもめのめ町に来ればいいじゃん!何もないけど、すごく楽しいところだよ、ね?ネロっちも来た方がいいよ、絶対に!」
「・・・ありがとうございます、きっと父さんの用事もまだかかりそうですし、是非行ってみたいです」
「だが」
気がつくと、隣には雷霊雲が座っていた。
「天希はここで旅を終わらせるつもりなど無いだろうな」
「えっ・・・?」
「あいつ自身は全く理由など考えていない。だが意味は無限大にある。そのうちの一つに、お前達が強くなれると言うところがある。それにカレン、お前は残りの家族を探さなければな」
「・・・でも、父さんがどう言うか・・・」
「ダメだと」雷霊雲は強く言った後、一息ついた。「・・・あいつが言うと思うか?」
二人の顔に光が射した。
「お前のことを愛撫しているのは見ていて分かるが、いざとなれば言うことも聞いてくれるだろう。そもそもあいつは、そうなることを望んでいるんじゃないか?お前がこのまま旅を続けることを、だ。あいつはすでに、お前が逞しく育ってくれたことを誇っているはずだからな。見ていてそう思う。で、奥華、お前はどうなんだ?」
「あ、あたしは・・・」
奥華が答えようとしたとき、歓声が鳴り響いた。

天希はフィールドに顔を出した。周りを見渡すと、観客でいっぱいだった。
「・・・これだ!じいちゃんがデラスト・マスターとして立った位置!」
フィールドの反対側から、すでに相手は顔を出しているのに、天希はそれに気づかないほど興奮していた。
「・・・おい!せっかく相手になってやろうってのに、無視か?」
「へ?なんか言ったっけ?」
「・・・どうやら、言葉だけじゃ伝わらねえようだな。この試合で、俺の方が強いってことを、証明してやる!」
「・・・ってあれ、お前どこかで見たような・・・」
「見たときに気づけよ!俺は岩屋唯次だ!天希ィ、お前、メルさんの弟らしいな。メルさんは尊敬できる人だ。だがお前は気にくわねえ!早々に決着をつけてやろうじゃねえの?」
「へへんだ、俺はこの場所に憧れて育ってきたんだ、せっかくここまできたのに、そう簡単に負けてたまるか!」
試合開始の合図は、ゴングの音だった。小さいとき、琉治が記念品としてもらい、大網が持っていったものを、船の上で何度も鳴らして遊んでいた天希にとっては、懐かしく、また聞き慣れた音であった。
「先手必勝!『斬撃」のデラストの真の力を見せてやるぜ!」
唯次は地面を蹴って飛び上がった。そして、空中から攻撃を仕掛けた。
「何だ!?」
天希には、唯次が何かを投げつけたように見えた。彼は素早くかわしたが、それは地面に当たると同時に消えてしまった。土でできた地面が、刃物を引きずったようにえぐり取られている。
「コイツに当たれば、一溜まりもないぜ!あっと言う間に体がバラバラになっちまうぞ!」
唯次は離れた場所に着地した。再び同じ攻撃をしようとしたがしかし、飛び上がろうとしたときに、天希がこちらへ向かってくるのに気がついたのだ。
「何っ!?」
天希は唯次の目の前までくると、彼は火の玉を投げつけた。唯次は高くジャンプしてかわしたが、火の玉は彼の後を付いてきた。
「熱っ!」
唯次がひるんだところに、天希はさらに攻撃を仕掛けた。唯次は火だるまになりながら蹴り飛ばされた。
「畜生、ふざけるな!」
唯次は炎を振り払おうとするが、その前に天希がまたキックを喰らわせた。唯次は苦し紛れの攻撃で天希の左肩に小さい傷を入れたが、天希の方は全くひるまなかった。3発、4発、5発と蹴りを喰らっていくうちに、唯次は勝てる自信を失っていった。最終的には、彼は地面に倒れて動くのをやめた。
「無理だ・・・降参」
試合終了の合図が聞こえた。同時に歓声も響いた。

天希は自分の控え室の方へ行った。奥華とカレンと雷霊雲の3人はすでに部屋の前に来ていた。
「よお、天希、一回戦は楽勝だったな」
「そんなことないですよ」天希はそう言って、部屋には入らずに観客席に上がっていった。
「ん?ああそっか、次って可朗の試合だ」奥華が言った。
「そういえば、あの子はどこへ行った?ほら、あの少し太った・・・」
「キミキミならトイレだよ」
「そうか、それならいいんだ」そういうと、雷霊雲もまた上っていった。

可朗は観客に向かって手を振りながら、フィールドに出てきた。
「どうも、どうも!」
可朗は今まで経験したことがないくらい目立っていると思っており、気持ちが舞い上がっていた。その姿に、最初にヤジを飛ばしたのは観客ではなく対戦相手だった。
「フッ、君が対戦相手かい」
「随分とおしゃべりなやつだ」
「そうかい、そりゃどうも。しかし君も運がいいね。この三井可朗様の華麗なる攻撃でこの場に散ろうとは」
相手は相当腹を立てていた。試合開始前から飛び込んできそうだった。
「試合開始!」
その合図に可朗は気づかず、まだしゃべっていた。
「まあほら、僕も観衆を楽しませたいから、一撃で君を倒す事がないようにはぎゃふっ!」
可朗の顔に蹴りが入った。
「おいおいどうした、華麗な攻撃で俺を倒してくれるんじゃなかったのかよ!?」
蹴りの連続攻撃だったが、その攻撃スピードは速く、可朗は抜け出す余地がなかった。

「あーあ、バカしてるから・・・」
奥華が呆れながら言った。
「あの速さは、どうやら基本能力ではないらしいな」
雷霊雲が言った。
「え?」
「今可朗が戦っている相手は、恐らく『速さ』に関係した能力を持つデラストなのだろう。そして、恐らくあれより速いスピードも出るだろう」
「えっ、それって勝ち目あるの?だって、あっちからの攻撃はよけられないし、こっちからの攻撃も当てられないってことでしょ」
「さて、どうなるかな」

相手は様子を見るように可朗の周りをぐるぐる回っていた。可朗は攻撃に出ようとしなかったが、代わりに言葉を発した。
「おお速い速い。メリーゴーランドのバイトでもすれば?あ、コーヒーカップの方が良かったかな?」
相手の動きがほんの少し遅くなった。
「逃げ足はもっと速いのかな?」
「何だと!?」
相手は方向転換して可朗の方にまっすぐ突っ込んで行った。パンチを当てようとしたが、その瞬間、足下の何かにつまずいた。
「何だっ!?」
可朗が足で地面をたたくと、植物の蔓は相手に絡み付いた。
「スピードのついてる状態で捕まえるのは難しい。でも加速がなければスピードってのは最初からでないんだよ」
可朗は腕をイバラに変えて近距離攻撃を仕掛けようとしたが、先に高速パンチを食らって地面に倒れた。それと同時に相手に絡み付いていた蔓もほどけた。
「残念だったな、俺の実力をなめたのが間違いだっ・・・はう!」
相手は蔓が完全にほどけてない事に気づかなかった。突撃しようとしたとき、可朗が蔓を持ち上げさせると、相手は自分自身のスピードに締め付けられたのだ。
「ははは、引っかかった」
可朗は起き上がった。
「速いよ速い。体の動きはね。でもこれでわかったでしょ、頭の回転が速い方がどっちか」
その後も試合は可朗が有利な方向に進められ、結果は可朗の勝ちだった。
「よう可朗、やったな!」
天希が言った。
「フッ、『さすが』だろう、天希。この天才が負けるわけがないじゃないか」
「えーと次の試合は・・・」
「聞いてよ」
「次の試合はだな」
雷霊雲が話に入って来た。
「誰?」
「前回のここの大会の優勝者らしい」
「へー!俺そいつと戦いたい!当たるかな?」
「・・・残念ながら、彼はこの一回戦で負けるよ」
「・・・えっ?どういうこと・・・?」

試合の時間になった。現れたのは前回優勝者である、市田庄だった。
「チャンピオン市田か!」
「でも前回の大会、そんなレベル高くなかったらしいけどな」
観客がどよめいていた。そして、その対戦相手も現れた。
「あっ」
カレンは思わず声を上げた。フード一枚に全身を隠した姿は、他にいなかった。
「デーマ・・・」
天希はそういって雷霊雲の顔を見た。雷霊雲は何も言わずに小さくうなずいた。

「へ、格好付けやがって」
庄は手をポケットに入れて余裕の表情だった。
「言っておくけどよ、俺は前の大会で優勝してるんだぜ?残念だが、今回もここは俺の舞台ってことで」
デーマは何も言わなかった。
「試合開始!」
開始と同時に、庄の体が分裂し、二人になった。
「さあどんどん増殖するぜ!この技を前に前の大会では誰も手も足も出なかった!なにせ数十対一だからな!お前がお望みなら、百超えてもいいぜえ?」
庄はさらに四人、八人、十六人と増えていった。対するデーマは、何もする様子はなかった。
「ほら、俺のこの増えてる様見ろよ、超隙だらけだと思わねーの?攻撃してこねーの?じゃあ十分増えたし、こっちから行かせてもらおうか!」
三十二人に増えた庄は、一気にデーマの方へ突撃していった。デーマはそれと同じスピードで、音もたてずに後ろへ下がっていった。
「ハハハ、逃げる事しかできねえのか?」
デーマと庄はバトルフィールドの壁に沿って移動していた。デーマはなお逃げ続けていた。一周くらいすると、庄の分身のうち数人が軌道を変えて先回りに出た。
「へっ、これでもう袋の鼠よ!抗ったところでこの人数には__」
しかし、庄はある異変に気づいた。先回りさせた分身がいなくなっている。デーマはあいかわらず同じ軌道の中を逃げ続けているだけだった。
「ん?」
庄は嫌な予感がした。いつの間にか、辺りが薄い霧に覆われている。デーマが逃げ続けている間、そのフードの下から霧が漏れ続けていた事に、庄はやっと気づいた。
「なんだこの霧」
庄は追いかけ続けたが、顔が青ざめて来た。自分の分身は霧にかき消されるようになくなっていく。そして霧はだんだん濃くなっていった。
「チクショウ!」
デーマが霧の中に消えそうになった時、庄は力を振り絞ってダッシュした。すっかり濃くなった霧の中で、やっとその首をつかんだ。
「ハハハ、これで・・・え?」
フードの頭がしおれた。庄がつかんだのはフードの首で、その中にデーマ本体はいなかった。庄は背筋が凍り付きそうになった。辺りを見回しても霧が立ちこめるばかりで、相手はおろか観客一人すら目に入らない。
「どうなってんだ、これ・・・」
彼の肩に手がかけられた。そこで振り向いてから数時間経つまでの間のことは、彼の記憶にはなかった。

「どうした・・・何が起こったんだ?」
「全然様子が見えないぞ」
観衆側からも戦いの様子は見れなかった。ただ、わずか二~三分で霧が晴れたのは確かだった。そして、その中に見えたのが、フードをかぶったまま立っているデーマと、全身が紫や緑に腫れて地面に倒れていた庄であった事も。誰もがあっけにとられていた。試合修了の合図もないまま、デーマはその場を去ってしまった。庄はすぐに、雷霊雲の手術室へ運ばれた。

第二十三話

「もう勘弁してくださいよ、いつまでここにいるつもりなんですか、あなたたちは」
ドクターの一人が、偉そうにソファに座っている雷霊雲に言った。
「いいじゃないか、どうせこの五日間、他に患者なんて来てないんだろう?こっちだって一日おきに重病治療十回分の金を払ってるんだ、お前たちにとってはまだいい方だろう」
ドクターは気が弱いこともあり、これに反論できなかった。

「よーし、明日には出発するぞ!」
「長くここにいるわけにもいかないからね」
「でも、特訓する時間も確保しないとな!」
「フッ、天希、他の人間のことも考えてくれよ、お前の足なら明日ついても余裕はあるかもしれない」
「大丈夫だって、時間は八時だろ?」
「フッ、じゃあ起きる時間の問題か」
「あ、いっとくけど、私はパスだからね!」
「あれ?奥華でないの?」
「臆病者め」
「ウザ・・・だ、だってほら、私まだそういう戦いとか慣れてないし、アビスの時は勢いだったけど・・・それに、ネロっちだって出れないでしょ、まだ完全じゃないみたいだし・・・」
「でも、一応観戦にはいくつもりですよ」
「ほら」
「・・・よし、じゃあ、とりあえずそれは明日の予定ってことで・・・それで、夕飯どうする?」
「せっかくだから、この辺のどっか食べにきたいなあ」
「せっかくって・・・結局は雷霊雲先生のおごりだろ?」
「そんなの当たり前じゃん」
「じゃあ、一応雷霊雲先生には承諾を得て、OKだったら店探しに行こう!」

それについて、雷霊雲は快く(でもないが)了承してくれた。アビスはもと住んでいた町の方へ行って、今現在そこがどうなっているのかを確認するとともに、新しい家を探しに行くらしい。また、彼の予定としてはその後になるが、今までの彼の悪行についての裁判も行われなければならない。そのため、カレンはどうしても、自分の父親とともに行動することが出来なかった。そこで彼女は、今回、この近くで開かれるデラストの大会の観戦をはじめ、再び天希たちと一緒に行動することで、アビスの用事が終わるまでの時間をつぶすことにしたのだ。皆、彼女には気を使っていた。しかし、奥華は少しネガティブな考え方をしていた。これから自分も旅人として、仲間と一緒に行動しようという気が出てきたときに、カレンがそのメンバーから抜けてしまうと考えていたのだ。全てが解決したら、カレンは家族の中に戻ってしまう。せっかく友達になったのに・・・彼女は、できればその時がくるまでの時間を、どうにかして長引かせたいと思っていた。
「おっ、これは以外といけるね」口の中に物を含みながら、可朗がいった。
「そりゃあ、誰の金だか分かってるよな?これで食えないなんて言わせないぞ」雷霊雲が可朗に向かって言った。
「・・・ねえ、おっちゃん、このスープ何使ってるの?」天希が店員に聞いていた。
「ああ、それはな坊主、黄塩って言う珍しい塩使ってんだよ」
「黄塩・・・やっぱり、それかあ」
「なんでえ坊主、知ってんのか?」
「うん、小さいときによく摂取った」
「・・・おめえ、その頃どこに住んでた?まさか海の底とか言わねえだろうな?」
「いやあ、そんな訳ないよ」
向こうで会話がはずんでるのに対し、デーマはカウンター席の端で、黙々と食べていた。もちろん隣は雷霊雲だった。
「・・・デーマ、今何を考えている?」
彼は箸を止めた。
「・・・すまん、何でもない」
食べ物は再び口に運ばれ始めた。
奥華はカレンのことをずっと見ていた。奥華の皿の上はほとんど減っていなかった。カレンも気づいて、奥華の方を見た。その顔は無理に笑顔を作っているように見えたが、それには気づかぬフリをして、彼女は聞いた。
「どうしたんですか?」
「えっ・・・うんとね、すごくおいしそうに食べてるなーって・・・ネロっちって、本当にラーメンが好きなんだね」
「はい、兄さんとは一緒によく食べました」
「・・・そう」
奥華にいつもの元気がない様子が、次第にあらわになっていった。カレンはただ事ではないと思い始めていた。しかし、奥華が自分の注文した料理を再び食べ始めると、
「そうだ、これから毎日、夕飯ラーメンにしない?」
その小さな店の中に響く声で言った。
「えっ、それって・・・」
「いいじゃない、ネロっちってラーメンが好きだったんだよ。知らなかったの?」
「フッ、いや、隣から会話聞いてれば分かるけどさ・・・」
「それに、そこまでしなくて良いですよ、でも、そういうことまで考えてくれるなんて、嬉しいです」
奥華は少し涙目になった。カレンは少しあせったが、言う順序を逆にしたら、間違いなくこの場で泣かれていただろう。運良く、その言葉は彼女への打撃にはならなかった。

一行はその店を後にした。奥華のテンションはあがっているように見えた。しかしカレンには、どうしてもそれが無理をしているように見えてしまうのだ。それでも彼女にはまだ、自分と仲間たちが、遠くないうちに離れてしまうと言うことに、気がついてなかったのだ。それは奥華の目を見ても、すぐにはピンとこなかった。病院に帰って寝ようとしたとき、奥華がベッドの中で泣いているのに気が付いた。カレンは心配になって、その原因を考えつつ、奥華に声をかけようとした。が、ちょうど声がでかかったとき、そのことに気が付いたのだ。彼女は自分の鈍感さを悔やみ、奥華と顔を合わせることができず、これでは心が不安定で眠りにつけないと思いながらも、自分のベッドの中に入った。彼女もそこで泣いた。

翌朝。天希がバカみたいに早く起きたことは言うまでもない。そして、女子二人が寝不足だったことも。
天希がデラストに関していちばん憧れていたのは、こう行った大会に参加することだった。彼の祖父や、その前の代のデラスト・マスターは、そういった闘技場にのぼることが多かったらしい。天希にはその姿が十分に想像できた。そのため、彼がデラストを持とうとしていたときの目的の一つがそれだったのだ。彼は闘技場の土の上に立っている自分を想像していた。さすがに祖父ほどにはその場所は似合わないと考えていたが、それでも、それが自分の将来像であり、今すぐそこまで来ているのである。
「よし、とりあえず優勝するぞ!」天希は何も考えずに言った。

会場まではそれほど遠くなかった。たどり着いたときに、雷霊雲が今回の大会の関係者だったことに皆はじめて気が付いた。それは、会場で他の関係者の人たちの到着を確認していた男の言葉から分かった。
「あれえ、雷霊雲さん、遅いですよ、もう二日前から集合かかってたのに」
「すまんすまん、患者の面倒見るのに手一杯だった」
他は皆、会場の建物を見ていた。
「でっかいね~」
「まあ、デラストの大会のためだけに使用されるわけじゃないし、他のスポーツもここで行われることが多い」
メルトクロスは付き添いだった。とくにアビスには、カレンを見守っているよう頼まれたのだ。
「高さは15メートルくらいかな。筒型の建物なんだろ?まるで巨大な風呂桶だ」
「どっかに知ってるヤツいないかなあ?あ、もしかしたら、千釜先輩とか来てるかも」
「今回の参加者は16人か。この辺はデラスト・マスターの影響か、デラスターがやたら多いんだよな」
「えっ、16人?」
「他のスポーツと一緒にするなよ?個人戦なんだしさ。逆に、デラストを持っていながら、大会に出ない人だって・・・ほら、僕みたいにさ」
「あたしみたいにさ」
天希は最初はそれを聞いていたが、すぐに知っている人間がいないか探しに行ってしまった。
「あ・・・ちょっと、天希君・・・」
奥華は呼び止めようとしたが、そもそも彼女が声を出し惜しみしていたため、誰にも聞こえなかった。続いて可朗が天希の後について行こうとした。
「可朗ッ!!」
今度は相手の足を止めるだけの威力があった。
「な・・・何?」
「ネロっちまだ完全じゃないんだから、先に走っていったらかわいそうでしょ!」
実際カレンは、まだ肉体的なダメージも精神的なダメージも少し残っているので、しばらくは無理するなと雷霊雲に言われていた。
「すいませんごめんなさいもうしません」可朗はその場で土下座した。
「いやいやいやいや、そこまでしなくてもいーから・・・」
その時、奥華の目には同時に、見覚えのある体型が目に入った。
「あれ?」
「どうしたんだい?」
「あそこにいるのって、キミキミだよね?」
「誰それ・・・」
「あれ?可朗知らなかったっけ?」
奥華はその方向へ走っていった。可朗には、奥華が止まるまでその人がどこにいるのか分からなかった。
「え・・・その金髪のが・・・」
「うん、可朗たちがでてった後に転校してきたんだ」
「そりゃあ知らないわけだ」
明智君六は可朗を見ると、奥華の後ろに隠れた。
「シャイなのかい?」
「いや、どっちかって言うと、臆病者・・・」
奥華は君六を可朗の方に押した。君六はさっきよりも素早く奥華の後ろに隠れた。
「ぷ、隠れてるつもりでも、完全にその腹が見えてるぞ」
「そういうこと言わないの、かわいそうでしょ!ね、キミキミ?」
「・・・」君六は奥華の顔を見上げると、おそるおそる可朗の方向に視線を移した。
「フッ、そんなんでよく大会に出る気になれたね、ご苦労さん」
「もー・・・」
すると、君六の後ろの方から、ものすごいスピードで誰かが走ってくる音が聞こえた。後ろを見ると、土煙を舞い上がらせて、天希がこちらへ向かって走ってきていた。
「ひっ!」
君六はあわててその場から逃げ出そうとした。しかし、逆に自分から天希とぶつかる羽目になってしまった。
「いてっ!」
二人とも転んだ。天希はその勢いですぐに立ち上がったが、君六は一度倒れると、起きあがってべそをかきだした。
「あっ、キミキミ、だいじょーぶ!?」奥華は君六の方へ駆け寄った。
「ごめん」天希はそういって、すばやく顔を前に戻した。
「誰だあれ?」
「うちの転校生だってさ。ヘタすれば天希がいちばん嫌いなタイプ」可朗は皮肉って言った。「そういえば、千釜先輩はいた?」
「いなかった・・・っていうか、一応見覚えのあるヤツが約一名いたけど、誰だか忘れた・・・」天希はため息をつきながら言った。
向こうでは奥華が、君六を説得していた。
「ほらキミキミ、あれは私達の仲間なんだってば!怖がることないの!」
「ううっ、だって~」
「先生みたいに怖い人いないから!あと、宗仁もいないから大丈夫だってば!」
「うう~っ」
「それに天希君だって、さっきのはわざとじゃないんだし、ちゃんと謝ってくれたじゃん。ほら、言い人たちばっかりなんだってば・・・あ、そうだ!ネロっち~、ちょっと~」
奥華はカレンを呼んで連れてきた。
「?」
「ほら、全然怖い人なんかじゃないでしょ」
カレンは状況がいまいちよくわからなかったが、とりあえず自己紹介した。
「えっと、ネロ・カレン・バルレンです。よろしくお願いします」
君六がちゃんとカレンの顔を見ているので、奥華も笑顔になった。が、30秒くらい経っても彼がカレンから目を離さない、というか離そうとしないのを見ると、さすがに不自然だと思った。
「キミキミ・・・?」
「・・・・・」
「?」
・・・・・ポッ
「・・・バッカ!」
「ぎゃあ!」

