第四十二話

「ふぅ・・・ふぅ・・・」
薬師寺悪堂は非常に焦っていた。飛行機に搭載された無線機が受信したのは、真悠美が発した電波だった。その電波は、船の中で真悠美が天希達に話した事を、一語一句漏らさずに、真悠美そのままの声で変換され、悪堂の耳に届いた。
「我々をおちょくっているのか峠口っ・・・!」
飛行機はヒドゥン・ドラゴナの本部が置かれている孤島へと着陸した。悪堂は飛行機に同乗していた部下を連れ、本部建物と発着場をつなぐ通路を急ぎ足で進んだ。
「生意気なガキどもめ・・・!」
悪堂はそればかりつぶやきながら歩いていた。
「あ、あのー・・・」
後ろから声がした。悪堂は怒りの表情を微塵も隠さずに振り向いた。声の主は動揺しながらも続けた。
「ここ、一体どこですか?俺ついてきてよかったんでしょうかね・・・」
悪堂は足を止めた。ついてきている部下の中で、布をかぶっていないのはその男だけだった。悪堂は少し考えた挙句、怪しい笑みを浮かべて応えた。
「良いでしょう、今からあなたは第四級官です。ここ、ヒドゥン・ドラゴナ本部への入構は許可されます」
悪堂は布を外すのを躊躇っている部下達に向かって言った。
「何をしているのです、今のやりとりを見ていたでしょう。もう隠している必要はありませんよ」
そう言って悪堂は歩き出した。後に続く部下たちは、歩きながら顔にかかっている布を外し始めた。
「布なんか被ってて、暑くないんで・・・」
彼は絶句した。同時に足も動かなくなった。布の下から現れた顔は、人間のそれとはかけ離れていたからだ。前に長く伸びた鼻口部、顔の両横を向いた目、褐色の鱗に覆われた肌。それらは彼らが全身に纏っている襤褸の布に比べれば美しく光っていたが、それを初めて目にする彼が驚きで頭が混乱する中、やっと形を成した言葉は「気持ち悪い」だった。しかし幸か不幸か、口は歯と歯を離したまま動かなかった。緑色をした目は彼のたじろぐ様子を捉えたが、特に反応もなくそのまま廊下を歩いて行った。
「ば・・・化け物か・・・?」

悪堂はさらに奥の部屋へと向かった。周りにいるのは皆、同じく鱗に覆われた肌を持っており、三角形をした長い顔を悪堂に向けては、その頭を振り下ろすようにしてお辞儀をした。
「悪堂様、オカエリナサイマセ」
顎の形と発音が合わないのか、廊下を進むごとに片言な挨拶で悪堂は迎えられた。悪堂は奥の部屋に着くと、そこにあった豪華な椅子に腰をかけた。
「・・・他のドラゴナ全員にも伝達しろ。飛王天は敗北、それに伴って飛王天支部は消滅。支部所属の高血種族収容所も破壊された。今から30分後にホールに集合せよ、と」
悪堂の声は震えていた。「ドラゴナ」と呼ばれたそれは無言でうなずくと、部屋を出て行った。間もなく、人間のものとは掛け離れた発声、言語で放送が入った。この言語は悪堂もよく理解していない。悪堂は大ボリュームの放送の中、小さく呟いていた。
「ゼウクロスが目覚める前に、血の海にしてやろうか・・・」
放送が終わると同時に、悪堂は卓上の電話が鳴っていることに気がついた。悪堂は電話をはたくように取り、声を荒げて言った。
「誰だ!」
しかし向こうから返事はない。悪堂は追い討ちをかけようとしたが、妙な勘で電話の先にいる相手が分かってしまった。その途端、彼の顔から一気に怒りのシワが消え、がなりつけようとした言葉は喉の奥へ消えてしまった。沈黙がしばらく続き、彼の手が震え始めた時、予想通りの相手の、女性の、非常に低い声が聞こえてきた。
「・・・さて、誰かしらねぇ」
その声に悪堂はさらに震えが大きくなった。しかし彼は震えを噛み締めて、はっきりと応答し始めた。
「ボス・・・!ご無沙汰で・・・」
悪堂はまるで人形のように席の上で固まっていた。
「元気そうで何よりね。ところで、アビスの奴の軍団と、飛王天支部の調子は良好かしら?」
トーンは非常に低かった。そして遅く、重々しかった。悪堂は頭と内臓がぐるぐる回っているような感覚を覚えたが、なるべく明るく返答しようと思い、声の調子を上げて返答した。なぜそうしようと思ってしまったのか。
「りょ、両支部とも非常に奮闘しております!先日は飛王天支部にてヴェノム・ドリンク33号が目標の値を達成いたしました!」
糸車が空回りするような声が出た。悪堂は気が遠くなる思いがした。
「ほう、達成したかい、それは初耳だねえ」
空回りしていた悪堂の笑顔に身が出てきた。悪堂はすかさず返答した。
「今までにないほどの出来でございます!これを量産してそれぞれの角に送れば我々ヒドゥン・ドラゴナも北角としての立場を見せつけることができるかと!」
悪堂は期待して返答を待った。しかし、聞こえてきたのは冷めた笑いだった。
「悪堂、アンタがそんな子供だったとはねえ。どおりであのジジイの、飛王天の世話がろくに出来ないわけだ」
悪堂の頭は真っ白になった。焦ることも苛立つこともなくなり、ただ受話器から流れてくる声を聞くばかりだった。
「他の角に立場を見せつける?そんな事のために今まで高血種族どものダシ取ってヴェノム・ドリンクを量産してたのかい。もういい、アンタみたいなガキにドラゴナ共を制御できるはずなんてなかったんだよ。両支部とも奮闘してる、ってのはアンタなりに考えたジョークね、褒めてやるよ。24時間以内に戻る、それまでにおままごとでもして待ってな」
電話は切れた。しかし悪堂が動き出すまでに3分はかかった。彼は受話器をゆっくり机に置き、そのまま部屋のドアに虚ろな目をやった。それと同時に、シワが潰れそうなほどに顔をしかめ、目の前にあるものを投げるようにどかしながら部屋を出た。
「くそう!何故だ何故だ何故だ!全て、全てあのガキ共がッ・・・!」
悪堂は床に蹴りを入れる足取りでホールへ向かった。
「今に見てやがれ・・・かつてゼウクロスをも混乱させた古代の軍勢が、貴様ら人間共を血祭りに上げる様を・・・!」

