第二十八話

「面白い」
デーマが一歩歩むたびに、金属のカチャッという音がした。
「デラスト・マスターの孫と現デラスト・マスター、どちらが強いか試してみようじゃないか」
背こそ天希よりは少し低いが、風格があった。片目は顔に巻いた布で隠れ、灰色の髪は後ろで束ねられていた。肘から先は金属で覆われ、足も甲冑のように頑丈な金属の靴を纏っていた。光沢のあるマントは焦げ目一つ付いていなかった。両腕に握られた剣は、互いに全く違うオーラを醸し出していた。
「えっ」
デーマの姿に気を取られていた天希は、話を聞いていなかった。少し考えてから我に返った。
「お前・・・デラスト・マスターなの・・・?」
デーマも言ったばかりの事を質問されて調子が崩れた。
「今そう言ったんだけど」
すると、天希は突然大声を出してはしゃぎ始めた。デーマは思わず構えた。
「すげえー!お前が今のデラスト・マスターだったんだ!全然気付かなかった!おい、俺のじいちゃんもデラスト・マスターだったんだぜ!」
「・・・知ってる。俺が先に言った」
デーマは興奮する天希にすでに呆れていた。
「よーし、そのデラスト・マスターの称号、峠口家に返してもらうぜ!」
天希が構えた。それにならってデーマも戦闘態勢に入った。
「奪い取れるものなら、奪い取ってみろよ!」

カレンはトイレの中でずっと泣いていた。自分の母親がもうこの世にいないという事実を、受け止めきれてはいなかった。
「・・・母さん・・・」
天希とデーマの試合が始まった頃には、涙も枯れかけていたが、カレンはずっとトイレにこもって顔を覆っていた。
「・・・」
彼女の気がやっと落ち着いてきた頃、 突然悲鳴が聞こえた。男の声だった。
「・・・メルさん?」
カレンはそっとトイレのドアを開けて廊下に出た。メルトクロスはすぐそこに倒れ伏せていた。
「メルさん!一体何が・・・」
メルトはカレンに気づくと、彼女に向かって吠えるように言った。
「逃げろ!何でもいいからすぐ逃げるんだ!」
「えっ・・・」
「早く逃げろ!ここから!す・・・」
メルトの顔は青ざめた。 カレンの真後ろに、その男が立っていたのだ。その男は、彼女の両肩に手を乗せた。カレンは背筋が凍った。
「なるほどねえ」
その男はカレンの後頭部に手を移し、彼女の髪の毛を見つめた。
「クロス族の者に加え、バルレン族の者まで手に入るとはね・・・期待してたよりは少ないけど、まあ、大した収獲と言ってもバチは当たらないでしょ」
カレンは素早く飛び退き、その男と間合いをとった。
「あなたは・・・一体・・・」
カレンは戦闘の態勢をとりながら言った。その男は、彼女を見下ろしながら口を開いた。
「おや、これはこれは、誰かと思えば・・・」
男が言い終わる前に、カレンは糸を操り二体の人形を走らせて、男の両脇から攻撃を仕掛けようとした。しかし、それと同じ軌道上を真逆に走る「何か光るもの」の方が、先にカレンの首元まで来て止まった。
「一応、初めてお目にかかるかな、ネロ・カレン・バルレンちゃん。私は君のお父さんの『お友達』だよ」
人形を操る糸は、いつの間にか途中で切れていた。カレンは自分の首元に突きつけられているものが一体何なのかが分からなかった。ただ、下手に動けば危ないという事は分かっていた。その男は歩み寄ってきて、手を差し出した。
「では初めまして。私は飛王天です」
カレンはその手を握った。肉がついていないわけではないが、老人の手のように色が黒ずみ、手の平はガサガサしている。彼女は次にその男の顔を注視した。黒髪からほぼ白髪になりかけており、顔も老け切ってはいないが、肌にはシミが目立った。そして何より、その男は笑っていた。
「え・・・あれ?」
飛王天は突然、膝が抜けたようにその場に崩れた。カレンのデラストによって、人形同様に操られてしまったのだ。カレンは逆の手で人形を操り、再び攻撃しようとした。
「ダメだ・・・そいつは・・・」
倒れていたメルトが呟いた。そう言った矢先、飛王天は突然泣き出した。
「待ってくれえェェッ!」
カレンは驚いて止まってしまった。
「いやだ・・・頼むから、やめてくれ・・・怖いんだ・・・」
飛王天はうつむいてすすり泣きを始めた、突然の事態にカレンは頭が追いついていなかった。しかし、彼のその行動の意味をようやく理解しかけたとき、妙な匂いが鼻をついた。その瞬間、彼女の頭の中にあった考えがすべて飛び散り、真っ白になった。彼女は廊下の床に倒れ伏した。
「ホホホ、飛王天様、さすがの演技力でございました。私も見習わせていただかなければ」
その場に現れたのは薬師寺悪堂だった。飛王天はゆっくりと顔を上げた。その顔は、邪悪な笑みを含んでいた。
「こうやって時間を稼げば良かったのかい」
「パーフェクトでございますよ」
二人は笑い出した。メルトはその隙に悪堂の足を引っ張ったが、攻撃に入る前に眠らされてしまった。
「こいつ・・・しかし、何はともあれ、手に入りましたね」
「うん。まだ探すかい?」
「勿論でございますとも」

天希は手の中で火の玉を作り、デーマに向かって飛ばした。デーマが剣を一振りすると、その火の玉は彼の目の前で2つに裂けて消えた。天希はさらに火の玉を作って飛ばしたが、デーマはすべて振り払い、天希に急接近してきた。
「わっ!?」
デーマは左手に握った剣で突きを放った。天希が横に避けると、デーマは逆の腕に握った剣を振った。天希はこれもかわした。
「危ねっ」
慌てて足を後ろに下げる度に、剣先が鼻の先を通り過ぎた。デーマは突きの構えをしたが、その一瞬の隙に天希は一気に後ろに下がった。デーマはそれを追うように突きを放った。天希は前に走る時と同じぐらいのスピードで逃げようとしたが、速度が上がろうとした所で転んだ。デーマはすかさず軌道を変え、地面に転がった天希の顔面に、剣を握ってできた右拳を振り下ろした。
「ぶ」
天希はすぐにデーマの腕を掴み、そこに高熱を送った。デーマは驚いて拳を引き上げたが、すぐに左の腕に握った剣で天希を切り裂こうとした。天希はデーマの顔めがけて炎を吹き出した。またしてもデーマがひるんだので、その隙を見て天希は足から炎を吹き出し、跳んでその位置から退いた。デーマはしきりに顔をこすっていたが、それを終えて両手の平の隙間から現れた彼の顔は、何一つ変化がなかった。
「こんなものか」
デーマは両手の平を開き、剣を地面に落とした。
「?」
天希にはその意味がよく分からなかった。
「なんだよ、使わなくなったのか、ソレ」
デーマはやや残念そうな顔をすると、天希に背を向けた。
「お、おい待てよ、どこへ行く気・・・」
そう言った瞬間、天希の体に激痛が走った。
「うぐっ・・・!?」
突然の事態に天希は思わず唇を噛み締めたが、ついに耐えられなくなって叫び出した。
「ぐわあああああああっ!!」
理解しがたい状況に、観客達は目を疑った。天希が左肩を押さえて苦しんでいたので、おそらくはデーマの剣が入ったのだろうが、傷らしきものは手の中に完全に隠れていた。天希は立っている事すらままならなくなった様子で、膝から地面について倒れ伏した。デーマは天希に背を向けたまま歩き始めた。
「・・・この程度で・・・」

モニター越しに観戦していた可朗は、一番状況が把握できていなかった。
「な、何が起こったんだ・・・?」
「毒さ」
雷霊雲はあっさりと種明かしをした。
「深く入らなかったのはアイツにとっては心外だったらしいが、あのわずかな傷口からでも結構な強さの毒が入るからな。デーマの剣は」
可朗は言葉が出なかった。
「私が教えたんだ」
雷霊雲は自慢げに言ったが、可朗は反応しなかった。
「強い・・・強すぎるよこんなの・・・」
その可朗の言葉を聞いて、雷霊雲は呆れたように言った。
「何を言っている?試合開始からこれっぽっちも経ってないのに、実力を見極めたような言い方をして。試合はこれからだろ?」
可朗はハッとした顔で雷霊雲の方を見た。雷霊雲はモニターに映るデーマを見ながら言った。
「デーマ。この戦いは、私との勝負だ」

奥華は両手で口を押さえたまま震えていた。
「うそ・・・天希君が、あんな簡単に・・・」
退場しようとするデーマ、叫び声も途絶えた天希。そのどちらに視線を向ける者達も、皆静まり返っていた。
「・・・前の奴らよりは楽しめたが」
デーマはそう呟いた。その瞬間、後ろから歓声が聞こえた。デーマは振り向いたが、それと同時に、腹部に砲弾を撃ち込まれたように、地面と垂直の方向を滑り、壁に激突した。
「な・・・」
天希はすぐにデーマの腹から頭を抜き、後ろに飛び退いてフラフラと着地した。歓声はさらに大きくなった。
「・・・へへ・・・どこ行こうとしてんだよ。まだ終わってないぜ」
これはデーマにも少々応えた様子で、よろめきながら体勢を立て直した。顔を上げると、天希は妙な格好で立っていた。戦闘態勢を作ろうとはしているが、毒による苦しみと頭突きの衝撃をやせ我慢しているのは明らかで、震える全身から汗が吹き出していた。
「お前が毒使うって言うの、雷霊雲先生から聞いてたんだよ」
「・・・」
天希の左腕は既に変色し始めていた。デーマはその腕に視線を落としていたが、まさかその弱った腕が、自分の頬に鉄拳を入れるとは思ってもいなかった。
「ボーッとしてんじゃねえよ!!」
パンチを食らって体勢を崩したデーマに向かって、天希は叫んだ。デーマはその拳の力強さが理解できないでいた。
「じいちゃんの方が100倍強え。お前本当にデラスト・マスターかよ!」
デーマが立ち上がった瞬間、天希は彼の顔の左側に回し蹴りを食らわせた。右側に倒れそうになったデーマの顔面に左手を真っ向から当て、手の平と顔面の間に爆発を起こさせた。デーマは大きく回転し、後頭部を地面にぶつけそうになったが、すこし浮いて一回転し、着地した。地面に足がつく音がすると同時に、二人は飛び退いて間合いを取った。その時、天希はまた鎖につっかかって転んだ。
「くそっ、さっきから何なんだよ、この鎖」
天希はデーマの攻撃がすぐに飛んでくると思って、素早く体勢を立て直したが、デーマは攻撃してこなかった。
「そうだった」
デーマは呟いた。
「俺はデラスト・マスターだ」
デーマはたった今思い出したように言った。その瞬間、地面に落ちていた鎖が突然動き出した。
「デラスト・マスターが、こんな奴に苦戦しちゃいけなかったよな」
天希はデーマの理解しがたい言葉に我慢できず、蹴りを食らわせようと飛びかかった。しかし、デーマの顔の目の前に来た天希の足は、空中で止まった。
「俺は、お前とは違うんだった。危うく忘れる所だった」
天希の足には何本もの鎖がきつく絡まっていた。天希は動く事ができなかった。デーマがその鎖を引くと、さらに足が締め付けられた。天希が声にならない悲鳴をあげたのもつかの間、デーマは鎖を振り回して投げた。天希が天高く放り出された瞬間、鎖はほどけた。しかし、デーマは下から照準を合わせていた。
「俺のデラストは、こうだ」
デーマが何かを投げる仕草をした。その瞬間、太い棘の生えた巨大な円盤2つが、回転しながら天希の方へ飛んでいった。天希は避ける術もなく、その円盤に挟み潰された。天希は悲鳴すら上げず、失速した円盤と共に地面に落下した。観客達はまたしても唖然としていた。地面に打たれた天希は、デーマに向かって力なく呟いた。
「・・・お・・・おい、お前さ・・・」
デーマは口をつぐんでいた。
「毒とか・・・鎖とか・・・使って、さ・・・」
天希の声はさらに小さくなった。
「一体・・・どんなデラストだ・・・よ・・・」
天希は目を閉じた。それと同時に、毒による変色が進んでいった。デーマは口を閉じたまま、両手に力を込めた。すると、左手から紫の光が、右手から白い光が放たれた。観客達はその意味を知り、背筋が凍り付いた。
「あいつ・・・デラスト、2つ持ってやがる・・・」
デーマはその光を十分観客に見せつけた後、何も言わずに退場した。