「・・・やはりそうか」
メルトクロスは柱の陰に隠れて、その二人を見張っていた。本当ならばその二人は、メルトクロスも全く知らない二人の中年だったかもしれない。しかしそれが意識的な変装であることは、彼には見破ることができてしまった。
「・・・薬師寺悪堂・・・また会ったな」
彼はつぶやいた。変装をしている悪堂の方も、メルトクロスの存在には気づいていた。そして、もう一人の男は・・・
「そうか・・・悪堂、お前の隣にいる、その男こそが・・・」

第二十二話

(・・・あれ・・・?ここは、どこ・・・?)
カレンは、暗闇の中をさまよっていた。あたりには暗い紫色の霧が立ちこめ、どこを見ても先には闇が続くばかりだった。
「おーい、カレン、遊ぼうぜー」
「兄さん」
彼女の目には、9年前の兄の姿が映った。いつの間にか、自分も9年前の姿に戻っていた。
「何してるんだよ、早く早く!」
彼女は兄の後を追いかけていった。その先には、両親の姿もあった。
「父さん!母さん!」
カレンは嬉しそうに叫んだ。その瞬間、彼女の目の前にいた三人は消えてしまった。彼女の姿も、元に戻っていた。
「!?」
彼女は恐怖に襲われた。三人のいた場所から、震えながら後ずさりした。そのとき、後ろから男の叫び声が聞こえた。
「うおおおっ!」
カレンは振り向いて、上を見上げた。魔人の姿になったアビスが、闇の中に吸い込まれそうになっていた。
「父さん!」
カレンは手をつかんで引っ張り出そうと思ったが、すでに手が届かなかった。アビスも彼女の方に手を伸ばしていたが、どんどん吸い込まれ、最後には消えてしまった。すると、その場所から、二つの巨大な目玉が現れた。
「・・・ネロ・カレン・・・バルレン・・・」暗黒の中から、古びた床のきしむような声が響いた。二つの目玉は、彼女にそのおぞましい視線を注いでいた。
「まただ・・・またお前は、私の計画を邪魔した・・・いつもそうだ、おまえの母親もそうだった・・・」
カレンは一体何のことだか分からなかった。しかし、母親のことをいわれると、ただ事ではないような気がした。
「あなたは・・・一体、何ですか・・・!」カレンは言った。
「黙れ。声を失ったはずのお前に、ものを言う権利などない・・・」
「私には、ちゃんと自分の声があります!」
「うるさい!私に刃向かうな!私の計画を邪魔すれば、お前だけでなく、お前の兄や、父親も苦しむことになるのだぞ・・・」
その目は彼女を圧迫した。その邪悪なオーラに、彼女は吹き飛ばされた。
「くっ・・・」
「そうだ、苦しみと悲しみ、そして恐怖がおまえを襲うのだ・・・私でさえ、そんな状況に立つのは気が引ける・・・しかし、今はお前のそれを操ることができるのだ・・・私が念じれば、お前はどうすることもできなくなる・・・」
カレンは倒れたまま、起きあがれなかった。彼女に追い打ちをかけるように、その目は彼女の顔に近づいてきた。
「まずお前から動かなければいいのだ、強制的に動きを封じられ、自由を奪われる前に、我々に刃向かうことをやめろ・・・!」
その声は聞こえなくなった。しかし、その響きは闇にこだまし、巨大な目玉はどんどんカレンに近づいてくるばかりだった。彼女は目をそらすことも、閉じることもできずに、その目玉の持つ力に押しつぶされていきそうだった。

「ネロっち、ネロっち!」
カレンは素早く目を開けた。そこにあった二つの目は、さっきまでの暗黒に浮かぶ怪物の目ではなく、心配そうに自分の事を見つめている、奥華の目だった。
カレンは起きあがったが、そこに立っていた奥華と額を勢いよくぶつけて、再びベッドの上に倒れた。
「イテテ・・あっ、ネロっち、大丈夫!?ゴメンね、まだ頭に包帯巻いてるのに・・・」
彼女は天井を見つめたまま、自分の頭をそっとなでてみた。
「・・・だいぶうなされてたみたいだけど・・・・・大丈夫?怖い夢だった?」
彼女は、今度はゆっくり身を起こしながら、答えた。
「・・・大丈夫です・・・もう、起きましたから・・・」
「・・・はは・・・よかった~、だって心配なんだもん、ネロっちにこれ以上何かあったら、絶対みんな悲しむから・・・」
そう言うと、奥華はその狭い部屋の隅に座っている雷霊雲の方を見た。
「・・・しかし、お前もそう見えて意外と無鉄砲なんだな、いきなりあんな技を使おうとするとは・・・これからは無理するなよ」
カレンは少し笑いながらうなずいた。
「しかし、あの手術が終わるまではよく頑張ってたな、気づいてないかもしれないが、お前はこの三日間ずっと寝てたんだぞ」
最初、カレンは雷霊雲が何を言っているか分からなかった。雷霊雲はカレンダーを指さし、そこで彼女は初めて気づき、驚いた。
「この三日で、手術中に頑張った分の疲れを癒したな。それにしても、仲間の顔を見るまで休まなかったっていうのもすごいというか、何というか・・・あ、気にするな、私の偏見だ」
奥華も苦笑いを浮かべた。
「さてと、私はまたお前等のために弁当を買ってこなきゃならん。カレン、お前はまだ、どちらかというと怪我人と言うよりも病人に近い。お前は病院で作られるまずい飯を食わなきゃならない。だが、コイツ等はバンバン食べるからな、特に奥華、お前は見かけによらず・・・」
「それって、私がチビだってことですか~?」奥華は雷霊雲の目をにらみながら言った。
「すまんすまん、よく食う年頃なんだったな、お前らは」
奥華は初めて雷霊雲に勝ったような気がした。彼女は胸を張り、腰に手を当て、勝ち誇ったような態度を見せた。カレンもよく分からなかったが、小さく拍手していた。同時に、彼女は奥華が腰に当てている手が、右手だけだということに気がついた。奥華が取りたいポーズは何となく分かったが、それができていなかったのだ。
「うーむ」雷霊雲はそのまま部屋の外に出た。奥華もそれについていくように、部屋を出ようとしたが、部屋と廊下の境目で立ち止まり、カレンの方を振り向いて、不思議そうに言った。
「ネロっちって、自分でしゃべるときも敬語なんだね」
カレンはどう反応すればいいか分からなかった。が、その前に奥華が微笑んで、またこう言った。
「でも、すごくいい声してるよ、ネロっち。これからもいっぱい話そうねっ」
カレンは微笑み返した。奥華は右手でカレンに向かって手を振り、同じ手でドアを閉めた。

雷霊雲は、廊下を歩きながら行った。
「やれやれ、ここと向こうとの間を行き来するのも楽じゃないんだよなあ」
「だったら、向こうにいればいいじゃないですか、ネロっちの具合も良くなったんだし」
「ならば次はお前の番だな、奥華」
「へ?何がですか?」
「手術だよ、手術」
「なっ、なんであたしが・・・」
「ほう、じゃあそのままでいいんだな、お前のその左腕は」
「え!?こっ・・・これは・・・・・別に、いいです」
「・・・そうか、せっかくタダでつけてやろうと思ったのに」
「義手ですか?」
「まあな」
「別にいいですよ、ずっとこのままだったんだし、今更つけても・・・」
「・・・そうだな」

奥華はソファに座っていた。買い物に行く直前、雷霊雲は『アビスに伝えとけ、あんたの娘さんが目を覚ましたぞ、って」と彼女に言っていたのだが、何となく気が進まなかった。数分経って可朗が来た。奥華は彼にそのことを押しつけようとしたが、可朗も気が進まないらしく、いやがっていた。そもそも、アビス本人がどこにいるかを知っているのはメルトクロスぐらいで、それを言い訳にして、二人とも動こうとしなかった。それにしても、お腹がすいた。
そのとき、ソファの後ろから背の高い男が現れた。雷霊雲は、なぜかそこにいたのだ。
「お前ら、一体何をボーッとしてるんだ」
二人はかなりびっくりした。「え、あれ?先生、買い物に行ったんじゃなかったの?」
「買い物ならデーマ一人で行かせたぞ。お前らに教えておきたいことを、いろいろと思いだしたんでな」
二人の顔をみると、雷霊雲は仕方なさそうにアビスのいる部屋に入った。ソファから見える位置だった。
一分ほどの沈黙が続いた。向こうでは何か話しているのであろうが、全く聞こえなかった。その後、突然そのドアを壊さんばかりの勢いで、アビスが部屋から飛び出してきた。彼は足で地面を叩くような走りで、カレンのいる部屋に飛び込んでいった。

「無事だったか!」
カレンがちょうど、ベッドから出て歩いてみようとしていたところに、アビスは入ってきて、自分の娘に抱きついた。
「無事でよかった!よかった!」
「父さん・・・く、苦しいです」
言われて、彼は少し手をゆるめた。
「悪かった。いや、本当に悪かった。今まで俺は、お前やその他の人間にさんざんな迷惑をかけてしまったようだ。今まで本当に悪かった」
「・・・父さん、いろいろと聞きたいことがあるんですけど・・・」
「そりゃあ、たくさんありすぎて、何から聞けばいいか分からないだろう。俺も一体何から話せばいいのか、全く分からないところだ」
「あの・・・まず、父さんの姿について、少し・・・」
「それか・・・実は、フォレスト族など一部の魔人族には、自分の姿を使い分けることができる能力を持つ。本来あるべきである魔人の姿と、そうでない、ごく普通の人間の姿とを、な。この二つよりもさらに多くの姿を使い分けられるものも、昔はいた。だが、これは恐ろしい昔話だ、今はおいておこう。だが、意識的に変身すると体がものすごく疲れ、寿命が縮むとまで言われていたから、俺は正直言って、生まれてからずっとこの本当の姿のままでいようと思っていた。だが、めのめ町から外の世界を知ったとき、俺は怒りで我を忘れそうになった。未だに、俺たち魔人族を奴隷として扱っている部分があるんだと!だがしかし、その怒りをどこにもぶつけることはできなかった。俺は今回みたいなことになる前から、少しずつ悪に染まっていた。仮の姿を使うことになり、フォレストという姓を隠すために、偽名も使った。それで通ったときにはホッとした。おそらく、他の魔人族もこうやって生き延びているのだろうと。だが、あるとき、仮の姿であり続ける理由がもう一つできた。それは、母さんのアルマがお前たち兄妹をもった時だった。俺もその時はすごく喜んだ。そして、出産が近くなったある日、こう思った。『もし、俺が魔人族の姿のままで、子供たちが俺の顔を見たら、どう思うだろう・・・?」・・・俺は、いつかは本当の姿を見せなければならないとは思っていた。だが、俺の意志でそれができるはずがなかった。これに関しては、こんな形で打ち明けることになっちまったが、俺自身がずっとそうできないよりはマシだったな」
「・・・そうだったんですか・・・」
「悪いな・・・そういうわけで、俺は二重の壁に押されて、自由を失っていた。そしてさらに、そんな俺と、俺たち家族に降りかかってきた、9年前のあの事件・・・」
「・・・例の、あの事件・・・ですか・・・」
「そう、あの事件が、俺たち家族を引き離したんだ・・・!9年たった今も、奴らの正体は分からねえままだ・・・」
「その事件について、今度はもっと詳しく説明してくれないか、アビス」雷霊雲が突然言った。奥華と可朗も、部屋に入ろうとしていた。
「・・・ああ、話してやるとも・・・

___その日は、少し黒みがかった雲が空をさまよっていたが、日は照り、散歩日和と言っても申し分なかった。俺とカレンとエルデラは、家の中にいた。仕事も、カレンとエルデラの学校も休みだった。久しぶりに家族で何かしようかと考えているうちに、この日が来てしまったものだから、これと言って何をするでもなく、終わってしまう一日のはずだった。その先週は珍しく妻のアルマが家に帰ってくることができて、二人ともすごくはしゃいでいた。しかし、この日は本当にすることが何もなかった。まあ、体を休めるから『休み」なんだろうと思いながら、三人で部屋の中をゴロゴロしていた。その事件の前触れなんてものを感じられるような、そんな危
機感はなかった。その手前まで、最後の一瞬まで、とても平和な気持ちだった・・・その時、玄関のドアが開いた。ものすごい勢いで。別に俺たちは履き物の目の前で寝転がってたわけじゃない。二階からでもその音はものすごい音だって分かった。俺の汗は一瞬にして冷えた。カレンとエルデラには待っているように言った。そして、もし悪人が入り込んできたというのなら、俺のデラストで撃退してやるつもりだった。しかし、そこにいたのは、川園、いや、峠口真悠美さんだった。俺が昔に惚れ、最終的には大網の妻となった人だった。なぜここに来たのかという疑問は、真悠美さん本人が先に答えを告げるまで、俺自身がその人に対して感じていた懐かしさに
かき消されていた。だが今度は、真悠美さんの言葉が、のんきな俺の気持ちをえぐり取った。
『この街から、早く逃げて!」
ただ事ではない、本気で俺はそう思った。真悠美さんのデラストの腕前は、大網とは夫婦で肩を並べていると聞いていた。だが逃げろとは?別に俺は強敵を前にして、自分は逃げて真悠美さん一人を戦わせるようなことは・・・というか、そういう問題ではない。強いはずの真悠美さんが突然自分の前にやってきた、そして逃げろと言った。自分自身もが危機にさらされているような口調で。俺は急いで二階に上がり、カレンとエルデラを両脇に抱え、玄関に戻ってくると、真悠美はすぐに走り出したので、俺もついて行った。
『一体、何があったんですか!?」
『私にもよくわからない・・・ただ、私について走って!敵の姿も見たいところだと思うけど、できれば後ろを振り向かないで!」
俺は言うとおりにしようと思った。ただ、あいつが心配・・・いや、その話はここではしない。とにかく俺は走った。背中の方から、ずっとものすごい破壊音がしている。だんだん遠ざかっていくということは、俺たちの方がスピードは速いのだろう。ただ、デラストを持っていない人間なら逆に追いつかれているだろう、そんなスピードだった。俺たちはなるべく逃げた。そして、町並みが見えなくなり、傾斜に入ってもなお走り続け、丘の上まで登り切ると、真悠美さんは立ち止まって振り向いた。俺ではなく、遠くを見ていた。俺もその方向を向いた。俺は驚こうにも驚けなかった。自分の暮らしていた街が、少し遠くでどんどん壊れ始めている。『やつら」
はおそらく集団なのだろう。まるで砂のように、細かいものがうごめきながら、街をどんどん破壊している。空は曇っていた。
『奴らを・・・倒さねえと・・・!」俺は無意識にそういった。
真悠美さんは驚きの表情でこっちを見た。俺自身も驚いた。しかし、言ってしまったのだからしょうがない。
『この二人をお願いします。できれば、大網の船を使って、ゾンクの街まで行って、そこにいる村雨と言う男に会ってください。大網なら知ってるはずです」
彼の有名人、薬師寺悪堂のことです、と言ってもよかったが、時間はなかった。それにもし言っていれば、それは俺にとってこの上ない屈辱となっただろう。俺は丘を駆け下りていった。駆け下りながら、両手に力を集中させ、戦闘態勢をとっていた。そこで、俺が見たものは・・・!
気がつくと、俺はある建物の中で寝ていた。さっきまではずっと無意識に戦っていたはずだ。かなりの相手を打ちのめしたはずだった。しかし、結果的には負けだ。さっきまで俺と対峙していた化け物達が、俺の寝ている周りをウロウロしていやがるから間違いない。コイツ等はどこに住んでんだ?それとも、今俺がここにいるのがコイツ等のすみかか?そいつらは、まず人間の姿をしてなかった。指の数がおかしいし、鼻と口を無理矢理前方に引っ張りだしたような形をした頭や、樹木のような色をした気味の悪い肌、そしてそこに浮き出ている、明らかに形のおかしい骨格・・・こんな化け物の姿すら一生見れない人間が世の中に何億人いることやら・・・まあ俺の姿も一版世間から見れば怪物なのだが__俺はさほど身の危険に対する恐怖も感じずに、余計なことばかり考えていた。しかし、その部屋に『そいつ」が入ってきたとき、俺の不安は一気に頂点に達した。村雨道男・・・いや、薬師寺悪堂がその場にいたのだ。俺は真悠美さん
に、こいつに会うように言っておいた。その本人がなんでこんなところにいる?しかも自分一人で、なんのためらいもなくこの部屋に入って来やがった。その雰囲気で分かった。コイツはこの化け物達を統率しているのだと。しかも、しかし聞き取りにくかったが、化け物達の発する言葉の中に、『悪堂様」という言葉が混じっていた。芸名に様付けか。化け物達はやつにお辞儀までしてやがった。で、当の本人は、そのまままっすぐ俺の前まで来て、皮肉のこもった笑いを込めてこう言った。
『あんたの娘さんは、しっかりと私達が受け取りましたよ」
俺はバカだった。なぜコイツが、今まで敵だったと気がつかなかったのだろう。そもそも、こんな軍団が存在するなどとは、夢の中でも思えなかった。人間ではない化け物達を、精神的に人間離れした人間が統率している。その様子を、人間離れした姿をした俺が眺めている。そうだ、あの時点ですでに俺は本来の姿に戻っていた。だがそれだけで、俺はこの後、コイツ等に反抗することもできず、気がつけば奴らの軍団の支部長みたいになってやがった。なぜか薬師寺悪堂のことは忘れていて、本人もそれを知っていながら、俺の部下になりすましてやがった__