エルデラは海の上を漂っていた。疲れ切った表情をしていたが、それでもデラストの力を使い続けるしかなかった。
「これだけ経っても魚雷が飛んでこねえって事は、場所はバレてねえな・・・」
海上には小さな波が立っていたが、エルデラのいる点に近づくにつれて波は小さくなり、彼の周りでは波はほぼ全く立っていなかった。
「しかし、これからどうするか・・・」
彼は辺りを見回した。さっきから何度もそうしているのだが、どの方角を向いても水平線が見えるばかりで、島らしきものどころか、物と呼べるものが一切目に入ってこない。海と空だけがあり、空を雲が、海を波が漂うだけの世界だった。エルデラは死後の世界にでもいるような雰囲気を覚えた。
「船ぐらしで見慣れた光景のはずだと思ったんだけどな・・・1人で放り出されたあの日ですら平気だったが、今日は本当に一人だな」
海の上を浮かびながら感傷に浸っていたくもあったが、そうのんびりしている場合でもないと改めて自分に言い聞かせた。エルデラは一旦デラストの力を解いた。そのまましばらく漂い、深呼吸した後、最低限の空気が残るまで息を吐いてから潜った。
(そうだな、見つからない事がいい事ばかりじゃねえ)
エルデラの体はどんどん沈んで行った。沈みながら、常に辺りを360°見回していた。
(俺の勘が正しければ、来るはずだ・・・!)
辺り一面は、真上から太陽光が注いでいる以外はほぼ暗黒の世界だった。海上からは見えない、海の闇が横に下に広がっていた。どこから来たかわからない波が彼の体を揺らして通り過ぎて行く。体は音のない深い深い闇の中にどんどん沈んでいく。エルデラは息苦しくなってきた。
(来い、早く来い・・・!)
苦しさは次第に増して行くが、彼は辺りを注意深く見回し続けた。そのタイミングを逃すわけにはいかなかった。そして、突然の強い波に体が引き寄せられると、彼は全神経を集中した。
魚雷はすぐに目の前に現れた。彼は紙一重で、猛スピードで飛んでくるそれの命中を避け、すかさず後ろについた羽を掴んだ。魚雷は標的を失ったまま、海の中をまっすぐ進んで行った。エルデラは意識が朦朧とし始めたが、ここで少しでも気を抜けば再び海の中へ放り出されてしまう。波による上下左右の激しい揺れに翻弄されながらも、エルデラは手を離すまいと、魚雷の羽をしっかり左手で掴んでいた。
(頼む、どこでもいい、陸と呼べる場所に着いてくれ・・・!)
エルデラのデラストの力によって、魚雷の羽は彼の指先の部分から徐々に削れていき、やがて穴ができた。彼はそこに指を通し、強く握った。これでさっきよりも掴む力は少なくて済む。しかし意識は飛び始め、徐々に全身が言う事を聞かなくなり始めている。魚雷は走る速さ、泳ぐ速さを遥かに超えるスピードで進むが、進んでも進んでも深い海の色が続くばかりで何も新しいものが見えない。一体どこへ辿り着くのか、それともこのまま海の底へと沈んでしまうのか。
「・・・カ・・・レン・・・」

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