第二十七話

雷霊雲は試合場への門の前に立っていた。
「・・・来たか」
デーマは相変わらず、フードを被って顔を良く見せなかった。
「行って来い。お前にとってこの大会はそんな難しいものじゃないさ」
二回戦のデーマの様子は、一回戦と全く変わらなかった。会場は霧に覆われ、晴れたときには相手は倒されていた。
「一体、なんんあんだよあれ・・・」
天希が呟いた。
「あれって、もしかして天希君の次の相手?」
奥華が聞いた。
「えっ、マジで?そうなの?」
「え?あ!いや、ゴメン、あたし全然わかんないから、なのになんか変な事言っちゃって」
「・・・まあどっちでもいいや、誰が相手だろうと絶対に負けないからな!」
次の試合の準備が始まった。奥華は辺りを見回してから言った。
「ネロっち、さっきから来ないんだけど、どこ行ったんだろうね・・・」
「確かに、さっきからいねえな」
「うー・・・」
奥華はうつむき気味になったが、すぐにはっとして隣を見た。
「キミキミ!こんな所で何やってるの?次試合だよ!さっきは間違えちゃったけど、次ほんとに試合だから!」
そう言って奥華はいやがる君六を引っ張っていった。
雷霊雲の部屋では、雷霊雲と可朗が話していた。
「お前、運動神経鈍いだろ」
「見た目でわかるでしょう」
「あの2試合だけで疲れ過ぎだ。一応私のデラストでサポートはしてやるが、なるべくここで休め」
「すいません・・・」
モニター画面の中では、君六の試合が始まろうとしていた。
「明智、君六か・・・」
君六は、いつものようにおびえながら姿を現した。
「あのおっかなびっくりな普段の姿からは、想像もつかないような力を持っている」
モニターの中で、君六はまた逃げ回っていた。
「だが・・・」
「・・・だが?」
君六は戦闘モードになり、戦いを巻き返し始めた。
「うちのデーマには及ばない」
噂をしていた所に、当のデーマが現れた。
「・・・聞いてたのか?」
デーマは無言で歩いてきた。可朗は目が合った。
「や、やあ・・・」
デーマは何も言わなかった。すぐに雷霊雲の方に向き直った。
「次は準決勝だな」
「・・・天希と、あたるんですか」
「何ら問題はない。相手が天希だろうと結果は同じだ。デーマが勝つ」
雷霊雲の答えがあまりにあっさりしていたので、可朗は複雑な気持ちになった。
(・・・ちょっと過信し過ぎてたかな。雷霊雲先生を味方だと思い過ぎてた・・・そりゃあ当然デーマの方をとるか・・・)
先の試合でデーマに倒された一人が、ベッドの上でうなった。が、デーマが睨みつけると、すぐに止んだ。
(天希は・・・勝てるのか?こんな技も姿も得体の知れない相手を前にして・・・)
その時、部屋のドアが開いた。入ってきたのは天希だった。
「雷霊雲先生!デーマの倒し方教えてくれ!」
その台詞を聞いて、可朗は思わず叫んだ。
「はあ!?」
雷霊雲も少し動揺していた。
「ちょっと何言ってるんだ天希、お前『相手が誰になったって自分の実力で戦う』って言ってたじゃん」
「えっ?対戦相手の話を始めたのは可朗だろ?」
「まあ、そうだけどさ・・・ちがうちがう、相手側にそれを直接聞いてどうするんだよ!ゲームじゃあるまいし!しかも当の本人がいる前で・・・あれ?」
可朗は部屋の中を見回したが、デーマの姿はなかった。
「当の本人?」
「あ、いや、なんでもない。とにかく、雷霊雲先生に頼むんじゃなくて、普通は自分で相手の戦いの様子を観察して・・・」
「いや」
雷霊雲は少し笑っていた。
「いいだろう。教えられることは教えてやる」
「よっしゃ!」
「えええ!?何でですか?」
「面白いじゃないか。ちょっとアイツを困らせてみてもいい。お前がそうしたいならな」
「ちょっと・・・困らせるって」
「いいか天希、今からいうことを戦うときにやってみろ。対戦中に覚えてればの話だが」
試合の時間になった。デーマはその場にやはりフード姿で現れていた。観客達は不穏な目で彼に注目していた。
「またあいつだ」
「今回も、やっぱりあの変な霧が出て、倒されてってなるのか」
また奥華も、前回に増して天希に対する不安を募らせていた。
「今回の相手・・・天希君、勝てるかな・・・?前は可朗が相手だから良かったけど、今回は・・・」
しかし、やがて観客達の心配は別の所に変わった。天希の姿がいつまでたっても見えないのだ。
「一体どうしたんだ?」
「試合放棄か?」
観客達はざわつき始めた。アナウンスが入り、天希を呼び出し始めたが、それでも姿を現さなかった。
「・・・っ、これでいいのか?」
天希は廊下に一人で立っていた。アナウンスはもちろん彼の耳にも届いたが、天希は壁にへばりついていた。
「いくら作戦っつったって、試合を遅らせるのはねえよ。あーもう、やっぱり自分のやり方で行っちまおうか」
そう言って歩き出そうとした瞬間、妙なものが目に入った。
「・・・ん?兄貴?」
人通りのない廊下の隅を歩く影があった。天希にはメルトクロスが誰かと歩いているように見えたのだ。広い廊下の反対側にいたためによく見えなかったが、妙な歩き方をしているようにも見えた。
「何だ・・・」
様子を見に行こうとしたとき、突然後ろから何者かに肩を叩かれた。
「君、こんな所で何をやっているのかね?次は確か君の試合でしょ」
天希は驚いて振り向いたが、すぐに目に入ったのは服のボタンだった。その顔を確認するには、かなり顔を上げる必要があった。
「あっ、どうも、すいません」
「ハハハ、イタズラはよくないな。試合を見にきてる人や、対戦相手を困らせている。それとも、行きたくないのかい?」
その男は笑いながら、天希に言った。
「い、いえ、俺そんなんじゃなくて、スミマセーン」
天希は走ってフィールドの入り口の方へ向かっていった。その男は天希の姿が見えなくなったのを確認すると、向こうにいる薬師寺悪堂に合図を出した。
「ハハハ・・・なるほどね、彼の知り合いだったわけか、メルトクロス君は」
天希はいそいでフィールドに姿を現した。観客席からは多少のブーイングが飛んだが、何よりまずデーマの方に向いた。
「ゴメンゴメン、寝てて試合のことすっかり忘れちゃってたんだ」
デーマは無言だった。
「でも、来たぜ!さあ勝負!」
試合開始の合図があった。デーマはすぐに霧を吹き出し始め、後ろに下がり出した。しかし、彼はすぐにそれをやめた。かかってくると思った天希が、動かなかったからだ。
「お前から先に攻撃していいよ」
観客達もあっけにとられた。デーマは考えている様子だった。
「ほら、どうしたんだよ、攻撃して来いよ」
すると、デーマは今までよりいっそう強烈な勢いで霧を吹き出し始めた。辺り一帯はすぐに霧で埋め尽くされた。
「そうか、確かに天希なら、霧の中でも相手の位置は分かりますね」
床の上に置かれた天希の靴を見下ろしながら、可朗は言った。
「あいつ、聞き終わったと思ったら飛び出していったんだよな・・・本当に大丈夫かな?」
「何がだ?」
雷霊雲が訊ねた。
「えっ?いや何がって・・・勝てるかどうかっていう」
「そりゃあ勝てる分けないだろ」
雷霊雲はまたしてもあっさりと言い切った。
「あいつはそんなに外で戦う機会がなかったからな。自分の戦い方の弱点を知ってる人間を相手にまわしたら、どうするか」
「それじゃ・・・まるで天希が実験台みたいな・・・」
「うん?そうだとも。本当なら一番いい方法は天希が戦いを放棄することだった。私もデーマも残念がらせることが出来るっていう意味ではアイツの勝ちになりうる。でも、アイツはそんなひねくれたことは考えなかったし、勝てない相手と戦うことを選んだ。自然とそうなるよ」
「そ、そうですね・・・」
観客からは完全に姿が見えなくなった天希とデーマ。また、二人ともお互いの姿を目で確かめるのは不可能だった。天希は状況に少し動揺していた。
「・・・この霧か・・・」
天希は手をかざしてみた。炎が出ない。
「デラストの力を抑える毒の霧だって・・・?」
その時、天希は足の裏から違和感を感じた。何かがこちらに向かってくるのが分かった。
「来た!」
デーマは突進してきたが、天希はその方向を読んでかわした。
「よっし、足下はちゃんと機能してるな」
天希は足の指を動かしながら言った。デーマは再び突進してきたが、天希はまたかわした。デーマは今度はゆっくり接近してきたが、天希は後ろに下がって、お互いの姿が全く見えない状態のままを保っていた。
「雷霊雲先生のいう通り、不思議がってんのかな、俺が攻撃かわしてること」
デーマの走る速度が上がった。それに合わせて天希もスピードを上げた。
「でも、なんか変なんだよな。可朗のときはちゃんと人間っぽい温度だから場所分かったけど、あいつの足冷たすぎるぜ」
デーマの動く速度が急に速くなった。天希はすぐに走り出したが、デーマとは加速に差があった。
「マジかよ、俺より足速えじゃん・・・!」
天希の目の前を拳が通り過ぎた。間一髪でかわしたその腕は、肌色でもなければ、服の色にあるようなものとも違った。
「何だ今の・・・!?」
デーマはさらに至近距離攻撃をしようとしたが、天希は俊足で逃げ出した。デーマは追ってくるが、実際の速さは天希の足ほどではなかった。
「なんだ、加速だけかよ、ホッとした」
天希はひたすら逃げ回っていた。そのうち、次第に霧が薄くなってきた。太陽の光が差し込んできた。
「よし、雷霊雲先生の言った通りだ」
そう思った瞬間、彼は何かにつまづいて転んだ。早く走っていたために放り出されたが、すぐに立ち上がった。
「何だ今の、鎖・・・?」
そうこうしているうちに、デーマは近づいてきていた。霧が薄くなり、デーマの姿が見えた。
「食らえええっ!」
天希はデーマの来る方向に手をかざした。最初は何も起こらなかったが、彼がそのまま力を込めると、炎はせき止めていた水が流れ出すように一気に吹き出した。デーマはすぐに気づいたが、避ける余裕はなく、火炎放射に直撃した。フードに火が引火し、火だるまになったデーマの突進を天希は避けた。
「霧が晴れた!」
「あいつ、まだ立ってるぞ!」
「っていうか、なんかデーマの方が押されてないか!?」
観客がどよめいた。
「ほ・・・ほんとに無事だった・・・」
モニターからも霧のせいで様子が見えていなかったが、それが晴れて可朗は思わず呟いた。
「まあ、私が教えたからな」
火だるまになっているデーマの姿を、雷霊雲は特に何という様子もなく見ていた。
「あーあ、フードが燃えてしまった。これでは姿が見えてしまうな」
雷霊雲はわざとらしく言った。それを聞いた可朗はさらにモニターに見入った。
「見れる・・・デーマの姿が?いや、それどころじゃないくらい燃え盛ってるんですけど・・・」
「まあ見てろ」

デーマはフードをつかんだり、炎を振り払う仕草をしてもがいていたが、天希はその上から拳を振り下ろし、デーマの頭にぶつけた。デーマは一瞬ひるんで止まったが、すぐに後ろに飛んで間合いをとった。
「へっ、どうだ」

さらに天希は攻撃に向かっていったが、再び鎖に引っかかって転んだ。その瞬間、デーマの蹴りを頬に食らって飛ばされた。
「って・・・」
天希は着地して立ち上がった。デーマは燃え盛る火の中からこちらを見て立っていた。辺りは緊張の雰囲気に包まれていた。天希は、デーマがいつの間にか両腕に何かを握っていることに気がついた。
「峠口」
天希は初めてデーマの声を聞いた。
「峠口。どこかで聞いた名だと思えば・・・昔のデラスト・マスターの孫か」
デーマは突然、その場で回転した。それと同時に、彼を包んでいた炎の布が一瞬にして振り払われ、その姿をついに現した。
「面白い、実力を見せようじゃないか、デラスト・マスターとして」