・・・まあ区切りが悪いのは仕方がないが、後は周知の通りだ」
アビスは言葉を切った。少し沈黙が続いた。
「・・・・・で、でも・・・」
カレンが何か言おうとしたが、その用件をかわりに雷霊雲が紡いだ。
「肝心なところが抜けてないか?お前がなぜ奴らに洗脳される羽目になったのか・・・それをカレンは聞きたかったんじゃないのか?」
「・・・え、マジで?」
「スマン、今のはちょっとお前の娘を勝手に使ってしまった、ジョークに近いものだ。だが、否定はできないだろう?カレン」
カレンはかなりゆっくりうなずいた。
「・・・あれは本当に悪夢だった・・・正直言って思い出したくな・・・」
「分かった、無理するな」アビスが言葉を続けようとしたところを、雷霊雲は切った。
「何というか、話してはいけないことが沢山ある、ようだな・・・それは分かった」
「お・・・おう」

実際、アビスにとっては喉元まで出掛かっているくらいに話したいこともあったが、ここでは全く逆のとらえ方をされる話し方をしてしまった。アビスは困惑していた。そのすぐ後に雷霊雲が『まあ、残りは後でじっくり話すとしよう」と言ってくれなかったら、どうなっていたか分からなかった。カレンには母や兄の居場所も聞かれたが、彼は分からないとしか言えなかった。その後沈黙が続いた。どうしても話題が見つからないと思った雷霊雲は(そういう雰囲気にした張本人であるにも関わらず)無言で部屋を出て行ってしまった。その後すぐに、アビスを安心させる台詞を発したのだが。奥華と可朗も、部屋の外へ出て行ってしまった。カレンは黙ったまま、椅子の上に座っていた。頭の中で、今までの出来事を整理していた。
「父さん・・・あの、兄さんは、あの時一体どこへ行ったんですか?」
「・・・あの時?」アビスは彼女の言っていることがよくわからなかった。
「父さんの話では、私と兄さんが離ればなれになった所は、出てきてませんよね・・・?」
「・・・そうだな、そういえば、今度はお前が悪堂の下で暮らしていたときのことを俺に話してほしい」
カレンはもっともだと思い、あの男の家族の一員として暮らしたことを、彼女は丁寧に語った。
「なるほど・・・じゃあ、村雨家としてはそれほど悪い対応はなかったと」
「はい。奥さんも、ミッちゃんも、優しい人でした」
「となれば、やっぱり問題は主人にあり・・・か。娘にまで嫌われてるんじゃ仕方のないところだな。ところで、それ以前のことは思い出せたか?」
「・・・いえ、船の中で、赤い髪をした優しいお姉さんと一緒にいたことは覚えてます・・・その時はすでに、兄さんは近くにいませんでした」
「・・・そうか。で、少しずれるが、その船の中でお前と一緒にいた人が、誰だか分かるか?」
「ええっと・・・峠口・・・あっ、もしかして、天希君の・・・!」
「そうだ。大網の妻ってことはつまり、天希の母親であるわけだ。それが川園真悠美さんだ。エルデラがその船に乗っていたかどうかは分からないが、天希なら何か知ってるんじゃないか?そもそも、お前はその頃、天希には会ったことがなかったのか?」
「はい、船に乗ってる間は、いつも同じ部屋に閉じこめられてましたから・・・」
「畜生、大網の野郎め・・・人の心が分かるんなら、もう少しいたわれってんだ」
「でも、大網さんにあったことはありませんでした」
「だろうな。アイツは子供が大嫌いなんだよ。特に女の子に対しては、照れるとかじゃなくて、根っから嫌ってるらしい。やつの実際の背が低いのがいちばんの要因だと思うが・・・おそらく、お前を閉じこめっぱなしにしていたのもそのせいだろう。最終的には、自分の実の息子まで育児放棄するくらいだからな・・・」
「でも、真悠美さんはいい人でした。ぜんぜん若いように見えるし、もしあの人がいなかったら、あの部屋の寂しさには耐えられなかったかもしれない・・・」
「だろ!?やっぱり真悠美さんはいつになっても魅力的だよなあ、どうして大網なんかが好きになったのかは分からんが」
長らく話し続けている間に、どんどん時間は過ぎていった。
「おう、だいぶ話がずれちまったな。よしカレン、エルデラのことについて、天希に聞いてみろ、その方がいい」
カレンはうなずくと、部屋を出、ドアを静かに閉めた。

天希はちょうど、病院へはしゃぎながら戻ってきたところだった。今までどこへ行っていたのか、一体何が嬉しいのかカレンには気になったが、あえてそれは聞かず、彼女はいちばん重要な質問をしようとした。
「あの・・・天希君・・・」
「うおっと!これでカレンの声聞くの二度目だ!で、何?」
今の言葉で、なぜか彼女は顔が少し赤くなったが、すぐに落ち着いて、続けた。「エルデラ兄さんについて、何か知ってることありませんか?」
「・・・エルデラ・・・?何だっけその名前・・・」
天希は五秒ぐらい考え込んだが、ふと叫んだ。
「あーっ!そうだ、エルデラ!思い出した!」
「どんな人でしたか?」カレンは嬉しそうに聞いた。
「いいヤツだったなー、俺とすごく気が合ってて、アイツといると、ものすごく楽しかった!あ、そういえば、カレンって前から、誰かに似てるなと思ってたんだけど、エルデラかァ・・・懐かしいなあ・・・」
「兄さんとは、どこであったんですか?」
「どこで・・・?うーん、よく覚えてないけど、とりあえず一緒には遊んだ」
「そうですか・・・」その言葉には、自分の兄が、今自分の友達である人間と面識を持っていたということに対するささやかな喜びと、手がかりをつかめなかった残念さ、そして、同じ船に乗ったことがあるのに、自分の場合は全く顔を合わせたことが無いと言うことに対する疑問がこもっていた。
「ありがとうございます」カレンは礼を言うと、天希から離れていった。
彼女は昼に奥華と可朗が座っていたソファで、天希が話してくれたことを整理していた。
(まず、私が村雨家に渡されたとき、兄さんは__同じ船に最初から乗っていたとしたら__船に残されたままのはずだった・・・よく覚えてないってことは、天希君と兄さんが出会ったのは、少なくとも船の中ではないってこと・・・?)
カレンは少し分からなくなっていた。
(慶さんの時に天希君自身が話してくれた内容からすると・・・天希君は、少なくとも四、五年前までは船の中で生活していたはず・・・ということは、私と天希君が会っていてもおかしくない・・・でも兄さんは会ってる、でもたった一回くらいなんだろうなあ、あの天希君の様子を見ると・・・結局、天希君と兄さんが会ったのは、偶然なのかなあ・・・)
振り出しに戻った。カレンはため息をついた。しかし、さっきの天希の話から、兄に対する資料がほんのわずかでも増えたような気がして嬉しかった。
彼女は立ち上がって、窓まで歩いた。外はすでに暗かった。久しぶりに、たくさん喋ったような気がする。天希や奥華や可朗に比べれば口数はまだ少ないのかもしれないけれど、この日、自分の家族や仲間と『しゃべった」こと自体が、彼女を満足させていた。それだけに、今までの冷静な彼女ならここで最も重要なことを考えることができたかもしれないが、今現在の彼女には想像することができなかったのだ。自分の家族のうちの一人が、すでにこの世にいないということを。

外は冷えていた。雲が空を覆い、風が地上を包んでいた。しかし、さすがに暗闇一色というわけにはいかない。街の中に無数にある電灯がそうなることを拒んでいるからだ。
「そうだろう?デーマ」
屋上、雷霊雲とデーマは、風上に体を向けていた。デーマのかぶっているフードは今にもその素顔をあらわにしそうなくらいになびいていた。
「・・・いよいよだな」
二人とも、目を合わせようとしなかった。デーマがうなずいたことは、雷霊雲には見なくても分かる__それも一つの理由だったかもしれない。
「おそらく今頃は、メルトクロスや天希がそのことではしゃいでるはずだ」
デーマは今の言葉が果たして自分に投げかけられているのかを疑問に思った。
「さてと、寒くなってきたし、そろそろ夕飯だな」
雷霊雲はそういうと、下の階に降りていった。デーマは雲の切れ間からのぞく月をみた。同時に風はやんだ。まるで時が止まったように、その風景の中に、動くものは一つもなくなった。月もこちらを見つめているようだった。半月はまるで瞳のようだったが、デーマは今まで、それほど美しい瞳を見たことはなかった。よって、彼自身がその月を何にたとえようとしたのかは分からない。彼はただ月を見つめたまま、全てが止まっている状態を感じていた。
しかし、下から天希や可朗の声が聞こえてくると、彼はあきれたようにクスと笑って、下に降りていった。風はまた吹き始めた。

第二十一話

「急患だっ!」
烈潮の町は、かなり近くにあった。天希達はすぐにそこへ駆け込んだのだ。天希は頭から血を流していたが、背負っているカレンの方が気がかりだった。一番体力が残っていたのは奥華とメルトクロスで、奥華はふらついている可朗を何とか歩かせ、メルトクロスはアビスを背負っていた。案の定、そこの病院はほとんど空いていた。評判の悪い場所だと言うことはメルトクロスが知っていたが、それは言わなかった。
「えー、では、こちらへ」
細身の気の弱そうな女性は、慌てて案内した。

天希、奥華、可朗、メルトクロスは、手術室の前の長いすに座っていた。可朗は気絶に近い状態で眠っていた。この四人の中で一番ダメージが残っているのは天希だったが、何とか気を保っていた。アビスを倒したというのに、気持ちが落ち着かないのだ。運ばれていった二人の命の安全が保証されるまでは、安心することができなかった。患者があのアビス・フォレストであることを知ったときのドクターたちの顔も気にくわなかった。
(雷霊雲先生だったら、こんなこと苦ではないはず・・・)
間もなく部屋から、これまた気の弱そうな男が出てきた。少し顔色が悪かった。こっちの部屋には、カレンが運ばれていた。
「あの・・・その・・・患者さんの、容態なんですが・・・」男と表現するには弱々しすぎるが、とにかくその男は戸惑いながら言った。
「どうなんだよ?」天希は顔を前に出した。

「」

その言葉に反応したように、可朗は目を覚ました。
「さっきなんて言ってた!?」
奥華は答えなかった。彼女の顔は凍り付いていた。代わりに一つ、可朗に伝えた。
「天希君、雷霊雲先生のとこ行った・・・」

あの戦いの中で、下の階にいた奥華は、一番初めにいやな予感を感じ取ったのだ。メルトクロスとともに上にあがったときは、すでに建物が崩れ始めていたが、すると天希がすぐに起きあがり、叫んだのだ。
「みんな、逃げるぞ!」
そう言うと、すぐに倒れているカレンの方へ駆け寄った。メルトクロスも同じ方へ行ったが、天希に止められた。
「お前は、あっちだろ」
天希は、目でアビスの方を見た。メルトクロスは了解した。可朗にはわずかに意識が残っていたので、奥華は彼を立たせた。
「早くしなさい!ここから逃げるんだよ!」
可朗はふらふらと立ち上がった。
建物は完全に崩れたが、その時にはすでに、天希たちは外にいた。そのまま烈潮の病院まで向かったのだ。

その病院から、今度はどんどん離れていく。天希は前だけを見て走っていた。アビスの本拠地跡を目にしたが、すぐに、雷霊雲邸に続く道を駆け抜けていった。
「とにかく早くたどり着くんだ!仲間を見捨ててたまるか!」

「やはり・・・危険な状態なのか・・・」アビスの様子をうかがってきたメルトクロスは、下を向いて座っている奥華と可朗の前で言った。
「ネロっち、死んじゃうのかな・・・」
「なんで・・・どうしてカレンちゃんは、こんなことになったんだ・・・あの時僕が倒れてる間に、一体何があったんだ・・・一瞬、最後に見たのは、あの白い光だけ・・・」
二人がその絶望に満ちた顔を向かい合わせることもなく対話しているのを見て、メルトクロスが言った。
「『爆発」だろうな・・・」
「・・・え?」二人は重たそうに首を持ち上げ、メルトクロスの顔を見た。
「バルレン族がデラスターになってのみ、使える技がある。なぜバルレン族だけしか使えないのかはいまいち分かっていないが、周りにいる、自分が敵と認識した者と障害物のみに、強烈なダメージを与える、基本能力の一つだ。しかし、その発動には通常の技でダメージを与えるよりも確実で、同時に自分への負荷が大きい。場合によっては、相手に与えるダメージよりも、自分への反動のほうが大きい事もある。いずれにせよ、あれは凄まじい力を持っている。お嬢・・・カレンは、おそらく最後まで使わなかったんだ。それまでのダメージと、最後に襲いかかる自分への反動・・・致命傷に値し兼ねないな・・・」
「でも・・・それを使って死んだ人は・・・」
メルトクロスは、今の可朗の質問が幻聴だと願った。しかし、彼は答えた。
「無論、いる」
二人の顔からはさらに血の気が引いた。奥華の目には、冷たい涙がたまっていた。
「ネロっち、死んじゃやだよお・・・・・」

天希の体には、かなりの疲れがたまっていた。さっき倒れたとはいえ、緊張は未だほぐれずにいた。デラストの力を移動に利用していたが、それも乏しかった。しかし、心だけは前向きを保っていた。
「へっ、こんな距離・・・毎日、学校に行く前に、ちゃんと走ってたんだ・・・こんな距離・・・」
天希は木の根につまずいた。痛みを感じることが久しいような気がしたが、間違いなくそれは今の天希の道を妨げた。
(ちくしょう、なんでこうなったんだよ・・・いや、べつにいい、先のことだけ考えるんだ。俺一人で先生の所まで行くんだ!)
天希は再び走り始めた。

「うう・・・」
アビスに至っては、肺や体へのダメージはデラストのおかげで自然回復しつつあり、今は気絶しているというよりは、病室のベッドの上で寝ているようなものだった。しかし、何かにうなされるように、ときどき妙な寝言を発するのだった。皆、それを気味悪がって、聞こうとしなかった。
「アルマ・・・・・エルデラ・・・」
アビスは眠ったまま、顔をしかめていた。
「・・・カレン・・・」

「あと少しだ・・・待ってろよ・・・」
天希は道を這っていった。が、おそらく目的地であろう家が見えると、立ち上がって駆けだした。その勢いで、玄関のドアにぶつかりそうになったほどだ。しかし、その目の前で彼を止めたのは、物質的なものではなく、そこに書かれていた文字だった。
「・・・え・・・?ウソ、だろ・・・・・」

_本日休業_

天希はドアを強く叩き始めた。
「開けろ!開けてくれ!」
返事はなかった。しかし、彼は五分ぐらい叩き続けていた。そのうちに、だんだん拳の音は、弱くなっていった。
「ち・・・く・・・しょおっ・・・」
天希は首をだらんとさせ、唇を食いちぎらんばかりにかみしめていた。力はなかったが、ドアは叩き続けていた。
「なんでだよ・・・よりによって、何でこんな時に・・・」
天希の拳は開き、体は力なく前へ倒れそうになった。その時だった。
「だれだ、うちの前で立ち往生してるのは?・・・泥棒ならせめて、お前の父親ぐらい派手にやってくれよ、天希」後ろから声が聞こえた。

天希が病院を出てから、かなり時間が経っていた。奥華は緊張と睡魔と自分という、三つ巴の戦いに入っていた。可朗にはその三つに、さらに思考が加わっていた。
(アビスは平気なんだろう?だったら、何でカレンちゃんは今、三途の川を渡らんとする状態にいるんだ?もし本当に死んだら、それは無駄死になのか・・・カレンちゃん自身は、それを知らないわけではないはず・・・それでも、命を賭けてでも、カレンちゃんがしたことは、一体何だったんだ・・・?)
メルトクロスはすでに睡魔に負けていた。

カレンの寝ている周りにいる者たちは、彼女がまだ生きていることを不思議に思っていた。
「なんでこうなったんだ・・・原因がさっぱり分からない・・・」
その白衣を着た男は困惑していた。別の男が言った。
「そうだ、これだからデラスターという輩は、いつあっても訳が分からんのだ。ほら見ろ」
その男はカレンの方を指さした。彼女の右手は、いつの間にか左手の上に移動していた。

(・・・・・)
(・・・)
(・・・・・ねえ)
(・・・)
(君は・・・誰・・・?)
(・・・え・・・?)
(君は一体誰?)
(私は、ネロ・カレン・バルレン・・・)
(ふーん、覚えにくそうな名前だなあ・・・)
(・・・あなたは・・・?)
(僕?名前を?)
(・・・うん)
(名前かァ・・・えーっと・・・うーん、思い出せないや、ずっと眠ったままだったし・・・)
(眠った・・・まま?)
(それにしても、君ってかわいいね・・・多分僕より年上なんだろうけど・・・)
(・・・私は、あなたの姿は見えませんけど・・・)
(え、そうなの?何でだろう・・・長いこと眠ってて、自分の姿を忘れちゃったからかも・・・)
(あなたは、霊ではないんですか?)
(僕は幽霊なんかじゃないよ。ちゃんと生きてるよ、眠ってるけど・・・)
(私は、眠っているの・・・?じゃあこれは、夢・・・?)
(うーん、ちょっと違う。それは『寝てる」時でしょ。『眠ってる」とは、僕は区別して言ってる)
(どう違うんですか?)
(寝てるってのは、体力回復だよね。夢を見たり、一時的なものだよね。でも、眠ってるって言うのは、もう二度と起きない可能性があるやつさ。はっきりと生きてるとは言えないけど、死んでるとも言えない状態)
(私は、これから死ぬんですか・・・?)
(わからない。僕も目覚めるときがくるのか、それともこのまま死んでしまうのか、よく分からない)
(・・・・・)
(泣いてるの・・・?)
(・・・・・)
(・・・何で・・・泣いているの?)
(・・・もう二度と・・・目覚められない・・・可能性って、あるんですよね・・・?)
(うん)
(そうなったときが怖くて・・・私の父さん、母さん、兄さん・・・それに、友達と二度と会えなくなるって思ったら・・・)
(・・・それが寂しいってことなんだ・・・いいなあ、家族とか、友達がいたんだ・・・ちょっとまって、僕も何となく思い出してきた、お母さんが突然いなくなってて、そのあとはあの人に育てられて・・・確かに、自分のことを世話してくれる人がいなくなったときって一番さみしいね・・・)
(そうです・・・でも、それだけじゃない・・・お互いにいろいろな情報や、心を交換しあってきた人たち・・・どんなにそれが些細なものだったとしても、死んだらそれに関係なく、誰とも会えなくなる・・・)
(・・・そうだね・・・どんなに関係が浅くても・・・そうだね、現に僕と君はここで初めて会話した。でも、今まさに・・・・・そ・・・の・・・・・)
声は次第に聞こえなくなっていった。というより、自分の意識の方がさらに薄れていったのだ。カレンは『眠った」状態から、『死んだ」状態になった。