「あ・・・あれは本当に、人間なのか・・・?」
可朗が思わず呟いた。雷霊雲はそれに答えた。
「ああ、もちろん人間だ。名前だって私がつけたんだ。『デラスト・マスター』だから『デーマ』。センスあるだろ?」

第二十六話

「・・・違う!」
カレンは叫んだ。
「・・・今話してくださった事が事実なら・・・事実、なら・・・」
カレンは拳を握りしめた。雷霊雲はうつむいていた。
「事実なんだよ。これはお話なんかじゃない。残念だが、お話じゃないんだ・・・」
その声は普段の傍若無人な態度とは違っていた。
「これで分かったろう。私は彼女の代わりに、お前達兄妹を守ってやらなければならない。もっとも、お前達が私を恨まないはずが・・・」
「違います」
雷霊雲は顔をゆっくり上げた。
「違う・・・?」
「先生は母さんを殺してなんかいません」
カレンは雷霊雲の顔をまっすぐ見ていた。
「先生の話してくださった事が、もしすべて事実なら、とてつもなく辛い事です。でも、先生は母さんを殺してなんかいません。むしろ母さんの目を覚ましてくださった」
その言葉に対して、雷霊雲はどうにも返しようが無かった。彼はいままでにないくらい困惑していた。
「これからは母さんが、ちゃんと私たち兄妹を安心して見守ってくれるんですね」
雷霊雲は顔を覆いたくなった。
「本当に・・・すまない」
一方試合では、可朗が攻め続けていた。天希は攻撃を食らいつつかわしつつ、飛び回っていた。
(そうだ、僕が相手だぞ天希、驚いたか!驚いて攻撃できないか!)
可朗は天希の方に向かって種を投げた。天希は直接種に当たる事はなかったが、その種から芽が伸びていき、それに捕らわれまいと跳ねたところで、可朗のパンチを食らった。天希は無言で歯を噛み締めた。そのまま蔓の伸びている方へ転がった。可朗はその蔓を操って攻撃しようとしたが、先に天希が立ち上がった。
「マジかい・・・」
天希はニヤリと笑いながら言った。そして、右手を真横に伸ばすと、その手から炎が吹き出し、可朗の操る蔓の上を生き物のように這い回って焼き尽くした。
「いいぜ可朗、お互い手加減無しで行こうぜ!」
それを聞いて、可朗はため息をつきながら呟いた。
「相変わらず、バカだな天希は」
可朗はできるだけ距離を置いて戦いたかったが、天希の行動はその願望には応える由もなかった。彼は構えるや否や、一気に可朗との距離を詰めてきた。攻撃に行った天希の左手の五本の指からは、花火のように勢い良く炎が吹き出していた。天希はまるで、長い爪で引っ掻くように腕を振り下ろして可朗に攻撃した。
「どうだ、これが・・・ん?」
火花から出る煙の間から彼の目の前に現れたのは、可朗の姿ではなく、重たく地面に直立する丸太だった。天希はとっさに逆の手から同じように炎を噴射させ、今度は丸太の真ん中を突いた。同時に丸太の内部に高熱を送り、なんとか障害物をどけたが、そこにも可朗の姿はなかった。天希が、自分の相手が丸太ではなく可朗である事を思い出すまでの時間は、可朗が攻撃の準備をするには十分すぎる長さだった。
「・・・地中!?」
天希はやっと、足下に穴を掘った後がある事に気づいた。彼はすかさず左手の平を地面につけて熱を送った。すると、さっきの丸太よりも太い植物の蔓が、熱の広がりが届かない位置から、天希を囲むように次々と地面から伸びてきた。その陣形のせいで、天希は自分の真下に可朗が居ると思い込んでしまっていた。天希は地面を熱し続けたが、蔓は全くひるむ事なく天希に襲いかかった。
「うわ!」
天希は蔓に持ち上げられた。彼はすぐに炎を出して蔓を燃やしたが、蔓に火がついたのは、彼が地面に投げ飛ばされたすぐ後だった。彼は地面に叩き付けられた。
「ぐうっ!」
地面との衝突を背中で受けた天希は、反動を利用してすぐに立ち上がったが、ダメージのせいですぐに動き出す事ができなかった。かろうじて次に襲いかかってきた蔓は避け、火をつけた。次に頭上から襲いかかってきた蔓に向かっても炎を吹き出したが、その蔓の影から可朗が落ちてきたのは予想外だった。
「天希!」
あっけにとられた天希の顔に、可朗の頭突きがクリーンヒットした。天希は目をつぶり、バランスを崩した。一方可朗は着地に失敗し、さらに天希が熱した地面に手や膝をついてしまった。
「熱っ熱っ!!」
可朗は立ち上がり、両手で顔を押さえた。うつむくと地面からの熱が顔に向かってのぼってくる。汗を拭いたかったが、指の間から天希の突進してくるのが見えると、そうもいかなかった。
「つっ!」
目の前がチカチカしているのか、突進してくる天希は顔をしかめていて、突進もまっすぐではなかった。それでも運動神経の鈍い可朗に当てるには十分な速度のはずだった。天希が拳を握り、可朗の真横にパンチを当てようとしたその瞬間、天希は進行方向から真横に弾き飛ばされた。
「!?」
天希を弾いたその蔓は、今度は可朗をつかんで反対の方向に運び、天希との距離を作った。
「・・・アハハ。才能、見つけちゃったかも」
可朗は頭を掻きながらそう呟いた。

カレンが部屋から出て行った後、雷霊雲は、モニターに映る天希と可朗の姿を見ながらぶつぶつ呟いていた。
「・・・デラストの3分類、エネルギー系、生物系、物質系・・・」
その隣のベッドで起きていた患者がそれに気づいて、雷霊雲の横顔を見つめていた。
「天希の炎はエネルギー、可朗は生物か。とすれば天希の方が有利か?いや・・・」
「あの・・・」
その患者が雷霊雲に話しかけた。
「なんですか、そのエネルギーとかって」
「・・・ああ、デラストのもつ固有能力はだいたい3つのタイプに分けられるんだ。主にエネルギーを操作するエネルギー系、自分の体を変形させたりなど、生物的な部分を操るのが生物系、主に物質を生成したり操ったりするのが物質系だ」
雷霊雲は振り向きもせずに、モニターを見つめていた。
「エネルギー系は、その操るエネルギーの種類にもよるが、基本的には生物系に強いんだ。より影響を与えやすいから。だから、その相性で見ればこの戦い、天希が有利だが・・・」

地面はだんだん冷めていった。天希は強力な打撃をモロに食らったせいで怯んでしまい、今やっと立ち上がったところだった。
「そうだ、デラストを操るのは、必ずしも手や足を使うんじゃない」
可朗は独り言を呟いていた。
「昔からそうだった、宗仁に殴られている間でも頭はフル回転してた。ピンチな時ほど無駄に頭がよく働いてた」
可朗は蔓の上から地面に下りた。
「デラストは頭で命令するだけで力が働いてくれる。いじめられてる時には動いてくれなかった手足とは大違いだよ」
天希と可朗は互いにゆっくりと歩み寄ってきた。可朗の欲しかった間合いは十分に開いていた。二人は立ち止まった。
「・・・すげえな可朗、さすが天才だな。あんなふうに来るとは思ってなかった」
いままでは運動能力で負けていた可朗は、天希を押しているという事実があって少し気が浮ついていた。天希にほめられるとなおさらだった。
「いやあ、あの程度なら誰でも思いつくってば」
「だから、俺もちょっと考えたぜ」
そう言って天希は息を大きく吸い、また突進してきた。しかし、相手の姿がちゃんと見えるぐらいの間合いが、可朗には今度はちゃんと取れていた。可朗は蔓の一本を操って天希の方に向かわせた。その蔓は天希めがけて攻撃したが、天希は簡単に避けた。それが可朗の狙いだった。
「ああ、楽だ・・・!蔓達がスムーズに動いてくれる。もう隙は作らせない!」
第二、第三の蔓が攻撃を仕掛けにいった。見事に天希は弾き飛ばされた。しかし、天希は受け身をとってすぐに立ち上がると、両手を可朗の方に向けた。両手の隙間から炎が吹き出し、可朗の方にまっすぐ伸びていった。
「うわっ・・・!」
蔓がすぐ壁を作り、可朗は直撃を防いだ。
「まだ!」
しかし天希が腕を少しひねると、炎は軌道を変えて壁をかわし、可朗の方へ回り込んできた。
「何!?」
焦っている可朗のところへ天希は叫びながら走ってきて、頬に蹴りを食らわせた。
「んぶっ!」
可朗は倒れながらも蔓を操り、天希に攻撃を仕掛けた。蔓は上方から天希の腕を掴み、そのまま地面に叩き付けた。もう一度天希の体が持ち上がった時、天希は蔓の表面に手を当てた。すると、地面に向かって叩き付けられる直前、蔓の内部から発火し、先端が燃え落ちてしまった。天希は着地して蔓から抜け出した。
(天希の蹴り・・・素足だった・・・なぜ?)
次の蔓が攻撃してきたが、天希は真っ向から蹴りで対抗した。威力では天希が劣勢で地面に転がったが、蔓の方には火がついて焼け出していた。地面から出ている蔓はすべて動かなくなった。天希が手を上に掲げると、蔓の上で燃えていた炎はすべて、天希の手の中に吸い込まれた。
「へへっ、どうだ可・・・あれ?」
可朗はまた地中に潜っていた。彼は地下に種を埋めつつ移動していた。
(間違いない・・・このままいけば勝てる・・・!僕の戦略が勝つ!天希には悪いが、この勝負、この三井可朗だけには、勝てない、勝たせないね・・・!)
可朗は地面から勢い良く飛び出した。しかしその瞬間、頬を天希に掴まれた。
「!?」
「よう可朗!やっと出てきたか」
可朗はとっさに、植えた種から蔓を出させて操ろうとした。しかし、蔓が地面から出る直前、目の前の光景を見てある事に気づいた。自分が種を植えた真上の位置に、小さな炎の玉が置いてあるのだ。蔓が出た瞬間、それらは勢い良く燃え盛り、すぐに力を失ってしまった。
「なぜ・・・位置が分かったんだ・・・?」
待ってましたと言わんばかりの満面の笑みを浮かべて、天希はしゃべり出した。
「地面のどこに何があるか、熱で何となく分かっちゃうんだぜ」
可朗はショックを受けた。いままでの天希のような行き当たりばったりの行動からは思いもよらない戦略だった。
(そうか・・・だから足の裏を直接地面につけるために靴を脱いでいたのか・・・)
可朗は腕を蔓に変化させて、目の前でしゃべっている天希を突き飛ばした。二人とも同時に地面に立った。
「ふーん、なかなか考えたじゃないか天希。でもその程度、僕の洗練された攻げ・・・」
目の前の天希が突然視界から消えた。それとほぼ同時に腹部にものすごい衝撃を受け、それで気を失いかけた。間もなくその勢いで壁に背中をぶつけ、意識を失った。
「な・・・」
観客は静まり返ってしまった。天希は可朗の腹に突っ込んでいた頭を抜き、ふらふらと立ち上がった。
「み、見たか可朗、これが俺の、新しく考えた、技、だぜ・・・」

「すごい、すごーい!見た見た!?先生今の見てた!?」
奥華は雷霊雲のいる部屋に駆け込んできた。
「先生、天希君すごかったよ!」
「あ、ああ・・・」
雷霊雲は乗り気ではなかった。まもなく可朗が運ばれてきた。
「可朗、大丈夫か?」
可朗は気絶したまま返事をしなかった。
「えっ?ちょっと可朗、ねえ可朗!大丈夫!?」
「気を失っているだけだ」
「なんだ、よかった~・・・」
すると、再びドアが開き、天希と君六が入ってきた。
「おう、天希。お疲れだったな」
「ここだったんすか。めっちゃ探しちゃった」
奥華は天希から少し距離を置いた。
「あっ、あの、天希君・・・」
「あ、奥華もここにいたんだ」
「うん。じゃなくて、最後、すごかったね・・・!」
「へへっ、だろ~。でも慣れないとダメだなありゃ。まだ頭グラグラするから」
その天希の声を聞いて、可朗が目を覚ました。
「天・・・希・・・」
「おっ。可朗、目を覚ましたのか」
「可朗、悪かったな。ごめん」
「・・・あれは、何だったんだ?天希、最後僕に何をした?」
その質問には雷霊雲が先に答えた。
「靴を脱いだ足から炎を噴射して、ジェット機の要領で突進したんだな。画面越しに見てもものすごい威力だった」
「俺の方にもすごい衝撃来て、首折れるかと思ったぜ」
「・・・そうか、そんなのだったのか」
「しかもあれ、突進の途中でデラスト・エナジー切れちゃったんだよな。勢いだけで飛んでた」
「えっ、それであのすごさだったの・・・?」
「そりゃあ恐ろしい。フルパワーで食らってたら、僕の体どうなってただろうね」
可朗は笑った。つられて周りも笑った。
「あれ・・・?そう言えば次の試合って・・・」
奥華は君六の顔を見た。
「キミキミ、こんなところで何してるの?次試合だよ!」
「ええっ!?」
君六は今更のように驚いた。そしてわめき出した。
「やだ、怖い、行きたくない!」
「何言ってるの?早く行かないとダメだよ!ほら!」
二人は部屋を出て行った。
「・・・まあ、君六の試合は次の次なんだけどな」
雷霊雲は呟いた。

第二十五話

「あ、そういえば天希、メルさんはどこへ行ったんだい?」
可朗が訊ねた。
「えっ兄貴?さあ?」
「兄と認めるの早いな・・・」
「なんで?」
「いや、いないなあと思って・・・」
その時、奥華が叫んだ。
「あっ!」
「ど、どうした?」
「ほら見て!キミキミが出て来たよ!」
「な、なんだよ・・・それにしてもあのチビデブ、あんな臆病者で本当に勝てるのかい?」
「見てれば分かるわよ」

君六は恐る恐る出て来た。観客達は彼の事を気の毒そうな目で見ていた。対戦相手が出てくると、彼は後ずさりした。相手はさらに前に出て来た。
「こいつが私の対戦相手、明智・・・君六でしたか。随分と弱気な相手ですね」
「ヒィ・・・」
君六は震えていた。試合開始の合図があると、彼はそれにも過剰に驚いた。
「うう・・・」
相手は踊りながら君六の方へ向かって行った。君六は悲鳴を上げると、背を向けて逃げ出した。観客達の間に笑いが起こった。
「ハハハ、何だアイツ」
「戦いに来たんじゃないのかよ!」
君六は青い顔をして逃げ回っていた。後ろを振り向いて相手を見ながら逃げると、今度は壁にぶつかった。
「ヒイッ!!」
君六は縮こまって震えだした。
「ダメですね、君はこんな場所に来る資格は持ち合わせてないようです・・・」
相手は勢いをつけ、君六に向かって攻撃した。その時、彼には君六の震えがピタッと止んだのが見えた。
「!?」
君六の体の周りに激しい稲妻が走り、それと同時に彼は振り向き、相手を殴り飛ばした。
「ぐああ!」
さっきまでの君六とは様子が違った。髪の毛は静電気が走ったように逆立ち、弱気だった表情は闘争心溢れるいかつい顔に変化していた。
「ムフフ、ムグフフフフ!馬鹿め、俺様を誰だと思ってかかってきてるんだ?連戦無敗伝説を持つ、この明智君六様に勝てると思うてか!」
電撃とパンチをまともに食らった相手は動けなくなっていたが、君六はそこにさらに攻撃を仕掛けていった。
「えっ!?何事!?」
「たたっ潰す!__」
「__ほらね」
奥華がつぶやいた。
「キミキミって、戦いになると性格変わるんだ」

可朗は与えられた控え室にいた。奥華と君六もいた。
「そういえば聞いた事あるような気がする。明智君六・・・どこで聞いたかは忘れたけど、一度も負けた事がないって・・・」
「?」
「ダメダメ可朗。この子、戦ってた時の事、なにも覚えてないんだから」
「・・・まあいいや。それより、問題は次の試合だな。一体どうやって戦おうか・・・」
「何そんなに悩んでるのよ?ていうか次の相手誰なの?」
「えっ?」
「え?」
「・・・まあいいや。試合まで十分時間はあるみたいだし、ちょっと技でも考えてくるか」
可朗は立ち上がって部屋を出て行った。その足取りは妙にギクシャクしていた。
「・・・?」

「全く、いきなりだったな。まさか試合観戦中に倒れるとは思ってなかったぞ」
雷霊雲は椅子に座りながら言った。
「すいません・・・」
カレンが答えた。
「いや、私も少々気を抜いてしまっていたな。まだアビスとの戦いでのダメージが癒えてないことを忘れてしまっていたようだ。すまなかった」
「私は大丈夫ですから、あの、試合で負けた方達を優先させてあげてください・・・」
「ああ、そうだな、すまん」
雷霊雲は作業に戻ったが、また口を開いた。
「・・・お前達兄妹を、私は守らねばならないことになっている。ある人からの頼みでな・・・」
カレンは少し口を開いたが、返す言葉がすぐには出なかった。周りが静かになった。彼女は息をのんで、小さく言葉を発した。
「・・・母さん、ですか・・・?」
「・・・アルマ・バルレン。享年33歳。その遺言だ」
「え・・・」
カレンは言葉を失った。再び沈黙が襲いかかった。あたりは凍り付いたように静かになった。
「そして死因、その最期だが・・・」
雷霊雲はカレンの方を振り向いた。
「もしここで、私が彼女を殺したと言ったら、君はどうするね?」
カレンの視界が揺らいだ。沈黙が矢となって心臓に刺さったような感覚がしたが、彼女は震える体からわずかな声を洩らした。
「せ、先生は一体、何を言おうとして・・・?」
雷霊雲は何も言わずに、ごくゆっくりと、うなずくように首をおろした。
「聞きたいかね、君の母のことを」

天希は廊下を歩いていた。
「・・・本当にどこいったんだろな、あいつら・・・」
そのとき、可朗に出くわした。
「おっ、可朗!どこ行ってたんだよ!」
「えっ?どこって、控え室だよ」
「控え室?そんなのあるのか!」
「もらっただろ、案内の紙をさ」
「あー、俺それ捨てちゃったかも・・・」
可朗はあきれた顔をした。
「ってことは、次の対戦相手も分からないのかい?」
「別にいいじゃん。相手が誰になったって俺は自分の実力で戦うし、別に対戦表なんて見たって相手がどんな奴か分からないだろ」
「そりゃそうだけど・・・」
可朗は何を言っていいのか分からないような顔をしたが、天希は気づかなかった。
「可朗は頭いいもんな。今までの対戦見てて、選手の技とか全部頭に入ってたりして」
「そんなことないさ」
「ところでさあ可朗、兄貴見つかったか?」
「え?あ、いや・・・まだ」
「ったくどこ行ったんだろうなあ。つーか、何で探してんの?雷霊雲先生に聞けばいいんじゃね?」
「その雷霊雲先生から探せって言われてるんだよ」
「マジか~、もしかしたら帰ったんじゃね?」
「そうかもね・・・」
天希は可朗の顔をのぞいた。
「・・・どうした可朗、元気ねえぞ」
そう言われると、可朗はハッと顔を上げた。
「いや、さっきの戦いで疲れちゃってさ・・・」
「あれでかよ、可朗らしいぜ。俺は二回戦の試合がすぐ次だから、疲れてる暇なんてないんだよな。控え室で休んでれば?」
可朗は目を見開いたが、すぐに落ち着かせた。
「あ、ああ。そうさせてもらうよ・・・」
天希は笑った。
「俺はちょっと外に行って技練習してくるよ。すげーいい技思いついちゃってさ」
「そ、そう」
可朗は「どんな技?」と聞きそうになったが、口をつぐんだ。
「じゃ。よく休めよ。可朗だって試合あるんだろ」
天希はそう言って廊下を走って行った。可朗は天希の消えた方向を見ながら言った。
「・・・天希らしいな」

関係者以外立ち入り禁止の看板。それは闘技場の廊下の、目立たない場所に立っていた。そしてその先の、薄暗い部屋の中には三人の人影があった。
「・・・ぐあっ!」
メルトクロスは膝を床についた。
「ホホホホ、だから言ったでしょう。アビス軍団が崩壊した以上、我々にはこれ以上関わらない方がいいと・・・」
「バカな・・・」
変装をといた薬師寺悪堂と、もう一人の背の高い男は、メルトクロスを見下ろしていた。
「ふざけるな・・・これ以上、僕達の仲間を殺すんじゃない・・・!」
「だって、仕方ないでしょう?ヴェノムドリンクをこれ以上醸造できなくなると我々が不利になるのですよ。そのくらい、アビス軍団の幹部だったあなたなら分かるでしょう?」
悪堂はメルトの頬を蹴った。
「そのアビス軍団が解散したところで、何が仲間だ!あなたが今、仲間と呼んでいる輩を裏切って入ったのがあの組織だったのでしょう!?うわごともいい加減にしろ」
その瞬間、メルトは大きく飛び上がり、鬼の姿に豹変した。
「ひっ」
今度は悪堂が顔を殴られて倒れた。メルトは背の高い男の方を見た。あまり背が高いと顔がよく見えなくなるほど部屋は暗かったが、メルトは知っていた。その男がどんな顔なのか、そして今、どんな表情をしているのかを。
「メル君」
その男はゆっくりと歩み寄った。メルトはその長い爪で攻撃しようとしたが、その攻撃ラインの間に突然壁が現れ、跳ね返された。
「もう一度、質問してみよう。君は今、一体誰と戦っているのかね?今度こそ答えてほしいな」
「・・・飛王天(フェイワンティエン)・・・『ヒドゥン・ドラゴーナ』参謀、飛王天・・・」
「そのとおりだよ、正解」
その男は、笑っていた。
「えーっと、じゃあもう一つ質問が・・・」
メルトは再び爪で攻撃した。しかし、その爪は飛王天の腕につかまれた。
「ぐっ」
「我々の支部の、しかも『元』幹部にすぎない君が、なぜ親組織の、しかもその幹部である私に、矛を向けるのかな」

試合の時間が来た。天希はフィールドに入ってきた。
「よぉーしっ、次の相手が誰だろうと、絶対勝ち進んでやるぜ!」
その様子を観客席から見ていた奥華は青い顔をした。
「えっ・・・天希君、次の相手知らないの・・・?私もついさっき知ったけど」
しかし、奥華の言葉に反応してくれる人間はいなかった。いるのは常にオドオドしている君六くらいだった。
「・・・どっち応援すればいいんだろう」
当の天希は緊張などそっちのけで、自分の場所から見える光景を見回していた。反対側から入ってくる人間の姿には、すぐに気がついた。
「あれぇ?」
その二人はフィールドの真ん中に歩み寄ってきた。そして立ち止まった。
「天希・・・」
「どうしたんだよ可朗、控え室で休んでるんじゃなかったのかよ。あっ、もしかして、今回の対戦相手の事とか教えにきたの?」
可朗は細い目をしたまま黙っていた。観客達は不自然がっていた。
「あいつら、知り合いか?」
天希は、可朗がここに立っている意味に気づかないまま話を進めていた。
「それとも試合前のアドバイス?あっ、試合始まっちゃうぜ可朗。早くいなくならないと、対戦相手からまた文句言われるかもしれねえし」
それでもなお、可朗は黙っていた。
「・・・可朗?どうしたんだ?」
その時突然、試合開始のゴングの音が鳴った。天希は驚いて音のした方を見た。その瞬間、可朗はよそ見をしている天希に攻撃し、突き飛ばした。
「なっ!?」
天希は受け身をとって立ち上がった。しかし、状況は飲み込めていなかった。
「ん?えっ?」
可朗は両腕を植物に変化させながら、近づいてきた。
「天希、君は相手が誰だろうと、自分の実力で戦うって言ったよね。ならば僕も手加減はしない」
「マジかい・・・」