一人の医師が、心拍計を見ながらつぶやいた。
「心、停・・・」
その声と、心電図の長い音は、ガラスの割れる音にかき消された。窓から突っ込んできたのは、巨大なバイクだった。
「ガラスの修理代は二倍払う。そのかわり全員部屋から出ろ」
バイクに乗っていた雷霊雲が言った。後ろに乗っていた天希はバイクから降りた。医師たちは、おびえてはいたが、素直に行動した。
「さて、患者は、そこか」
心電図を見たとき、天希は頭から血の気が引けた。しかし、それよりも彼を動かしたのは、カレンの体からゆっくりと浮き上がってくる、太陽のように光る玉だった。天希は、自分の家にアビスが現れた日を思い出し、それがデラストの本体であることを悟った。
(一度デラストが人間にとりつくと、外部からの力で離れることは滅多にない。にもかかわらず、デラストは何世紀もの間、命に限りを持つ人間たちの間で伝承され続けている。その人間が命を失ったとき、デラストはその体を離れ、新たな継承者のもとへと飛んでいく。つまり逆に言えば、その人間の体から、デラストが離れるということは・・・)
天希はすごい形相をして、カレンの体から出てこようとするデラストの本体を必死で押し戻そうとした。
「おい、天希・・・」
バイクの姿をしていたデーマも、もとの姿に戻り、その様子を見ていた。天希は、そのデラストに向かって叫んだ。
「おい!お前、何で自分の主人から離れようとするんだよ!お前が自分で、主人を選んだんだろ!そうしてからずっと、カレンと一緒にいたんだろ!?じゃあなんで、そっから離れようとするんだよ!どうして自分の居場所だった人間が死ぬって事を、あっさり認めようとするんだよ!?」
「天希、それ以上やると手が溶けるぞ・・・」
雷霊雲は言ったが、天希の耳には届かなかった。
「だが、やり方は一応あっている。デーマ、手伝ってやれ」
デーマはフードのマント部分をひるがえし、前へ出て、天希の隣で同じ事をやった。その鋼鉄の腕は、ダメージを受けることもなく、デラストをカレンの体へゆっくりと押し戻していった。
「よし、次からだ天希、お前の出番は」
「え?」カレンの心臓の動きがだんだん戻ってくるのにあわせるように、天希の心も少しずつ落ち着いていった。
「確かにここまでは我々でやってきた。しかし天希、ここにお前がいるのは幸いだ。まず、カレンの腕を握ってくれ」
天希は言われたとおりに、カレンの右手を少し持ち上げた。まだ少し冷たかった。
「体温を戻すためだ。私はデラストを持っていないから、どうやるのかは分からない。だが、デラストの力によって、死にかけた人を助ける場面は多い。天希、お前は未来に生きる必要のある人のために、命の炎を再び灯す係りだ」
天希はその言葉を了承すると、目を閉じた。天希にも何をどうやればいいかは全く分からなかった。ただ、自分がこれだろうと思ったことを実行してみた。それがデラストの持つ力を引き立たせるのだ。カレンの頬に、次第に赤みが戻ってきた。
「よし、もういいぞ。あとは我々に任せろ」
雷霊雲は、天希が部屋から出るように言った。

病院を飛び出す前と同じ位置に、天希は座った。喜びとも、悲しみとも言えない表情をしていた。それは、同じ椅子に座っている可朗と奥華も同じだった。が、奥華は間違いなく寝ていた。

メルトクロスは、ずっとアビスの寝ている部屋にいた。アビスのうなり声を聞いていると、彼も顔をしかめていた。
「安心しろアビス、お前の知っている例の先生、来たみたいだぞ」
メルトクロスはアビスにささやいた。すると、うなり声はだんだん落ち着いてきた。しかし、眠っているにも関わらず、アビスは険しい顔をしていた。
メルトクロスは、それから一時間ほどその部屋の中をうろうろしていた。そのとき、アビスが一瞬、何か言ったのに気がついた。
「何だい?」
結局、何を言ったのかは分からなかったが、アビスの顔をのぞき込むと、表情に現れていた緊張が、少しずつほどけていくのが分かった。それにあわせて、メルトクロスも少しずつ笑顔になっていった。
「・・・・・そうか、よかったな」

奥華の目覚めは決してはっきりとしてはいなかった。だんだん目を開いていったが、寝ている状態とほとんど変わらないように見えた。ドアを開けた雷霊雲には、三人とも居眠りしているようにしか見えなかった。雷霊雲がドアを開けたことには気づいていたが、それがつまり、何を意味するのか、三人とも理解しようとしなかった。
「おい」
「・・・」
「入れ」
最初に立ち上がったのは天希だった。その時は下を向いたままで、ゆっくりと立ち上がったが、三人とも同時に、何かに気づいたように顔を上げると、残りの二人も即座に立ち上がった。しかし、先に手術室の中に入ってきたのは、さっき追い出されたドクターたちだった。
「あんたが雷霊雲仙斬か、こんな乱暴な医者は見たことがない!」みな口々にそう言ったが、雷霊雲は冷静に返した。
「この病院の評判の悪さと、どっちのほうがひどいか知ってるか?」
そういうと、皆自信なさげに黙ってしまった。
「しかし、いや、絶対あんたの方が上・・・」一人が言ったが、すでに雷霊雲はその場にいなかった。
「ネロっち!!」奥華は、起きあがっているカレンの所へ飛び込んだ。すでにぬくもりの戻った手を取り、泣きながら言った。
「よかった・・・よかったよ・・・」
「本当に、よかったね・・・」可朗も突っ立ったまま泣いていた。
「・・・まあ、国立病院でも、これが直るかどうかは分からなかったがな」雷霊雲は意味の理解しがたいため息を途中に何度もつきながら、言った。
天希は尊敬と感謝の目で、雷霊雲の顔を見上げていた。すると、それに気づいたように、雷霊雲は天希の顔を見ていった。
「まあ、別に私のことをどう思うかは自由だ。だが天希、お前も『感謝される」側の人間だからな」
天希はカレンの方を見た。そして目が合うと、また雷霊雲の方を向いた。顔を少し赤らめて、頭を掻き、照れくさそうにしていた。奥華と可朗も、雷霊雲に礼を言おうとしたが、彼はすぐに言った。
「あー、これから我々は大事な手術が他にもあるんだ。ではこれで失敬。おいデーマ、行くぞ」
デーマは一瞬何のことかと思ったが、それを理解する前に、素早く部屋の外へ出て行く雷霊雲のあとを追った。
(・・・なんだかんだ言って、先生も照れくさいんじゃないか?セリフ棒読みだったし、今日は休業のはず・・・)天希は少しニヤッとしながら、雷霊雲の出て行った方向を見ていた。が、後ろで奥華と可朗の騒いでいる声を聞いて、その方向へ向いた。カレンの表情は疲れが少し見えたが、この上なく安心した笑顔を、三人に見せていた。しかし、自分にはもう一つ、やることがある。雷霊雲との『約束」を果たさなければならない。

奥華と可朗は、寄ってきた天希の顔を見た。その時だった。
「・・・み・・・・ん・・・な・・・・・」
三人の耳に、聞き慣れない声が走った。それにも関わらず、その声は三人に、さらなる歓喜の心を与えた。なぜそうなのかはすぐに分かることだった。
「あ・・・り・・・が、とう・・・」
間違いなくそれは、カレン自身の声だった。三人は驚いた。また、久しぶりに聞く自分の声に、彼女自身も驚き、そしてうれしさに泣いた。奥華も、さっきより激しく泣いていた。
「しゃべった!?しゃべったよね!?すごいよ、ネロっちが、自分でしゃべったよお~!!」

__外にいた雷霊雲は、二階から聞こえてくる声を聞いてつぶやいた。
「そうそう、『オマケ」で手術したこと、言うの忘れとったな・・・」
彼は、隣で同じコーヒー缶を飲んでいるデーマに言った。
「ずいぶんとまずいヤツを買ってきたじゃないか。まあいいだろう。・・・よし、おそらく彼らも疲れていることだ、少し経ったら、またここに様子を見に来よう。さっきみたいに、うまい言い訳をして、な」
空は曇っていた。彼には、曇った日にハッピーエンドが迎えられるのには違和感があった。それだったら、高い山にでも登って、雲の上にある太陽を見に行こう。あまりの明るさに、きっと失明するぞ・・・そう彼は自分に言い聞かせていた。

第一章 アビス編 終わり

第二十話

この日は、この辺一帯はほとんど無風だった。それにも関わらず、草木は突風でも吹いたように、突然ざわめき、そしてやんだ。
雷霊雲仙斬とデーマの耳に届いたのは、その草木の音と、地面を伝って届いた衝撃音だった。
「・・・始まったか」雷霊雲は、コーヒーの入ったカップを、口の前で止めてつぶやいた。

しかし、現場にいた天希達にとっては、ものすごい轟音だった。建物を壊すときに使うハンマーを遙かにしのぐ衝撃音だった。
「げえっ、耳が壊れる!」
しかし、カレンはそんなことも気にせずに、アビスに向かって攻撃を仕掛けた。目の前まで一気に距離を縮め、アビスの次の攻撃が来る前に、一撃を喰らわせようとしたが、それは隙どころか、アビスがその攻撃に対応する時間は、彼にとっては十分にあった。
(!?)
アビスの動きは、カレンの予想をしのいで遙かに素早かったのだ。実際は逆の結果になり、カレンの攻撃がでる前に、アビスが彼女を壁まで吹き飛ばしたのだ。
「カレンちゃん!」
心配する間もなく、アビスはあとの二人の行る場所へ突っ込んできた。天希は素早くその場から離れたが、可朗が続いて移動しようとしたときには、アビスはもうその場にいた。
「ふん!」
アビスは肘を振り下ろした。可朗はギリギリの所で防御態勢になったが、そのまま地面にめり込み、下の階まで落とされた。
「可朗!」

奥華はメルトクロスの傍らに座っていた。メルトクロスは気絶からさめたばかりだった。
「うーん、僕にとってはだいぶ苦しい作用だったな・・・タバコとかと違って、生涯にわたって負うような作用がない分マシだけど」
奥華は別のことを考えていて、答えなかった。
(さっきものすごい音がしたけど、天希君達、大丈夫かな・・・それにしても、この人、落ち着いて顔見るとカッコイイ・・・やっぱ、本当に天希君のお兄さんなんだろうなあ・・・そしたら、この二人のお母さんって、どんだけ美人なんだろう・・・)
メルトクロスは独り言を連ね続けていたが、奥華の耳には全く入らず、奥華自身も想像にふけっていた。しかし、その時だった。
(!?・・・っ・・・)
突然の頭痛が、奥華を襲った。
(消セ!ソイツヲ消セ!)
(え・・・?まさか、こんな時に・・・!)
奥華は頭を押さえて苦しみ始めた。
「・・・?どうしたんだ!?」メルトクロスが言った。
(やめて!こんな時に出てこないで!)奥華は心の中で叫んだ。
(ソイツヲ・・・消ス!)
(お願い!もう、誰も・・・苦しめ・・・たく・・・・・)
突然、奥華は止まり、腕は下に垂れた。
「・・・どうしたんだい・・・?」後ろからメルトクロスが訊ねた。
「・・・消すの・・・」
「消す・・・?」
「クククッ!!」振り向いたときの奥華の目は、彼女自身の目ではなかった。メルトクロスは、その目に見覚えがあったが、それすら気にする暇もなかった。奥華はすぐさまメルトクロスに襲いかかろうとした。
「うわあっ、何だ!?」
しかし、ちょうどその時、天井が崩れ、上から奥華の頭めがけて落ちてきたものがあった。
「ぐえっ」
奥華は床に倒れた。可朗も背中を床に打ち付け、気絶した。

「ちくしょう、あんなの直に喰らったら、ひとたまりもねえぞ!」
その時点で、天希はアビスとの距離を十分にとっていた。天希はアビスに向かって火の玉を投げたが、あまりダメージを受けている様子はなかった。
「どうやら、遠距離戦を好むようだな・・・俺もその意見に賛成だ」
アビスはそう言うと、右の手の平を天希のいる方向へ向かって押しだした。天希は、これもまた遠距離技だと思って、その場から離れようとしたが、その衝撃は、アビスの動きとほぼ同時にきた。
「何!?」
天希はそのまま壁の方へ突き飛ばされ、厚い壁を突き破って外に放り出された。が、天希はまるで何かをひっかけるように、壊れた壁の端っこに向かって手を伸ばした。すると、天希はそれに吸い付けられるように、戻ってきた。
「へっ、これが基本能力か、少しは便利だな」
「ふん、いい気になるなよ、ガキどもが!」
ちょうど可朗も階段を上って戻ってきていた。天希と可朗はアビスの方へ向かっていった。アビスは回し蹴りで双方ともなぎ倒そうとした。だが、確かにその攻撃は当たったのだが、そこにあったのは天希と可朗本人ではなかった。
「ぬっ!?人形か」
本物はすぐ後ろにいた。本人達も驚いていたので、すぐに攻撃に移るというわけには行かなかったが、どのみち、それがカレンによるサポートであることには間違いなかった。アビスは彼女をにらんだ。カレンも父親の目をじっと見た。
「おっと、よそ見は禁物だよ」可朗は蔓を投げた。アビスはその蔓に捕らえられた。しかし、難なくその蔓をちぎってふりほどいた。
「俺にそんな小細工が効くとでも思っているのか!」アビスは可朗の腕をつかんで、へし折ろうとしたが、可朗はその腕を蔓に変えて抜け出した。
「チッ、身体系のデラストが・・・しかし、他の奴等はそうはいかねえ!」
アビスは今度は天希をつかもうとした。天希は炎を身にまとったが、その攻撃に対する防御としてはほとんど効果がなかった。それでも、つかまれた後もその炎はアビスにダメージを与えていた。
「チッ、仕方ねえ」アビスはつかんでいた手を広げた。と、そこから圧力の波が飛び、天希はまた壁まで飛ばされた。しかし、さっきほど強い力ではなかった。天希はすぐに床に足をしっかりとつき、体勢を立て直した。アビスは体ごとまっすぐ天希の方に向いていた。カレンは天希の方へ行って助けようとしたが、この状況では、追いつくことができなかった。
(だめだ・・・)
アビスは走っている途中で、地面をつま先で軽くつつくと、そこから大きくジャンプし、天希の目の前に立った。
「大網の息子だからと言って、俺が手加減すると思うなよ!」アビスは天希の頭を握りつぶそうとした。しかし同時に、『それ」は来た。
「ぐっ!?」
天希はペチャンコにされるのを覚悟で目をつぶっていたが、その凄まじいはずの圧力を感じる前に、アビスの手が震えながら自分の顔から離れていくのが分かった。
「畜生、こんな時に切れやがって!」
アビスは慌てて自分の懐を探り始めた。天希と可朗は、一瞬その行動の意味が理解できなかったが、カレンはいずれにせよこれがチャンスだと思い、すぐにアビスの方へ向かっていった。
「あった!」
アビスの手には、お約束のごとく、一本のビンが握られていた。しかし、その存在が誰の目にも明らかになったときには、カレンがその目の前まで、手をのばしていた。
「クソが!」
しかし、ビンを奪うために前方に向かってジャンプしたカレンを、上からはたき落とすくらいの力はまだアビスには残っていた。カレンには指先にガラスの質感を感じたが、それと同時に、背中に一撃をたたき込まれたのが分かった。それは先ほどまでのアビスに比べれば威力は衰えていたものの、体勢が体勢で、そこからすぐに起きあがって、再びビンの奪回に転じることは不可能だった。ビンのふたが開けられ、その中身がアビスの口の中に流し込まれ、吸収されるまでの時間を、カレンはその場から離れるのに使った。
「ククククク・・・これでまた戦いを再開できるぜ」
カレンは天希と可朗の間に立っていた。
「そらァ!!」
アビスは三人のいる方向へ飛びかかってきた。可朗は左へ、カレンはそれを見て右へ跳んだが、天希はアビスの目をにらんだまま、その場に残っていた。
「あ、天希!」
(なぜ・・・?)
アビスはそのまま空中から、天希の頭めがけて右腕を振り下ろそうとした。しかし、一瞬よろめいたものの、天希はそれを逆手に、迫ってくるアビスの顔に向かって、炎を噴射した。
「ぶ」
アビスにとってこの攻撃は予想外だったが、右腕は目的地点に振り下ろされた。その時の右腕は、可朗とカレンも見ていたとおり、天希の頭とは15センチほど離れていたはずだった。明らかにその攻撃が命中する軌道ではなかった。しかし、天希の頭は、まるでアビスの腕が作り出した小さな風に吸い込まれるように、腕の真下まで引っ張られ、命中した。
「がッ・・・」
アビスはその右腕を、反動ですぐに引き戻した。それで右半身が後ろになったが、それを利用して、今度は右足による蹴りを繰り出した。それほどの勢いではなかったが、天希の体は斜め上へ飛ばされた。アビスの攻撃によって空中に放り出されたものとしては、少しゆっくりな気がした。
「ぐあっ・・・」
天希はのどを一瞬ならしたが、すぐに歯を食いしばり、空中にいる間に、自分が今倒れていた床の方向に向かって、炎を噴射した。
「どうした?的がはずれてるぞ!」
アビスはそう言ったが、実際、天希がアビスをねらったというのは少し間違いがあるかもしれない。今まで天希が攻撃に使ってきた炎とは少し違った。放たれた紅蓮の花は、そのまま回りに広がっていった。
(なんだ、この炎は!?)
もっとも早く、その違いに気づいたのは可朗だった。その理由が彼には分からなかったが、当人が地面に体を打ちつけた音がすると、すぐさまその方向に振り向いた。
「よそ見すんなって言ったのは、どこのどいつだったっけなあ!?」
可朗はすぐにその声の主の方を向いた。同時に横からなぎ倒されるような衝撃とともに、床に倒れた。可朗はそのまま意識を失った。天希も床にぶつかった後は動かなかった。

激闘の波がわずかながらとどいているにも関わらず、雷霊雲は普段通りに食事を作っていた。
「さてと・・・デーマ、そこの塩をとってくれ」
そう言いながら、彼は思った。
(まず、実力でかなうというのは遠い話だ。戦いをベースとし、その中に、思考と感情という調味料を加えなければ、新しい世界を目指す戦いに、勝利は見えない。うまい料理を食うには、平和な世界が必要だな。料理中に、音楽を聴くのはいいが、戦いの音は耳障りだ。もし、あの男が新たなる世界を作るとしても、私のつくるまずい料理のように、人に気に入られない世界をつくらないよう願うか・・・新しい世界が、必ずしも平和とは限らないからな・・・そう、私の体験からしても、それは間違いない)
デーマは塩を用意し、テーブルの上に食器を配置していた。
「・・・うーむ、やっぱり胡椒を入れすぎたかな」雷霊雲は味見をしながら言った。

部屋の中は炎が充満していた。アビスは少し咳をしていた。
「ゲホッ・・・さてと、残るはお前だけだ、ネロ・カレン・バルレン」
カレンの方は、アビスのようにはなっていなかった。彼女は炎の中から姿を現した。
「なるほど、『意志の力」のおかげで、お前は大丈夫なわけだ」
彼女は聞き慣れない単語を耳にした。それでも、表情はかたいままだった。
「ずいぶんと仲間に大切にされてるじゃねえか」
まるで他人事のようなことをアビスは口走ったが、カレンにとってその言葉のとらえ方は、もっと主観的だった。
「ずいぶんと派手にやったが、これが最後のチャンスだ。おとなしく俺に従えば、今までのことは帳消しだ。だが、それを断れば、逆にこれから先、お前は闇の中で生きることになる。いや、悪ければ、生きるという部分だけ否定される可能性も、無くはない」
カレンは動かなかった。
「お前は俺が本当に、自分の父親なのか、疑っているところがあるようだな。確かにこの姿なら無理もない。今お前の目の前に立っているのは一体誰なのか・・・それはおまえ自身が決めることだ。もし、俺が父親でなかったら、お前は負けるのを承知で俺に向かってくるだろう。そしてもし俺がお前の父親だったら、お前は俺に剣先を向けるようなことはしないはずだ。だが、俺が果たしてどちらなのか分からないのに、実行されるのはおかしいだろう?」
カレンは相槌を打たなかった。
「だが、逆にすれば単純明快だ。つまり、俺の仲間になることを選んだお前は俺の娘であり、戦うことを選んだお前は赤の他人、と言うわけだ。つまり、選択の余地はお前にある。まあ、真実はあるが、ここで再び、俺が誰なのかをお前が決めるのだ」
さっきまでのアビスの言葉は、カレンの頭の中で無限に渦を巻いていた。その中心に、悲しみと、怒りが流れ込む。しかし、今の彼女はどちらの感情も表してはいなかった。
「さあ、どうする・・・?」
アビスが吐いた息には、少しすすが混じっていた。アビスの方も、知らずの間に、炎からダメージを受けていたのだ。カレンは右足をゆっくりと前に出した。
「おっ・・・」
その右足のかかとが再び持ち上がったかと思うと、カレンは疾風のように走り、アビスの背後へ回った。しかし、アビスはそれについていけていた。
「遅い!」
アビスは彼女の足下に手の平を向けた。カレンはすぐその場から飛び退いたが、床には穴が空いた。
「どうやら、俺様が父親ではないと・・・そっちを選んだようだな!ならば俺も、容赦はしない!お前が『家族ではない」と言ったのと同じ事だからな!」
その言葉を、カレンはその瞬間は深く飲み込まなかった。アビスも、自分の発した言葉に、一瞬耳を貸したが、そんなことはどうでも良かった。
「喰らええ!」
アビスの手から、光の玉が放たれた。天希が喰らったものとは違い、その性質ははっきりしていた。スピードはあったが、わずかにカレンの頬をかすめただけで、そのまま壁に当たって崩れた。カレンは今の攻撃を最後まで観察すると、なぜか小さくうなずいた。アビスにはそれは見えず、すぐに突進してきた。
「うおおうお!」
アビスの手が頭の上50センチくらいに現れた。そこからかわすのでは、さっきの天希のように巻き込まれてしまうと思ったカレンは、右手に人形を出し、地面に向かって、アビスと同じ技を繰り出させた。
「何!?」
本物ほどの威力はなくても、効果はあった。カレンの体は少しアビスの方へ倒れそうになっただけだった。すぐさま次の攻撃へ転じたが、それはアビスも同じだった。お互いの右手が、一瞬光ったかと思うと、交差した点を通り抜けて、光の玉はそれぞれ相手の方へ飛んでいった。カレンは大きく突き飛ばされた。アビスの方も耐えることはできず、バランスを崩してその場に倒れた。
「くっ・・・ゲホ、ゲホゲホッ」
そのとき、アビスは緊張の糸が一端とぎれた。周りの空気からの苦しみに襲われた。
(チッ、デラストのバリアが作用しているにしろ、この炎は攻撃目的には変わりねえ、少しずつダメージを受けてきてるな・・・それにしても熱い・・・)