第二十四話

カレンと奥華は観客席に座って、試合が始まるのを待っていた。
「ネロっち、ケガだいじょーぶ?」
「ええ、もうだいぶ楽になってきました」
「そっか、よかったね~、はあ~・・・」奥華はため息をついて、背中を背もたれにつけた。「・・・この大会が終わったら、めのめ町に帰ろうかな・・・あ、そうだ、ネロっちもめのめ町に来ればいいじゃん!何もないけど、すごく楽しいところだよ、ね?ネロっちも来た方がいいよ、絶対に!」
「・・・ありがとうございます、きっと父さんの用事もまだかかりそうですし、是非行ってみたいです」
「だが」
気がつくと、隣には雷霊雲が座っていた。
「天希はここで旅を終わらせるつもりなど無いだろうな」
「えっ・・・?」
「あいつ自身は全く理由など考えていない。だが意味は無限大にある。そのうちの一つに、お前達が強くなれると言うところがある。それにカレン、お前は残りの家族を探さなければな」
「・・・でも、父さんがどう言うか・・・」
「ダメだと」雷霊雲は強く言った後、一息ついた。「・・・あいつが言うと思うか?」
二人の顔に光が射した。
「お前のことを愛撫しているのは見ていて分かるが、いざとなれば言うことも聞いてくれるだろう。そもそもあいつは、そうなることを望んでいるんじゃないか?お前がこのまま旅を続けることを、だ。あいつはすでに、お前が逞しく育ってくれたことを誇っているはずだからな。見ていてそう思う。で、奥華、お前はどうなんだ?」
「あ、あたしは・・・」
奥華が答えようとしたとき、歓声が鳴り響いた。

天希はフィールドに顔を出した。周りを見渡すと、観客でいっぱいだった。
「・・・これだ!じいちゃんがデラスト・マスターとして立った位置!」
フィールドの反対側から、すでに相手は顔を出しているのに、天希はそれに気づかないほど興奮していた。
「・・・おい!せっかく相手になってやろうってのに、無視か?」
「へ?なんか言ったっけ?」
「・・・どうやら、言葉だけじゃ伝わらねえようだな。この試合で、俺の方が強いってことを、証明してやる!」
「・・・ってあれ、お前どこかで見たような・・・」
「見たときに気づけよ!俺は岩屋唯次だ!天希ィ、お前、メルさんの弟らしいな。メルさんは尊敬できる人だ。だがお前は気にくわねえ!早々に決着をつけてやろうじゃねえの?」
「へへんだ、俺はこの場所に憧れて育ってきたんだ、せっかくここまできたのに、そう簡単に負けてたまるか!」
試合開始の合図は、ゴングの音だった。小さいとき、琉治が記念品としてもらい、大網が持っていったものを、船の上で何度も鳴らして遊んでいた天希にとっては、懐かしく、また聞き慣れた音であった。
「先手必勝!『斬撃」のデラストの真の力を見せてやるぜ!」
唯次は地面を蹴って飛び上がった。そして、空中から攻撃を仕掛けた。
「何だ!?」
天希には、唯次が何かを投げつけたように見えた。彼は素早くかわしたが、それは地面に当たると同時に消えてしまった。土でできた地面が、刃物を引きずったようにえぐり取られている。
「コイツに当たれば、一溜まりもないぜ!あっと言う間に体がバラバラになっちまうぞ!」
唯次は離れた場所に着地した。再び同じ攻撃をしようとしたがしかし、飛び上がろうとしたときに、天希がこちらへ向かってくるのに気がついたのだ。
「何っ!?」
天希は唯次の目の前までくると、彼は火の玉を投げつけた。唯次は高くジャンプしてかわしたが、火の玉は彼の後を付いてきた。
「熱っ!」
唯次がひるんだところに、天希はさらに攻撃を仕掛けた。唯次は火だるまになりながら蹴り飛ばされた。
「畜生、ふざけるな!」
唯次は炎を振り払おうとするが、その前に天希がまたキックを喰らわせた。唯次は苦し紛れの攻撃で天希の左肩に小さい傷を入れたが、天希の方は全くひるまなかった。3発、4発、5発と蹴りを喰らっていくうちに、唯次は勝てる自信を失っていった。最終的には、彼は地面に倒れて動くのをやめた。
「無理だ・・・降参」
試合終了の合図が聞こえた。同時に歓声も響いた。

天希は自分の控え室の方へ行った。奥華とカレンと雷霊雲の3人はすでに部屋の前に来ていた。
「よお、天希、一回戦は楽勝だったな」
「そんなことないですよ」天希はそう言って、部屋には入らずに観客席に上がっていった。
「ん?ああそっか、次って可朗の試合だ」奥華が言った。
「そういえば、あの子はどこへ行った?ほら、あの少し太った・・・」
「キミキミならトイレだよ」
「そうか、それならいいんだ」そういうと、雷霊雲もまた上っていった。

可朗は観客に向かって手を振りながら、フィールドに出てきた。
「どうも、どうも!」
可朗は今まで経験したことがないくらい目立っていると思っており、気持ちが舞い上がっていた。その姿に、最初にヤジを飛ばしたのは観客ではなく対戦相手だった。
「フッ、君が対戦相手かい」
「随分とおしゃべりなやつだ」
「そうかい、そりゃどうも。しかし君も運がいいね。この三井可朗様の華麗なる攻撃でこの場に散ろうとは」
相手は相当腹を立てていた。試合開始前から飛び込んできそうだった。
「試合開始!」
その合図に可朗は気づかず、まだしゃべっていた。
「まあほら、僕も観衆を楽しませたいから、一撃で君を倒す事がないようにはぎゃふっ!」
可朗の顔に蹴りが入った。
「おいおいどうした、華麗な攻撃で俺を倒してくれるんじゃなかったのかよ!?」
蹴りの連続攻撃だったが、その攻撃スピードは速く、可朗は抜け出す余地がなかった。

「あーあ、バカしてるから・・・」
奥華が呆れながら言った。
「あの速さは、どうやら基本能力ではないらしいな」
雷霊雲が言った。
「え?」
「今可朗が戦っている相手は、恐らく『速さ』に関係した能力を持つデラストなのだろう。そして、恐らくあれより速いスピードも出るだろう」
「えっ、それって勝ち目あるの?だって、あっちからの攻撃はよけられないし、こっちからの攻撃も当てられないってことでしょ」
「さて、どうなるかな」

相手は様子を見るように可朗の周りをぐるぐる回っていた。可朗は攻撃に出ようとしなかったが、代わりに言葉を発した。
「おお速い速い。メリーゴーランドのバイトでもすれば?あ、コーヒーカップの方が良かったかな?」
相手の動きがほんの少し遅くなった。
「逃げ足はもっと速いのかな?」
「何だと!?」
相手は方向転換して可朗の方にまっすぐ突っ込んで行った。パンチを当てようとしたが、その瞬間、足下の何かにつまずいた。
「何だっ!?」
可朗が足で地面をたたくと、植物の蔓は相手に絡み付いた。
「スピードのついてる状態で捕まえるのは難しい。でも加速がなければスピードってのは最初からでないんだよ」
可朗は腕をイバラに変えて近距離攻撃を仕掛けようとしたが、先に高速パンチを食らって地面に倒れた。それと同時に相手に絡み付いていた蔓もほどけた。
「残念だったな、俺の実力をなめたのが間違いだっ・・・はう!」
相手は蔓が完全にほどけてない事に気づかなかった。突撃しようとしたとき、可朗が蔓を持ち上げさせると、相手は自分自身のスピードに締め付けられたのだ。
「ははは、引っかかった」
可朗は起き上がった。
「速いよ速い。体の動きはね。でもこれでわかったでしょ、頭の回転が速い方がどっちか」
その後も試合は可朗が有利な方向に進められ、結果は可朗の勝ちだった。
「よう可朗、やったな!」
天希が言った。
「フッ、『さすが』だろう、天希。この天才が負けるわけがないじゃないか」
「えーと次の試合は・・・」
「聞いてよ」
「次の試合はだな」
雷霊雲が話に入って来た。
「誰?」
「前回のここの大会の優勝者らしい」
「へー!俺そいつと戦いたい!当たるかな?」
「・・・残念ながら、彼はこの一回戦で負けるよ」
「・・・えっ?どういうこと・・・?」

試合の時間になった。現れたのは前回優勝者である、市田庄だった。
「チャンピオン市田か!」
「でも前回の大会、そんなレベル高くなかったらしいけどな」
観客がどよめいていた。そして、その対戦相手も現れた。
「あっ」
カレンは思わず声を上げた。フード一枚に全身を隠した姿は、他にいなかった。
「デーマ・・・」
天希はそういって雷霊雲の顔を見た。雷霊雲は何も言わずに小さくうなずいた。

「へ、格好付けやがって」
庄は手をポケットに入れて余裕の表情だった。
「言っておくけどよ、俺は前の大会で優勝してるんだぜ?残念だが、今回もここは俺の舞台ってことで」
デーマは何も言わなかった。
「試合開始!」
開始と同時に、庄の体が分裂し、二人になった。
「さあどんどん増殖するぜ!この技を前に前の大会では誰も手も足も出なかった!なにせ数十対一だからな!お前がお望みなら、百超えてもいいぜえ?」
庄はさらに四人、八人、十六人と増えていった。対するデーマは、何もする様子はなかった。
「ほら、俺のこの増えてる様見ろよ、超隙だらけだと思わねーの?攻撃してこねーの?じゃあ十分増えたし、こっちから行かせてもらおうか!」
三十二人に増えた庄は、一気にデーマの方へ突撃していった。デーマはそれと同じスピードで、音もたてずに後ろへ下がっていった。
「ハハハ、逃げる事しかできねえのか?」
デーマと庄はバトルフィールドの壁に沿って移動していた。デーマはなお逃げ続けていた。一周くらいすると、庄の分身のうち数人が軌道を変えて先回りに出た。
「へっ、これでもう袋の鼠よ!抗ったところでこの人数には__」
しかし、庄はある異変に気づいた。先回りさせた分身がいなくなっている。デーマはあいかわらず同じ軌道の中を逃げ続けているだけだった。
「ん?」
庄は嫌な予感がした。いつの間にか、辺りが薄い霧に覆われている。デーマが逃げ続けている間、そのフードの下から霧が漏れ続けていた事に、庄はやっと気づいた。
「なんだこの霧」
庄は追いかけ続けたが、顔が青ざめて来た。自分の分身は霧にかき消されるようになくなっていく。そして霧はだんだん濃くなっていった。
「チクショウ!」
デーマが霧の中に消えそうになった時、庄は力を振り絞ってダッシュした。すっかり濃くなった霧の中で、やっとその首をつかんだ。
「ハハハ、これで・・・え?」
フードの頭がしおれた。庄がつかんだのはフードの首で、その中にデーマ本体はいなかった。庄は背筋が凍り付きそうになった。辺りを見回しても霧が立ちこめるばかりで、相手はおろか観客一人すら目に入らない。
「どうなってんだ、これ・・・」
彼の肩に手がかけられた。そこで振り向いてから数時間経つまでの間のことは、彼の記憶にはなかった。

「どうした・・・何が起こったんだ?」
「全然様子が見えないぞ」
観衆側からも戦いの様子は見れなかった。ただ、わずか二~三分で霧が晴れたのは確かだった。そして、その中に見えたのが、フードをかぶったまま立っているデーマと、全身が紫や緑に腫れて地面に倒れていた庄であった事も。誰もがあっけにとられていた。試合修了の合図もないまま、デーマはその場を去ってしまった。庄はすぐに、雷霊雲の手術室へ運ばれた。

第二十三話

「もう勘弁してくださいよ、いつまでここにいるつもりなんですか、あなたたちは」
ドクターの一人が、偉そうにソファに座っている雷霊雲に言った。
「いいじゃないか、どうせこの五日間、他に患者なんて来てないんだろう?こっちだって一日おきに重病治療十回分の金を払ってるんだ、お前たちにとってはまだいい方だろう」
ドクターは気が弱いこともあり、これに反論できなかった。

「よーし、明日には出発するぞ!」
「長くここにいるわけにもいかないからね」
「でも、特訓する時間も確保しないとな!」
「フッ、天希、他の人間のことも考えてくれよ、お前の足なら明日ついても余裕はあるかもしれない」
「大丈夫だって、時間は八時だろ?」
「フッ、じゃあ起きる時間の問題か」
「あ、いっとくけど、私はパスだからね!」
「あれ?奥華でないの?」
「臆病者め」
「ウザ・・・だ、だってほら、私まだそういう戦いとか慣れてないし、アビスの時は勢いだったけど・・・それに、ネロっちだって出れないでしょ、まだ完全じゃないみたいだし・・・」
「でも、一応観戦にはいくつもりですよ」
「ほら」
「・・・よし、じゃあ、とりあえずそれは明日の予定ってことで・・・それで、夕飯どうする?」
「せっかくだから、この辺のどっか食べにきたいなあ」
「せっかくって・・・結局は雷霊雲先生のおごりだろ?」
「そんなの当たり前じゃん」
「じゃあ、一応雷霊雲先生には承諾を得て、OKだったら店探しに行こう!」

それについて、雷霊雲は快く(でもないが)了承してくれた。アビスはもと住んでいた町の方へ行って、今現在そこがどうなっているのかを確認するとともに、新しい家を探しに行くらしい。また、彼の予定としてはその後になるが、今までの彼の悪行についての裁判も行われなければならない。そのため、カレンはどうしても、自分の父親とともに行動することが出来なかった。そこで彼女は、今回、この近くで開かれるデラストの大会の観戦をはじめ、再び天希たちと一緒に行動することで、アビスの用事が終わるまでの時間をつぶすことにしたのだ。皆、彼女には気を使っていた。しかし、奥華は少しネガティブな考え方をしていた。これから自分も旅人として、仲間と一緒に行動しようという気が出てきたときに、カレンがそのメンバーから抜けてしまうと考えていたのだ。全てが解決したら、カレンは家族の中に戻ってしまう。せっかく友達になったのに・・・彼女は、できればその時がくるまでの時間を、どうにかして長引かせたいと思っていた。
「おっ、これは以外といけるね」口の中に物を含みながら、可朗がいった。
「そりゃあ、誰の金だか分かってるよな?これで食えないなんて言わせないぞ」雷霊雲が可朗に向かって言った。
「・・・ねえ、おっちゃん、このスープ何使ってるの?」天希が店員に聞いていた。
「ああ、それはな坊主、黄塩って言う珍しい塩使ってんだよ」
「黄塩・・・やっぱり、それかあ」
「なんでえ坊主、知ってんのか?」
「うん、小さいときによく摂取った」
「・・・おめえ、その頃どこに住んでた?まさか海の底とか言わねえだろうな?」
「いやあ、そんな訳ないよ」
向こうで会話がはずんでるのに対し、デーマはカウンター席の端で、黙々と食べていた。もちろん隣は雷霊雲だった。
「・・・デーマ、今何を考えている?」
彼は箸を止めた。
「・・・すまん、何でもない」
食べ物は再び口に運ばれ始めた。
奥華はカレンのことをずっと見ていた。奥華の皿の上はほとんど減っていなかった。カレンも気づいて、奥華の方を見た。その顔は無理に笑顔を作っているように見えたが、それには気づかぬフリをして、彼女は聞いた。
「どうしたんですか?」
「えっ・・・うんとね、すごくおいしそうに食べてるなーって・・・ネロっちって、本当にラーメンが好きなんだね」
「はい、兄さんとは一緒によく食べました」
「・・・そう」
奥華にいつもの元気がない様子が、次第にあらわになっていった。カレンはただ事ではないと思い始めていた。しかし、奥華が自分の注文した料理を再び食べ始めると、
「そうだ、これから毎日、夕飯ラーメンにしない?」
その小さな店の中に響く声で言った。
「えっ、それって・・・」
「いいじゃない、ネロっちってラーメンが好きだったんだよ。知らなかったの?」
「フッ、いや、隣から会話聞いてれば分かるけどさ・・・」
「それに、そこまでしなくて良いですよ、でも、そういうことまで考えてくれるなんて、嬉しいです」
奥華は少し涙目になった。カレンは少しあせったが、言う順序を逆にしたら、間違いなくこの場で泣かれていただろう。運良く、その言葉は彼女への打撃にはならなかった。

一行はその店を後にした。奥華のテンションはあがっているように見えた。しかしカレンには、どうしてもそれが無理をしているように見えてしまうのだ。それでも彼女にはまだ、自分と仲間たちが、遠くないうちに離れてしまうと言うことに、気がついてなかったのだ。それは奥華の目を見ても、すぐにはピンとこなかった。病院に帰って寝ようとしたとき、奥華がベッドの中で泣いているのに気が付いた。カレンは心配になって、その原因を考えつつ、奥華に声をかけようとした。が、ちょうど声がでかかったとき、そのことに気が付いたのだ。彼女は自分の鈍感さを悔やみ、奥華と顔を合わせることができず、これでは心が不安定で眠りにつけないと思いながらも、自分のベッドの中に入った。彼女もそこで泣いた。

翌朝。天希がバカみたいに早く起きたことは言うまでもない。そして、女子二人が寝不足だったことも。
天希がデラストに関していちばん憧れていたのは、こう行った大会に参加することだった。彼の祖父や、その前の代のデラスト・マスターは、そういった闘技場にのぼることが多かったらしい。天希にはその姿が十分に想像できた。そのため、彼がデラストを持とうとしていたときの目的の一つがそれだったのだ。彼は闘技場の土の上に立っている自分を想像していた。さすがに祖父ほどにはその場所は似合わないと考えていたが、それでも、それが自分の将来像であり、今すぐそこまで来ているのである。
「よし、とりあえず優勝するぞ!」天希は何も考えずに言った。

会場まではそれほど遠くなかった。たどり着いたときに、雷霊雲が今回の大会の関係者だったことに皆はじめて気が付いた。それは、会場で他の関係者の人たちの到着を確認していた男の言葉から分かった。
「あれえ、雷霊雲さん、遅いですよ、もう二日前から集合かかってたのに」
「すまんすまん、患者の面倒見るのに手一杯だった」
他は皆、会場の建物を見ていた。
「でっかいね~」
「まあ、デラストの大会のためだけに使用されるわけじゃないし、他のスポーツもここで行われることが多い」
メルトクロスは付き添いだった。とくにアビスには、カレンを見守っているよう頼まれたのだ。
「高さは15メートルくらいかな。筒型の建物なんだろ?まるで巨大な風呂桶だ」
「どっかに知ってるヤツいないかなあ?あ、もしかしたら、千釜先輩とか来てるかも」
「今回の参加者は16人か。この辺はデラスト・マスターの影響か、デラスターがやたら多いんだよな」
「えっ、16人?」
「他のスポーツと一緒にするなよ?個人戦なんだしさ。逆に、デラストを持っていながら、大会に出ない人だって・・・ほら、僕みたいにさ」
「あたしみたいにさ」
天希は最初はそれを聞いていたが、すぐに知っている人間がいないか探しに行ってしまった。
「あ・・・ちょっと、天希君・・・」
奥華は呼び止めようとしたが、そもそも彼女が声を出し惜しみしていたため、誰にも聞こえなかった。続いて可朗が天希の後について行こうとした。
「可朗ッ!!」
今度は相手の足を止めるだけの威力があった。
「な・・・何?」
「ネロっちまだ完全じゃないんだから、先に走っていったらかわいそうでしょ!」
実際カレンは、まだ肉体的なダメージも精神的なダメージも少し残っているので、しばらくは無理するなと雷霊雲に言われていた。
「すいませんごめんなさいもうしません」可朗はその場で土下座した。
「いやいやいやいや、そこまでしなくてもいーから・・・」
その時、奥華の目には同時に、見覚えのある体型が目に入った。
「あれ?」
「どうしたんだい?」
「あそこにいるのって、キミキミだよね?」
「誰それ・・・」
「あれ?可朗知らなかったっけ?」
奥華はその方向へ走っていった。可朗には、奥華が止まるまでその人がどこにいるのか分からなかった。
「え・・・その金髪のが・・・」
「うん、可朗たちがでてった後に転校してきたんだ」
「そりゃあ知らないわけだ」
明智君六は可朗を見ると、奥華の後ろに隠れた。
「シャイなのかい?」
「いや、どっちかって言うと、臆病者・・・」
奥華は君六を可朗の方に押した。君六はさっきよりも素早く奥華の後ろに隠れた。
「ぷ、隠れてるつもりでも、完全にその腹が見えてるぞ」
「そういうこと言わないの、かわいそうでしょ!ね、キミキミ?」
「・・・」君六は奥華の顔を見上げると、おそるおそる可朗の方向に視線を移した。
「フッ、そんなんでよく大会に出る気になれたね、ご苦労さん」
「もー・・・」
すると、君六の後ろの方から、ものすごいスピードで誰かが走ってくる音が聞こえた。後ろを見ると、土煙を舞い上がらせて、天希がこちらへ向かって走ってきていた。
「ひっ!」
君六はあわててその場から逃げ出そうとした。しかし、逆に自分から天希とぶつかる羽目になってしまった。
「いてっ!」
二人とも転んだ。天希はその勢いですぐに立ち上がったが、君六は一度倒れると、起きあがってべそをかきだした。
「あっ、キミキミ、だいじょーぶ!?」奥華は君六の方へ駆け寄った。
「ごめん」天希はそういって、すばやく顔を前に戻した。
「誰だあれ?」
「うちの転校生だってさ。ヘタすれば天希がいちばん嫌いなタイプ」可朗は皮肉って言った。「そういえば、千釜先輩はいた?」
「いなかった・・・っていうか、一応見覚えのあるヤツが約一名いたけど、誰だか忘れた・・・」天希はため息をつきながら言った。
向こうでは奥華が、君六を説得していた。
「ほらキミキミ、あれは私達の仲間なんだってば!怖がることないの!」
「ううっ、だって~」
「先生みたいに怖い人いないから!あと、宗仁もいないから大丈夫だってば!」
「うう~っ」
「それに天希君だって、さっきのはわざとじゃないんだし、ちゃんと謝ってくれたじゃん。ほら、言い人たちばっかりなんだってば・・・あ、そうだ!ネロっち~、ちょっと~」
奥華はカレンを呼んで連れてきた。
「?」
「ほら、全然怖い人なんかじゃないでしょ」
カレンは状況がいまいちよくわからなかったが、とりあえず自己紹介した。
「えっと、ネロ・カレン・バルレンです。よろしくお願いします」
君六がちゃんとカレンの顔を見ているので、奥華も笑顔になった。が、30秒くらい経っても彼がカレンから目を離さない、というか離そうとしないのを見ると、さすがに不自然だと思った。
「キミキミ・・・?」
「・・・・・」
「?」
・・・・・ポッ
「・・・バッカ!」
「ぎゃあ!」

「・・・やはりそうか」
メルトクロスは柱の陰に隠れて、その二人を見張っていた。本当ならばその二人は、メルトクロスも全く知らない二人の中年だったかもしれない。しかしそれが意識的な変装であることは、彼には見破ることができてしまった。
「・・・薬師寺悪堂・・・また会ったな」
彼はつぶやいた。変装をしている悪堂の方も、メルトクロスの存在には気づいていた。そして、もう一人の男は・・・
「そうか・・・悪堂、お前の隣にいる、その男こそが・・・」