カレンは倒れたままだった。開いた両手を握ろうとしたが、それにすら力が入らない。彼女のほうも、この合間に緊張の糸が切れていた。彼女は息を荒くしながら、いろいろなことを考ええていた。
(・・・・・家族・・・じゃ・・・ない・・・・・のかな・・・・・)
彼女の口元が少し笑った。あきらめたような笑いだった。
(・・・私は・・・仲間に、大切に、されてるみたい・・・・・もし、父さん・・・じゃないかもしれない・・・・・あの男が、言ったときに、その場で深く考えて、もし、この軍団に入る道を選んでたら、私、仲間を裏切ることになってたかもしれない・・・私の事を大切に思ってくれている仲間・・・)
カレンの頭の中には、奥華が自分の事を呼んでいる光景が、ちょっとだけ浮かんだ。
(でも、もしあの人が、本当に父さんだったら、私は、家族を裏切ったことになる・・・?兄さんは?母さんは?それに、今は間違いなく敵だけど、私のことを育ててくれた悪堂さんも、裏切ったことになってる・・・)
カレンは涙を流していた。ゆっくりと迫ってくるアビスには気がつかなかった。
(なんで、みんな仲良くなれないんだろう・・・何がいけなかったんだろう・・・もし、私がもとからこの世にいなかったら、何か変わってたかな・・・でも・・・何も変わらないような気がする・・・でもやっぱり、こうしてみんなを巻き込むような戦いはしなかったかもしれない・・・そうだ、私が強いからだ。弱かったら、こんな戦いに巻き込まれることも、あるいは自分から引き起こす原因になることもなかったかもしれない・・・でも、今は弱い・・・もうこの戦いで、負けは決まってる・・・・・・・・なんで、何で私は、家族よりも、つきあいの短い仲間の方を選んだんだろう・・・父さんの方が、すごく尊敬してるし、私のことを育ててくれた・・
・でも、あの三人とは、ちょっとしか一緒にいられなかった・・・でも、楽しい。楽しかったんだ。とくに奥華ちゃんなんかは、一番一緒にいた時間が短いのに、私を友達だと思ってくれた・・・私を信用してくれたんだ。なのに、その友達を裏切る・・・そんなことできるわけ無い!・・・でも、家族だって裏切ることはできない・・・どうしたらいいんだろう・・・でも、いまここにいる男は、私の父さんじゃない可能性もある・・・そうすれば、私は家族を裏切ったことにはならない・・・けど、今ここで負けたら、みんなの期待を『裏切った」ことになるのかな・・・でも、ここでもし勝ってその相手が父さんだったら・・・)
カレンは意識があったが、もう動こうとしなかった。自分の体が、アビスに持ち上げられようとしているのが分かったが、もはや関係なかった。アビスは逆に、意識がほとんどないにも関わらず、体は勝負に決着を付ける方向に動いていた。
(・・・どうなるんだろう・・・裏切ったら・・・あの選択の時点で、私はここの軍団を裏切ったことになるのかな・・・メルさんみたいに・・・・・ああ、相手が父さんかどうか分かっていたら・・・)
その時、カレンはあることに気がついた。
(・・・メルさん・・・?そうだ・・・そうだった!)
カレンは目を開いた。
(メルさんが言ってくれた、明らかにしてくれた!今目の前にいるのは、間違いなく、父さんなんだ!)
彼女の目の色が変わった。少なくとも、アビスに向けている間の目は豹変していた。
(私一人で考えてた・・・でもさっき、メルさんがちゃんと言ってくれたんだ!ここにいるのは、父さんで間違いないんだ!でも、なぜ・・・?そうだ、なぜだか分からなくて、苦しんでいるのは父さん自身なんだ!元に戻すには、目を覚まさせて、もとの優しい父さんに戻すしかない!そうすればきっと、みんなが争うこともなくなるんだ!でも、どうやって・・・?)
カレンをつかんでいるアビスの手が震えだした。カレンは我に返った。アビスの方はまたヴェノムドリンクが切れたのだろうが、肺もかなりやられていて、腕に力を込めているのはやっとの事だった。
(いずれにせよ、私も限界が来てる・・・ならば、どうしても、倒すしかない・・・目の前にいる、この男を!)
カレンには再び戦いを続行する体力は残ってはいなかった。アビスも同様だった。しかし、カレンは最後の力を振り絞り、『禁じ手」を使うことにした。勇気はかなり必要だった。それでも彼女はその手を選んだことを変えようとはしなかった。最初に彼女の体が光り始めたとき、アビスはそのせいで正気に戻った。それは、カレンがもっとも希望している意味も少なからず含まれていた。が、すでに遅かった。
「・・・まさか・・・カレ・・・」

すべてはその光に包まれた。

第十九話

「レベルアップ・・・しやがった・・・」
天希はまっすぐメルトクロスを見ていた。傷口は塞がりかけていた。
「い・・・いつもの天希に増して、気迫がある・・・今までとは格段に違うぞ・・・」当たり前のことだとは思いつつも、可朗はつぶやいた。
「はっ!レベルアップしたからなんだって!?今やっとレベル2だろ?こっちのレベルはもうとっくに3だぞ!3!それに、こっちはほとんど攻撃してないし、体力もさほど消耗したわけではない。挽回などはさせられないね!」
「やってみなきゃわかんねえよ」天希が言った。
「ほう、じゃあいよいよ、本気でぶつかり合えるって事か!?」
彼らの視界から、天希は突然消えた。メルトクロスには、その位置はぼんやりとだが分かっていた。
「姿が消えても、気配は消せまい!」接近しつつ攻撃しようとしていた天希は、メルトクロスの70センチほど手前で止まり、姿を現した。メルトクロスはまっすぐ立ったままで、天希にその爪を向けていた。その腕が間合いを埋めていた。
「はあっ!!」メルトクロスは右足のかかとをあげた。同時に姿も変わった。天希は爪をかわし、メルトクロスを軸にするようにまわり、背中をとった。メルトクロスは腕を振り上げながあら振り向いたが、その時も天希は攻撃範囲の外にいた。さらに今度は、天希が左足のつま先を地面に強く押しつけ、一瞬で二人の間合いを狭めた。
「何!?」
メルトクロスは反対の腕で天希を上から切り裂こうとしたが、先に飛んできたのは、天希のパンチだった。腹に打撃を受け、メルトクロスはかがみ込んだ。しかし、天希はすぐに後ろへ下がったのだが、同時にかがんでいたメルトクロスの角も伸びた。その体勢では、角はまっすぐ天希の方向を向いていた。
「喰らえ!」
メルトクロスはそのまま天希に向かって突進した。天希は突き飛ばされた。その隙にメルトクロスは再び向かってきたが、直接攻撃をしてもいいような間合いになったところで、天希は至近距離で腕から火の玉を飛ばした。
「ぐっ!」
炎は一瞬広がったが、メルトクロスは今度はひるんでいないつもりだった。しかし、彼が向き直ったときには、天希はすでに距離をとっていた。
「ほう、遠距離戦かい?」
天希はメルトクロスに向かって火の玉を連発した。
「さ、さっきより多い!」可朗は叫んだ。
実際、レベルアップしたおかげで、火の玉どうしの距離は縮み、短い間隔で玉を飛ばしていた。しかし、メルトクロスはその隙間をぬっていった。
「どうやら僕が接近戦しかできないと考えたみたいだな?ま、僕の弟だから、そのくらいは予想できるか・・・でも、残念ながらそれは間違いだ」
メルトクロスは移動しなくなった。左手の爪を無駄なく振り、火の玉を防いでいた。同時に、右手を地面にべったりとつけていた。似た技を使う可朗には、どういう攻撃が来るかはすぐに分かった。
「天希!避けろ!」
地面から現れたのは、巨大な角だった。天希は驚いてすぐかわしたが、体制が崩れた。メルトクロスが体勢を変え、突進してくる時間さえ作ってしまった。
「カアッ!」
メルトクロスは牙の生えた口を大きく開け、天希の左腕にかみついた。
「ぐあああっ!」
メルトクロスはそのままダメージを与え続けるつもりだったが、天希が体表の温度を上げたので、すぐに後ろに退いた。
「確かに、能力はさっきまでとは桁違いなようだ。だが!」
メルトクロスは一本のビンを取り出した。
「あ、あれは!」
「実を言うと、僕がこれを使うのは、今日が始めてでねえ・・・」メルトクロスは、ビンの中身を一気に飲み干した。と同時に、彼の周りにはオーラが渦巻き、髪の毛は再び逆立った。
「グハハ、ヴァアハハハ!いいじゃないか!力がこみ上げてくる!ここで一番最初に使えるとはね!」徐々に光が消えていく彼の目には、天希の顔が映ったままだった。
可朗はヴェノムドリンクの副作用のことを思い出した。「天希!何とかして10分間耐えるんだ!そうすれば・・・」
「10分!?10分もこの戦いが続くと思っているのか!?この状態なら、一撃で倒すことも、できなくはないものを!」
メルトクロスの思考はだんだん遅くなっていた。しかし、行動は自分の勝利を、前より早く近づけようとしていた。彼は天希の顔に向かって爪を突き刺そうとした。奥華は思わず目をつぶったが、天希はすでにその後ろにまわっていた。彼は拳をメルトクロスの背中に突き立てたが、打撃ではなく、そのまま背中に向かって熱を送り込んでいた。
「ぐおおおっ!」
メルトクロスは驚いて振り向いたが、天希の二段攻撃を喰らう羽目になった。天希が握っていた拳をその場で素早くほどくと、その中で小さな爆発が起こり、爆風がメルトクロスの顔に降り注いだ。
「ヴァアアア!」
天希は相手の反応を見ていたが、まもなくメルトクロスのパンチに飛ばされた。しかも、メルトクロスの方もまけじと、飛ばされた天希とほぼ同じスピードでついてきて、追い打ちを喰らわせた。3発目は避けた。しかし、メルトクロスの方を向く前に、次の攻撃が飛んでくるので、天希はうまく攻撃できなかった。
「やっぱり、かわし続けるしかないのか・・・」その技々をかわすのは、天希にとっては少し苦だった。

「くそっ、あれじゃあレベルアップした意味がない!」可朗は悔しそうに言った。
「でも、もしレベルアップしてなかったら、天希君はあの攻撃すらかわせなかったかもしれない・・・」奥華は可朗の方を見ずにつぶやいた。
「・・・そうか」

メルトクロスの攻撃は単純な方だったが、天希は攻撃をかわすしかなかった。おそらく攻撃にまわろうと決心した瞬間にはもう、天井まで投げ飛ばされているだろう。しかし、メルトクロスの方も、同じ動きばかり繰り返していたわけではなかった。彼は一瞬攻撃を止めた。その時、天希はすぐに下がれば良かったのだが、不思議がって動かなかったのだ。次の瞬間、メルトクロスは左足で天希を思いっきり蹴り上げた。結局、天希は天井に叩きつけられる羽目になったが、意識は保っていたので、落下時に待ちかまえていたメルトクロスの攻撃によるダメージは何とか軽減できた。が、しかし、着地時にバランスを取り損なった。メルトクロスはすぐに爪を向けて
襲いかかった。
「待てえっ!」天希はおもわず叫んだ。
奥華はまた顔を伏せた。今度こそ天希の負けかと思われた。
すると、どういうことか、その爪は天希の顔の30センチほど前で止まっていた。天希は不思議で仕方ないような顔をしていた。メルトクロスの方は、さっきまでの迫力が消え、変身状態のままだが、素直な顔になっていた。
「・・・・・?」
メルトクロスは、何を言おうとしているようにも見えなかった。ギャラリーも唖然として見ていたが、メルトクロスの顔を見て可朗は突然叫んだ。
「そうか!雷霊雲先生が言っていたはず、ヴェノムドリンクの症状の一つとして、飲んだ直後に見て人間の言いなりになる!天希、そいつは、お前の言うことを聞くぞ!」
天希は信じられないような顔をしていたが、メルトクロスが再び接近してくると、もう一度叫んでみた。
「下がれっ!」
すると、メルトクロスはいきなり後ろに跳び、天希と距離をとった。その後は天希の顔をじっと見たまま立っているだけだった。
「グ・・・クッ・・・」メルトクロスの体に、もう一つの副作用が現れ始めた。ゆっくりと体は痩せ、足は次第に不安定になっていった。ここまでくれば、もうその効果に頼る必要もないと、天希は思った。今度は天希の方が、メルトクロスに向かっていった。突っ立っている彼の顔に向かって、火の玉を投げた。
「ギエウッ!」
メルトクロスは目の色を変えて、天希に向かってもう一度キックを喰らわせようとしたが、足が不安定で、片足ではとても立っていられなくなり、不発に終わった。副作用が早く回ってきていた。気がつくと、天希は彼の腕をつかんでいた。
「握炎弾!」メルトクロスの腕と天希の手のひらの間に、爆発が起こった。天希はその勢いで傍観している三人のそばまで飛んできた。
「グアアアアア!」メルトクロスは爆発を喰らった部分を押さえながら悲鳴を上げ、よろよろと倒れた。
「今のは!?」可朗が言った。
「握炎弾。千釜先輩が『握爪」って呼んでる技を、俺用に改良してみたんだ」
「握爪・・・そういえば僕も見たことがあるかもしれない。たしか、通常の状態で敵をつかみ、そこで爪を出現させて、確実に相手本体にダメージを与える技だったよね」
二人はそういいながら、倒れているメルトクロスのそばに歩み寄った。
「・・・あ・・・天、希・・・」メルトクロスは、閉じていた目を、ゆっくり開けながら言った。「アビスを・・・アビスを、助けて・・・やってくれ・・・」
「・・・助ける・・・?」
「・・・・・」
メルトクロスは一度そこで気絶したが、すぐにまた目を開けた。
「悪いやつじゃないんだ、あいつは・・・・・カレン、君の父親を呼び捨てにしていることは許してくれ・・・それを許せるくらい、あいつは良い人間なんだ・・・君なら知っているはず」
メルトクロスはカレンの方を向いた。カレンはうなずいた。
「はは・・・そういえば、戦いの中で話した、過去の出来事・・・少なくともあれは事実だが、それに対する僕の怒りと嫉妬は、それは昔はあったけど、つい最近まで、完全に忘れてたんだ。それは、アビスが忘れさせてくれた。あの広い心に、僕は吸い込まれて、何もかも忘れて過ごしていた。しかし・・・」
メルトクロスは残っている力を、悔しさに拳を握るのに使った。
「いつからだったろう、あいつがあんな風になったのは・・・あいつがああなってから、僕の怒りと嫉妬も再発した。そして今日まで、そのままだった」
彼は拳をほどいて、ため息をついた。それから、天希の顔を見ると、少しほほえんだ。
「今日、自分で過去のことを話していて気づいたよ。本当なら、この怒りと嫉妬はアビスが忘れさせてくれたはずだったんだ。話していておかしいと思ったね。ははは・・・そのことが話から抜けていたんだ。それが話から抜けていれば今のアビスがどうであろうと関係ない。今のアビスの振る舞いとは矛盾しない。だがしかし、うそをついたとわかると少し動揺したよ。この期に及んで嘘を話の中に織り込むのは、情けない人間だ、ははは・・・でも、もしその話をすれば、僕の立場が矛盾する。アビス軍団は周りから悪の軍団としてみられているだろうね。全くその通りだと思ってる。でも、僕の悪の心は、ずっと昔に消えたのに、アビスと一緒に、この悪の軍団に入っている。おかしい、なにかがおかしい・・・」
「嫉妬が再発したのは・・・?」可朗が小声で言った。
「・・・そうだ、やっぱりアビスがおかしくなってからだ。でも・・・でも、僕が悪人になる理由がそこにあったか?結局は自分のせいだ、今日戦って分かった。僕は弱かったんだ。アビスのもとから離れることができなかったんだ。彼の方向性が変わっても、疑問を感じるよりも先に、付いていこうと自分を切り替えていた。自分で自分が変えられない、ほんとに情けない人間だよ、ハハハハハ」
「・・・・・兄・・・貴、いや・・・」天希は言いたいことを押さえていた。
「べつにいいよ、そう呼ばなくても」メルトクロスは笑いながら言った。「君たちは、僕とは全然違う。カレン、君の出現で、アビスはいまかなり動揺しているはずだ。僕と同じように、過去の自分との矛盾に苦しんでいる」
「・・・けど・・・」天希が言った。「なんかがあったから、その、善人から悪人になったんだろ?」
「確かにそうだ・・・だが僕らが苦しんでいるのは、悪人になる理由が自分たちの記憶の中から見いだせなかったんだ。僕はアビスに付いていったためにこうなった。しかしアビス自身に、悪人になる理由なんて無いはずなんだ。今彼を苦しめているのは矛盾、そしてその矛盾を解くには、彼を善人に戻すしかない。それができるのは、前に善人だったとき、ヤツのもっとも近くにいた人間だ。僕にはそれはできない。が、カレン、やつの娘である君なら、きっと目を覚めさせられる。絶対にできるはずだ。頼む!アビスを苦しみから解放してやってくれ!」
カレンはもう一度、大きくうなずいた。それから、少しの間、沈黙が続いた。
「あーっ、難しい言葉ばっかりで何言ってるかよくわかんねー・・・同じ事ばっか言ってるようにしか聞こえなかったぞ・・・」
「フッ、じゃあこの天才可朗様が話の内容をかるーくまとめてやろうか?」
「いや、遠慮しておく・・・」
メルトクロスは笑っていた。
「・・・さて」天希は、上へと続く階段へ目を向けた。「いよいよ、最後の戦いだぜ!」
「最後にしてはずいぶん早かったような気がするけどね。でも、気を抜いちゃダメだな、みんな今までの戦いでダメージは受けてるし」
「・・・奥華」天希が言った。奥華はどきっとした。
「お前はここにいた方がいい。なんかあったとき、そいつと一緒に対応してくれれば・・・」
「・・・うん」奥華は少し顔を赤くして、小さく返事をした。
「たしかに、お前じゃまだレベル1だし、僕ら三人から比べりゃ、アビス相手に戦力になるとは思えないからね」可朗が口を挟んだ。
「・・・生きて返さない」
「ゴメンナサイ・・・」
メルトクロスはまた笑っていた。