第二十二話

(・・・あれ・・・?ここは、どこ・・・?)
カレンは、暗闇の中をさまよっていた。あたりには暗い紫色の霧が立ちこめ、どこを見ても先には闇が続くばかりだった。
「おーい、カレン、遊ぼうぜー」
「兄さん」
彼女の目には、9年前の兄の姿が映った。いつの間にか、自分も9年前の姿に戻っていた。
「何してるんだよ、早く早く!」
彼女は兄の後を追いかけていった。その先には、両親の姿もあった。
「父さん!母さん!」
カレンは嬉しそうに叫んだ。その瞬間、彼女の目の前にいた三人は消えてしまった。彼女の姿も、元に戻っていた。
「!?」
彼女は恐怖に襲われた。三人のいた場所から、震えながら後ずさりした。そのとき、後ろから男の叫び声が聞こえた。
「うおおおっ!」
カレンは振り向いて、上を見上げた。魔人の姿になったアビスが、闇の中に吸い込まれそうになっていた。
「父さん!」
カレンは手をつかんで引っ張り出そうと思ったが、すでに手が届かなかった。アビスも彼女の方に手を伸ばしていたが、どんどん吸い込まれ、最後には消えてしまった。すると、その場所から、二つの巨大な目玉が現れた。
「・・・ネロ・カレン・・・バルレン・・・」暗黒の中から、古びた床のきしむような声が響いた。二つの目玉は、彼女にそのおぞましい視線を注いでいた。
「まただ・・・またお前は、私の計画を邪魔した・・・いつもそうだ、おまえの母親もそうだった・・・」
カレンは一体何のことだか分からなかった。しかし、母親のことをいわれると、ただ事ではないような気がした。
「あなたは・・・一体、何ですか・・・!」カレンは言った。
「黙れ。声を失ったはずのお前に、ものを言う権利などない・・・」
「私には、ちゃんと自分の声があります!」
「うるさい!私に刃向かうな!私の計画を邪魔すれば、お前だけでなく、お前の兄や、父親も苦しむことになるのだぞ・・・」
その目は彼女を圧迫した。その邪悪なオーラに、彼女は吹き飛ばされた。
「くっ・・・」
「そうだ、苦しみと悲しみ、そして恐怖がおまえを襲うのだ・・・私でさえ、そんな状況に立つのは気が引ける・・・しかし、今はお前のそれを操ることができるのだ・・・私が念じれば、お前はどうすることもできなくなる・・・」
カレンは倒れたまま、起きあがれなかった。彼女に追い打ちをかけるように、その目は彼女の顔に近づいてきた。
「まずお前から動かなければいいのだ、強制的に動きを封じられ、自由を奪われる前に、我々に刃向かうことをやめろ・・・!」
その声は聞こえなくなった。しかし、その響きは闇にこだまし、巨大な目玉はどんどんカレンに近づいてくるばかりだった。彼女は目をそらすことも、閉じることもできずに、その目玉の持つ力に押しつぶされていきそうだった。

「ネロっち、ネロっち!」
カレンは素早く目を開けた。そこにあった二つの目は、さっきまでの暗黒に浮かぶ怪物の目ではなく、心配そうに自分の事を見つめている、奥華の目だった。
カレンは起きあがったが、そこに立っていた奥華と額を勢いよくぶつけて、再びベッドの上に倒れた。
「イテテ・・あっ、ネロっち、大丈夫!?ゴメンね、まだ頭に包帯巻いてるのに・・・」
彼女は天井を見つめたまま、自分の頭をそっとなでてみた。
「・・・だいぶうなされてたみたいだけど・・・・・大丈夫?怖い夢だった?」
彼女は、今度はゆっくり身を起こしながら、答えた。
「・・・大丈夫です・・・もう、起きましたから・・・」
「・・・はは・・・よかった~、だって心配なんだもん、ネロっちにこれ以上何かあったら、絶対みんな悲しむから・・・」
そう言うと、奥華はその狭い部屋の隅に座っている雷霊雲の方を見た。
「・・・しかし、お前もそう見えて意外と無鉄砲なんだな、いきなりあんな技を使おうとするとは・・・これからは無理するなよ」
カレンは少し笑いながらうなずいた。
「しかし、あの手術が終わるまではよく頑張ってたな、気づいてないかもしれないが、お前はこの三日間ずっと寝てたんだぞ」
最初、カレンは雷霊雲が何を言っているか分からなかった。雷霊雲はカレンダーを指さし、そこで彼女は初めて気づき、驚いた。
「この三日で、手術中に頑張った分の疲れを癒したな。それにしても、仲間の顔を見るまで休まなかったっていうのもすごいというか、何というか・・・あ、気にするな、私の偏見だ」
奥華も苦笑いを浮かべた。
「さてと、私はまたお前等のために弁当を買ってこなきゃならん。カレン、お前はまだ、どちらかというと怪我人と言うよりも病人に近い。お前は病院で作られるまずい飯を食わなきゃならない。だが、コイツ等はバンバン食べるからな、特に奥華、お前は見かけによらず・・・」
「それって、私がチビだってことですか~?」奥華は雷霊雲の目をにらみながら言った。
「すまんすまん、よく食う年頃なんだったな、お前らは」
奥華は初めて雷霊雲に勝ったような気がした。彼女は胸を張り、腰に手を当て、勝ち誇ったような態度を見せた。カレンもよく分からなかったが、小さく拍手していた。同時に、彼女は奥華が腰に当てている手が、右手だけだということに気がついた。奥華が取りたいポーズは何となく分かったが、それができていなかったのだ。
「うーむ」雷霊雲はそのまま部屋の外に出た。奥華もそれについていくように、部屋を出ようとしたが、部屋と廊下の境目で立ち止まり、カレンの方を振り向いて、不思議そうに言った。
「ネロっちって、自分でしゃべるときも敬語なんだね」
カレンはどう反応すればいいか分からなかった。が、その前に奥華が微笑んで、またこう言った。
「でも、すごくいい声してるよ、ネロっち。これからもいっぱい話そうねっ」
カレンは微笑み返した。奥華は右手でカレンに向かって手を振り、同じ手でドアを閉めた。

雷霊雲は、廊下を歩きながら行った。
「やれやれ、ここと向こうとの間を行き来するのも楽じゃないんだよなあ」
「だったら、向こうにいればいいじゃないですか、ネロっちの具合も良くなったんだし」
「ならば次はお前の番だな、奥華」
「へ?何がですか?」
「手術だよ、手術」
「なっ、なんであたしが・・・」
「ほう、じゃあそのままでいいんだな、お前のその左腕は」
「え!?こっ・・・これは・・・・・別に、いいです」
「・・・そうか、せっかくタダでつけてやろうと思ったのに」
「義手ですか?」
「まあな」
「別にいいですよ、ずっとこのままだったんだし、今更つけても・・・」
「・・・そうだな」

奥華はソファに座っていた。買い物に行く直前、雷霊雲は『アビスに伝えとけ、あんたの娘さんが目を覚ましたぞ、って」と彼女に言っていたのだが、何となく気が進まなかった。数分経って可朗が来た。奥華は彼にそのことを押しつけようとしたが、可朗も気が進まないらしく、いやがっていた。そもそも、アビス本人がどこにいるかを知っているのはメルトクロスぐらいで、それを言い訳にして、二人とも動こうとしなかった。それにしても、お腹がすいた。
そのとき、ソファの後ろから背の高い男が現れた。雷霊雲は、なぜかそこにいたのだ。
「お前ら、一体何をボーッとしてるんだ」
二人はかなりびっくりした。「え、あれ?先生、買い物に行ったんじゃなかったの?」
「買い物ならデーマ一人で行かせたぞ。お前らに教えておきたいことを、いろいろと思いだしたんでな」
二人の顔をみると、雷霊雲は仕方なさそうにアビスのいる部屋に入った。ソファから見える位置だった。
一分ほどの沈黙が続いた。向こうでは何か話しているのであろうが、全く聞こえなかった。その後、突然そのドアを壊さんばかりの勢いで、アビスが部屋から飛び出してきた。彼は足で地面を叩くような走りで、カレンのいる部屋に飛び込んでいった。

「無事だったか!」
カレンがちょうど、ベッドから出て歩いてみようとしていたところに、アビスは入ってきて、自分の娘に抱きついた。
「無事でよかった!よかった!」
「父さん・・・く、苦しいです」
言われて、彼は少し手をゆるめた。
「悪かった。いや、本当に悪かった。今まで俺は、お前やその他の人間にさんざんな迷惑をかけてしまったようだ。今まで本当に悪かった」
「・・・父さん、いろいろと聞きたいことがあるんですけど・・・」
「そりゃあ、たくさんありすぎて、何から聞けばいいか分からないだろう。俺も一体何から話せばいいのか、全く分からないところだ」
「あの・・・まず、父さんの姿について、少し・・・」
「それか・・・実は、フォレスト族など一部の魔人族には、自分の姿を使い分けることができる能力を持つ。本来あるべきである魔人の姿と、そうでない、ごく普通の人間の姿とを、な。この二つよりもさらに多くの姿を使い分けられるものも、昔はいた。だが、これは恐ろしい昔話だ、今はおいておこう。だが、意識的に変身すると体がものすごく疲れ、寿命が縮むとまで言われていたから、俺は正直言って、生まれてからずっとこの本当の姿のままでいようと思っていた。だが、めのめ町から外の世界を知ったとき、俺は怒りで我を忘れそうになった。未だに、俺たち魔人族を奴隷として扱っている部分があるんだと!だがしかし、その怒りをどこにもぶつけることはできなかった。俺は今回みたいなことになる前から、少しずつ悪に染まっていた。仮の姿を使うことになり、フォレストという姓を隠すために、偽名も使った。それで通ったときにはホッとした。おそらく、他の魔人族もこうやって生き延びているのだろうと。だが、あるとき、仮の姿であり続ける理由がもう一つできた。それは、母さんのアルマがお前たち兄妹をもった時だった。俺もその時はすごく喜んだ。そして、出産が近くなったある日、こう思った。『もし、俺が魔人族の姿のままで、子供たちが俺の顔を見たら、どう思うだろう・・・?」・・・俺は、いつかは本当の姿を見せなければならないとは思っていた。だが、俺の意志でそれができるはずがなかった。これに関しては、こんな形で打ち明けることになっちまったが、俺自身がずっとそうできないよりはマシだったな」
「・・・そうだったんですか・・・」
「悪いな・・・そういうわけで、俺は二重の壁に押されて、自由を失っていた。そしてさらに、そんな俺と、俺たち家族に降りかかってきた、9年前のあの事件・・・」
「・・・例の、あの事件・・・ですか・・・」
「そう、あの事件が、俺たち家族を引き離したんだ・・・!9年たった今も、奴らの正体は分からねえままだ・・・」
「その事件について、今度はもっと詳しく説明してくれないか、アビス」雷霊雲が突然言った。奥華と可朗も、部屋に入ろうとしていた。
「・・・ああ、話してやるとも・・・

___その日は、少し黒みがかった雲が空をさまよっていたが、日は照り、散歩日和と言っても申し分なかった。俺とカレンとエルデラは、家の中にいた。仕事も、カレンとエルデラの学校も休みだった。久しぶりに家族で何かしようかと考えているうちに、この日が来てしまったものだから、これと言って何をするでもなく、終わってしまう一日のはずだった。その先週は珍しく妻のアルマが家に帰ってくることができて、二人ともすごくはしゃいでいた。しかし、この日は本当にすることが何もなかった。まあ、体を休めるから『休み」なんだろうと思いながら、三人で部屋の中をゴロゴロしていた。その事件の前触れなんてものを感じられるような、そんな危
機感はなかった。その手前まで、最後の一瞬まで、とても平和な気持ちだった・・・その時、玄関のドアが開いた。ものすごい勢いで。別に俺たちは履き物の目の前で寝転がってたわけじゃない。二階からでもその音はものすごい音だって分かった。俺の汗は一瞬にして冷えた。カレンとエルデラには待っているように言った。そして、もし悪人が入り込んできたというのなら、俺のデラストで撃退してやるつもりだった。しかし、そこにいたのは、川園、いや、峠口真悠美さんだった。俺が昔に惚れ、最終的には大網の妻となった人だった。なぜここに来たのかという疑問は、真悠美さん本人が先に答えを告げるまで、俺自身がその人に対して感じていた懐かしさに
かき消されていた。だが今度は、真悠美さんの言葉が、のんきな俺の気持ちをえぐり取った。
『この街から、早く逃げて!」
ただ事ではない、本気で俺はそう思った。真悠美さんのデラストの腕前は、大網とは夫婦で肩を並べていると聞いていた。だが逃げろとは?別に俺は強敵を前にして、自分は逃げて真悠美さん一人を戦わせるようなことは・・・というか、そういう問題ではない。強いはずの真悠美さんが突然自分の前にやってきた、そして逃げろと言った。自分自身もが危機にさらされているような口調で。俺は急いで二階に上がり、カレンとエルデラを両脇に抱え、玄関に戻ってくると、真悠美はすぐに走り出したので、俺もついて行った。
『一体、何があったんですか!?」
『私にもよくわからない・・・ただ、私について走って!敵の姿も見たいところだと思うけど、できれば後ろを振り向かないで!」
俺は言うとおりにしようと思った。ただ、あいつが心配・・・いや、その話はここではしない。とにかく俺は走った。背中の方から、ずっとものすごい破壊音がしている。だんだん遠ざかっていくということは、俺たちの方がスピードは速いのだろう。ただ、デラストを持っていない人間なら逆に追いつかれているだろう、そんなスピードだった。俺たちはなるべく逃げた。そして、町並みが見えなくなり、傾斜に入ってもなお走り続け、丘の上まで登り切ると、真悠美さんは立ち止まって振り向いた。俺ではなく、遠くを見ていた。俺もその方向を向いた。俺は驚こうにも驚けなかった。自分の暮らしていた街が、少し遠くでどんどん壊れ始めている。『やつら」
はおそらく集団なのだろう。まるで砂のように、細かいものがうごめきながら、街をどんどん破壊している。空は曇っていた。
『奴らを・・・倒さねえと・・・!」俺は無意識にそういった。
真悠美さんは驚きの表情でこっちを見た。俺自身も驚いた。しかし、言ってしまったのだからしょうがない。
『この二人をお願いします。できれば、大網の船を使って、ゾンクの街まで行って、そこにいる村雨と言う男に会ってください。大網なら知ってるはずです」
彼の有名人、薬師寺悪堂のことです、と言ってもよかったが、時間はなかった。それにもし言っていれば、それは俺にとってこの上ない屈辱となっただろう。俺は丘を駆け下りていった。駆け下りながら、両手に力を集中させ、戦闘態勢をとっていた。そこで、俺が見たものは・・・!
気がつくと、俺はある建物の中で寝ていた。さっきまではずっと無意識に戦っていたはずだ。かなりの相手を打ちのめしたはずだった。しかし、結果的には負けだ。さっきまで俺と対峙していた化け物達が、俺の寝ている周りをウロウロしていやがるから間違いない。コイツ等はどこに住んでんだ?それとも、今俺がここにいるのがコイツ等のすみかか?そいつらは、まず人間の姿をしてなかった。指の数がおかしいし、鼻と口を無理矢理前方に引っ張りだしたような形をした頭や、樹木のような色をした気味の悪い肌、そしてそこに浮き出ている、明らかに形のおかしい骨格・・・こんな化け物の姿すら一生見れない人間が世の中に何億人いることやら・・・まあ俺の姿も一版世間から見れば怪物なのだが__俺はさほど身の危険に対する恐怖も感じずに、余計なことばかり考えていた。しかし、その部屋に『そいつ」が入ってきたとき、俺の不安は一気に頂点に達した。村雨道男・・・いや、薬師寺悪堂がその場にいたのだ。俺は真悠美さん
に、こいつに会うように言っておいた。その本人がなんでこんなところにいる?しかも自分一人で、なんのためらいもなくこの部屋に入って来やがった。その雰囲気で分かった。コイツはこの化け物達を統率しているのだと。しかも、しかし聞き取りにくかったが、化け物達の発する言葉の中に、『悪堂様」という言葉が混じっていた。芸名に様付けか。化け物達はやつにお辞儀までしてやがった。で、当の本人は、そのまままっすぐ俺の前まで来て、皮肉のこもった笑いを込めてこう言った。
『あんたの娘さんは、しっかりと私達が受け取りましたよ」
俺はバカだった。なぜコイツが、今まで敵だったと気がつかなかったのだろう。そもそも、こんな軍団が存在するなどとは、夢の中でも思えなかった。人間ではない化け物達を、精神的に人間離れした人間が統率している。その様子を、人間離れした姿をした俺が眺めている。そうだ、あの時点ですでに俺は本来の姿に戻っていた。だがそれだけで、俺はこの後、コイツ等に反抗することもできず、気がつけば奴らの軍団の支部長みたいになってやがった。なぜか薬師寺悪堂のことは忘れていて、本人もそれを知っていながら、俺の部下になりすましてやがった__

・・・まあ区切りが悪いのは仕方がないが、後は周知の通りだ」
アビスは言葉を切った。少し沈黙が続いた。
「・・・・・で、でも・・・」
カレンが何か言おうとしたが、その用件をかわりに雷霊雲が紡いだ。
「肝心なところが抜けてないか?お前がなぜ奴らに洗脳される羽目になったのか・・・それをカレンは聞きたかったんじゃないのか?」
「・・・え、マジで?」
「スマン、今のはちょっとお前の娘を勝手に使ってしまった、ジョークに近いものだ。だが、否定はできないだろう?カレン」
カレンはかなりゆっくりうなずいた。
「・・・あれは本当に悪夢だった・・・正直言って思い出したくな・・・」
「分かった、無理するな」アビスが言葉を続けようとしたところを、雷霊雲は切った。
「何というか、話してはいけないことが沢山ある、ようだな・・・それは分かった」
「お・・・おう」

実際、アビスにとっては喉元まで出掛かっているくらいに話したいこともあったが、ここでは全く逆のとらえ方をされる話し方をしてしまった。アビスは困惑していた。そのすぐ後に雷霊雲が『まあ、残りは後でじっくり話すとしよう」と言ってくれなかったら、どうなっていたか分からなかった。カレンには母や兄の居場所も聞かれたが、彼は分からないとしか言えなかった。その後沈黙が続いた。どうしても話題が見つからないと思った雷霊雲は(そういう雰囲気にした張本人であるにも関わらず)無言で部屋を出て行ってしまった。その後すぐに、アビスを安心させる台詞を発したのだが。奥華と可朗も、部屋の外へ出て行ってしまった。カレンは黙ったまま、椅子の上に座っていた。頭の中で、今までの出来事を整理していた。
「父さん・・・あの、兄さんは、あの時一体どこへ行ったんですか?」
「・・・あの時?」アビスは彼女の言っていることがよくわからなかった。
「父さんの話では、私と兄さんが離ればなれになった所は、出てきてませんよね・・・?」
「・・・そうだな、そういえば、今度はお前が悪堂の下で暮らしていたときのことを俺に話してほしい」
カレンはもっともだと思い、あの男の家族の一員として暮らしたことを、彼女は丁寧に語った。
「なるほど・・・じゃあ、村雨家としてはそれほど悪い対応はなかったと」
「はい。奥さんも、ミッちゃんも、優しい人でした」
「となれば、やっぱり問題は主人にあり・・・か。娘にまで嫌われてるんじゃ仕方のないところだな。ところで、それ以前のことは思い出せたか?」
「・・・いえ、船の中で、赤い髪をした優しいお姉さんと一緒にいたことは覚えてます・・・その時はすでに、兄さんは近くにいませんでした」
「・・・そうか。で、少しずれるが、その船の中でお前と一緒にいた人が、誰だか分かるか?」
「ええっと・・・峠口・・・あっ、もしかして、天希君の・・・!」
「そうだ。大網の妻ってことはつまり、天希の母親であるわけだ。それが川園真悠美さんだ。エルデラがその船に乗っていたかどうかは分からないが、天希なら何か知ってるんじゃないか?そもそも、お前はその頃、天希には会ったことがなかったのか?」
「はい、船に乗ってる間は、いつも同じ部屋に閉じこめられてましたから・・・」
「畜生、大網の野郎め・・・人の心が分かるんなら、もう少しいたわれってんだ」
「でも、大網さんにあったことはありませんでした」
「だろうな。アイツは子供が大嫌いなんだよ。特に女の子に対しては、照れるとかじゃなくて、根っから嫌ってるらしい。やつの実際の背が低いのがいちばんの要因だと思うが・・・おそらく、お前を閉じこめっぱなしにしていたのもそのせいだろう。最終的には、自分の実の息子まで育児放棄するくらいだからな・・・」
「でも、真悠美さんはいい人でした。ぜんぜん若いように見えるし、もしあの人がいなかったら、あの部屋の寂しさには耐えられなかったかもしれない・・・」
「だろ!?やっぱり真悠美さんはいつになっても魅力的だよなあ、どうして大網なんかが好きになったのかは分からんが」
長らく話し続けている間に、どんどん時間は過ぎていった。
「おう、だいぶ話がずれちまったな。よしカレン、エルデラのことについて、天希に聞いてみろ、その方がいい」
カレンはうなずくと、部屋を出、ドアを静かに閉めた。

天希はちょうど、病院へはしゃぎながら戻ってきたところだった。今までどこへ行っていたのか、一体何が嬉しいのかカレンには気になったが、あえてそれは聞かず、彼女はいちばん重要な質問をしようとした。
「あの・・・天希君・・・」
「うおっと!これでカレンの声聞くの二度目だ!で、何?」
今の言葉で、なぜか彼女は顔が少し赤くなったが、すぐに落ち着いて、続けた。「エルデラ兄さんについて、何か知ってることありませんか?」
「・・・エルデラ・・・?何だっけその名前・・・」
天希は五秒ぐらい考え込んだが、ふと叫んだ。
「あーっ!そうだ、エルデラ!思い出した!」
「どんな人でしたか?」カレンは嬉しそうに聞いた。
「いいヤツだったなー、俺とすごく気が合ってて、アイツといると、ものすごく楽しかった!あ、そういえば、カレンって前から、誰かに似てるなと思ってたんだけど、エルデラかァ・・・懐かしいなあ・・・」
「兄さんとは、どこであったんですか?」
「どこで・・・?うーん、よく覚えてないけど、とりあえず一緒には遊んだ」
「そうですか・・・」その言葉には、自分の兄が、今自分の友達である人間と面識を持っていたということに対するささやかな喜びと、手がかりをつかめなかった残念さ、そして、同じ船に乗ったことがあるのに、自分の場合は全く顔を合わせたことが無いと言うことに対する疑問がこもっていた。
「ありがとうございます」カレンは礼を言うと、天希から離れていった。
彼女は昼に奥華と可朗が座っていたソファで、天希が話してくれたことを整理していた。
(まず、私が村雨家に渡されたとき、兄さんは__同じ船に最初から乗っていたとしたら__船に残されたままのはずだった・・・よく覚えてないってことは、天希君と兄さんが出会ったのは、少なくとも船の中ではないってこと・・・?)
カレンは少し分からなくなっていた。
(慶さんの時に天希君自身が話してくれた内容からすると・・・天希君は、少なくとも四、五年前までは船の中で生活していたはず・・・ということは、私と天希君が会っていてもおかしくない・・・でも兄さんは会ってる、でもたった一回くらいなんだろうなあ、あの天希君の様子を見ると・・・結局、天希君と兄さんが会ったのは、偶然なのかなあ・・・)
振り出しに戻った。カレンはため息をついた。しかし、さっきの天希の話から、兄に対する資料がほんのわずかでも増えたような気がして嬉しかった。
彼女は立ち上がって、窓まで歩いた。外はすでに暗かった。久しぶりに、たくさん喋ったような気がする。天希や奥華や可朗に比べれば口数はまだ少ないのかもしれないけれど、この日、自分の家族や仲間と『しゃべった」こと自体が、彼女を満足させていた。それだけに、今までの冷静な彼女ならここで最も重要なことを考えることができたかもしれないが、今現在の彼女には想像することができなかったのだ。自分の家族のうちの一人が、すでにこの世にいないということを。

外は冷えていた。雲が空を覆い、風が地上を包んでいた。しかし、さすがに暗闇一色というわけにはいかない。街の中に無数にある電灯がそうなることを拒んでいるからだ。
「そうだろう?デーマ」
屋上、雷霊雲とデーマは、風上に体を向けていた。デーマのかぶっているフードは今にもその素顔をあらわにしそうなくらいになびいていた。
「・・・いよいよだな」
二人とも、目を合わせようとしなかった。デーマがうなずいたことは、雷霊雲には見なくても分かる__それも一つの理由だったかもしれない。
「おそらく今頃は、メルトクロスや天希がそのことではしゃいでるはずだ」
デーマは今の言葉が果たして自分に投げかけられているのかを疑問に思った。
「さてと、寒くなってきたし、そろそろ夕飯だな」
雷霊雲はそういうと、下の階に降りていった。デーマは雲の切れ間からのぞく月をみた。同時に風はやんだ。まるで時が止まったように、その風景の中に、動くものは一つもなくなった。月もこちらを見つめているようだった。半月はまるで瞳のようだったが、デーマは今まで、それほど美しい瞳を見たことはなかった。よって、彼自身がその月を何にたとえようとしたのかは分からない。彼はただ月を見つめたまま、全てが止まっている状態を感じていた。
しかし、下から天希や可朗の声が聞こえてくると、彼はあきれたようにクスと笑って、下に降りていった。風はまた吹き始めた。