「待たせたな、アビス!」天希は、その男の顔を見るなり、そういった。
「ふふふ、案の定、待ちくたびれていたところだ、ちょうどいい」
アビスは座っていた席から立ち上がり、机の上で手を横に押しだした。すると、その机と椅子が、まるで爆弾でも落ちたような勢いで崩れ、飛ばされ、ボロボロになった。反対側にあったものも、同じ衝撃を受け、同じような様になっていた。
「さあ、この俺に勝つつもりでここにきたんだろう?だったら・・・」アビスは手を鳴らしながら近づいてきた。天希達は身構えた。
「キサマ等が全力と呼んでいるものを、俺にぶつけてみやがれ!」

すこし遠くから見ても分かった。アジトの最上階の壁の半分が、一瞬にして粉々になったのは。

第十八話

その部屋は、マンションにしては広かった。戦うには申し分ない広さだった。メルトクロス、レベル3、薬師寺悪堂、レベル2、峠口天希、レベル1、三井可朗、レベル2、安土奥華、レベル1、ネロ・カレン・バルレン、レベル2。
(こいつらのレベルは、見なくてもだいたい見当がつく。そもそも、自分のレベルを一番知っているのは自分のはずだ。はっきりいって、レベル1のデラストがレベル3に勝てるわけがない。それなのに天希、『負けてたまるか」とは、お前のその向こう見ず、果たして父親譲りか、それとも母親譲りか・・・)
天希は攻撃を繰り出していたが、メルトクロスはこう考えられるほどの余裕で、攻撃をかわしていた。
「どうした天希、それじゃあアビスなんて倒せないぞ!」
「くそ・・・っ」
メルトクロスは上に跳んだ。着地したところに、天希は横からキックを入れたが、メルトクロスは片手で止めた。
「無謀だね天希、キックで上半身をねらうのは」メルトクロスは反撃もせずに、天希の足を放した。
「・・・なんで、俺とお前が兄弟じゃなきゃいけねえんだよ!」天希は言った。
メルトクロスは少し沈黙したが、すぐに口を開いた。
「・・・知りたいか?」メルトクロスは薄笑いを浮かべた。

薬師寺悪堂は、ほとんど軽快な移動で相手を威嚇しているだけだったが、可朗と奥華はそれに気がつかなかった。
「攻撃するつもりが無いようですね・・・ならば、こちらから攻撃しましょうか?」
そう言ったのだが、先に攻撃をしたのは可朗だった。動き回っている悪堂を、根による足払いで止めたのだ。体制が崩れた悪堂に、可朗は追撃を仕掛けようとしたが、彼はすぐにそれをやめて飛び退いた。
「ホホホ、これが基本能力と言うものですよ」
悪堂の体は、転びそうな体勢のまま、宙に浮いているのだ。といっても、地面との感覚は30センチほどだった。彼はゆっくりと真っ直ぐな体勢に戻った。同時に、地面に足をついた。
「基本能力の使い方も知らずに、我々と戦うつもりだったんですか?まったく・・・」悪堂はつま先ですこし跳ねると、再び素早く横に移動し始めた。
「・・・そうか、さっきも少し浮いていたのか・・・」可朗は言いながら、思った。(・・・どういうことだ?千釜先輩のいっていた基本能力とは違う・・・?先輩のは、なにかを手を触れずに持ち上げるものだったはず、しかしこっちは、地面に触れずに・・・そうか!原理は同じなのか!だったら・・・)
悪堂が一番近くなったところで、可朗は拳を突き出した。本来なら届かない距離のはずだが、悪堂は圧力を感じた。
「くっ・・・」
悪堂が一瞬減速したところに、可朗は蔓を放った。
「よし!捕らえたっ」蔓は悪堂の体に絡まった。しかし、悪堂は全く動揺していなかった。
「ほう、身体系デラストですか、私のデラストにとっては、いささか都合がいいですね」
悪堂は腕を出すと、手袋に覆われた指先を、蔓の表面にちょんとつけた。そると、その部分から、蔓は見る見る枯れていった。
「なっ!?」
「ヴェノムドリンクの制作者である私のデラストは『薬剤」。どんな能力かは、見当がつくでしょう?」
可朗は後ろをチラッと見た。奥華は半分以上戦意を失っていたが、可朗は「奥華さえ先頭に加わってくれれば」と考えていた。
「ホホホホホ、攻撃する術がない・・・と?やはりこの場に必要な強さというのが、足りなかったようですね!ホホホホホ!では・・・」
可朗は身構えた。悪堂は可朗に向かって突っ込んでいった・・・と思いきや、彼の第一の標的は可朗ではなかった。悪堂は可朗の横を通り過ぎた。
「奥華・・・・・」可朗が振り向いたときには、奥華は宙を舞っていた。攻撃した悪堂は先に地面に着地した。
「ホ・・・」
しかし、奥華は床に叩きつけられることはなかった。彼女には、なにか布団のようなものが自分を包み込んだように感じた。
「人形・・・?」
隣には、カレンが立っていた。
「ネロ・・・っち・・・」
「おや?参戦するんですか?私どもにかまわず、『お父様」の元へいってもいいんですよ?」
奥華はまた、カレンが行ってしまうのではないか心配だった。しかし、カレンは悪堂の方から、奥華の顔へ目を向けた。
「・・・ネロっち・・・」
カレンに全くその気がないのを見て、悪堂は驚いた。
(そうだよね、あのとき私のことを助けてくれたのはネロっちだったし、今も守ってくれた・・・やっぱり、ネロっちはネロっちだ・・・!)

天希は攻撃を続けていた。といっても、デラスト・エナジーはすぐに減ってしまっていた。
「どうした?まともな攻撃が来ないぞ!?だったらこっちから行ってやるよ!」
天希の目に、その姿は焼き付いた。だが、メルトクロスがその姿になったのは一瞬だけで、天希はその場に倒れた。

その音は、可朗、カレン、奥華の耳にも聞こえた。
「天希君!!」奥華は叫んだ。
一撃で倒された天希の姿は無惨だった。胸は十字に引き裂かれ、血が流れていた。メルトクロスは、その傷を見下ろしていた。
奥華の顔は青ざめた。
「ホッホッホ、情けない情けない。メルさんの弟と聞いてはいましたが、思ったほど激戦にはなっていないようですねえ・・・兄弟喧嘩よろしく、もっと激しい戦いになると思ったら・・・ホホホ、ホホホホホ!」
奥華の怒りは頂点に達した。
「もう、笑うなっ!」
案の定、悪堂は笑いをやめた。それどころか、彼は冷や汗をかいていた。
「ま・・・さか・・・?」
悪堂の目には、もうその状況は映っていなかった。彼がどうなったのかは、誰も想像がつかなかった。
「いったい・・・何が・・・?とにかく、今が攻撃のチャンスだ!」

「お前・・・は・・・」
悪堂は立ちすくんでいた。
「薬師寺悪堂・・・いや、村雨道男、私に向かってお前とは、相変わらず面白い男だ」
「あ・・・う・・・」
悪堂はその言葉に首を絞められているような感じがした。
「たとえ自由兵でも、階級の見極めのようなものは、あるのではないか・・・?」
悪堂だけに聞こえているその声は、低く、重苦しい女性の声だった。悪堂にとって、この声は一番恐ろしいものだった。
「お・・・お許しくださいませ~・・・」
そう言うと、悪堂は気絶した。

天希はかろうじて、立ち上がっていた。頬に出来た十字の傷を、大きくしたような、その胸の傷をおさえながら、彼は言った。
「・・・・・俺・・・たちは・・・本当に・・・兄弟、なのか・・・?」
「ああ、間違いない。父親は違うがね」
「・・・?」
その時、天希の懐から、一冊の本が落ちた。
「ん?何だろうね?その本は・・・」メルトクロスは3歩前に出た。「はあ、なるほど、この本ねえ。読んだのか?」
天希は息だけで「いや」と言った。
「ならちょうどいい。この本に載っていることと、君が知りたいこと、真実を、説明してあげよう・・・

・・・僕の父は、具蘭田陽児(ぐらんだ ようじ)という男だった。母は、君も知っているとおり、川園真悠美だった。父からは、峠口大網という男__父の高校時代、無口で生意気だった男__の事を少しは聞いていたが、どうせ自分には関係ないことだろうと思っていた。
しかし、ある日のことだった。僕は家で留守番をしていたのだが、父が傷だらけで帰ってきた時には驚いた。一緒に出かけていたはずの母もいなかった。その時は父はそのことを話さなかったが、ちょうど僕が10になったころ、あのとき母は、かの峠口大網とともに行ってしまったと話した。そしてその数日後に、父は何もいわずに、家からいなくなっていた。
僕は旅に出、途中偶然会ったのが大網本人だった。僕は復讐の心を持ってヤツに飛びかかったが、勝てるわけがなかった。こちらの攻撃はとことん防がれ、むこうはといえば、たった一撃で勝負を決めた。全くの完敗だった。
そして15になったとき、その時にアビスと出会ったんだ。僕自身もそのころのデラストは上達していたが、大網に再び挑戦する自信がなかった。
そこに入ってきたのが、ゼウクロス大王の復活という大規模なニュースだった。世界で最初にデラストを発見し、その森羅万象の力でたちまち世界を我が物としてしまったゼウクロスは、言い伝えでは、80年生きると占い師に言われたところを、65で眠りについてしまった。そう、永眠ではない。死んだといえども、それは一時的なものにすぎなかったのだ。
予言能力のあるデラストを持つバズライルという男は、大王が残りの十五年の命を全うするために、2500年の月日を経て、再びこの世に姿を現すというのだ。しかしそれには、最後までゼウクロスの手元に残っていた四つのデラストを手に入れなければならないという・・・

・・・僕はクロス一族の末裔であるから、その力を操ることが出来ると思いこみ、元デラスト・マスター、峠口琉治の家にあるというその四つのデラストを、アビスに取ってくるように頼んだ。僕はその力を利用して、大網への復讐を果たそうと思っていた。しかしアビスは失敗してしまった。そこへ君がやってきた。聞けばその四つのデラストのうちの、ひとつの持ち主であり、峠口大網の息子だと言うじゃないか。つまり、父親は違えども、間違いなく僕の弟、峠口天希だ!君さえ倒せば、僕の復讐は成就する。今までの戦いから見て、特別強いデラストでもないらしいな。だったらここで、君はこのメルトクロスに倒させてもらう!」
それまで穏やかだったメルトクロスの顔は、豹変した。というより、デラストによって、姿そのものが変化したのだ。額からは二本の長い角が生え、爪は肘に届くまで伸び、髪の毛は逆立ち、肌は真っ赤になった。さっき天希が見た姿そのものだった。
「なんだアレ!?」可朗が思わず叫んだ。
「これこそが、『魔物」のデラスト!ゼウクロスのデラストに選ばれなかったのは残念だが、こいつも結構使い心地が・・・」
「待てよ・・・!」天希は彼の言葉を遮った。「まだ・・・俺の質問に答えてねえぞ!」
「そうだ、クロスという姓は、話しに出てきた三人の親の誰にもないはず・・・」可朗が話に加わった。
「なるほど。確かにね。だが僕は紛れもなく、クロス一族の人間だ。髪の色を見れば分かるだろう?つまり、誰かが名前を偽っていたんだ。それが誰かって話だが・・・分かるかい?クロス一族のもう一人の末裔、峠口天希さんよ」
「・・・と、いうことは・・・」
「まあ、末裔と言っても、僕らの他にもたくさんいるがね・・・そう、僕ら兄弟の母・川園真悠美の本名はエスタ・クロス。隠す理由までは聞かなかったが、この名を知っているのは、ごくわずかだ。髪の色もずっと染めて隠していたはずだ。要するにだな、天希、お前は今まで自分がそうであるとは知らずに、この本にある、偉大なるゼウクロス大王の血を継ぎながら生きていたんだ」
「で・・・でも・・・」
「わかっている。天希、お前は外から見れば、とてもクロス一族の人間とは思えないだろう。実際、その血が力を発揮する機会は無いに等しい。ただ、たまたま種族階位遺伝の法則に、逆転が起きて生まれた人間だったんだよ、お前は」
可朗はヒヤッとした。
「種族階位遺伝の法則に反した子供、つまり『逆転児」が生まれるのはごくまれのことだ。そのためか、それがこの世に生を受けるたび、災いが起きるとか、革命が起きるとか、いろいろな事が言われてきた。一部では、クロス族よりも上の種族が過去にあり、ゼウクロスはそれに対する逆転児だったという説もある。とはいえ、お前がゼウクロス復活を引き起こしたとは思えんがな」
「・・・」
「さて、これで説明は終わっ・・・」
メルトクロスが話すと同時に、天希は彼に向かって再び突っ込んでいった。左腕に拳を作り、メルトクロスに殴りかかったが、二本の長い爪に挟まれ、あっけなく止められた。
「く・・・そっ・・・」
「そうだね、やっぱりエネルギー系のデラストは、消費が早い分、デラスト・エナジーの回復もまた早い。だが、本体のダメージまでは回復しないだろう」
メルトクロスは、天希が地面につく前に、反対腕の爪で彼の前面を再び切り裂こうとしたが、同時に天希が、拳を開いて彼の顔に火炎放射をお見舞いした。自分の顔を急いで覆うメルトクロスの、その手から伸びる爪は、先のほんの1、2センチしか天希には届かなかったが、胸の十字傷に再びダメージを与えるには、掠りで十分だった。
「うぐ・・・っ・・・!」
「天希!!」
天希の体勢はまた不安定になった。傷は、絶えず彼にダメージを与えていたのだ。
「最後のあがきだったか、ご苦労さん」それを言ったときのメルトクロスは、元の姿に戻っていた。
奥華、可朗は、二人とも天希の戦いを見て立ちすくみ、顔を青くしていた。目の前にいる天希の息が聞こえた。深い傷のせいで、だいぶ荒くなっているのが分かった。可朗は小さい声で、無意識につぶやいた。
「・・・ダメだ・・・」
その時だった。二人の間を、風が吹き抜けるように後ろから通り過ぎていったものがいた。それは、メルトクロスに向かって一直線に突っ込んでいった。
「はっ!?」
刃物同士がぶつかり合う音がした。メルトクロスの前に立っていたのは、カレンだった。
「・・・・・カレン・・・」
彼女が使っているのは、千釜慶のデラストの一部だった。メルトクロスの爪に対し、彼女も慶からコピーした長い爪の技を、人形を通じて攻撃として使ったのだ。両手でその人形を握っている姿は、刀を持っているようにしか見えなかった。
メルトクロスは、片手を出し、爪と爪をあわせてカレンの攻撃を止めていた。腕は少し震えていたが、顔はむしろ全く冷静で、さっきまで笑っていたメルトクロスの顔でもなかった。その声もまた、落ち着き払っていた。
「カレン、いや、アビスを敬ってでは『お嬢様」と呼ぶのが妥当か否か・・・この戦いは、僕と天希の戦いだ、お願いだから手を出さないでくれ・・・」
メルトクロスは、カレンを止めていた腕を振り払った。カレンは大きく飛び退いた。再びメルトクロスが手を大きく横に一振りすると、ギャラリーとなるべき3人と、戦闘中の人間をそれぞれ分ける境界線が、床に走った。すると、その線から角のようなものが連続で飛び出し、床に細長い穴を開けた。
「これで、傍観者は傍観者だ」
メルトクロスは、天希の方へ向き直った。天希はすでに床に倒れ込んでいた。
「さあ、これで僕の復讐が成就する」
メルトクロスは再び姿を変えた。
「さあ!」彼はとどめとして、右腕を大きく振り上げ、鋭い爪の先を、倒れている天希に向けて振り下ろさんとした。
奥華は目をつぶることもできなかった。可朗はむしろ、これが天希の最後なら、見ないわけにはいかなかった。カレンは再び止めに行こうと走ったが、間に合うはずがなかった。爪の先と天希との間が、五十センチを切った。その時だった。
「何っ!?」
メルトクロスはその光の眩しさに驚いて、素早く手を引いた。
「な・・・何だ?」奥華と可朗の顔にも光がさした。カレンはその勢いのまま、二人の間で止まり、その光景を一緒に見ていた。
「そんなバカな!このタイミングで・・・」メルトクロスは叫んでいた。
光がおさまっていくと同時に、その中から、真っ直ぐ立ち上がっている天希の姿が現れた。
「・・・レベルアップ・・・・・しやがった・・・」

第十七話

薬師寺悪堂はカレンよりも早く、その場所に着いた。
「アビス様、『やつら』がもうじき到着しますよ」
「早いなオイ、わざわざ倒されに来たか?それとも・・・」
「まあいいじゃないか。この先どうなるか見ていようよ。これほど面白いことはないと思うしね」
「メル、おまえはいつも楽天家だな」
「楽天家ね・・・弟に恨みを持つ楽天家かい?」
「大網の息子だ、何をするか分からない。だが、奴に関してはお前に任せてある。始末・・・するのか?」
「メルさん?」
「・・・さあ、ね・・・」

アビスが拠点としているその建物は、古びたマンションだった。建てた場所が悪くて、ほとんど使われなかったらしい。昔は町から道が通じていたが、今はほとんど林になっていた。建物自体も、植物の蔓が絡んだり、所々崩れたりしていた。
建物の周りでは、デラストを持たない戦闘員たちが見張っていた。天希と可朗と奥華は、茂みの中に、可朗の力でうまく隠れていた。
「・・・突破できないことはないね。しかしカレンちゃん、どこ行ったんだろう・・・」
「ネロっちがもう建物の中に入ってて、それだからあたしたちのことを警戒してるんじゃないかな」
「カレンしか通さないってか。たしかに話し合いは・・・できるけど・・・」
「天希、やっぱ戦おうとして・・・」
「当たり前だろ!目的はアビスの活動をやめさせることなんだし、その、なんだろ、話し合いしたって、絶対暴力に持ち込んでくるって!可朗も分かるだろ!昔の宗仁と同じだよ!」
「ウン、それは分かる。ただ天希、ちょっと声がでかすぎたんじゃないかな」
天希は顔を上げた。敵の顔面は目の前にあった。
「うわっと!」
天希は首を引っ込めた。戦闘員もすぐに茂みの中に潜り込んだが、そこには天希たちはおらず、代わりに茂みが待ちかまえていたように絡みついた。
「なっ、なんだこりゃあ!?」
三人はすでに建物に向かって走っていた。
「強行突破、でいいんだよな?」可朗は走りながら天希の顔を見た。
「ここはまかせてよ!」奥華は右手を、次々と目の前に迫り出てくる戦闘員たちの方へ向けながら走った。戦闘員たちは三人をくい止めようとしたが、攻撃しようとした瞬間、体が水に包まれ、行動を止められてしまうのだ。
「なるほど、水の力を持つデラストも悪くはないかもね。けど・・・」扉への突破口が見えたとき、天希は二人より一歩前に出た。可朗は自分の走りよりも速いスピードで、丸太を地面に滑らせた。天希はそれに飛び乗り、後ろに向かって炎を噴射させながら、スピードを上げていった。
「いくぞおおー!」
扉に追突する寸前、天希は後ろ側に体重をかけて、丸太を飛ばした。天希は余った勢いでそのまま少し滑ったが、丸太は宙に放り出される前に、扉を打ち破った。
「へ、どうだ・・・グエッ」天希が止まって二人の方を振り向こうとしたとき、帰ってきた丸太がそのまま天希の顔面に直撃した。天希はぶっ倒れた。
「ひひひひひ、すごひのは君だけでやないんでよ・・・ゲホッ」後ろにいた可朗も、天希の火炎放射を直に食らい、真っ黒になって、よろよろと倒れた。

上階の窓から様子をのぞいていたメルトクロスはいった。「アビス、やっぱ君は正しかったよ。彼ら、コントでもやりに来たみたいでね」
「いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃないんだが・・・」
「ああ、戦闘員たちも、あほらしくて戦う気を失ってるみたいですね」

「中に入ったとたん、襲ってこなくなったな、あいつら」
「きっと外の護衛なんだろう、まあ、破ったけどね」
「しっかし、中に入っても薄気味悪い廊下だな。非常口しか(電灯が)点いてねえぞ」
「しかも、多分使ってないんだろうね」
奥華が話に加わろうとしたとき、突然、足下の方から寒気を感じた。
「ひっ、な、何!?」
「どうした、奥華!?」
そいつが地面から姿を現すとき、奥華はちょうど良いタイミングでその場を退いた。
「ちくしょう、せっかく裏口で待ち伏せしてたのに、そんなに簡単に正面のバリケードを破るなっ!!」
「・・・お前は・・・!」
「確か・・・・・誰だっけ・・・?」
「忘れるなコラ!陰山飛影だっ!クソ・・・まあいい、ここならオイラ一人でもお前等四人には・・・あれ・・・?ひい、ふう、みい・・・あら?カレン『様』は・・・?」
「あれ?僕らはてっきり、カレンちゃんが先に攻め込んだのかと・・・」
「くっ、でもいい、お前たちだけで来てくれれば、まとめて倒せるってもんだ!この暗がりは、オイラのデラストにとっては好都合なんだよ!」
飛影は暗闇の中を泳ぎ始めた。天希は前のように照らし出そうとしたが、相手方は前回に比べて格段にスピードが上がっていた。
「くそっ、追いつかない・・・」
そう言った瞬間、可朗が壁に向かって投げつけられる音がした。天希がその方向を向いたときには、飛影は地面から、倒れそうな可朗の頭めがけて突きを放った。
「へぶっ!」
可朗は地面に転がった。飛影はいったん標的を変えて、奥華の方へ向かっていった。非常口の電灯の光でおかげで、うごく影が奥華にはかすかに見えた。
「えいっ!」それに反応した彼女は、平手で地面を叩いた。すると、廊下に一気に水がたまった。
「何!?」
飛影は驚いて地面から浮き出たが、同時に水の上まで浮かび上がってしまった。水面から地面までは2メートルほどあった。
「どう?」水の中で地面に立ったままの奥華は、自慢げに言った。
「・・・どうでもいいけど、お前、仲間はいいのか・・・?」
「え?」
奥華は振り向いて、水面の方を見上げた。
「あっ!」
天希はまだよかったが、問題は可朗だった。カナヅチなせいで、半分沈みかけていた。
「そうだった!可朗、泳げないんだったーーー!」
奥華は慌てて水を戻した。可朗は気絶したままだった。
「ククク、つくづく間抜けな奴等だ」
「う~っ、でも、まだ技残ってるんだから!」今度は、天希が炎を敵に向かって噴射するのと同じように、飛影の方へまっすぐ手を向けた。飛影は身構えた。

・・・・・・・・・・・・・

しかし なにも おこらなかった
「アレ!?何で!?どうして水が出てこないの!?」
奥華は動揺していた。飛影は笑いながら言った。
「ぷっ、まさかお前、今の洪水でデラスト・エナジー使い切ったんじゃないだろうなあ!?まさか!ヒャハハハハ!」
さすがに奥華のしゃくに障ったが、起こっている暇はなかった。
「お前等、頭悪すぎー!」飛影は奥華に向かって突っ込んでいった。その時、一瞬だけ可朗がぴくっと動いたが、誰も気づかなかった。
「速い!」天希の目に映った飛影は、すでに奥華と1メートルほどの間しかなかった。しかし、その1メートルの間に入り込んだ何かがいた。飛影の攻撃は防がれた。
「何だ!?」
飛影と同じように、影から姿を現したのは、カレンだった。
「ネロっち!」
「げっ、カレン様!いつの間にオイラのデラストを・・・」
飛影は後ろに跳び退いた。
「やっぱり、先に来てたのか!」
天希はそういうと、また飛影の方を見た。しかしその飛影は、さっきまでの戦意が抜けたように見えた。天希はその隙に飛影を攻撃しようとしたが、カレンが止めた。
「カ、カレン様、貴方をどうなさるかは、アビス様が決めなさる事ですから、我々が戦うなど、とんでもありません。ど、ど、どうぞ先へ、お進みください」
奥華は心配そうにカレンのことを見ていたが、やがてカレンは、ゆっくり歩き出した。
「ネロ・・・っち?」
カレンは飛影を通り過ぎた。そのとき、天希が叫んだ。
「おい、待てよ!」
カレンは、体の向きを変えずにこっちを見た。その目が天希には、最初に彼女と会ったときの、あの冷酷な目に戻っているように見えたが、天希は迷わず続けた。
「お前一人で、俺たちをおいて、アビスのところまで行くつもりかよ!」
「そうしろって言ってるんだよ!お前たちの出る幕はない!」飛影が口を挟んだが、天希の耳には全く入っていなかった。
「だったら、何で今まで俺たちと一緒に行動したんだ!?ここを見つけるだけだったんなら、最初から一人でやればよかっただろ!ここまで来て、自分だけでアビスを倒す、なんて事は言われねえぞ!」
(・・・あー・・・天希君、結局戦うつもりだ・・・)奥華はそう思いながらも、カレンの様子を見ていた。
(ネロっち、いつもとちょっと違うような・・・やっぱり緊張してるのかな・・・・・って、あたしがぜんぜん緊迫感持ってないって事じゃん!天希君や、可朗もそうだけど・・・・・違う、ネロっちだけは、あたしが今ままで見てきたのと全然違う!緊張とかじゃない、いつもよりも、なんか顔が怖くなってるし、もし今が初対面だったら、永遠に話しかけられそうにないような・・・って、また余計なこと考えてるし)
奥華は自分の頭を一発軽く殴って、再びカレンの顔を見た。
「ネロっち、戻ってきてよ!」奥華も強く言った。
「だから、お前たちの出る幕はないって言ってるだろう!カレン様は上で交渉する、お前等はオイラが始末する、それだけだ!まだ分からないか、バカども!」飛影が再び口を挟んだ。
天希は歯ぎしりをしながら、飛影をにらんでいた。その時だった。
「・・・・・ふ~~~~ん、そう・・・」その声は、案外近くから聞こえた。
「・・・可朗?」天希は、可朗の倒れている方を見た。
「そうですか、頭悪いですか、バカですか」可朗は立ち上がりながら、開き直るような調子で言った。
「君はねえ、自分では気づいてないと思うけどねえ、二回・・・二回も、僕のことを侮辱したんだよねえ・・・」
天希は顔をそらした。(ヤバい!可朗が怒ってるのを見るのは、久しぶりだ・・・!)
「さて・・・本当に頭が悪いのが誰だか、分かってるくせに、この僕の、この天才頭脳を侮辱した、本当のバカは・・・」
「グダグダうるせえんだよ!天才とか、自慢してるし!」飛影は再び影の中に潜り込んだ。
「・・・そうだねえ、誰が天才で、誰がバカだか、証明して見せようか」
飛影が床を高速で移動する様を、可朗は見落としてはいなかった。が、彼は依然として、その場に突っ立ったままだった。
「どうしたんだよ、可朗!ヤツが来るぞ!」天希が叫んだ。
飛影は可朗の目の前に飛び出してきた。しかし同時に、地面から二本、彼の意図しなかった物、何か細い物が飛び出してきた。
「何だ!?」飛影はすぐに可朗から離れた。すぐ影には潜ろうとしなかったが、それより、その飛び出してきたものが気になった。
「よく見な。植物の蔓さ。僕が倒れている間に、この床の下に、根を張り巡らしておいたのさ。その方が、何もないところからいきなり植物をすぐに生えさせるよりは、ずっと早いからね。それと、こっちのスピードだけじゃない。お前のスピードも、頭に入れておいたんだ。あの一撃を食らったとき、分かったのが、影になって移動しているときよりも、空中に出た時の方が、はるかにスピードが遅い。というより、差が大きい。そのせいで、たぶん自分でも慣れてないから、その時に一瞬スキが出来るんだ。そこで、さっき言ったように、早く使えるようになった蔓をつかった。計算通りだったね」
「く・・・だが、どうする気だ?この状態からだって、オイラは影に潜り込めるんだぜ?」
可朗は、飛影の顔が微妙に細くなってきているのを確認しながら、言った。
「別に、影に潜り込んだところで、お前の体に入った『あれ」を取り除くことは出来ないけどね」
「・・・あれ・・・って、何のことだ?」
「いやー、実はさあ、蔓を三本出したと思ったら、一本が偶然、ちょうど君が地面から現れたところと全く同じ所に出てきちゃったんだよねえ」
「え・・・っていうことは・・・」飛影はすっかり細くなった顔を青くしていった。
「そう、その一本は、君の体の中にあるのさ。気づかないかもしれないけど、ちょうど君が影から実体化するときに出てきたもんだからねえ。そうそう、デラストを持った人間は、デラストの力によるバリアで、体を守られている・・・そのおかげで、通常の人間よりも、外部からの衝撃などに強く、体を張って戦うことが出来る、という話を千釜先輩から聞いたんだが、さて、内部からの攻撃に対する、抵抗って言うのは、果たして存在するのか?」
「や・・・やめろ・・・・」
「ちょうどいい、実験してみようじゃないか。僕がこれから蔓に命令を出す。もし、抵抗が存在したのなら、何も起きないはずだけど、もしそうでなかったら、蔓は、君の体を突き破って、出てくることになる!」可朗は指でカウントを始めた。
「ちくしょ、てめえ!」飛影は可朗の方へ走り出そうとした。
「3」
「ぐ・・・ぐぐ・・・」しかし、残り二本の蔓が、彼の腕を絡み取っていた。
「2」
「この野郎!」飛影は蔓を振り払った。
「1」
可朗は、その人差し指を、目の前まで向かってきた飛影の額に突き立て、それをゆっくりと折った。
「これで、0、だ!」可朗は最後だけ強く言った。
「うわああああっ!」
飛影はその場に倒れた。天希と奥華は、その場に立ちすくんでいたが、可朗の視線が次第にこっちに向くと、二人は唾を飲んだ。
「・・・・・ぷっ、冗談に決まってるじゃないか~!」可朗は笑いながら言った。
二人はぽかんと口を開けた。
「はっはっは、完全にダマされてたね!その真剣な顔がどうのって!ははははは!」
「さ・・・さすが可朗・・・・・」奥華はあきれて、それ以上言葉が出なかった。
「フッ、まあね、僕がちょっっっと本気を出せば、このくらいチョロいもんだよ。僕が少しキレるだけで、周りの雰囲気が一瞬でシリアスになる。まあこれ、僕のこの美貌のおかげなんだよねえ。その上、もっともらしい架空のアクシデント、僕のこの絶大な説得力にかかれば、どんな嘘も現実だと思ってしまう、まさにこの、天才的な頭脳と、どんなにすばらしい楽器でもかなうことのない、この美しい声のタッグ!これを一体世界中でどこのだれが出来ようか!?誠に幸運なことに君たちはなんと、その名を知っているわけだ。その名前は?大声で言ってみよう!さん、はい!」

・・・・・・・・・・

「ネロっち、まってよ~」三人はすでに先へ進んでいた。
「え・・・えっと、この小説をよんでいるよい子のみんなは、ちゃあんと、『三井可朗』って、叫んでくれたよね?ね!」そう言うと、可朗は三人のあとに遅れてついて行った。

「メルさん、私たちの、出番ですかね?」悪堂はメルトクロスに言った。
「そうだねえ・・・まあ、いいでしょ、どうせ飛影が自分から戦いたいって言っただけな訳で、別に僕らが戦うと言うことは元から変わらなかったわけだし」
「しかしバカな連中ですよ、デラストを持ってから、一ヶ月も立つか立たないかの人間が、我々に挑んでくるんですから」
「実際、大輔や唯次の方が実力は上だと思っていたが、現実彼らは負けている。思ってるほど楽に倒せる相手じゃないね」
「勿論ですとも、それに、すぐに倒すつもりはありませんからね」
アビスがいるのは三階で、二階と三階をつなぐ階段は崩れていて、代わりに、二人が待ち伏せしている部屋に、新しい階段が設けてあるのだった。

「そりゃあ確かにさ、相手がヴェノムドリンクの副作用の影響を受けてるってのもあったよ。だけどさ、僕はそれを計算に入れて戦ってたわけで・・・置いていくって言うのはさ・・・」何の説得にもなっていない可朗だった。天希は全く耳に入れずに、二階への階段を上っていた。
先頭を歩いているのはカレンだった。
「ねえネロっち、待ってったら!」奥華は彼女を止めようとしていた。さっき天希が言ったように、彼女が本当にここまで来て自分たちを仲間だなんて思ってない、なんて事は言わせたくなかったのだ。
(・・・やっぱり、そうなのかもしれない・・・友達になれたと思ったけど、一緒にいる感じがしたのはショッピングの時だけだったし、第一、こういう、戦いの場に、友達がどうこうなんて関係ないよね・・・)
奥華は立ち止まった。
それに気づいたカレンも、二階の床の一歩手前で立ち止まった。
「ごめん、ネロっち・・・私、すごい勘違いしてた・・・」
カレンは奥華の言いたいことが鮮明なくらいに分かっていた。二人は立ちすくんでしまった。
「奥華~、前詰まってるぞ・・・」可朗が奥華の後ろから小声で言ったが、彼女は反応しなかった。かわりに、カレンがゆっくりと一歩を踏み出した。それにつられて、後ろの三人も動き出した。
カレンはものすごいショックを受けていた。本当は奥華に、「それは違う」と言いたかったのだが、それが出来ない自分が悔しかったのだ。この戦いが終われば、この三人ともちゃんとした友達になれるし、そう、本当は友達でありたいのに、たった一つの誤解を正すことが出来ないために、その友達を失ってしまうかもしれないのだ。
今、ここは敵のアジト。いつ攻撃が飛んでくるか分からない。しかし、その攻撃にそなえ身構えているだけの自分が、他人に一体どう見えている・・・?
カレンは、振り向かずに歩いていた。彼女は、泣いていた。

『めると の へあ』
天希と可朗は、あるドアに描いてあるこの落書きに、吹き出しそうになった。が、女子二人の作った重苦しい空気は、それを超えていた。
「残る部屋はここだけだな」天希は改まって言った。
「この建物は三階まであるようだからね。階段があるとすれば、この部屋だけ・・・アビスは三階にいるようだし」そう言いながらも、ドアの前に向き直った可朗は、再び笑いに引っ張られた。可朗は必死のこらえながら、天希がドアを開けるのを見ていた。
「おかえりなさ~い、ご飯出来てますよ~」
突然の妙な声に、天希は驚いてドアノブから手を離した。カレンも、彼女にとって聞き覚えのある声がしたのは驚いたが、もっと彼女を驚かせたのは、奥華が顔を少しずつ持ち上げながら、小声で言った、その言葉だった。
「・・・村・・・・・雨・・・?」
天希は改めて、ドアを勢いよく開けた。部屋の中に立っていたのは、薬師寺悪堂とメルトクロスだった。
「フッフッフッ・・・」
「お、お前は・・・!」天希は一歩前に踏み出た。
「・・・・・天希」メルトクロスは返事をしようとしたが、
「オドちゃん!」
「そっちかよ!」あいにく、天希の視界に入っていたのは、彼ではなかった。
「ホホホホホ、懐かしぶりですねえ、芸人時代の名前で呼ばれるのは」
「アレ?本当だ、オドちゃんだ」可朗も言った。
「ホホホ、しかし、その名ももう古い、今は、薬師寺悪堂!」
悪堂はカレンの方をにらんだ。カレンも彼の方をすでににらみ返していた。
「そう。僕ら二人は、アビスの両腕として、この場にいる。たとえ今まで、芸能界にいたとしてもね」メルトクロスが前に出てきた。「それにしても、ドアにワザとあんな風に書いたのに、ずいぶん探すのに手間がかかってたな。インパクトあったと思ったのに・・・」
「お、お前、やっぱりいたか!」
「そりゃあいるに決まってるだろ」
天希は自然とメルトクロスのことが気にくわなかった。この二人もにらみ合っていた。
「おい薬師寺、お前はそこのメガネとチビを頼むぞ」
「はいはい」
奥華はチビと言われたのがものすごく気にくわなかったが、勿論そんなことを気にしている暇はなかった。悪堂は一瞬でドアの前に移動した。
「速っ!」可朗はその場から飛び退いた。悪堂は奥華と可朗の方に手を向けた。
「・・・ほう、レベル1とレベル2ですか・・・申し分ない、といったところですね」悪堂はニヤリとした。

「うれしいよ天希、君の実力が見られるなんてね」メルトクロスは天希と間合いを保ち続けていた。
「へっ、負けてたまるかっ!」
「さあ、こい天希!」

第十六話

「ハッハッハ、どうだ、これが力だ!みなぎってくるだろう!こみ上げてくるだろう!気持ちいいだろう!さあ、その力を存分に発揮させるためにも、俺に従っ__・・・」

天希は目を覚ました。彼の目に映っていたのは、真っ白な天井だった。
(どこだここは?)
彼は勢いをつけて起きあがろうとした。しかし、不思議なことに、思った通りに起きあがることができなかった。
(!?)
まるで背中が磔られたように、動くことができなかった。彼は何とか起きようとして、頭を振り回していた。その時、ドアの開く音がした。
”あっ、天希さん、起きてらっしゃったんですね、おはようございます”
カレンは部屋に入ってきた。そのとき初めて、天希は自分が寝かせられている部屋の狭さに気がついた。
「なあ、一体ここはどこなんだ?」
”えっと、ここは、雷霊雲先生の・・・えっと、家というか・・・・・”ガロはカレンが持ってきた盆の上で話していた。カレンは天希を見て、妙にびくびくしていた。
「・・・先生?」
”えっと、それより、昨日の傷とかは大丈夫でしたか?いろいろあったみたいですけど・・・”
「ああ、傷とか痛いところはないけど、起きあがれねーんだよ、チクショー」
その時、開きっぱなしのドアから、恐ろしいほど背が高く、かつ細身で、妙な面をかぶった男が、ぬっと姿を現した。
”あ、先生、天希さんが起きました”
「そうかい、もう少し寝ていてもいいのに」
その男はスタスタと天希の前へ歩いてきた。彼はその男をよく見た。黒いシャツに緑色の上着を着、青いジーパンをはいていた。両手には白い手袋をし、またその面は、素顔を見せんとするもののように見えた。髪の毛は老化したような白で、元からそういう色だったり、染めているなどという風には見えなかったが、首の部分や袖からかすかに見える肌は、逆に若々しく見えた。
”でも、起きあがろうとしても起きあがれないそうです”
「ああ、その症状ね、わかった」そういうと、その細い腕で天希の両手をつかんだと思うと、彼はベッドからものすごい力で引っ張り出された。地面に着地すると、その時まで張っていた腰が急に重力に従って曲がり、天希は床に倒れた。
「どうだ、楽になっただろう」男は笑いながら言った。その声も、二十代ぐらいのものに聞こえた。
「さて、他の奴等もどげんかせんといかん。カレン、手伝ってくれ」
そう言われると、彼女は持っていた盆を天希の隣の机において、その上にいたガロを手にはめ、起きあがる途中の天希の方を見た。
”一応、薬と飲み物はここにおいておきますので、もし大丈夫でしたら、真ん中の部屋に来てくださいね”
カレンたちが部屋から出ると、天希は立ち上がって、机においてある薬と飲み物とを一緒に飲んだ。そして、窓の外を見ながら、考えていた。
(俺は昨日、一体何をしていたんだ・・・?それに、今のあいつは何者なんだ?カレンの知り合いかなにかか・・・)

天希、可朗、カレン、奥華の四人は、ソファに一列に座っていた。向かいに座っているのは、雷霊雲仙斬だった。
「私の名は、雷霊雲仙斬だ。改めてよろしく」
四人は何も言わずにおじぎをした。
「さて天希、おまえはなぜ、何の目的でここにいるんだ?」唐突に雷霊雲は聞いた。
「えっ、なぜ俺の名を・・・?」
「君の父のことは、よく知っているんだ。昨夜もここに訪ねてきたし・・・なあ、カレン?」
「う゛ぇ!?嘘!?」
雷霊雲は相槌を打った。カレンは少し笑いながら応答した。
「まあ、その話は置いておこう。それで・・・」
天希が何か言おうとしたとき、隣にいた可朗が急にしゃべり出した。
「何の目的って、学校行事ですよ!グランドラスでの工場見学で・・・」
「まあ、そんなこともあったらしいね。で、帰る途中に事故にあったと」
「そうそうそう、まさにそのとーりで!」可朗はいかにも不自然な声で言った。
「ふうん・・・たしかにそうかもね・・・だがカレン、おまえは一度もめのめ町に入ったことがない・・・めのめ町の人間ではないよな」
「あ・・・・・・え?」
「だいたいは分かる。ただ昨日起きたことを話してくれれば、それでいいんだよ」

「くっ、甘く見過ぎていたか・・・成功だと思ったのに・・・」
唯次は地面に倒れた。そこにはもう一つの影が立っていた。その影は、唯次にもう何発か攻撃を浴びせると、彼の懐からビンを取り出し、狂ったようにピョンピョン跳ねながら、どこかへ消えてしまった。

「ハッハッハ、情けないザコばかりじゃのう!」
可朗は地面に投げつけられた。唯一、正気を保っていたカレンは一歩引いた。
彼女は背後に目をやった。さっき、敵に一撃も与えられずに倒れてしまった奥華が、そのままの状態でいた。カレンは敵の方へ目を戻した。
「さあ、残るはお前だけじゃ!ワシはここにいる人間を一人残らず気絶させないと、気が済まんのじゃあ!」
そういうと、相手「ドッペル」の姿は槍に変形した。というより、槍そのものになっていた。その「槍」は、カレンめがけて飛んでいった。彼女は横に避けたが、かわされたと知ったドッペルはすぐに人間の姿になって、彼女を蹴り上げた。彼女はすぐに体勢を整えたが、その目の前にいたのはドッペルではなく、倒れている可朗だった。その場に一人倒れているのなら攻撃の余地はあるが、実際に目で見る限りは、そこにいる可朗は二人なのだ。どちらかが本物で、もう片方は偽物である。カレンは戸惑っていたが、その隙がもっとも大きくなった瞬間を見計らって、偽物の方の可朗は振り向いて攻撃してきた。その間、時間は十分に空いたのだが、ドッペルの見
積もり通り、カレンが気づいてその攻撃を防ぐには時間が足りなかったのだ。
「フン、ワシがコピーできるのは姿だけにはとどまらんぞ!デラストの能力も、じゃあ!」
そう言うと、ドッペルの腕は蔓に変化し、カレンを叩きつけた。彼女は隙を見計らって攻撃しようとしたが、今までのダメージと、ドッペルの変身能力から考えて、彼女が逆転する兆しはなかった。
(・・・もう・・・だめかも・・しれない・・・)
「さあ、そろそろ終わりじゃのう」
ドッペルは肩の広い人間の姿になり、その太い腕をハンマーのようにして、カレンに強力な一撃を浴びせようとした。
が、。顔一面を覆うほどだったドッペルの影が、瞬時に消えたのだ。というより、実際ドッペルはものすごいスピードで、カレンに対して左方向に突き飛ばされたのだ。
”天希・・・さん・・・?”
ドッペルはそのまま列車にぶつけられた。そこにいたのはまちがいなく天希だったが、カレンの目には全く違うものとして見えた。彼女の存在に気づいているのかそうでないのか、どちらにしろ、天希はドッペルに向かって容赦ない連続攻撃を仕掛けていた。今度はドッペルの方が抵抗できない状態で、変身するスキも与えられなかった。カレンはそれをすべて理解したが、それでも天希は攻撃を続けていた。カレンは青ざめた。自分と戦ったときの天希の姿ははっきり覚えている。戦えなくなった相手にはとどめを刺そうとしない。あくまで、相手と自分が同等に戦える楽しさを見いだしていた。行動だけでなく、あのとき、天希と自分との顔がまっすぐ向き合ったとき、あの目は澄んだ色をしていた。しかし、いまの彼の顔、後ろからその目を見ても、怖いほどに曇っている。そして、狂ったような連続攻撃、あれは相手を痛めつけることで、快感を得ているようにしか見えない。カレンは天希の恐ろしい姿を見て、泣き出しそうになった。そして、逃げるようにその場から立ち去ろうとした。ドッペルがサンドバッグのように殴られている、その音はカレンの心の中で何度もこだました。しかし、その音を聞いているうちに、彼女は「もしかしたら」という心が現れ出てきた。むしろ、それ以外あり得ないと思った。
(そうだ、あの人は・・・きっと、ヴェノム・ドリンクを・・・飲まされた・・・あの目、間違いない、今まで戦ってきた相手と同じ目・・・でも・・・)
突然、響いていた音がやんだ。カレンは無意識に後ろを振り向いたが、同時に、前にいた何かにぶつかった。ちょうど買い物の帰りにこの辺をうろついていた少年だった。フードをかぶっていて、暗いせいで顔が見えない、不思議な感じの少年だった。彼はカレンの悲しそうな顔を見ると少し戸惑ったが、すぐに振り向いて、再び歩き始めた。するとカレンも、吸い寄せられるように、彼の後に付いていった。

日は沈みかけていた。ドッペルはすでに意識がなかったが、天希の攻撃は終わっていなかった。しかし、ペースがだんだん落ちてきたとき、突然、極度の苦しみが天希を襲い、どっと地面にひざを突いた。手足はすでに細くなり始めていた。彼はもがきながら、必死に自分のポケットを探っていた。と、一本の小ビンを取り出したが、震えていた手が滑って、そのビンは空中に投げ出された。充血した目がその軌道を追い、ビンが地面に落ちると同時に、天希も音を立てて倒れた。彼は力なくビンの方に手を伸ばしたが、それ以外にもう動くことができなかった。
「薬が・・・いけないんだ・・・あいつに、あんな薬さえ、飲ませられなければ・・・」
そう言って、天希は目を開いたまま気を失った。あたりは静かになった。

カレンと少年はその館の前に立ち止まった。少年はチャイムを鳴らした。すると、ドアが開いて、背の高い男がぬっと姿を現した。それが雷霊雲仙斬だった。
「お帰り、デーマ。米は売り切れてなかったか?・・・おや、そこのお客さんは・・・」
カレンは訴えかけるような目で雷霊雲を見た。雷霊雲は彼女が何をいいたいのかわかったが、わざと、そんなことないようなそぶりをした。
「こりゃあ珍客だねえ。お前と会うのは、十何年ぶりかもしれない」
その『デーマ」はカレンをつれて、中に入った。
カレンは、今までにこの男と会った記憶がなかった。彼女はまた不思議そうな目で、雷霊雲のことを見ていた。
「さて、なんかあったような顔をしてるな。一体何があったか、話せるかい?」雷霊雲は『話せるかい」を強調していった。カレンは一秒ほど経ってから、首をゆっくり横に振った。でも、できれば話したかった。ただ、天希たちと最初に戦った時から彼女自身も気づいていたが、いったん戦いがとぎれると、その後でデラストが働いてくれなくなってしまう癖があるのだ。そのため、ガロに説明してもらうこともできないのだ。
言いたいことが彼女の喉元まで来てはいるが、言えるはずがなかった。デラストを手にした日、あのときの衝撃のせいで、声がでなくなってしまったのが、今の彼女にとっては、とても重いものだった。これほど声がでないことがつらいとは、慣れきっていた彼女には今まで気がつかなかった。彼女は、今みんながあの場所でどうなっているのかが気になって仕方がなかった。ここにいる人は自分は知らないんだから、すぐこの場を離れてもいいはず。でも、それができない。なぜだろう。話せば解決するような気がする。この場から離れることができる。でも、話すことができない。彼女はもどかしかった。だが、その場で地団駄を踏んだり、気持ちの曖昧さのあ
まり叫んだりすることもなく、彼女は何を待つのか、そこに佇んでいるだけだった。
すると、それを見ていたデーマが、なにやら雷霊雲に話し始めた。彼の声の小ささと、雷霊雲の少し大げさな相槌のせいで、なんと言っているのかはわからなかったが、今カレンが心配していることに関係している話のような気がした。
「ふむふむ、なるほど」雷霊雲の目はカレンの方を向いていた。「ちょうど先客の助けが必要になるかもしれないな」
デーマはうなずくと、カレンのところまでやって来て、彼女を部屋まで誘導した。
「おーい、大網、こっちへ来てくれ」ドアの向こうで、雷霊雲の声が聞こえた。
しかし、あたりは静かになった。雷霊雲も黙って待っているようだった。
(ダイ・・・アミ・・・?どこかで聞いたこと、あるような・・・?)
デーマがお茶を注いでいる以外、聞こえる音はなかった。カレンはそっとドアを開けた。そこには、すでにもう一人の男が立っていた。カレンはびっくりしたが、それ以上に恐ろしかったのだ。男はゆっくり首を彼女の方に向けた。その目を見たとき、彼女は凍りつきそうになった。こんな人間を見るのは、母親以来かもしれない。いや、その目の中に広がっている闇、その恐ろしさは、すでにあのころの母すら越えているような気がした。カレンは一歩引いた。
「ああ、そういえば大網、客はお前だけじゃなかったんだな」雷霊雲は、さっきまで会話していたような口調で言った。color=”#20A090″>「まさかこんな珍客揃いだとは思わなかったよ。その顔、お前なら見覚えあるだろう?」
その男は雷霊雲の方へ顔を戻した。いや、その時、振り向きざまにその男が笑ったような気がした。もう何十年も表情を変えていないような、固い顔だったが、あざける笑いだったのか、おかしかったのか、それすら分からないほど小さかったが、確かに笑った。カレンは気づいたのだ。カレンはどういう気持ちになればいいのか分からず、そのまま、そっとドアを閉めた。
「さて、何の用かと言うとな・・・」ドアを閉めると、雷霊雲の言葉は自然にとぎれた。実際にはドアの向こうからの声は届いていたのだが、カレンの耳には入らなかった。
(・・・一体、何だったんだろう・・・?・・・でも、あの目、他にもどこかで・・・?)
「・・・なあ、峠口・・・大網さんよ」その言葉だけが、彼女の耳を貫いた。
(!!!)
彼女は顔をはっと起こした。
(峠口・・・確かにあの目と、さっきの暴走していたときの天希さんの目は、限りなく似ている・・・そうだ。それなら納得できる。峠口大網・・・天希さんの、お父様!)
カレンはもう一度部屋から出ようとしたが、後ろから気配がして、はっと振り返った。しかしそこには、デーマが座っているだけだった。ちゃんとカレンの席は用意してあり、お茶は少し冷めかけていた。カレンは悪いと思って、すぐに腰掛けた。デーマは何か言いたそうにこちらを見ていた。
(・・・・・?)
カレンはそれだけでなく、彼の言いたいことまでもを読みとれたような気がした。
(・・・先生は事故の現場へ行った。君の仲間も助かろう)
(・・・なぜそれを・・・?)
(・・・あなたがさっき伝えてくれた。大丈夫だ。雷霊雲先生は必ず助けてくれる)

「さて大網、協力してくれれば、今回のお代はチャラにしてやるんだがね」
大網はすでに、『そいつ」がこの場にいることに感づいていた。雷霊雲の言葉は全く聞いていなかった。
「しかしよかったなあ、二人とも暗いところで目が見えて」
「・・・・・」
「まあ少ない方だ。他の人間等は逃げたらしいな。大網、船を出してくれ。大きいものじゃなくていい」
「・・・」
「・・・まあ、お前のことだから、別に『陸の人間」に手を貸すつもりがあるなんて思ってないさ。そうなると・・・デーマを呼んでこなくちゃならないな。私は一端帰って戻ってくる」
雷霊雲は自分の家へ向かって走っていった。
大網は、そこに倒れている天希の方へゆっくりと歩いた。夜の暗さはほとんど来ていたが、大網はそれでも、倒れている人間の顔が分かった。
「・・・・・」
大網はしゃがみ込んで、天希に向かって何か言おうとしたが、結局何もせずに、立ち上がって、暗闇の中に消えていった。

四人が語れるのは以上のうちのほんの少しだったが、それでも彼らは話せることはすべて話したつもりだった。雷霊雲も、その時のことは少し話した。
「・・・そうか、父ちゃんが・・・」
「ほう、なるほどねえ・・・、それで、天希は我を忘れて行動しても、ヴェノムドリンクを飲まされたことは覚えていたんだな」
「うん・・・(あっ間違えた、言い直せ)・・・はい」
「名前を知っているならば、具体的な症状も知っているだろう。デラストの能力を一時的にむりやり強化させる薬だ。しかも、副作用が大きい。理性の損失は甚だしくなり、攻撃的な性格にさせる。さらにもう一つは、飲んだ直後にみた人間に、従うようになってしまう性質もあるらしい。多分そいつは、その性質を利用して、お前を動かそうとしたんだろうね」
「でも、天希君は、それに引っかからなかった・・・」
「そりゃあ、世界の支配者になる男が、そんなに簡単に操られちゃあ、お話にならないものな」
「???」
「あ、今のは気にするな。それより・・・ヴェノムドリンクの話だったな。あれの、第三の副作用だが、飲んでから約10分経つと、大量にエネルギーを消費したデラストが、普段は外からエネルギーを補充するところを、その人間の本体からエネルギーを吸収しようとする。本人はもちろん極度の苦しみに襲われる。天希みたいになれば理想的なのだが、苦しみを逃れるために、一ビン、もう一ビンとやるのが現実だ。特にアビス軍団はな」
カレンは、昔の父を思い出すと、また現状が恐ろしく感じた。
「しかも、恐ろしいのは症状だけじゃない。これの成分、原材料は、どんな科学者にも、医者にも、解き明かすことはできなかった。私をのぞいてだがね」
「えっ、じゃあ・・・」
「こいつがデラストの力を加えて、都合のいい作用が出るように作られていたのは、ほかの人間にも何となく分かっていたらしい。ただ、成分そのものを知っているのは、軍団内部の関係者と、私だけだ」
「その・・・成分って・・・?」
「悪いが、私は意地が悪い人間だから、ここでお前たちに教えるつもりはないよ。知りたいんだったら、直接本人にききな」
そういって、雷霊雲は一枚の紙を渡した。
「えっ・・・これって・・・!?」
「見りゃわかるだろ、アビスが拠点としているアジトの地図だよ。住所まで存在するのに、なぜかみんな見つけられないと言っているんだ」
四人は地図を見つめていたが、最初に奥華が顔を上げた。
「あの・・・」
「何だい?私の自作の地図が気に入らないかい?」
「そうじゃなくて、天希君が支配者って、どう言うことですか?」
奥華の言葉に、三人も反応して顔を上げた。
「・・・そうねえ・・・」雷霊雲は少し悩んでいる様子だった。「・・・たしか、アビス軍団に、メルトクロスって言う奴がいたな。(このとき、天希は何度もうなずいた)そいつなら知っているな。教えてくれないはずはないと思うが」
「結局、何も教えてくれないじゃん!」
「落ち着け。どうせアビスのところへは、そのうち行くんだろ?だったらいいじゃないか。私が言うとどうしても理屈っぽくなるし、逆によけいなことまでしゃべってしまう可能性もあるからな」
雷霊雲は立ち上がって紅茶を注ぎにいった。
「あっ、そうだ天希、峠口家の人間なら、読書は好きだよな?」
「・・・はい」
「『ゼウクロス伝・封印と予言」という本は読んだことがあるか?」
雷霊雲は指を鳴らした。すると、何かが庭の窓から猛烈なスピードで部屋の中へ入ってきたかと思うと、彼の前を通り過ぎて、廊下の方へ行ってしまった。その後、金属製の靴を履いているような足音が近づいてきた。それは、さっきとは違って、ゆっくりと姿を現した。デーマだった。
(あっ、昨日の子・・・)
彼は手に一冊の本を持っていたが、それを雷霊雲に渡すと、逃げるようにドアを閉めていってしまった。
「私の助手だ。いや、医者に助手はいないか。いるか?まあ、シャイな奴なんだよ、あいつは」
雷霊雲はほんの上にコップをのせて戻ってきた。
「ほら、これを読むといい。クロス一族とデラストの祖、ゼウクロス大王についての本だ。特にお前は読んでおいた方がいい。これから忙しくなるはずだからな」
天希は雷霊雲の言っていることが理解できなかった。しかし、雷霊雲が提供した本が、クロス一族の人間についての本であることと、兄(かもしれない)メルトクロスもまたクロスという姓を持つこととは何か関係がありそうだと、天希は思っていた。
「可朗、ゼウクロス大王って、どこかで聞いたことあるような気がするんだけど・・・」
「忘れたのか天希?デラストを最初に発見した人だよ。歴史でやっただろう?」
気づいたときには、雷霊雲はそこにいなかった。二人はあたりをキョロキョロと見回した。
”先生ならどこかへ行っちゃいましたよ、のんびりしていってくれ、って言って”
「本当にあの人、何者なんだろうね・・・」
「でもさ、私たちを助けてくれたのは確かだよ」
「・・・アビス軍団から抜け出してきた人間だったりして」
「確かに、あり得るかもしれないね・・・」
「でも、っていうことは、悪い人じゃないんだよね?」
「分からないけど、確か、カレンちゃんと会ったとき、十何年ぶりって言ってたんだよね?」
カレンはうなずいた。
(確かにあの人の顔、というかあの仮面は、見覚えがあるような気がする・・・いつ?すごく・・・昔のこと?)
雷霊雲はすぐに戻ってきた。
「お前たち、もしアビスにあったら、戦うことばかり考えるだろう?カレン、お前は何のためにここまで来たんだ?父親を救うためだろう?違うか?やはり倒すのか?あいつの娘なら、どう出るかは予想がつくが・・・とりあえず、私が言いたいのは、力だけじゃあアビスには勝てないって事だ。逆に、アビスをうまく説得できれば、今のレベルで行っても、生きて帰ってこれる。しかも和解だ。さあどうする?別にここでゆっくりしてもいいんだぞ?私はお前等の分も含めて、飯を買ってこなきゃならんからな」
雷霊雲はまたすぐに部屋を出た。
「すっっっっごい、おしゃべり!あれで医者なの?ああいう人嫌いなんだけど!ねえ可朗、どう思う?」
「まあ、お前には言われたくないかもしれないね。それにしても、あれほどカレンちゃんのことを知っているとは、ますます謎だ・・・カレンちゃん、思い出した?・・・あれ?」
気がついたときには、カレンはいなかった。庭の見える窓から、風が吹き抜けていた。
「地図がない!カレンちゃん、一人で行ったんだ!」
「こうしちゃいられねえ!早く後を追わないと!」
「でも、地図がないんじゃ、場所が分からないよお」
「フッ、任せな。この可朗様が、ちゃあんとあの地図を記憶してあるんだからね」
「えっ、マジで・・・」
「スゴ・・・さすが可朗・・・」
二人は小さく拍手をしていた。可朗は鼻を高くしていた。
「って、こんなことしてる場合じゃねえって!早く追わないと!」
三人は雷霊雲の家を飛び出した。可朗の指示に従って、五棟の森の中を抜けていった。
「・・・・・ホッホホホ、来ましたねえ、やはりカレン様だけで来られては、生け贄となるものがいませんからねえ・・・やはりカレン様は、我々の仲間に・・・そして、残りは・・・何かおもしろいことでも考えておきましょうか。ホッホッホ・・・・・」
森の中で、薬師寺悪堂は独り言を言っていたが、三人とも気づかなかった。
「それにしても、人間だけでなく、木にまで化けられるこの私・・・我ながら、惚れ惚れしますよ・・・ホホ・・・ホホホホホ・・・・・」
こっちは完全な独り言であった。